創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

ハイパーインフレの悪夢 (4)

2013年04月08日 | 経営
現在の日本人は普通のインフレさえ遠い昔のことで、経験した人が少なくなっています。

アダム・ファーガソン著 ハイパーインフレの悪夢 (新潮社) をもとにハイパーインフレとはどういうものかドイツの実例について続けて記してきました。 最後に経済環境に限らず、社会生活に深刻な影響を及ぼす事象が起こったとき何が起こるのか記してみます。

本書によれば、悪性インフレを経験したとき、人にとって「必要の度合いが唯一の価値基準になると、人間の本性があらわになる」といいます。

毎日を生きる上で「それが本当に必要か?」 ということをわたしたちは考える機会が2年前にありました。 東日本大震災。 引き続いて起こった原発事故。

このときわたしたちは価値とは「必要」に根差したものであると気づいたように思います。

人が生きるために絶対必要なもの、それは空気、水、太陽、食料などです。

それらは、いまは身の回りにふんだんにあります。 しかし、それが汚染される危険が顕わになったとき。 食料や水の買い占めでスーパーやコンビニから商品が消え、ガソリンスタンドで燃料が買えなくなりました。

そして今、中国でも政権を揺るがしかねない最大の懸案事項になりつつあります。 経済的豊かさより、きれいな空気や水が大切なことは、それが生存にとっての必須条件であることからも明らかです。

私たちは本当の「必要」とは快適さや利便性を満足するためにものではないとわかったはずです。 一部の人の必要なものに対する消費が、本当に必要とする人への供給を妨げるという連鎖(つながり)を理解したはずです。

3.11以降という時代に生きるということは、限られた資源を分かち、他者との共生を社会的価値=必要として認識することを意味します。 自己満足のための消費が、必要なものを必要とする人たちの生活の権利を奪ってしまうことに気づいたのではないでしょうか。

デフレからの脱却を目指してインフレ目標を設定による金融緩和にかじを切った、日本経済ですが、毎年50万にもの人口減少社会における経済の浮揚は短期的には望ましいようでありながら、一方で西欧経済の後追いであり、かなり無理のある時代遅れの政策のように感じます。

ハイパーインフレの悪夢には、次のような言葉が紹介されています。

「正しいと信じて行っていたことが、実は自分の身の破滅を招いていたことに、もうどうしようもない状況に陥ってから、ようやく気付く。 古典的な悲劇にはそういう展開がよくある」 と。