警察って,本当に歯止めがなくなったようですね。以前,【先日、スイスアーミーナイフを持っている人に街中で持ち歩くと検挙されると注意しました。その際、車を持っている人に落とし穴があるのを注意し忘れたので補足します。キャンプや旅行、入院した際などに、小さなナイフを使うことがありますね。このナイフを車のトランクに入れて持ち帰ったところ、トランクの工具入れなどの窪みに入ってそのままになるってことはありがちな話ですよね。この車に乗っていて、テロ対策などで一斉検問に合って、警察にそのナイフが見つかると、アウト!検挙されます。しっかり、調書、顔写真、指紋をとられて、送検され、前歴ありとなります。場合によっては、罰金(正確には科料=1万円以下)も考えられます。いまの警察の基準は、昔とは違います!このお休み、車に乗って出かける人も多いでしょう。車庫から出す前に、一度トランクを隅々までチェックすることをお奨めします。見つかってから、警察に泣き言を言っても許してくれませんよ!】(ここ参照←クリック)と書いたら,
【目的もなく一定の刃渡りの刃物を持っていれば犯罪となります。ただし、故意がなければ良いのが一つ、目的があればよいのが一つ。知らずに紛れていた、くらいで検挙されてしまうのは、多分、その人がなんらかの過激派組織に関与しているので見張られているとか、あまりに怪しい言動をしているかのどちらかでしょう。通常はそこまで警察は調べません。そんな暇ないのです。こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的でしょうけど、あまりにこれはひどいです。 】
というコメントを頂いた。
これが素直な市民の反応だろうし,警察もそういう市民には正体を明かすようなことはしないで,ひそかに(積極的に広報しないで)弱い者いじめを続けるのだろうな…と思っていたら,なんと,
【少年漫画誌に連載されて人気を呼び、今年6月に映画化された「DEATH NOTE(デスノート)」の作画を担当した漫画家が、銃刀法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕されていたことが分かった。
逮捕されたのは、東京都武蔵野市境、漫画家小畑健(たけし)容疑者(37)。石神井署などの調べでは、小畑容疑者は6日午前0時すぎ、正当な理由がないのに、東京都練馬区大泉町5丁目の路上で、車の中にアーミーナイフ(刃渡り8.6センチ)を所持していた疑い。
警察官が整備不良の疑いで小畑容疑者の車を止めて職務質問をしたところ、車内の引き出しの中から見つかり、現行犯逮捕された。「キャンプで使うために持っていた」と話しているという。
「DEATH NOTE」は、週刊少年ジャンプ(集英社)で03年12月から今年5月まで連載された人気サスペンス漫画。複雑なストーリーと細密な画風が人気を呼び、単行本(計12巻)の発行部数は2000万部を超えた。小畑容疑者は、この作画を担当したほか、同じ集英社の「ヒカルの碁」も担当。この作品も発行部数1000万部を超え、少年少女の間に囲碁ブームが起きた。03年には第7回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞している。】(朝日)
ということに…。いつものパターンでの取り締まりだが,それを堂々と発表しちまいやがった…。
産経新聞は,【小畑容疑者は「キャンプに使うために持っていた。申し訳ないことをした」などと供述している。】というコメントを掲載したが,「申し訳ない」っていうコメントを引用する方向でこの記事を書いていいのか?
