わたしは計画的変化は演繹法的、経済学的な手法であり、創発的変化は帰納法的、経営学的手法であると考えています。
近代、最も良く知られた計画的変化の例は共産主義ではないかと思います。
マルクスによれば、社会主義は発展した資本主義の次の段階であり、社会主義の実現のためには、封建制から資本主義に移行し、さらに社会主義に移行するという2段階の革命が必要であるという認識でした。
これは科学的仮説の検証のうち演繹法に依る考え方です。演繹法とは 「一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法」であり、「帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。 したがって実際上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられれば、誤った結論が導き出されることがある」 Wikipedia より
演繹法の例には次のようなものがあります。
夏に散歩をしていたとします。 どこからかスズメバチがやってきて、身体の周りを飛び始めたら10m以内に巣があることを示しているそうです。 さらに巣に近づくと、スズメバチは、顎を打ち鳴らして威嚇音を発し ます。 (以前、スズメバチがカチカチ音を鳴らすのを実際に聞いたことがあります)
これを知っていれば、「スズメバチが威嚇してくる >> 巣が近くにある」という演繹法による推論ができます。 ですから危険なエリアから早く離れるべきだとわかります。
中国で一人っ子政策が始められたのが1979年であることを知っていれば、33歳以下の中国人は大抵一人っ子であると推測されます。 実際は現在の中国の出生率は1.8程度です。 しかし都市部では教育費の高騰にともない出生率が低下しており、以上からやはり80年代以降の生まれの都市部の住民であれば一人っ子である割合は高いと推論できます。
これが一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る推論方法です。
マルクス主義では、資本主義の次の段階として社会主義に移行すると考えられていましたが、中国共産党が政権を得た当時は、いまだ封建制の農業国で、社会主義への移行の条件は整っていませんでした。 しかしながら毛沢東は1953年には一方的に社会主義への過渡期に入ったと宣言して、工業の計画経済と農業の集団化を行います。わずか3年後の1956年には社会主義制度が確立されたと宣言し、58年からは少なくとも4000万人の餓死者が出たという大躍進政策が始まります。
この時期、共産主義理論に、現実を合わせることで大変な悲劇が生じました。 一般的前提(共産主義理論)が間違っていれば(現実に即していなければ)、誤った結論が導き出される可能性が高いのに、当時、粛清や失脚を恐れて当時の共産党幹部は失敗を修正することができませんでした。
毛沢東の政策の修整が行われるのは、毛沢東の死後、現実主義者の小平が主導権を握る 1980年代を待たねばなりませんでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます