創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

ゼロになるところ

2015年08月25日 | 日記

入院中のことを書くのはこれで最後です。

時期は5月、すずめのひなの巣立ちの時期でした。巣立ったばかりのひなが病室の窓際にやってきて、しばらくすると親鳥が迎えに来て行ってしまいました。  出会えると少しラッキー。 病院の中をロボットが走っています。

      

10年ほど前、勤めていた会社を辞め、みぞれの降る中、都内の会社を何社も訪問したことがありました。 失業すると鬱にも近い無力感を感じるもので、将来に希望が感じられないまま、都内の日本庭園で時間を過ごしました。 ベンチに座って水鳥を眺めていたことを思い出します。

かじかんだ手で傘をさして歩いた、落ちては解ける雪混じりのアスファルトの舗道や鉛色の空は、その時のわたしの原点でした。 何か複雑に事情がこんがらがった時には、ゼロリセットできる。 そこからまた始められる原点だと思いました。

でも、そのときは、まだまだ、たくさん抱え込んでいてゼロではなかったのです。

入院中は、病院のコンビニに商品があっても食べられません。お金があっても、買えるものがない。

動脈に挿入された点滴の栄養補給で生きていて、いつ回復するか、いつまで入院しなければならないか分からない。 チューブが邪魔で風呂には20日も入れない。

病棟のロビーを1日1kmくらい歩きました。 回廊状になっている廊下を1周すると400m。 2周半、点滴スタンドと一緒に歩きました。 30分ほどでポンプのバッテリー切れの警告ブザーが鳴ると、病室に帰らなければなりません。

 

もう少し歩くと病棟を繋ぐ解放廊下。 ここがゼロでした。 ヒトは何もできない。 無力になる場所。

 

できることは、点滴スタンドと一緒に一歩、一歩、歩くだけ。 何も考えないで歩いていると、じきに、期待もなく、不安もなくなって。 不思議なこころの落ち着きがありました。  


上海

2015年08月23日 | 日記

1年半ぶりの上海は、連日曇りか雨、必ず夕立のような大雨が30分くらいありました。

明らかに上海周辺はトラックの通行量が減りました。 都会のインフラ投資はひと段落。 数年前は埃っぽい都市だと思いましたが、少しずつきれいになって落ち着いてきたような気がします。

日本円に対しての中国元は50%くらい高くなって、現金を換金すると1元=20円を超えていました。 日本食料理店で夕食を一人で食べたら1200円くらい。 うどんとおにぎり2個です。 和食を食べにくる中国人は寿司とか刺身とか頼んでましたから、わたしよりRich な感じでした。


上腸間膜動脈症候群 (3)

2015年08月15日 | 日記

「上腸間膜動脈症候群」は、十二指腸が上腸間膜動脈によって圧迫されることにより閉塞し、嘔吐や腸閉塞症状を引き起こす疾患のことです。 症例をきたす要因は「上腸間膜動脈と腹部大動脈の分岐角が通常よりも鋭角であること」があります。

左の写真は、事故直後に撮ったCTスキャンの画像です。 大根みたいなのが大動脈で上腸間膜動脈が丸で囲んだところで枝分かれしています。この時の角度は50度くらいあります。右の写真は十二指腸の狭窄発症後で分岐角は15度くらいです。

     

症例としては動脈により十二指腸が圧迫されていたようですが、患者としては、だからどうすればよいということはありませんでした。 治れと思って治るならいいですが、自分の身体でも思い通りにはいかないのですから。

食事ができないので、食事の時間も空き時間です。健康なら1日に食事の時間は1-2時間はかかるのではないかと思いますが、この時間も必要ないわけです。 

暇なので腸閉塞で入院していた人のBlogなどを見ると、もう何年も入院して、遂には仕事もなくなり、この先どうなるかという話、クローン病という腸が閉塞してしまう病気で何年も食事をしていない人の話など、もっともっと深刻な人がいることが判りました。

