八ヶ岳の麓 ログハウスの宿 Tombouctou 徒然記

八ヶ岳の麓、標高1,300mの富士見高原にあるログハウスの宿のオーナー雑記帳
地域情報、ガーデニング、グルメ、お出かけ

40年前の青春の思いでの旅 シルクロード、 アフガニスタン・カブール~バーミヤン

2014-03-19 17:37:12 | 旅行

シルクロードの旅に関する記事を久しぶりに更新することにしました。前回はアフガニスタンのカブールに着いたところで終わっていたので、今日はカブールからバーミヤン盆地までの記事を書くことにします。なにぶん40年以上前の事なので少しずつ思い出しながら書くことにします。

カブールでの宿はいつもの如く安宿です。木で作ったベッド枠に縄が張ってあるベッドです。ベッドに寝袋を敷いて寝ます。カブール中心地にはホテルもありますが、それほど立派なものではありません。私がカブールに行った2年前には日本の皇太子夫妻(今上天皇)が訪問しているそうです。

 

首都のカブールでもノンビリと羊が歩いています。

 

カブールを訪問したのは1973年8月中旬です。この年の春、クーデターが起こり王政が廃止されました。私が横浜を出発する時には国境が開いているのか閉鎖されているのかハッキリとは分かりませんでしたが、何とかアフガニスタンに入れました。首都のカブールには戦車も見えましたが、内乱という状態ではなく、一般の人はシャー(国王)が替わったぐらいに思っていたようです。実際、クーデターの首謀者は国王の従兄弟でした。この時から6年後の1979年にソビエトのアフガン侵攻が始まり、今の激しい内戦状態につながっています。

 

カブールの中心地区の一角、比較的高いビルもありました。

 

 

カブールの公園の泉では絨毯を洗っていました。良い絨毯は水で良く洗い、その上を人が歩いていきます。何回も洗って目が詰まったものが良いそうです。良い絨毯は使い込むほど良くなるようです。

 

私もカブールで手織りの絨毯を買いました。安宿の近くの絨毯屋に行き、チャイ(お茶)を飲みながら値段の交渉です。1日目は絨毯屋の店主の言った値段の十分の一ぐらいからスタートです。1時間ぐらいチャイをご馳走になりながら高い、高いと言って交渉しました。店主もチャイを何杯も勧めながら少しずつ安くしてくれました。1日目は交渉が不成立です。次の日も同じお店に行くと、店主が喜んでチャイを勧めながら応対してくれました。何回か値段を言い合って交渉していくと、そのうちに店主があまり相手になってくれなくなりました。その辺が、買い時です。結局、2日目に買いました。大きさは1.5mx0.9mぐらいでリュックの上に背負って日本まで持ち帰りました。その当時、この辺で日本に送っても届かないことがあると言われました。

 

 

上の写真はカブールで買ったトルクメンの手織りの絨毯です。トルクメンの絨毯の模様は伝統的なものです。八角形の形が太陽で、その間の模様が麦だそうです。今は宿のテーブルの下に敷いてあります。この絨毯を見て、トルクメンの物だと分かったお客様がお二人いらっしゃいました。中央アジア関係の貿易の仕事をされていた方でした。

 

 チャイハナ。銅製のサモワールでお湯を沸かしてお茶を出してくれます。喫茶店です。

 

カブールでたまたま一緒の宿になった日本人の旅行者とバーミヤンに行くことにしました。バーミヤンまでの定期的なバスなどの交通機関が無かったので、ジープとトラックを乗り継いで行きました。

カブールから北に向かい、チャーリーカールまではジープをチャーターしました。チャーリーカールからバーミヤンまではトラックの荷台に乗せてもらうことになりました。勿論、お金を支払います。タダでは乗せてくれません。全て交渉です。

 

 

トラックやバスもかなり使い込んだものです。トラックはみんなデコレーションがしてあります。

 

 

 

 チャーターしたジープ、現地の子供と一緒だった日本人旅行者。

 

バーミヤンに向かう途中のチャイハナ。一番左が私、真ん中の二名が一緒にバーミヤンに行った日本人旅行者。右が店主。日本人旅行者の一人はイランに留学していて現地の言葉が少し分かったので助かりました。

 

バーミヤンに向かう道、途中に海抜3000mのシバル峠を越えます。トラックの荷台にガタガタ揺られ、とても写真を撮れる様な状態ではありませんでした。断崖を進んで行くような場所もありました。まさに西遊記の世界です。 

 

 

バーミヤンに向かう途中、屋外の学校?の子供。紙が貴重なのか黒板のようなものを使って字を習っているようでした。

 

 

上も下も遊牧民のテント、多分クチ族と思われます。

 

 バーミヤンはモンゴル系のハザラ族が多いのですが、遊牧民のクチ族はヨーロッパ系の顔立ちです。なんとなくイランのカシュガイ族と似て見えました。

 

 こちらもバーミヤン付近の遊牧民

 

 

いよいよバーミヤンに着きました。バーミヤンはヒンズークシ山脈の山中の渓谷で海抜は2800mほどの渓谷のオワシスです。今は観光客用のホテルが有るようですが、その当時はチャイハナに付属したような簡易な宿しかなかった様に記憶しています。滞在しているのも遺跡の調査隊や欧米のヒッピーなどでした。

 

 バーミヤンの巨大な仏像。顔は偶像崇拝禁止のイスラム教徒が削ったものです。この仏像もタリバンが2001年に爆破してしまいました。

 

 

 もう一つの仏像遺跡の修復工事も進められていましたが、これらも後にタリバンが爆破してしまいました。

 

仏像の周辺には沢山の洞窟があります。この穴から見えるバーミヤンの町。

 

バーミヤンにはモンゴル系のハザラ族が多く住んでいます。彼らはモンゴルがバーミヤンを征服した時の末裔だそうです。チンギス・ハンがバーミヤンを攻撃した時に彼の孫が戦死し、怒ったチンギス・ハンがバーミヤンを壊滅的に破壊して皆殺しにしたそうです。その時の遺跡が残っていて、シャリ・ゴルゴラ(亡霊の町)と呼ばれています。その当時、人骨も出ることもあると聞きました。

 

 シャリ・ゴルゴラの丘(亡霊の丘)。地元の人は近づかないと言われていました。

 

 

シャリ・ゴルゴラは要塞のようです。 この丘も、内戦で地雷原になってしまったそうです。



シャリ・ゴルゴラの丘に登ってみました。バーミヤンの渓谷が一望できます。向こうに見えるヒンズークシの山には万年雪が見えます。ヒンズークシ山脈はアフガンの真ん中に横たわる7000m級の山もある山塊です。



下の写真は丘の上から見たバーミヤン。緑のオワシスであるのが良くわかります。





今日は、これくらいにします。続きはまた後日に。