創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

そうだ、僕は違った人生を生きよう (4)

2018年10月13日 | 経営

1990年代、日本の電機会社に勤めていた頃、最も印象に残った経験は、後に世界最大の電子機器受託製造サービスになる企業の社長が飛び込み営業をしていた現場を目の当たりにしたことです。

当時、私の勤める会社は、JR有楽町の駅を日比谷側に降りるとそごう(今はビックカメラ)があり道を隔てた先にオフィスがありました。

冷たい雨の降る冬。 トレンチコートの長身の男性がたった一人、アポ無しでその会社を訪ねてきました。 受付から電子機器の海外営業部門である私の上司に連絡があり、私も同席させてもらいました。

訪ねてきたのは英語しか話さない日系人で、しかも暗い顔でボソボソ話すので何を言っているのか私にはよくわかりませんでした。 それでも、海外での経験が長い上司は感じるものがあったらしく真剣に話を聞いていました。

その後判ったのは、訪ねてきたのは米国の西海岸にあった企業 - ソレクトロンの当時のCOO Dr Ko Nishimura でした。

ニシムラ氏はその後ソレクトロン会長 兼 CEOに就任し、同社の売上を $3億ドル(1989年)から $187億(2001年)に約10年間で50倍以上の規模に拡大しました。 ソレクトロンはMalcolm Baldrige National Quality Award を初めて2度受賞した企業になりました。

ニシムラ氏は、日本の企業を訪問して米国で製造委託(EMS) の仕事を請け負えないかと申し入れたのです。当時の日本の産業界では思いもよらない海を越えた製造委託ビジネスの提案でした。 EMS事業は、その後、想像できないまでの規模のビジネスに発展しました。

言葉も通じない日本で、スタンフォード大学の博士号を持つニシムラ氏はたった一人で飛び込み営業をしていたのは驚くべきことですが、急成長する企業は、確かな理由があるのだと分かりました。

経営者なら問題があっても、文句をいう暇があったら自ら行動すればいいという例を見せてもらいました。

私の勤めた企業はニシムラ氏の提案に対して、技術責任者を米国に送って検討をしましたが、当時EMSのビジネスの可能性を理解できる社員はおらず、関係はそれ以上進展しませんでした。 ソレクトロンのサービスを活用したのはソニーなどの一流企業。  それから約10年後、ソニーの元製造部長と話す機会がありました。 その人の感想は「ソレクトロン、あれは凄い会社だ」でした。

ソレクトロンは2007年に、フレクトロニクス社に買収されます。 しかし、EMSというビジネスは現在も世界の主要企業であるアップル、グーグル、シスコシステムズなどに利用され、産業界に確固たる地位を築いています。 大企業の立派なオフィスやビルを訪ねると圧倒されますが、企業というものはプロジェクトなのだと思います。 いつか、自動車業界でも電動化の進展に伴い、マーケティング、デザイン、商品企画のみ行う自動車会社が創られ、自動車EMS企業が創業されると思います。 すでに米国ではそういう会社があります。

企業は時代の要請を感じた創業者が創り、時間経過ととともに、形を変え場所を変え名前を変えていく Intangibleな (形のない)存在なのだと思います。