創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

中国でフィンテックの波に触れた話

2018年06月09日 | 旅行

約1年半ぶりに中国南方に出張しました。 暫く来ないとその変化に驚かされます。 虹橋空港は床も壁もリニューアルされ、掃除をする人も明るい色の制服を着ていました。  空港を出ると道路がきれいになり、かつての埃っぽい空気が随分きれいになっていました。 

蘇州では、いつもはダウンタウンに泊まるのですが、今回初めて金鶏湖のそばのホテルに泊まりました。 夕食を取ろうと近くの蘇州中心(Suzhou Center)に行ってみて、正直、その景色に驚きました。

オフィス、ホテル、マンションに中国東部最大のショッピングモールがあり、モールの中のアイスリンクではアイスホッケーのスクールが開かれていました。

こんな広いモールは見たことがありません。

こういう景色を見るとどうしてもバブルなのかと思ってしまいますが、人口構成が若い中国ではこの先10年や20年は問題ないのかと思いました。

この後、広州に移動し、空港で買い物の支払いをしようとしたら、店員の人に「微信あるか?」と聞かれました。 最初、なんだか理解できなかったのですが、WeChatPayのことかと思い当たりました。 中国元で現金を持っていれば大丈夫だろう思っていたら、大間違い。 キャッシュレス化が日本よりも進んでいました。

結局、店員の人に現金を渡して、WeChatPayで処理してもらいました。  空港では食事の支払いもみんな微信で支払っていました。

これが普及すれば、将来、銀行の支店がいらなくなるなと思いました。 ATMもクレジットカードも必要性が減り、レジスターや自動販売機も現金を扱う必要がなくなれば大幅に簡素化されるでしょう。 実際、広州の空港では現金の授受をしない簡素なスキャナーだけでした。 一般の人が現金を持たなくなるとしたらなんと大きな変革か..

スマホ決済にもフィンテックが使われていますが、中国でフィンテックの革新の波に触れた思いです。


Peloton

2018年02月17日 | 旅行

1月の米国出張の際、ホテルのフィットネスセンターにモニター付きのエクササイズバイクが置いてありました。

これが「Peloton(ペロトン)」というバイクで、インターネットにつないでモニタを見ながらエクササイズするという仕組みです。

調べてみると Peloton社は 2012年の設立で、自宅用エクササイズバイクの販売と会員向けにレッスンの動画配信を行っています。会員になると様々なクラスのレッスン動画を見ながらエクササイズができるようになります。 この会社はニューヨークにスタジオがあり、インストラクターのスタジオでのレッスンを自宅などにいる会員にオンライン配信しています。

泊まったホテルは全米にホテルチェーンがある会社ですからかなりのスケールで事業拡大しているようです。

バイクは$1995で、普通にペダルを踏むモードの他に、いわゆる立ちこぎができるようになっています。 これをやると有酸素運動の負荷が高くなります。

https://www.onepeloton.com/shop/bike

格好いいインストラクター同じバイクに乗って、音楽をかけながらレッスンして一体感を盛り上げ、運動を継続していくように支援していくというビジネスモデルです。

ビジネスモデルをシュンペータのイノベーションまたは新結合の枠組みで捉えると、

モダンなスタジオのエアロバイクレッスンがインターネットと結びつくことで(新しい生産方式=サービス)

インストラクタは一か所のスタジオにいれば全米にレッスンが配信され(新しい組織)

プログラムが全米のホテルや自宅に届けられる(新しい販売先の開拓)といった解釈ができます。

健康ビジネスの事例として非常に興味深いと思いました。


天津経済技術開発区 (TEDA) 訪問 (1)

2017年05月08日 | 旅行
5月の連休は天津経済技術開発区(TEDA)を訪問しました。
 
 
TEDAは中国の国家級経済技術開発区の環境評価は12年連続で首位だそうです。
 
天津開発区管理委員会の主管幹部の方にも面会しました。
 
 
進出企業の首位は長城汽車、次いでトヨタ、三星電子の順だそうです。 Panasonicの名前も見られます。
 
 
 訪問の目的は中国現地の企業が、天津にベンチマーキングセンタを開所に際してのアドバイスを求められてのことでした。現地のベンチマーキングセンタは建物を改装中で数か月中には開所予定とのことです。
 
 
 
 
 
 

海外出張

2017年02月22日 | 旅行

2017年はすでに3回海外出張に出かけました。 1月は米国オハイオ、インディアナ州に。移動中の車窓から。

日本と大きく異なるのは山が全く見えないことです。

2月は韓国。 仁川松島エリア。

上の写真右のロッテモールは数年前には開業していませんでした。

九十九里浜。遠くに犬吠埼。 仁川の空と違って、日本の空は澄んでいました。


リトルロック

2016年10月26日 | 旅行
9月末、昨年12月以来4度目の米国アーカンソー州出張。 州都Little Rockは元州知事であったビルクリントンの大統領ライブラリ―があるくらいで観光に行く場所も殆どありません。仕事が早く終わった時、動物園に行ってはどうかということになり、リトルロックの動物園に行きました。
 
