創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

苦の原因(3)

2015年01月23日 | 経営

2014/11/16 の日経新聞最終面の福岡伸一博士の連載記事「科学と芸術のあいだ」で博士は「実は、ものごとに本当の意味での輪郭線はない」と述べています。 以下、記事からの引用です。

 

私たちは自分自身の存在を、外界から隔離された、しっかりした個体だと認識しているが、少し時間軸を長くとれば、不断の流入と流出の中にある液体のようなものでしかなく、もっと長い目で見れば分子と原子が緩やかに淀んでいる - いわば蚊柱のような - 不定形の気体で絶えず交換が行われるゆえ、明確な区別や界面はない。

 

このような記事が日経新聞に掲載されるというのは驚きですが...  別の福岡博士の著書から引用してみます。

 

私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし分子レベルではその実感は全く担保されていない。

私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。 しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。   -- 「生物と無生物のあいだ」より

 

福岡博士の著作からは、この世界に分離した個(部分)は存在しないという主張が読み取れます。

先回取り上げた脳神経科学者ジル・ボルトテイラー博士は脳卒中により脳の空間把握領域が壊れてしまったとき、「自分の体の境界が分からなくなり、自分がどこから始まりどこで終わるのかその境界が分からなくなった」と云います。

 そもそも生命が自分がどの範囲であるかという空間定位を行うのは、敵から自分を守るための手段であったそうです。進化の過程で生命は他の生命を食べて生きてきた歴史があります。自分を守るために自分と自分以外のものとの間に境界線を引く必要があっということです。

しかしながら、現実に環境から分離した個体が存在しないなら、自分と自分以外の全宇宙とを区別することは不合理なことになります。自我意識を大切にするとは、自分を世界から切り離し孤独にするが、それをしないと生存が脅かされる

…  そのような歴史が生命の歴史であれば、それは矛盾に満ちた苦しみに違いないでしょう。