創発企業経営

起業13年目の会社の経営、事業報告

英国支社と株式会社を設立したときの話

2012年06月28日 | 経営

私の会社は2010年の夏、日本の株式会社として創業したのですが、以前、日本で英国法人の支社を設立したことがあります。 ですから、私は会社を2回設立したことになります。

英国法人の設立の届け出は、英国大使館に出向いて、窓口で聖書の上に手を置いて英語で宣誓します。 当時この法人本社の英国人にそのようにしたと伝えたら「冗談だろ」と笑われました。 設立した後も、住所変更のためにこの儀式をやりました。 非常にヘンなものです。

大使館の警戒は厳しいので、駅の切符売り場みたいなガラス越しに、聖書や書類をやり取りします。 ガラスの下の受け取り口から書類を受け取るとすぐさま、受け取り口の閉められて、マイクとスピーカー越しに話をします。 ガラス越しに電車の切符を買うより厳密に遮断されています。

日本の場合、会社定款を作って、公証人の認証を受ける日が会社設立の日になります。   定款の受け取りに公証人役場に行き、役場で椅子に座って待っているとじき書類をもらえるのですが、味気ないものです。  記念すべき会社設立などど思っているとがっかりするかもしれません。 

日本でも、誓いの言葉を言うと、役場の人がお祓いしてくれるとか、法被かなんか着て「会社設立おめでとう」とか言って、爆竹でも鳴らしたら会社経営に気分一新がんばれそうと思うのですが。  不真面目でしょうか。 


誰が電気自動車を殺したか?

2012年06月26日 | 経営


この映画では、かつてGMの電気自動車EV1がいかにして社会から葬られたかが描かれています。

しかし、最も印象に残ったのは、次世代の本命とみられる燃料電池自動車に関する" The Hype about Hydrogen" (水素は石油に代われるか?)の著者 ジョセフ J ロムの発言でした。

彼は「水素は有望ではありません」 と語り、燃料電池車の実現には5つの奇跡が起こり、以下の問題がすべて克服される必要があるといいます。

1. クルマのコストが高い
2. 大量の水素を積み込むスペースを確保する必要がある
3. 水素は高価
4. 水素の補給所が必要
5. Hybrid車など競合技術の進歩

特に 3項の 「水素は化石燃料から作ったとしてもガソリンの2-3倍はする」 と 5項の「燃料電池は既存の電池の技術進歩に追いつけない」 は印象的でした。

以前 HDD が発売されたころは記憶容量は1ディスクあたり10MB程度でした。 当時から磁気ディスクはメモリディスクに代替されるといわれながら技術進歩により現在でも使われ続けています。 これと同様なことが現在の電池の性能向上によりEVに使われ続ける可能性大だと思います。

最後に、この映画が示す現在の環境と実用性を満たす本命はプラグインハイブリッドでした。

杭州

2012年06月18日 | 経営
上海から高速列車で1時間ほど南に位置する杭州市を3月に訪ねました。
ここで最も有名な観光資源は世界遺産に登録されている西湖です。
日本には湖が豊富にあるので、日本人には西湖の景観はそれほど印象的ではないかもしれません。
何が西湖を有名にしているかといえば白蛇伝をはじめとする伝承で、その豊富さと知名度には日本を含め他の湖は敵いません。
 
 
雷峰塔, 霊隠寺など杭州市内を巡りましたが、この日最も印象に残ったのは西湖のほとりの休憩所で見た光景でした。
日も暮れかかる頃、ちょうど仕事を退職したくらいの年配の人たちが歌と踊りを披露していました。 スピーカを持ち込んで、日本でいえばストリートミュージシャンのようなものです。 チベット民謡風の演歌のような歌とともに踊る初老の男性の居住まいが美しく、太極拳の演武を見るようでした。  5メートル四方を円を描きながら、両手で弧を描きながら飛びまわっても息一つ切らさないのを見ると中国の年配の人たちは元気だなと思いました。 それこそ好きで楽しくやっているので、見ている方にも活力が伝わってきました。
 
 
中国の人から見ても 日本企業の年功序列や終身雇用は社会主義そのもので、いまの中国社会の方がよほど資本主義的です。 日本はこの数十年ですっかり活力を失って、道路で歌い踊る中年男性など見たこともありません。 もしそんなことをしていたら警察にでも止められるでしょう。 日本では自分たちの社会を自ら小さく、つまらなくしたように感じました。
 
日本にはいくらも綺麗な店や技術の高いサービス、音楽などもありますが、それは、一般の人には見えない空間で提供され、それに触れるには相応の対価が必要です。   そうしたものが提供される場所にも、楽しんでいる風に見える人もどこかそれを演じるような。 または対価を払ったのだから楽しまなければというような違和感がありました。
 
西湖のほとりで見たのは、もっと根源的な「楽しみ」で、それだからこそ忘れがたいものでした。