そんな書き方するから,【こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的】とまで思えるようなことを有名人に対して行った場合でも,堂々と発表するようになったんでしょうね…。
今回の「事件」は,行きすぎた捜査の実態,このような警察が共謀罪という武器を持つことの怖さをよく分かって頂ける事例ではないかと思います。
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【目的もなく一定の刃渡りの刃物を持っていれば犯罪となります。ただし、故意がなければ良いのが一つ、目的があればよいのが一つ。知らずに紛れていた、くらいで検挙されてしまうのは、多分、その人がなんらかの過激派組織に関与しているので見張られているとか、あまりに怪しい言動をしているかのどちらかでしょう。通常はそこまで警察は調べません。そんな暇ないのです。こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的でしょうけど、あまりにこれはひどいです。 】
というコメントを頂いた。
これが素直な市民の反応だろうし,警察もそういう市民には正体を明かすようなことはしないで,ひそかに(積極的に広報しないで)弱い者いじめを続けるのだろうな…と思っていたら,なんと,
【少年漫画誌に連載されて人気を呼び、今年6月に映画化された「DEATH NOTE(デスノート)」の作画を担当した漫画家が、銃刀法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕されていたことが分かった。
逮捕されたのは、東京都武蔵野市境、漫画家小畑健(たけし)容疑者(37)。石神井署などの調べでは、小畑容疑者は6日午前0時すぎ、正当な理由がないのに、東京都練馬区大泉町5丁目の路上で、車の中にアーミーナイフ(刃渡り8.6センチ)を所持していた疑い。
警察官が整備不良の疑いで小畑容疑者の車を止めて職務質問をしたところ、車内の引き出しの中から見つかり、現行犯逮捕された。「キャンプで使うために持っていた」と話しているという。
「DEATH NOTE」は、週刊少年ジャンプ(集英社)で03年12月から今年5月まで連載された人気サスペンス漫画。複雑なストーリーと細密な画風が人気を呼び、単行本(計12巻)の発行部数は2000万部を超えた。小畑容疑者は、この作画を担当したほか、同じ集英社の「ヒカルの碁」も担当。この作品も発行部数1000万部を超え、少年少女の間に囲碁ブームが起きた。03年には第7回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞している。】(朝日)
ということに…。いつものパターンでの取り締まりだが,それを堂々と発表しちまいやがった…。
産経新聞は,【小畑容疑者は「キャンプに使うために持っていた。申し訳ないことをした」などと供述している。】というコメントを掲載したが,「申し訳ない」っていうコメントを引用する方向でこの記事を書いていいのか?
そんな書き方するから,【こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的】とまで思えるようなことを有名人に対して行った場合でも,堂々と発表するようになったんでしょうね…。
今回の「事件」は,行きすぎた捜査の実態,このような警察が共謀罪という武器を持つことの怖さをよく分かって頂ける事例ではないかと思います。
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何故、一般市民が自己防衛のためにアーミーナイフを所持してウロチョロしなければならない程、一般市民社会の「体感治安」が悪くなっているのか。報道機関は猛省せよと言いたい。ジャーナリズムとは国家権力と階級搾取を事実に基づいて監視、報道する実践ではないのか。
もう一度言う。何故、一般市民社会の「体感治安」が悪化しているのか。ジャーナリズムで貫かれた報道の焦点はどこにあるのか。一般市民の犯罪行為の真因は何であるか。
報道関係者は自らの職業の社会的責任を実現するために団結するしかないのではないか。報道倫理だけでバラバラでは階級搾取と国家権力に抗しきれないのであるから、労働組合運動を組織し、市民の理解と協力を得るべく活動、行動したらどうか。
総額人件費の低下、労働条件の悪化は底なしで、悪法はスイスイ通過、成立する、憲法改正すら現実味を帯びている。国家権力の底知れぬ恐怖政治が日夜、進行している。それらについての報道時間、紙面占有率があまりにも短かく、断片的で、少なく、クオリティも低すぎる。あんたらプロフェショナルだろう。それが仕事とちがうのか。
報道の本道はスポーツ、芸能、犯罪者の見せしめ的糾弾、新商品の発表、広告ではない。報道の本道は階級搾取と国家権力を事実に基づいて市民社会に知らせながら、報道機関独自の対抗政策の選択肢を市民社会に提起することだ。
今現在の報道のあり方は本末転倒はなはだしい。市民社会が本音で待望することは弱き助け、強きを挫く秋霜烈日の報道だ。市民の本音を見抜けない、市民を信頼し切らない、人間不信の報道関係者はグダグダ、ブツブツ思わないで猛省し、搾取階級と国家権力からジャーナリズム精神を取り戻す時でないか。
大切なことは不屈の積極性、主体性、独立性ですよ。
米国では銃の所持が認められているし…。犯罪を実行する目的で所持している場合は,予備罪などになるかもしれませんが,所持しているだけで「論外の違法行為」なんでしょうか?
キャンプに行って出し忘れることなんてしょっちゅうでは?
