創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

精神的な苦しみ - 鬱について

2014年09月29日 | 経営

苦しみは一種のエネルギーです。苦しみのエネルギーは否定的なものであり、時には私たちの身体や心を破壊します。 私たちの一般的な、苦しみに対する反応は、それを避け、そこから逃れようとするというものです。誰もが、痛みや不快感を避けたがるのは、生命としてごく自然なことです。

漫画家で吾妻ひでおという人がいます。 鬱または躁鬱の傾向があり、二度失踪、アルコール依存症となり入院した経緯を作品にしています。 「失踪日記(イーストプレス)」の冒頭、「89年11月 わたしは某社の原稿をほっぽって逃げた」とあります。



「うつうつひでお日記 (角川文庫)」の中には、「歩いている途中不安の渦がやってきて巻き込まれる」という描写があります。

苦しみを感じるとき、そこから逃げたり、闘ったりするのではなく、苦しみを見つめられれば良いのですが、もともとあった鬱の傾向が、亢進してしまったのでしょう。 吾妻氏の場合、苦しみのエネルギーは自分を飲み込んでしまうほどに大きかったのだと思います。

私の経験で、今年、事故に遭って緊急手術を受けたときのことです。 最初に搬送された病院でのCTスキャンの結果、「消化管穿孔、大動脈損傷が疑われた」そうです。 大病院でしたが、「ここでは手術はできない」と言われ、さらに大きな病院に搬送されました。 実際には、大動脈に損傷はなかったのですが腹腔内に血液の1/10程の出血があり、危険な状態でした。

手術前、大動脈が破れて出血していると想像したら、死の恐怖感が出たことでしょう。 麻酔が効いて、もうそれっきり覚めないとしたら..  身近な人や、自分が大切にしてきたものごとに思いが連鎖したら、興奮して、精神的におかしくなったかもしれません。

不安の渦や、落ち込み、暗くなったときは、何としても、暗い思考を早く断ち切らねばなりません。 その思考は危険なだけです。 「衝動」という言葉がありますが、大抵の日常の事件や犯罪は衝動で起こります。 突き上げてくる怒りや、黒雲のような不安がくると、人は我を忘れて相手を傷つけたりおかしな行動に走ってしまうものです。

心が暗いと気づいたら、これはもう緊急事態と、すぐにその暗さを変えることです。 とりあえず外を走ってもいいし、面白い番組を見たり、集中できる本を読んだり、ともかく気分転換して、暗い思考を破ることです。 日常で暗さや怒りが続く事態は絶対にあってはならないことです。

病院で緊急手術するとしても、手術室に運ばれる途中に怖くなってもその感情は持ち続けないことです。 誰か周りの人に話しかけてもいい、とにかく止めることです。

わたしが手術するときは、意識ははっきりしていましたが、(早く手術する必要があったのでしょう)流れ作業のコンベヤーに乗って流れていくようで余計なことを考える余裕がないのが幸いしました。

日常、私たちの周りに苦しいことはたくさんあります。この先ここで述べる方法は苦しみをありのままに観察する方法ですが、ネガティブな悪感情や暗い思考は、即座に潰してしまうことです。 そのためには日常、自分の状態に気付いている必要があります。

吾妻氏の「失踪日記」は各メディアで話題となり、多くの賞を受賞しました。飲酒についても、治療プログラムを受け退院。以後、断酒を続けているそうです。  吾妻氏は失踪日記を「全部実話です(笑)」と言いつつ、「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と失踪や自殺未遂をあっけらかんと描いています。

心理学では自分の中の苦しみの起因となる衝動的な心のエネルギーから距離を置くことを脱中心化と呼ぶそうです。   ネガティブな心のエネルギーの中では読者が共感するような作品は描けないでしょうから、吾妻氏にとっては、作品を描く仕事が鬱からの解放の助けになったのでしょう。


The art of suffering (苦しむ方法)

2014年09月19日 | 経営

The art of happiness (幸福になる方法)については耳にしたことがあっても、The art of suffering (苦しむ方法)について聞いたことがある人は少ないと思います。 誰もが幸福や成功するための方法は知りたいでしょうが、苦しむ方法など知りたいとは思わないでしょう。

今年になって、著名な科学研究センターの責任者が自殺するという事件がありました。普通の人からみたら想像できないほどの能力のある成功者なのに、遺書には「疲れ切ってしまった」と書かれていたそうです。死んだ方が楽だと思うほどの苦しみだったのでしょうが、もしも、この方が「苦しむ方法」について知っていたなら、もしかすると、自殺を思いとどまれたのではないかと思わずにいられませn。 いくら能力のある人でも、社会的な成功者でも生きることは大変なのでしょう。

毎日のようにめぐり合う苦しみに対して、わたしたちは、どう対処すべきでしょう。  大抵は周りの人に愚痴を言ったり、お酒を飲んだり、気分転換のために体を動かしたりしてストレス解消を計っているのではないでしょうか。

しかし、それでは解消できない苦しみにはどう向き合えばよいでしょう?  そして、私たちが毎日、出会う絶対的に多数の機会は、幸福ではなく、苦しみであるならば、身に着けておくべき技術は、苦しむ方法ではないかと思います。

今年、事故に遭い約1か月入院しました。緊急手術で小腸を数か所修復し、術後の経過は順調でした。問題は、術後10日ほどして起こった小腸の狭窄でした。 食べ物や飲み物が通らないのはもちろん、毎日1リットル以上分泌される胆汁を2日にわたって吐き続けました。検査の結果、十二指腸の狭窄と分かり、鼻からチューブを入れられて、十二指腸に流入する分泌物はすべて鼻管を通じて体外に排出することとなりました。 それから3週間は食事なしで過ごしました。

鼻から喉を通じて鼻管が入っていると痛みもあるし、のどが渇いて2時間以上続けて眠ることができませんでした。その3週間は主治医からは(入院は)「長引きます」とだけ言われて、いつ退院できるか全く分からない状況でした。  退院できなければ職がなくなる不安も感じたものでした。

こうした経験は、逃れようのない、置き換え不能の苦しみでした。ここでは特にこの時の経験について記してみたいと思います。

苦しむ方法というからには、実用的で効果があるものでなければ意味がありません。  「Art (=)イコール 技術」でなければなりません。 苦しみや苦痛に対する直接的な対処にも、漠然とした不安や苦しみに対する対処にも効果はあると自身の経験を通じて確かめられたと思います。

The art of suffering (苦しむ方法)が、さまざまな身体的、精神的苦痛を感じている人のお役に立つこともあるかと思い、私の経験や考えたことを記してみることにしました。

幸福は自分の外にあるものではなく、自分の中、「心」にあるものです。  苦しみも同じく自分の外側にあるものではなく、自分の内側の「心」にあるものです。 のどが渇いて水を飲みたいと思ったなら、わたしたちはコップに水を汲んで、水を飲むことができます。 それができれば、のどの渇きは解消できます。

自らのなすべきことを自分で決められるなら、自分の内にあるこころの扱いも自分で決められることでしょう。それが確かであるなら、苦しみに対処する方法は確かに存在します。