警察って,本当に歯止めがなくなったようですね。以前,【先日、スイスアーミーナイフを持っている人に街中で持ち歩くと検挙されると注意しました。その際、車を持っている人に落とし穴があるのを注意し忘れたので補足します。キャンプや旅行、入院した際などに、小さなナイフを使うことがありますね。このナイフを車のトランクに入れて持ち帰ったところ、トランクの工具入れなどの窪みに入ってそのままになるってことはありがちな話ですよね。この車に乗っていて、テロ対策などで一斉検問に合って、警察にそのナイフが見つかると、アウト!検挙されます。しっかり、調書、顔写真、指紋をとられて、送検され、前歴ありとなります。場合によっては、罰金(正確には科料=1万円以下)も考えられます。いまの警察の基準は、昔とは違います!このお休み、車に乗って出かける人も多いでしょう。車庫から出す前に、一度トランクを隅々までチェックすることをお奨めします。見つかってから、警察に泣き言を言っても許してくれませんよ!】(ここ参照←クリック)と書いたら,
【目的もなく一定の刃渡りの刃物を持っていれば犯罪となります。ただし、故意がなければ良いのが一つ、目的があればよいのが一つ。知らずに紛れていた、くらいで検挙されてしまうのは、多分、その人がなんらかの過激派組織に関与しているので見張られているとか、あまりに怪しい言動をしているかのどちらかでしょう。通常はそこまで警察は調べません。そんな暇ないのです。こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的でしょうけど、あまりにこれはひどいです。 】
というコメントを頂いた。
これが素直な市民の反応だろうし,警察もそういう市民には正体を明かすようなことはしないで,ひそかに(積極的に広報しないで)弱い者いじめを続けるのだろうな…と思っていたら,なんと,
【少年漫画誌に連載されて人気を呼び、今年6月に映画化された「DEATH NOTE(デスノート)」の作画を担当した漫画家が、銃刀法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕されていたことが分かった。
逮捕されたのは、東京都武蔵野市境、漫画家小畑健(たけし)容疑者(37)。石神井署などの調べでは、小畑容疑者は6日午前0時すぎ、正当な理由がないのに、東京都練馬区大泉町5丁目の路上で、車の中にアーミーナイフ(刃渡り8.6センチ)を所持していた疑い。
警察官が整備不良の疑いで小畑容疑者の車を止めて職務質問をしたところ、車内の引き出しの中から見つかり、現行犯逮捕された。「キャンプで使うために持っていた」と話しているという。
「DEATH NOTE」は、週刊少年ジャンプ(集英社)で03年12月から今年5月まで連載された人気サスペンス漫画。複雑なストーリーと細密な画風が人気を呼び、単行本(計12巻)の発行部数は2000万部を超えた。小畑容疑者は、この作画を担当したほか、同じ集英社の「ヒカルの碁」も担当。この作品も発行部数1000万部を超え、少年少女の間に囲碁ブームが起きた。03年には第7回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞している。】(朝日)
ということに…。いつものパターンでの取り締まりだが,それを堂々と発表しちまいやがった…。
産経新聞は,【小畑容疑者は「キャンプに使うために持っていた。申し訳ないことをした」などと供述している。】というコメントを掲載したが,「申し訳ない」っていうコメントを引用する方向でこの記事を書いていいのか?
そんな書き方するから,【こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的】とまで思えるようなことを有名人に対して行った場合でも,堂々と発表するようになったんでしょうね…。
今回の「事件」は,行きすぎた捜査の実態,このような警察が共謀罪という武器を持つことの怖さをよく分かって頂ける事例ではないかと思います。
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【目的もなく一定の刃渡りの刃物を持っていれば犯罪となります。ただし、故意がなければ良いのが一つ、目的があればよいのが一つ。知らずに紛れていた、くらいで検挙されてしまうのは、多分、その人がなんらかの過激派組織に関与しているので見張られているとか、あまりに怪しい言動をしているかのどちらかでしょう。通常はそこまで警察は調べません。そんな暇ないのです。こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的でしょうけど、あまりにこれはひどいです。 】
というコメントを頂いた。
これが素直な市民の反応だろうし,警察もそういう市民には正体を明かすようなことはしないで,ひそかに(積極的に広報しないで)弱い者いじめを続けるのだろうな…と思っていたら,なんと,
【少年漫画誌に連載されて人気を呼び、今年6月に映画化された「DEATH NOTE(デスノート)」の作画を担当した漫画家が、銃刀法違反(所持)の疑いで警視庁に逮捕されていたことが分かった。
逮捕されたのは、東京都武蔵野市境、漫画家小畑健(たけし)容疑者(37)。石神井署などの調べでは、小畑容疑者は6日午前0時すぎ、正当な理由がないのに、東京都練馬区大泉町5丁目の路上で、車の中にアーミーナイフ(刃渡り8.6センチ)を所持していた疑い。
警察官が整備不良の疑いで小畑容疑者の車を止めて職務質問をしたところ、車内の引き出しの中から見つかり、現行犯逮捕された。「キャンプで使うために持っていた」と話しているという。
「DEATH NOTE」は、週刊少年ジャンプ(集英社)で03年12月から今年5月まで連載された人気サスペンス漫画。複雑なストーリーと細密な画風が人気を呼び、単行本(計12巻)の発行部数は2000万部を超えた。小畑容疑者は、この作画を担当したほか、同じ集英社の「ヒカルの碁」も担当。この作品も発行部数1000万部を超え、少年少女の間に囲碁ブームが起きた。03年には第7回手塚治虫文化賞の新生賞を受賞している。】(朝日)
ということに…。いつものパターンでの取り締まりだが,それを堂々と発表しちまいやがった…。
産経新聞は,【小畑容疑者は「キャンプに使うために持っていた。申し訳ないことをした」などと供述している。】というコメントを掲載したが,「申し訳ない」っていうコメントを引用する方向でこの記事を書いていいのか?