米国で銃の所持が認められているのは、悪法が法になっている典型であって、銃の所持が合法であるとの根拠にはならないではないですか。
社会の安全を実現するには、市民が無武装であるだけではなく、警察も無武装化していくことが必要であって、国際社会においては憲法9条完全実施で社会の平和を実現することが法だと考えます。
ビクトリノックスなんか単なる便利ツールじゃないのかと小一時間・・・。
みんなが所持品に気をつけて社会生活を実現して行けば警察の取り締まりも形骸化します。
市民社会は警察に変に付込まれないようにしながら、警察の不正を認識、報道していくことで警察の実態を市民社会の共通認識とする。
すなわち、民主社会の力と下級警察官の倫理力の結合で下から民主警察を実現していくことが国民主権の徹底による国家権力を目指す民主主義運動の基本路線ではないでしょうか。
武装するのは警察だけでよいのではないですか。何故、市民が護身用の道具を「ファッション」を理由にして所持する必要があるのですか。極めて危険な路線ではないですか。子供にアーミーナイフを便利ツールとして所持させるならば、拳銃すらも便利ツールとして所持させてもよいことになりませんか。少なくともアーミーナイフと拳銃は家庭用品(刺身包丁、金属バット等)ではなく、軍事用品であり、武器ですよ。
ファッションで以上のような物を所持する自由と市民社会の安全とを利益考量すれば、市民社会は護身道具を持たない選択をすることが社会として健全であるし、警察の弾圧を招き寄せることもないと思いませんか。
つまり、ゴルフに行く往復は搭載して当たり前だが、帰ってきたら家に持ち帰ること。金属バット、刺身包丁、木刀なども同様です。
「仮に、あんたが外で柄の悪い人にこずかれて、せせら笑われて、ボコボコにされる時や。かつあげとか、万引き強要とかな。あんたがアーミーナイフを持ってたら、それを使用するわな。だって、持ってるもん。半殺しにされるもんな。使うやろ。あんたがアーミーナイフ持ったら、柄の悪いのは特殊警防とか、日本刀持ってくるで。負けんようにな。へたれ君に。だから、あんたはそんなアホな人のまねせんでええよ。襲撃されたら、口惜しいけど逃げて、警察官に被害届、告訴状を出せばええから。ほんで、社会から武装勢力を排除していく国民運動を展開すればええんや。だから、アーミーナイフを持って歩くのはファッションとしてとかいってるけど、本音は護身で使う時があるんや。そんな物騒なファッションは格好悪いやんか。ファッションは他にもたくさんあるから、他の物をプレゼントするから。アーミーナイフはやめてちょうだい」、と。
ロケットランチャーの件も穿って見る必要があるにゃー
カッコつけたがりの子どもがファッションとして持ち歩くのは問題ありとしても、本件は大の大人が正当な理由で所持しているものを車から降ろし忘れていただけの話。包丁ならOKという論理は、私には納得できません。
それに、何でも「自己責任」の当世、災害時などへの備えとしてむしろ常時携帯すべき、という考え方もあるかと思いますが。
そうですね。だから、危険な傾向だと僕は考えているんですよ。支配階級と国家権力の軍事イデオロギーが庶民にまで巣くってきているのが事実ですから。現状追認をするなら一事が万事そうなりませんか。
「包丁ならOKという論理は、私には納得できません」
何故でしょうか。
「何でも「自己責任」の当世、災害時などへの備えとしてむしろ常時携帯すべき、という考え方もあるかと思いますが」
結局、緊急時は災害時だけではないということです。犯罪に巻き込まれる方が身近ですから。より安全な社会へということで法は基本的に自力救済・自己武装を認めておりません。暴力は国家権力に集中させることが民主主義国家の基本であり、国家の暴力性をなくして行くことが民主主義運動であって、議会制民主主義だと考えます。
なお、国内において災害時に必要ならば自衛隊を出動させることは暴力装置を国家権力に集中させている以上、国民の生命、財産等を守るためには当然の措置となります。
一人で。
要は、武器か、日常用品かが論点ではないということです。市民社会の安全を市民自身がどう考えるかの問題で、金属バット、木刀を持ち歩いてウロチョロさせる市民社会一度事件化すれば被害が拡大するということです。
>市民がこうした物を持ち歩いてブラブラする
コメントにはこれに類する書き込みもありましたが(私の「災害時などへの備え」発言も誤解を与えたかも知れませんが)、元の記事で指摘されている問題とは論点がずれているように思います。
要は、そのうちライターを持ち歩いただけで放火未遂容疑で逮捕されるようになってもいいの?ってことだと思うのですが、それも「市民社会の安全を市民自身がどう考えるかの問題」になるのでしょうか。
