イスタンブールでは見どころが多い旧市街で安宿を探しました。トルコ人や欧米の若者が泊まるOtel(トルコの宿の意味)で値段と部屋を見せてもらって決めるのが鉄則です。
その当時の我々が泊まる宿のトイレはトイレットペーパーが無いのが普通で、トイレには水差しが置いてあり、その水を手でお尻にかけて済ませる。このスタイルがインドまで続いた。
イスタンブールのガラタ橋近くの安宿で寛ぐ私。ガラタ橋の傍では魚のフライなどの屋台がありました。
トルコ人は一般的に親日的です。これは、日本が日露戦争で帝政ロシアを破ったアジア人であることが大きいようです。帝政ロシアの南下政策によってトルコは何度も領土を奪われており、ロシアを破った同じアジアの日本に好意を持っています。また、トルコ建国の父といわれる初代大統領ケマル・アタチュルクが明治維新を真似た改革を進めたことも影響しているようです。
道端で夕涼みするイスタンブールの人たち、日本人には好意的です。
イスタンブールでは子供からも日本人は人気がありました。その理由は、その当時、流行っていた香港映画の影響で日本人はみんな空手が強いと思っているようでした。空手の格好をすると子供たちは大喜びでした。
トプカプ宮殿の警備の兵隊と私、兵隊ものんびりとした時代でした。
街角の水売り
イスタンブールには中東でも最大クラスのバザールがあります。そのグランドバザールは網の目の様になっており香料や衣類、宝石など色々な物が売っていました。アラビアンナイトで出てくるようなバザールでした。ここでは、羊の毛皮でできたチョッキを買い、帰国後スキーに行くときに良く持っていきました。今でも持っています。
グランドバザール
イスラムの国ではコーランが朝から拡声器で町に流れます。1日に5回ぐらい流れたと記憶しています。
我々の泊まった宿の部屋にもメッカの方向が分かるようになっていて、旅人が持参する小さな絨毯をしいてお祈りをするようでした。
夕暮れのモスクのミナレット