考えてみると、これからどうなるか。いつまでも入院していたら仕事もなくなるかもしれないと焦りを感じて暗い気持ちになります。

そんな時に思ったことです。

口から食道、胃を経て、腸から肛門に至る消化管は、生命が外部から食物になるものを身体に取り入れる管であり、その中だけは外界のものを体内に入れることができます。 それ以外の身体の中に外界のものが入ったら命に係わる事態になります。

怪我をした後、手術の前に何度も「食事しましたか?」と聞かれました。 胃腸が破れて食べたものが体内に流出したら深刻な体内汚染になるからです。  

命が生まれるとき、細胞は、一つ(受精卵)ですが、分裂をくりかえして生命体になります。  身体の細胞は一つなら平たい形ですが、分裂して、最後には身体を形成するために円筒形にくっつくことになります。 その中を消化管が通っていて、ここだけは命を繋ぐために外部のものを取り入れる管になっています。 この構造は、芋虫も、魚も、鳥も、犬も猫も一緒です。  

消化のことだけ考えれば、人間も大きな「芋虫」と同じと思ってごろごろして過ごすようにしました。 


上腸間膜動脈症候群 (2)

2015年08月11日 | 経営

飲食したものが身体の中で閊えてしまえば、普通は生きていられません。

開腹手術をすると治癒の過程で縫合部が癒着し易くなるそうです。傷がふさがるということは癒着することですから、治癒の過程で癒着は多少なりとも生じます。

十二指腸狭窄の治療法は、チューブを鼻から入れ、のどを経て腸にまで挿入する保存療法です。これにより、腸内の内容物を体外へと排出します。

当然、食事ができませんので、すべての栄養を太い静脈に入れた点滴から入れる静脈栄養という方法を取ります。 栄養素は1日2リットルほど投与されます。 腕の血管からは点滴できないので、腰か胸の近くの太い静脈にカテーテルを挿入します。 写真はチューブを胸に挿入した状態です。 胸部血管から約15cmチューブが挿入され、心臓の近くまで達していました。 向かって右の管は、腸まで挿入された鼻管です。

結局、左右に太い管が二本ぶら下がったまま点滴スタンドと一緒の生活が 20日間ほど続きました。 健康体の人から見たら相当不便を感じるでしょう。

鼻管は、直径6-7mmあり、のどに違和感があり夜になっても3時間以上続けて眠れませんでした。 毎日3度、同じ病室の他の患者さんには食事が運ばれてきますが、わたしは食事なし。 味噌汁を啜る音など、他の人が食事する音が聞こえますが、自分だけ食べれないというのも苦しいものです。

治療中はいつ良くなるか分かりません。 「何もかも思い通りにはいかない」とはこのことだと思いました。


上腸間膜動脈症候群 (1)

2015年08月10日 | 日記

この時期になると昨年の入院のことが思い出されます。

小腸損傷の手術の後、順調に回復し、集中治療室から一般病棟に移り点滴も外れて、病院内を階段で移動できるようになりました。 執刀医の先生からは「来週出張だけど、出張中に退院できるだろうから。 そうしたらもう会うこともないね。」と言われた直後のことでした。

早く退院したいと少し無理して食事を完食していたのですが、腹部の膨満感から、突然、ベッドで緑色の液体を嘔吐しました。 吐くと少し楽になるのですが、それから週末の2日間昼夜もなく数時間ごとに嘔吐しつづけました。

 そのときの手の写真。 脱水症状がひどく血管が浮き出ています。

後でわかったことですが、吐いていたのは、肝臓から分泌される胆汁でした。 胆汁は肝臓から1日に約500〜800ml十二指腸に分泌され、消化吸収の助けをしています。 十二指腸が狭窄していたので、食事も水も通りませんし、分泌された胆汁がお腹の中に貯まって、苦しくなると口から吐いていたのでした。

週明けの造影検査で十二指腸の狭窄と分かり、鼻から管を入れると胃腸に貯まっていた胆汁が出るわ、出るわ..  器に一杯1ℓ くらい出たでしょう。  主治医の先生からは、「長引きます」の一言。   間もなく退院と期待していた状況から一転。 いつ退院できるか全く分からないまま、それから23日間、一切食事なしの生活が始まりました。