ちなみに私は学生時代、金属バットを持って街をブラブラしてました。野球部にいたもので(笑)。私って危険人物だったわけですかね(爆)。
「基本的には、権力や暴力などの侵害に対しては言論で戦うことを意識すべき」ということでしょうか。そしてマスコミは、権力に対する監視と正確な情報伝達という市民の目と耳を担うのが本質であると。さらにそれで片のつかない場合は唯一的暴力装置としての警察に頼るのが民主主義国家である。・・・現状においては非現実的にも思えますが(僕なんか警察に拳銃を持たせるのが一番怖いですけどね)ごもっともだと思います。
コメントの流れを見ると、東西南北さんに理があるように思えるところもあるのですが、反対意見を説き伏せ切れていませんし、アーミーナイフ所持の非犯罪性の話を体感治安や民主主義国家の在り方にまで持っていく論理的整合性については少し疑問です。
民主主義国家の市民の先駆けとして、科学的言論を駆使して是非納得させてください。
因みに僕は、基本的スタンスにおいて東西南北さんにかなりシンパシーを感じています。応援しています。
社会には常時、護身用に道具をアーミーナイフ等を所持してブラブラしている市民がいて、その場合に「キャンプに行ってて、かたずけるのを忘れてた」と言って逃げ切るのです。だから、こういう逃げ切りを許さないためには厳しく取り締まることで社会の無武装化を守る方がよいでしょう。もっとも、市民の方で所持品とか、あとかたずけをちゃんとして警察の取り締まりに付け入る隙を与えないことが一番大事な点です。
ライターは、喫煙者がいる以上必要ですね。野球する時に、金属バットがいるのと同じです。ライターは非喫煙者は所持しないのが普通ではないですかね。日常でもよくありますが、「火かして」と言われて、「俺、タバコ吸わんから」と言えば、「あっ、そうなん」と言われておしまいですね。
金属バット持って街をブラついていた学生だったようですが、野球部の人は家の往復でバットを持ち帰りしないと野球できないから、それは必要だから問題なしです。
まさか、野球が休みの日なのに、金属バット持って街にショッピングにお出かけしていたわけではないでしょう。
デートの時に「野球部やから」と言って、金属バット持ってこられたら、「うん、人それぞれやからね」というかもしれませんが、それはショートコントです。
要は、野球はええんやけど、けじめつけて、あとかたずけはちゃんとしてね、ということです。
HAYKAさんへ
「アーミーナイフ所持の非犯罪性の話を体感治安や民主主義国家の在り方にまで持っていく論理的整合性については少し疑問です」
エントリーで提起された問題は2点です。①アーミーナイフ所持の犯罪性の有無。②事件報道の在り方です。
①の問題を論じる場合、民主主義国家の在り方の基本を規定しなければ、警察権力vs市民武装勢力の図式が成立しますので、議会制民主主義の意義、市民の自力救済、自己武装、報復行為の禁止について触れました。
②の問題を論じる場合、実際の犯罪現象と「体感治安」のギャップが何故、ここまでうまれるのか。ということです。
問題は、どうやって、警察を民主化するかですね。
「事実関係を確かめる必要があるがね」
捜査手続きに違法があるかもしれませんね。違法な手続きでの捜査は国民に対する人権侵害です。警備、公安警察が気味悪いんですよ。
カッターナイフの置き忘れは、市民社会の無武装化による安全を守るために協力してください。
使った後は元に戻しておいてね。
①なるほど。その様な思考プロセスの元であれば、無理の無い論理展開であると思います。ただし、現在の社会に置き換えると市民、警察、議会の総てがあるべき水準に至っていないので極論にも思えますが、思考実験としては賛同します。
②については、よく理解できました。単純化すれば、体感治安の悪化→市民による自力救済の風潮→民主制の危機、という悪循環の元には「報道による罪」というファクターを無視出来ないということですね。犯罪報道が実際以上に「治安の悪化」を喧伝している状況は確かに問題です。
重要な問題ですから、市民や報道に(もちろん権力側もですが)ある程度の我慢が必要なのかもしれませんね。
お答えいただきありがとうございます。
しかし,私は,トランクから出し忘れたナイフが見つかっただけで検挙されたり,逮捕されるのは行きすぎだと思いますよ。注意するのはいいでしょうが…。日常使うものをトランクから出し忘れ,所持している故意がないものについてまで犯罪とする社会はちょっと怖い…。
東西南北さんの意見は極端に過ぎる。そんなに神経使ってたら生きてゆくのも窮屈でかなわんのと違うう??
