八ヶ岳の麓 ログハウスの宿 Tombouctou 徒然記

八ヶ岳の麓、標高1,300mの富士見高原にあるログハウスの宿のオーナー雑記帳
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40年前の青春の思いでの旅 シルクロード、 イスタンブール(1)

2013-02-21 20:49:19 | 旅行

イスタンブールでは見どころが多い旧市街で安宿を探しました。トルコ人や欧米の若者が泊まるOtel(トルコの宿の意味)で値段と部屋を見せてもらって決めるのが鉄則です。

その当時の我々が泊まる宿のトイレはトイレットペーパーが無いのが普通で、トイレには水差しが置いてあり、その水を手でお尻にかけて済ませる。このスタイルがインドまで続いた。


イスタンブールのガラタ橋近くの安宿で寛ぐ私。ガラタ橋の傍では魚のフライなどの屋台がありました。

 

 トルコ人は一般的に親日的です。これは、日本が日露戦争で帝政ロシアを破ったアジア人であることが大きいようです。帝政ロシアの南下政策によってトルコは何度も領土を奪われており、ロシアを破った同じアジアの日本に好意を持っています。また、トルコ建国の父といわれる初代大統領ケマル・アタチュルクが明治維新を真似た改革を進めたことも影響しているようです。

道端で夕涼みするイスタンブールの人たち、日本人には好意的です。

 

イスタンブールでは子供からも日本人は人気がありました。その理由は、その当時、流行っていた香港映画の影響で日本人はみんな空手が強いと思っているようでした。空手の格好をすると子供たちは大喜びでした。

 

トプカプ宮殿の警備の兵隊と私、兵隊ものんびりとした時代でした。

 

 


街角の水売り

 

イスタンブールには中東でも最大クラスのバザールがあります。そのグランドバザールは網の目の様になっており香料や衣類、宝石など色々な物が売っていました。アラビアンナイトで出てくるようなバザールでした。ここでは、羊の毛皮でできたチョッキを買い、帰国後スキーに行くときに良く持っていきました。今でも持っています。


グランドバザール

 

 

イスラムの国ではコーランが朝から拡声器で町に流れます。1日に5回ぐらい流れたと記憶しています。

我々の泊まった宿の部屋にもメッカの方向が分かるようになっていて、旅人が持参する小さな絨毯をしいてお祈りをするようでした。

 


夕暮れのモスクのミナレット


くらすわでランチ

2013-02-21 19:03:45 | グルメ

今日は天気が良いので諏訪湖までドライブしました。

 

ランチは諏訪湖畔にあるくらすわにしました。くらすわは養命酒を製造している会社のアンテナショップのようなお店です。1階がショップとイート・イン、2階がレストラン・カフェです。

 

何回かショップとイート・インには入ったことがありましたが、ランチは食べたことがありませんでした。メニューを見てみるとサラダバーがあるのに気が付きました。ゆったり食べるランチの時にはサラダバーがあるお店が好きです。

 

今回は、鶏肉と雑穀米のドリア(1100円)とサラダバー・ドリンク(+300円)をオーダーしました。合計で1400円です。ゆったりランチとしてはまあまあのお値段です。

 

サラダは信州産の新鮮野菜がタップリおいてありました。野菜は生野菜、焼き野菜、温野菜など10種以上ありました。ちょっと変わったところでは、キノコの”はなびら茸”、しゃぶしゃぶのように自分で湯通しして食べます。1階のショップで売っているパンもあります。このパンは何回か買ったことがありますが、結構おいしいです。

 


サラダバー 種類も豊富で新鮮な信州産

 


メインは鶏肉と雑穀米のドリア、意外とサッパリとしていて美味しかったです。

 

レストランは平日で、ラスト・オーダーチョット前に入ったのに混んでいました。地元の人が多いようでした。

値段と美味しさからお薦めのお店です。

 


諏訪湖が見える席もあります。


1階のお土産コーナー、美味しいパンの売り場とイート・インのコーナーもあります。

 


つるし飾り。 信州上田地方で初節句を迎えた女の子の家で飾るそうです。

 

店内には信州に関係するディスプレーもあります。今回はつるし飾りでした。吊るしてあるのは、猿(災いがサル)、唐辛子(悪い男がつかない)、巾着(お金がたまる)などをモーチーフにした布製のオーナメントです。

 

 

腹こなしに、諏訪湖畔を少しお散歩しました。 湖面は氷が未だ結構ありました。

 
岡谷側からはうっすらと雲に隠れた富士山が見えました。

 


諏訪湖からの八ヶ岳(横岳、阿弥陀岳、赤岳、権現岳、西岳、編笠山)

 

 

今日は風が大変冷たくて、手袋をしなかったので手が凍えました。