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創発企業経営

15年目の会社の経営、事業報告

QS World University Rankings

2025年06月22日 | 経営

英国の大学評価機関QSからQS World University Rankings の雇用者評価の依頼があり、オンラインアンケートに回答しました。QSランキングは、世界で最も広く閲覧されている世界大学ランキングと言われています。

大学ランキングが発表されるようになった経緯は以下の通りです。 2003年英国政府が産学連携の検討を行った際、大学の国際的なランキングの必要性が強調され、タイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)とクアクアレリ・シモンズ(QS)と提携し、ランキングが作成されるようになりました。 その後、2009年にTHEは独自のTHE世界大学ランキングを作成することとなり、QSと分離、QSは、教育に関する評価に焦点をおいてランキングを作成し続けています。   QSランキングの評価基準は以下の通りです。

指標                    割合    詳細
学術査読             40%    社内グローバル学術調査に基づく
教員・学生比率  20%    教育の取り組みの測定
論文被引用数      20%    研究インパクトの測定
雇用者の評判     10%     新卒採用者へのアンケート調査に基づく
留学生比率           5%    学生コミュニティの多様性の測定
外国人教員比率 5%     教員の多様性の測定

当方に依頼があったのはランキング評価の対象となる大学の卒業生の「雇用者の評判」についてです。

大学教育の質を評価するのは難しいと思いますが、客観性や一貫性を保つ努力はされていると感じました。

翻って日本の大学ランキングは入試難易度主体です。大学が教育機関であるなら、そこで学生をいかに教育したかが大学の質を分けると思います。

もう一つ日本には人事が評価する大学就職力ランキングというものもあります。 これは、私が回答した「雇用者の評判」にあたると思いますが、大学の研究実績や教育の質を客観的に示す評価ではなく、就職後の卒業生の評価と考えられます。

日本でもより客観的に大学の質を評価する大学ランキングが発表されるようになればと思います。


Gibson

2024年11月24日 | 日記

1980年代に購入した Gibson Midnight Special を手放しました。 弦裏通し仕様。出荷数は約2,000本と言われています。エフェクターなしでもドライブ感のあるいい音でした。


太宰治 人間失格執筆の家

2024年11月03日 | 日記

さいたま市の実家の整理中、1988年6月の県民だよりの切り抜きを見つけました。 実家にほど近い大宮区大門町で、太宰治が人間失格の執筆をしていた家がありました。 この家は記事の発表後、間もなく取り壊されてしまったので、今はありません。 太宰治が亡くなる前のことを記した本を読むと、今も残る酒屋や病院など太宰治が過ごした通りを自分も子供のころ行き来したことが分かりました。

 


賃金平準化理論

2024年10月21日 | 経営
東芝深谷製作所の跡地です。 日本初のカラーテレビ専門工場として最盛期には約7000人の勤務者がいたそうです。 7000人は現在の深谷市の人口の約5%、家族を含めれば優に10%を超える関係者が居住していたことになります。 2021年の閉鎖以来、一部の土地が売却されましたが、いまだに跡地のままです。 東芝に限らず、国内の工場・製造拠点の閉鎖、縮小は枚挙に暇がありません。
 
 
日本の賃金が上がらなかった理由を整理すると以下の通りです。
 製品貿易の結果、賃金は世界市場の条件である低賃金国にサヤ寄せされてしまう。これは、経済学で「要素価格均等化定理」として知られる。
 日本の主要輸出品であった家電、エレクトロニクス、半導体などの分野で、韓国、台湾などの新興国が日本の市場を奪った。 現在、韓国、台湾は中国に奪われる脅威にさらされている。
 貿易で移動できる製品の価格は低賃金国での製品コストが標準となり、これと競合するには賃金を低賃金国並みにしなければならない。
 低賃金化ができない場合には、本国からの製造拠点の撤収または、低賃金国で製造することとなる。
 
つまり、近隣諸国あるいは海外に低賃金で同様の製品を製造する国が現れた場合、それと同じ製品を自国で作り続けることは早晩困難になります。
 
今、日本に残る製造業で、近隣諸国でも競合製品が製造され始めている産業は何かと言えば、それは自動車産業です。

日本の賃金が上げらなかった理由

2024年10月20日 | 経営

NHKビジネス特集のサイトににニッセイ基礎研究所がまとめた日米欧6か国の物価上昇を加味した1人あたりの実質賃金上昇率グラフがあります。

1999年1-3月期を100として2023年10-12月期を比べると、イギリス42%、アメリカ34%、ドイツ12%とあがっていますが、日本はマイナス2%でした。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240625/k10014490591000.html

衆議院選挙で賃上げを公約に掲げる政党は多いですが、なぜ日本は賃金が上がらなかったのか?   原因を明確にしておくことは大事なことだと思います。

90年代以降、日本の賃金が上げらなかった原因について2010年刊 野口 悠紀雄 (著)「経済危機のルーツ ―モノづくりはグーグルとウォール街に負けたのか」をもとに記してみます。

野口氏はその原因は、鄧小平が主導した「改革開放、現代化路線」への大転換による中国の工業化に端を発すると述べています。

「中国が工業化して世界の工場としての役割を担うようになった世界では 製造業からの脱却は必然の方向だった。 製造業に固執しても低賃金で生産される中国製品にはかなわない。 もし 正面から競争すれば 賃金水準が中国並みに下がってしまう。」