デスノの作者がキャンプ目的であれば不当な逮捕だけど、それ以外は全部正当な逮捕。
つまりデスノの作者が言ったことが嘘か本当かでかわる。
だから嘘か本当か分かるまで、犯罪報道は煽ったりしちゃいけない。
市民は警察の不当な権力行使を許す隙を与えないためにも、常日頃から清く正しく生活しなければならない。
だろ。
ネットで自己満足する以外の何の役にも立たない考えじゃん。
①の市民はきちんとあとかたずけしてね。市民社会の安全のために、と。マナー、モラルの次元です。警察に隙を与えるのは市民のマナー、モラル低下です。
②の市民について重大問題なのです。これは、取り締まる必要があるということです。警察権力VS市民武装勢力の衝突になりかねないし、市民社会にとっても脅威ですね。
結局、市民社会のマナー、モラルの低下は警察権力を呼ぶ込むから、市民は道徳を遵守する社会を選択するか、市民自ら道徳を破り、警察・刑事裁判で社会の安全を守ることを選択するのかということがこの事件の教訓だと考えます。
僕はマナーとモラルで窮屈な社会の方が、警察権力の介入を実現して社会秩序を回復する社会の方が民主主義社会だと思います。
ただ、現実社会においては、白片吟さんのように(本心だとは僕は思いませんが)「市民は警察の不当な権力行使を許す隙を与えないためにも、常日頃から清く正しく生活しなければならない。ネットで自己満足する以外の何の役にも立たない考えじゃん。」と考えて、自動車にア-ミーナイフを所持する確信犯的な者もいますので、警察の取り締まりは必要だと考えます。
東西南北さんの考え方は,ビラ撒きで逮捕されても当然だなどという考え方と同じようなものだ,と思われても仕方がないですよ。
東西南北さんてハンドルの人がそーゆー寝ぼけたこと言ってるんだよ。
今回の具体的なケースで見れば明らかだと思います。
ビラ配りのケースと市民武装、自力救済のケースではそれこそレベルが違うので比較対象にはならないではないでしょうか。
僕は白片吟さんを信用していますよ。同じ人間だから。
それは明らかに間違い。不倫のように、社会的にはモラル違反だが、法で処罰されない行為は多い。
結局おまいは今回の逮捕が正当って思ってるんだろ。
で、その理由は、ナイフをしまい忘れたから、だろ。
んでもって、その理由で逮捕を許すことの危険性についてはなーんも考えてないんだろ。
ナイフをどこにしまおうと、個人の勝手だと思うけどね。
通帳を電子レンジの中にしまう奴だって居るんだ。
ナイフをいつもダッシュボードにしまう奴だって居ると思うけどね。
そいつはナイフをちゃんとしまっておいても逮捕されちゃうよね。
じゃあ、ポケットでもいいと。それで、街をうろついて、いざとなれば警察と市民に対し「おれの自由だとか、直し忘れた」とか主張するわけですね。だから、市民社会の安全を実現するために市民道徳がいるし、市民社会の安全を実現するためには警察権力を手段と社会正義を実現せざるをえない、と言ってきました。
「不倫のように、社会的にはモラル違反だが、法で処罰されない行為は多い」
今現在の法規範においては民事法の発動にとどまっておりますが、このまま市民道徳による自浄作用が発揮されないのならば、子供の権利を守り、実現する社会法の見地から刑事罰もありうると考えます。
不倫による離婚は子供の深い傷を負わせる反社会的行為
なのであり、「市民は警察の不当な権力行使を許す隙を与えないためにも、常日頃から清く正しく生活しなければならない」のでは?(笑)
不倫して無くても、性格の不一致離婚とかあるよね。
それも反社会的行為で、刑事罰が望ましいわけ?