そんな書き方するから,【こういう嘘を書いて扇動しようとするのが目的】とまで思えるようなことを有名人に対して行った場合でも,堂々と発表するようになったんでしょうね…。
今回の「事件」は,行きすぎた捜査の実態,このような警察が共謀罪という武器を持つことの怖さをよく分かって頂ける事例ではないかと思います。
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何故、一般市民が自己防衛のためにアーミーナイフを所持してウロチョロしなければならない程、一般市民社会の「体感治安」が悪くなっているのか。報道機関は猛省せよと言いたい。ジャーナリズムとは国家権力と階級搾取を事実に基づいて監視、報道する実践ではないのか。
もう一度言う。何故、一般市民社会の「体感治安」が悪化しているのか。ジャーナリズムで貫かれた報道の焦点はどこにあるのか。一般市民の犯罪行為の真因は何であるか。
報道関係者は自らの職業の社会的責任を実現するために団結するしかないのではないか。報道倫理だけでバラバラでは階級搾取と国家権力に抗しきれないのであるから、労働組合運動を組織し、市民の理解と協力を得るべく活動、行動したらどうか。
総額人件費の低下、労働条件の悪化は底なしで、悪法はスイスイ通過、成立する、憲法改正すら現実味を帯びている。国家権力の底知れぬ恐怖政治が日夜、進行している。それらについての報道時間、紙面占有率があまりにも短かく、断片的で、少なく、クオリティも低すぎる。あんたらプロフェショナルだろう。それが仕事とちがうのか。
報道の本道はスポーツ、芸能、犯罪者の見せしめ的糾弾、新商品の発表、広告ではない。報道の本道は階級搾取と国家権力を事実に基づいて市民社会に知らせながら、報道機関独自の対抗政策の選択肢を市民社会に提起することだ。
今現在の報道のあり方は本末転倒はなはだしい。市民社会が本音で待望することは弱き助け、強きを挫く秋霜烈日の報道だ。市民の本音を見抜けない、市民を信頼し切らない、人間不信の報道関係者はグダグダ、ブツブツ思わないで猛省し、搾取階級と国家権力からジャーナリズム精神を取り戻す時でないか。
大切なことは不屈の積極性、主体性、独立性ですよ。
米国では銃の所持が認められているし…。犯罪を実行する目的で所持している場合は,予備罪などになるかもしれませんが,所持しているだけで「論外の違法行為」なんでしょうか?
キャンプに行って出し忘れることなんてしょっちゅうでは?
米国で銃の所持が認められているのは、悪法が法になっている典型であって、銃の所持が合法であるとの根拠にはならないではないですか。
社会の安全を実現するには、市民が無武装であるだけではなく、警察も無武装化していくことが必要であって、国際社会においては憲法9条完全実施で社会の平和を実現することが法だと考えます。
ビクトリノックスなんか単なる便利ツールじゃないのかと小一時間・・・。
みんなが所持品に気をつけて社会生活を実現して行けば警察の取り締まりも形骸化します。
市民社会は警察に変に付込まれないようにしながら、警察の不正を認識、報道していくことで警察の実態を市民社会の共通認識とする。
すなわち、民主社会の力と下級警察官の倫理力の結合で下から民主警察を実現していくことが国民主権の徹底による国家権力を目指す民主主義運動の基本路線ではないでしょうか。
武装するのは警察だけでよいのではないですか。何故、市民が護身用の道具を「ファッション」を理由にして所持する必要があるのですか。極めて危険な路線ではないですか。子供にアーミーナイフを便利ツールとして所持させるならば、拳銃すらも便利ツールとして所持させてもよいことになりませんか。少なくともアーミーナイフと拳銃は家庭用品(刺身包丁、金属バット等)ではなく、軍事用品であり、武器ですよ。
ファッションで以上のような物を所持する自由と市民社会の安全とを利益考量すれば、市民社会は護身道具を持たない選択をすることが社会として健全であるし、警察の弾圧を招き寄せることもないと思いませんか。
つまり、ゴルフに行く往復は搭載して当たり前だが、帰ってきたら家に持ち帰ること。金属バット、刺身包丁、木刀なども同様です。
「仮に、あんたが外で柄の悪い人にこずかれて、せせら笑われて、ボコボコにされる時や。かつあげとか、万引き強要とかな。あんたがアーミーナイフを持ってたら、それを使用するわな。だって、持ってるもん。半殺しにされるもんな。使うやろ。あんたがアーミーナイフ持ったら、柄の悪いのは特殊警防とか、日本刀持ってくるで。負けんようにな。へたれ君に。だから、あんたはそんなアホな人のまねせんでええよ。襲撃されたら、口惜しいけど逃げて、警察官に被害届、告訴状を出せばええから。ほんで、社会から武装勢力を排除していく国民運動を展開すればええんや。だから、アーミーナイフを持って歩くのはファッションとしてとかいってるけど、本音は護身で使う時があるんや。そんな物騒なファッションは格好悪いやんか。ファッションは他にもたくさんあるから、他の物をプレゼントするから。アーミーナイフはやめてちょうだい」、と。
ロケットランチャーの件も穿って見る必要があるにゃー
カッコつけたがりの子どもがファッションとして持ち歩くのは問題ありとしても、本件は大の大人が正当な理由で所持しているものを車から降ろし忘れていただけの話。包丁ならOKという論理は、私には納得できません。
それに、何でも「自己責任」の当世、災害時などへの備えとしてむしろ常時携帯すべき、という考え方もあるかと思いますが。