「製品が実際に日本国内に輸入されなくとも、国際市場で競合が生じれば、価格の平準化は起きることである。たとえば日本製テレビと韓国製テレビが国際市場で競合すれば、日本製テレビの価格は、韓国製テレビの価格にサヤ寄せされて下落する。そして日本の国内価格と輸出価格が大きく乖離することはないので、国内の価格も下落する。つまり、新興国製品が日本国内で使われなくとも、工業製品の日本国内価格は下落する。」

輸出できる貿易財ものは世界市場において製品価格の平準化が進み、賃金面でも平準化が進む。そして日本の賃金は低賃金国のそれにサヤ寄せされる。 これが日本の賃金が上がらなかった原因です。

これは特殊なことではなく、日米国間で生じた貿易摩擦と同じで、日米の関係が、日本とアジア新興国の間の関係に変わっただけだと言います。

ただし、80年代日本の攻勢を受けた欧米諸国(特にアメリカとイギリス)は、脱工業化を果たして製造業の比率を低めたのに対し、90年代以降新興国からの低価格製品の攻勢を受けた日本は、産業構造を変えようとはせず、競合する方向を選び、輸出品との間の価格競争力の劣勢を挽回しようとしました。 新興国と競争しようとすれば何が起こるか..   賃金の低下、非正規雇用の増加でした。

それでも、エレクトロニクス分野では日本の地位後退を留めることはできず、多数の企業が縮小撤退を迫られる事態となりました。日本が工業化で成功し、Japan as No. 1 と言われたころはすでに工業化の時代の終盤で、世界は情報化社会を迎え、追従できない日本は長期停滞の時代に入ってしまいました。 


広島県三原市、竹原市にて

2024年10月17日 | 旅行

9月、広島県三原市から竹原市にかけて瀬戸内沿岸を訪ねました。

綺麗な白浜、穏やかな海、瀬戸内海の島々が眺望できました。  

タクシーで移動中、運転手さんが、このあたりは過疎が著しく、若い人を殆ど見ないと言います。

竹原市の人口増減率は(2015-2020年)-9.21% (全国平均は-0.75%)、65歳以上高齢化率は42.10%(全国平均は28.60%)。

なぜ、若い人がいないかと言えば雇用がないからだといいます。 三原市の帝人は2018年に撤退、三菱重工も整理縮小を進めています。

朝、三原駅から通勤に通う人が列をなして、それは活気があったそうです。

穏やかな瀬戸内は住むには最適な環境なのに、産業、特に製造業が縮小。雇用が減少すれば、住み続けることができない現実は考えさせられます。

日本経済停滞は何が原因だったのか?  大量の雇用を維持できる製造業にこだわり続けるべきなのか?

このあと少し考察してみたいと思います。


広島にて

2024年10月09日 | 旅行

空港を借景にした日本庭園。


愛❤あるコイ

2024年10月04日 | 旅行


秋到来. Autumn has come. (at Motegi town, Tochigi on 27 September 2024)

2024年09月28日 | 経営


シャカリキ

2024年09月15日 | 経営

「でたらめだ!」

30年以上前の話。社内の決算数字が私の上司に届き、巨額の赤字が計上されていました。その時、上司が言った言葉です。

1985年9月のプラザ合意前の為替は1ドル=250円を超えていました。 これが1988年には、1ドル=128円にまで進行しました。2年ほどの間に日本の製造業のドル建てコストが2倍になったことを意味します。

この頃、私は電機会社でPC用記憶装置の海外営業に配属されていました。でたらめだと言った上司は、米国勤務から帰国後「これからはPCの時代です」と社長に進言し、会社は多額の投資を行い、PC部品の市場に参入していました。

この人が意気揚々進言した新規事業が会社にとって大赤字のお荷物になってしまいました。


2024年9月11日付日経新聞で、マネックス松本大会長が日本企業の資本効率やガバナンス(企業統治)の改革について問われ、以下のように答えていました。

「最も大きいのは経営者が世代交代しつつあることだ。 これまでの経営層には強烈な成功体験があった。 日本は焼け野原からたったの23年で世界第2位の経済大国になった。 「ミラクル(奇跡)」を実際に見てきた経営者は世の中が変わってバブルがはじけ、世界のビジネス手法が変わっても、外の意見に耳を傾けなかった」

当時の上司は、海外のビジネス経験に優れた有能な人でした。自身の経験を振り返って「ぼうぼう燃える火の中、シャカリキに働いてきた」と言っていました。

炎の中をくぐって辿り着いたら、世の中が変わっていたと聞いても簡単には受け入れられなかったと思います。

当時の日本企業は成長分野に積極的に投資する果敢さがありました。 今なら、投資に対するリターンを慎重に計算して、不確実なら手を出さないと思います。 そうしている間に、日本の製造業は韓国や中国企業に劣後してしまいました。
 
それから30年以上経ちました。 以前の上司に、「当時は「ミラクル」の追い風が吹いていたようですね。」と言ったら叱られると思います。 

その時代の米国の貿易赤字の大半が日本との貿易によるものでした。プラザ合意は日本の企業戦士が頑張りすぎた結果とも言えます。

当時の上司を含め、その頃の日本人がシャカリキに頑張って「ミラクル」を起こしたのですね。 

「シャカリキ」は、「釈迦力」と書くそうです。