うそ~ん。
俺はいつも誠心誠意、真心込めて書いてるよん。
この目を見てよ、目を
ただ離婚はやはり子供の心に深い傷を残すので、両親仲良く一婦一婦制の社会法の下で子供は育つことが健全な民主主義社会だと僕は思います。
そこで、①不倫を理由とする離婚の場合と②性格の不一致を理由とする離婚の場合ですが、基本的には子供の権利を実現する見地から離婚そのものは反社会的行為だと僕は考えます。が、①不倫は限りなく社会に対する性犯罪に近い性格を持つので処罰根拠になってくるのですが、②性格の不一致の場合では性犯罪性はなく単に離婚による子供の権利のみが問題となっているので刑事罰にまでは至らないものだと見ます。
が、やはり離婚は子供心に深い傷を負わせる反社会的行為であることは事実であり、違法を形成するのではないでしょうか。
社会法の見地から言えば、子供のために両親の性格の不一致は「話し合い」でなんとかして、お互いに尊重しあう関係を築いて、家庭を再建する方向で市民社会を進めるべきではないでしょうか。
一度は愛し合って、子供もできたことは不動の事実であって、お互い原点に立ち返ってやり直すべきではありませんか。離婚問題などに裁判を介入させる市民社会は不幸であり、悲しいことですね。
ただ、社会の安全を実現することが最も大切なことで、ナイフで市民が市民を刺し殺してからでは遅いのです。それこそ、最悪なんです。殺される市民からすれば100%なんです。凶悪犯罪を軽犯罪の段階で摘み取っていくことが、ひいては社会の安全は維持されるのであって、同時並行で市民道徳の回復を実現する中で民主主義社会は成熟に向かうのではないでしょうか。
もちろん、ケース・バイ・ケースであって、社会法秩序か、国家法秩序かを念頭において適正・妥当な刑事司法の実現を目指すことが、民主主義的な警察改革の道ではないでしょうか。
毎日我慢している姿を見せられるくらいなら
「いっそのこと離婚してくれた方がいいのに」
と子供は考えるけど、それでも離婚は違法なの?
いま,離婚率(離婚数÷婚姻数)は3割~4割です。再婚家庭の子どもも多い。
離婚してもパパと会える,ママと会える,パパとママは喧嘩したけどパパとママであることは変わりない,いまのパパ,ママも好き…そういう社会の方にシンパシーを抱きます。
どの性犯罪の条文に「限りなく近い」の?
東西南北さんの理屈でいえば,娯楽で車を運転する人も運転するだけで犯罪ということになるのでは…。
この議論も大体方向が見えてきた感じやね。東西南北さん、そろそろ切り上げんことには1ヶ月ほど議論が続きそうやない??またの機会にしまひょ。
他方、民主主義国家における警察は反社会的(国家法的)な面と社会的(社会法)な面を併せ持っており、いわゆるやくざと警察は民主主義国家においては同列ではありません。
このことは民主主義国家の前提として、先にコメントしています。すなわち、市民の自力救済禁止、報復行為禁止、暴力装置の国家への集中、議会制民主主義の社会的意義、民主主義国家における民主主義運動の社会的役割、歴史的意義です。
ま、いーけどね。
両親が仲良くして、子供が幸せに過ごすことが社会の法だと僕は思います。だから、両親がいがみ合う家庭は子供から見れば、反社会的なんです。仲良くして欲しいんです。お父さんとお母さんに。
その上で、子供の願いを聞き入れられない両親であれば、子供の権利が最も大切であるので、離婚もやむをえないでしょう。非常に残念で、涙が出てきます。
離婚が違法だと言う説を変える気はまったくございません。
不倫が性犯罪に近いという点ですが、まず、罪刑法定主義の見地から条文は?ということですが、そのレベルの主張をしているのではありません。刑事法なるものの法源は社会法の維持、発展に資することにあると僕は理解しています。だからといって、罪刑法定主義を踏み破って不倫を取り締まれ、と主張しているわけではありません。新しい不倫処罰規定を創設する場合の犯罪性を指摘したのでした。不倫は反社会的行為であって、違法性を持つわけですから、犯罪性も成立するでしょう。その場合に性的関係の問題であるから、性犯罪に近いと言ったわけです。
違う形は次善の策としては認めます。が、やはり子供は両親仲良く実母、実父が育てあげ、子供も幸せという一婦一婦制が唯一社会的な家族形態ではないでしょうか。
次善の策は次善の策でしかないんです。
両親がいることが健全な社会です。だからこそ、子供にとって両親は特別な存在なんです。両親にとっても子供は特別でしょう。そうした幸せな家庭が壊されている。離婚率が高まっている。社会問題だと考えます。市民社会は健全な一婦一婦制の市民道徳を反社会的な勢力から取り戻すべきではないでしょうか。これが高みを目指す見地だと考えます。
自動車は移動手段の一形態ではないですか。飛行機、電車等同じく。事故は他の移動手段でも起こりますよ。事故をなくす為に自動車を走れなくするということは、犯罪を無くすために金属バットを野球で使えなくすることと同義であって、ナイフを持ち歩くこととは違うのでは?