Somali wild ass ソマリアロバ
絶滅危惧種。 野生では生息数1000頭以下。 
 
Red river hog アカカワイノシシ
耳が独特。
 
サイは昼間寝ていることが多いのですが、ここのサイは人がいると寄ってきます。
 
とかげ  意外に素早く動きます。
 
 
おまけ 帰路。 シカゴの空港の通路。 20年ぶりくらいで通りました。以前は暗かったのですが明るくなりました。
 

仁川 松島国際都市

2016年09月19日 | 旅行
 
韓国に出張するときは空港からのアクセスの便利さから松島(ソンド)国際都市に宿泊します。
 
韓国の人の話では、松島は横浜のみなとみらい地区をモデルにしたという説もあるようですが、一番の違いは、仁川国際空港まで仁川大橋経由15分という立地の良さです。  松島に事務所を持つ企業は、海外からのビジターが空港に到着したと電話を受けてから車で迎えに出ても、入国審査を終えて出口からでてくるビジターを迎えることができるといいます。
 
 
写真はカルビタンです。 日本人にとって韓国では食事には困らないのは大きな利点だと思います。

羽田ー名古屋 プライベートジェットの旅

2016年07月30日 | 旅行
現在の仕事を始める前に、英国の日本支社の代表をしていました。
 
その会社の創業会長は事業が成功し、莫大な資産を得ると、米国で航空機のライセンスを取り、小型ジェット機を購入しました。
 
その飛行機を自ら操縦して、英国から来日したとき、顧客である自動車会社を訪問することとなり、東京から名古屋まで会長所有のジェット機に搭乗する機会がありました。
 
 
飛行ルートは羽田から伊丹空港でしたが、羽田の滑走路を確保できた時間は朝6時でした。
午前4時には空港に行かねばらならず、都内のホテルに前泊、タクシーで会長と羽田に行きました。 羽田には通常の乗客が乗降するターミナルとは別に個人用の自家用飛行機の発着用のターミナルがあり、自家用飛行機の発着を支援する会社がありました。この会社の人たちが給油から滑走路への誘導をしてくれます。
 
航空法の規定で、乗客に避難経路や安全ベルトの案内をするのは乗務員(この場合、会長)の役目で、私は、客として座っているだけでした。  名古屋まで飛行時間は30分くらいです。 途中、会長は自動操縦にして、富士山が見えたと、写真を撮って喜んでいるうちに名古屋に到着しました。
 
 
 
 
この後、伊丹空港から客先企業まではタクシーで約1時間を要し、この旅程は、新幹線に比べて何の時間的メリットもありません。  この後、訪問先の企業の方と面談しましたが「新幹線で来たのですか?」と質問され、創業会長はこれには何も答えず微笑するばかりでした。
 
ちなみにビジネスジェットをチャーターして東京から北海道に行くと600万円以上かかるようです。
 

米国出張

2016年03月28日 | 旅行

2月中旬から3月上旬まで約3週間米国に出張していました。 移動が多く厳しい日程でした。

インディアナポリス

 

インディアナポリス動物園にて                                        

 

手前から鳥、とかげ、かめ(分かりにくい...)

デトロイトにて (レンタカーを借りた日の午後から雪)

デトロイト空港のすし屋にて(韓国人の人が寿司を握っている)

アーカンソー、リトルロックにて


韓国(1)

2013年07月07日 | 旅行
釜山はわたしの好きな都市のひとつです。 1987年以来、何度も訪ねています。 いままで、海のきれいな港町で韓国のなかでは気候風土が穏やかな街とだけ思っていました。

2003年の冬には、その年の夏に開館したばかりの釜山近代歴史館を訪ね、日本のかかわりから少し違った側面を見ました。 (開館から日が浅いこともあり、当時わたしの持っていた韓国ガイドブックには、まだ歴史館は載っていませんでした)

以下、展示されていた釜山の近代史を展示の内容とともに振り返りたいと思います。

開港:
当時の韓国は日本と同様鎖国政策をとっていました。 日本は米国のペリーにより開国を迫られた強圧外交そのままに、韓国に軍艦を送り、開国を迫りました。 この結果、1876年に締結されたのが江華島条約です。 このとき、開港した都市に釜山が含まれ、そこには日本領事館が置かれました。

開港後:
釜山には日本商人が貿易のために渡来、日本人居留地域 - 租界を設置しました。 租界は、軍事利用の側面が強く、日本の軍事進出の拠点となりました。

近代歴史館における展示は, その後は、大日本帝国(日帝)の収奪と支配の歴史です。 日本は、鉄道の敷設をはじめ、農業、工業、水産業、金融などの経済基盤を建設しましたが、歴史館における説明では、その理由はすべて人員と物資の収奪が目的であったとされています。

釜山近代歴史館は、大庁路沿いにあります。 道沿いに海に向かうと、日本から到着する国際フェリーターミナルのほぼ正面にあります。 港の中心からまっすぐに延びた大庁路はまるで、日本からやってくる人たちを正面から迎えるようです。