【健全な一婦一婦制の市民道徳を反社会的な勢力から取り戻すべきではないでしょうか】…ここでいう反社会的な勢力とは何を指すのですか?
私は,【事故をなくす為に自動車を走れなくする】とは言っていませんよ。分かりやすくいうなら,【事故をなくすために用事もなく車に乗ったら犯罪とする】という社会の方が,【ナイフをしまい忘れたら犯罪とする】という社会よりも住みやすい,と言っているのです。もちろん,私は前者のような考え方も取りませんが…。
なんであんなもの持ってたくらいで逮捕???
って思いましたよ。他に何か、よっぽどな裏でもあるんじゃないなか?と思ったんだけど、何の裏もないとしたら、一体、何ですかこれ???
これじゃ、そのうち爪切りや裁縫セットも持って歩けなくなりそうです。
ということで,議論のしばらくの中断を提案する次第です。
一婦一婦制を家族形態の社会的原則とし、次善の策としての家族形態も、悲しいですが認めます。ただ、高みを目指した道ではないと思います。
「健全な一婦一婦制の市民道徳を反社会的な勢力から取り戻すべきではないでしょうか】…ここでいう反社会的な勢力とは何を指すのですか?」
一婦一婦制の社会的原則を破ろうとする勢力ですが、特には扶養能力の高い資産家のハーレム社会です。
用事もなくと言いますが自動車は道路を走るためにあるのであり、用事もなく自動車で道路を走行することは社会的ですよ。
他方、ナイフを使いもしないのに持ち歩くことを容認する市民社会は民主主義国家の原則である自力救済禁止に反するのでは?
「しまい忘れた」ということが事実であれば、注意でよいですが、基本的に「しまい忘れること」がない市民道徳の徹底された市民社会の方が高みを目指した健全な民主主義社会では?
先述しましたが、「社会には常時、護身用に道具をアーミーナイフ等を所持してブラブラしている市民がいて、その場合に「キャンプに行ってて、かたずけるのを忘れてた」と言って逃げ切るのです。だから、こういう逃げ切りを許さないためには厳しく取り締まることで社会の無武装化を守る方がよいでしょう。もっとも、市民の方で所持品とか、あとかたずけをちゃんとして警察の取り締まりに付け入る隙を与えないことが一番大事な点です。」ということが僕の見地です。
http://www.ehamono.com/washiki/higo/
「肥後随喜」とは少し違う。肥後随喜という物品は,通常の小学生は持っていない。この物品を持ち歩くと公然わいせつ罪で現逮される恐れもあるから,注意してください。
カッターだと鉛筆って削りにくいんだよな。
今の子は鉛筆をナイフで削れないんだよな。
ナイフを日常扱いなれてないから、逆にすぐ人刺しちゃったりするような気もするな。
どんだけの威力の物か分かってないから。
肥後随喜は大奥の方が使った奴だろ、確か。
寒いときのために中にお湯入れる仕様のもあったとか。
何かこれって、「いじめられるほうにも原因があるのだから、いじめられない人間になりなさい」っていう論理と同じ気がして、私には受け入れられません。
私のところの事務員は,私に対し「先生,携帯のバイブ入れておいてください」
と言うので,ギクリとした。
http://item.rakuten.co.jp/sakaiya/c/0000000334/
「アーミー」のナイフと言っても戦闘用のものではなく、兵隊さんが野営地で簡単な調理をしたり、身の回りの手入れに使うために発明されたのだと思います。(爪切とか、毛抜きが付いているのもある)もっと無闇矢鱈と、道具が付いているのもありますが、増えた分の使い勝手があまり良いとは言えないので、私的にはせいぜいこのぐらいが便利かと。
昔、登山を少しかじってましたので2,3本持ってます。今も出張の時などに持って行って、飲み代や飯代を浮かすために、地元のスーパーで材料を買い、宿で簡単なサラダとか作ったり、果物を剥いたりするのに使ったりしているのですが、そういうのは「正当な目的」なのでしょうか?ちょっと心配になりました。
(最近ではなんとPC対応型まであるのですね。
http://www.victorinox.co.jp/products/multi_tools/index3.php?CM_Code=1-8-1&PHPSESSID=03506bef627a404081afa7c307906631
ちょっと、私には使いこなせそうにありませんが、これを持っていた場合は、モバイルPCのトラブル用だといえば言い訳できるのだろうか? )
僕はビラ撒きを逮捕、起訴するような警察、検察の肩なんか持ちません。100パーセント弱いものイジメですので。しかし、アーミーナイフを持ち歩く人物に対し、市民社会と警察が連帯して、注意を促し、取り締まることは弱いものイジメなんですか。アーミーナイフを常時持ち歩いている市民の方が丸腰の市民を威嚇し、いじめているのではないですか。ひいては、無武装が原則の市民社会全体に対する挑戦ではないですか。だから、市民も警察もですが市民道徳が大事なんです。
追記:先に述べていますが、デスノートの作者の逮捕については、「キャンプに言っていてしまい忘れた」ということが事実であれば、警察は注意するだけでよいが、事実でないのならば、逮捕もやむなしか、と考えます。
自動車のダッシュ・ボードからアーミーナイフが出たようなので、キャンプ時に果たしてダッシュ・ボードにナイフを入れて置くという状況が自然なのか、不自然なのかだと思います。僕の理解ではキャンプ用品は一括して後部座席、もしくは後のトランクに入れておくのが通常だと。キャンピング・カーであっても、後部シートにナイフは置いておく、と。ナイフだけをダッシュ・ボードに入れておく状況とはどういう状況なのか、と。
もっとも、以上は故意か、過失かの論点であって、少なくとも過失であることは疑い得ない事実であるから、市民社会はこの事件を教訓にして「あとかたづけをきちんとして、警察に付け入る隙を与えないようにして、ビラ撒き事件逮捕、起訴のような弱いものイジメのような警察に対し、民主主義運動を強めていくことが必要でしょう。
追記:それにしても賃金・社会保障・教育費はなんとかならんかな。労働運動と政治・選挙・支持拡大運動しかないですね。毎日、経営者と自公政権にイジメられてますもんね。労働者と庶民は。国内、国外を問わず。
そう考えると、猥褻図画販売をも公然と認め合う社会が民主主義社会にならないか。もっとも、具体的な性教育(性感染症防止、中絶根絶、一夫一婦制堅持、両性の平等と合意に基づく性的な関係維持、発展等)と平行しながらではある。だが、基本的には人間の性活動は健全な性教育に基づく意識と行動が伴っている限り、諸個人の自由であるべきではないか。警察権力が取り締まる問題ではないだろう。
他方、性感染症の防止義務違反(人間社会の公衆衛生上)、中絶防止義務(避妊措置、人間社会の人命尊重)、中絶(人間社会の人命尊重)、強姦・強制わいせつ(人間社会の人格権尊重)などは社会法の見地から取り締まる必要があるであろう。
すなわち、セクハラ等強姦、強制わいせつ罪は社会法の見地から警察権力の発動が必要となり、他方、公然わいせつ罪は国家の弾圧法規だと言える。
追記:指定暴力団の子供であっても、子供は指定暴力団員ではなく、一個の人間であるから、暴力団員の子供であるからという理由で不審尋問する警察の行為は差別以外の何ものでもない。行き過ぎた警察の職務執行である。だいたい、鉛筆を削るためのナイフを所持する児童に何らの違法性はない。
ただ、喧嘩で鉛筆削り用のナイフを使えば違法性が出てきますね。相手が鉛筆削り用のナイフを使用して、襲撃してきた場合に同じナイフで応戦する場合は必要な対処で基本的に正当防衛が成立するので違法性はなくなると考えます。
でも、やっぱり道具を使った喧嘩は市民社会からすると素手で殴りあうより危険ですね。市民社会としては自力救済禁止、自己武装禁止、報復禁止とした上で、諸個人の正当防衛権を必要不可欠の場合に認めるとすることが健全な民主主義社会の在り方です。
なお、民主主義国家のおいては警察を解体・否定することも同時に誤りとなる。警察をどのようにして民主化していくのかという民主主義労働、政治運動が必要である。