tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

わかるなあ「ナイナイ岡村、DJポリスを絶賛する声に不快感」

2013-06-11 13:20:39 | 物申す
ナインティナイン岡村、DJポリスを絶賛する声に不快感 「全体的に気持ち悪い」

6日放送のニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」で、岡村隆史がサッカー日本代表のワールドカップ出場決定時に注目された「DJポリス」を巡る報道に不快感を示した。
4日、サッカー日本代表がワールドカップ・アジア最終予選でオーストラリアと引き分け、5大会連続の本戦出場を決めた。このため、同日夜の渋谷スクランブル交差点は熱狂するサポーターでごった返し、通行規制のため多くの警察官が出動した。
そんな中、拡声機を使い「ここにいる皆さんは日本代表のチームメイトです。どうか駅の方向に進んでください」「みなさん、おうちに帰るまでが応援です」「怖い顔をしたお巡りさんも、実は日本代表のワールドカップ出場を喜んでいるのです。どうか、チームメイトの言うことに耳を傾けてください」といった、ユニークなフレーズでサポーターを誘導した警察官が「DJポリス」として注目を浴びたのである。
叱らずに優しく諭し、けが人や逮捕者を出さなかった巧みな話術に、誘導されるサポーターからも声援が送られ、その様子はテレビを始めとする多くのメディアが取り上げた。また、10日には「DJポリス」に警視総監賞を検討中、とも報じられた。
岡村は、この話題に触れ「そもそも、スクランブル交差点ではしゃいでいる人に、真のサポーターはいませんからね」「ホンマにサッカー愛している人は、あそこで『わぁー』ってなったりしません」と、渋谷に集まったサポーターの態度を痛烈に批判した。これには、相方の矢部も同意見で、「まあ、(埼玉スタジアムに)見に行ってるしね。ホンマに好きやったら」などと発言している。
続けて岡村は「またワイドショーが行くでしょ、映像撮るでしょ? だから余計にアカンねん。アホがあんなに出てくんねん。アホしかおれへんねんから、あんなとこ」とも述べ、一連の報道が騒ぎを助長していると指摘した。
また、岡村は「DJポリス」に賞賛が集まることについても不快感を示している。「おかしいねん。そもそも、警察官の人がこんなこと言うこと自体もおかしいやんか。みっともないで」「(サポーターが)おまわりさんコールするのも、気持ち悪いで。全体的に気持ち悪い」と発言。警察がやさしく誘導しなければならない現状と、それを絶賛するサポーターとメディアを嘆いている。
渋谷に集まった人間すべてが騒ぎたいだけとは限らないが、サッカーに並々ならぬ熱意を持つ岡村だけに、プレー以外の騒ぎが取りざたされることに不満を感じるのは無理もないことだ。(livedoor NEWS)


岡村の言うことはよくわかる。自分もあれをテレビで見て気持ち悪いと思っていた。

この気持ち悪さは何かに似ているな…と思い出したのは、やはりテレビで見た「箱根登山鉄道の名物車掌」。
この車掌、始発駅を発車した途端「40分間喋り倒します」と宣言し、それから終点までずっと、
独特の節回しで喋り続けて乗客を笑わせ、人気を集めているのだという。
そのようなアナウンスを売りにする貸切電車であるのなら、好きにすればいいと思う。
だが、通常運行の電車でこれをやっているのなら、なんとも余計なお世話だと思う。
観光気分で乗っていない地元の人もいるだろうし、静かに車窓を楽しみたい客もいるだろう。
そうした人たちにとっては、このようなアナウンスは「耳障り」にほかならないわけだ。
しかし、この車掌の「気持ち悪さ」は、「うるさいから」という実際的な理由にあるのではない。
「それが車掌に求められていることなんですか?」という「職務の本分とのズレ」にあるのだ。
電車の安全運行に努めることこそが車掌の第一義の務めなのであって、
必ずしも万人から求められているわけでもない、車内一斉放送ゆえ嫌でも逃れることもできない、
いわば「押しつけがましい」サービスに努めてもらうことではないのだ。
ところがこの車掌は「善意で」そのサービスを提供しているのだろう。
そして実際のところ、それを「温かく」支持する客もいる。だから事情が俄然「気持ち悪く」なる。
僕が抱くような違和感は、「善意」「温かさ」の前には、「悪意」「冷たさ」に置き換えられてしまうから。
「へそ曲がり」「ひねくれ者」「天邪鬼」ととる向きもあるだろう。
「善意」「温かさ」は、「多数派」となり、それに相容れない者を容赦しない「権勢」となる。
それこそがまさに気持ち悪いのだ。

この警察官に感じる「気持ち悪さ」も、この車掌と同様、「職務の本分とのズレ」から始まる。
警察官なら毅然と、そして淡々と、群衆整理の職務を遂行すればいいのであって、
集まった群衆(それは岡村の言う通り、真のサポーターではないだろうし、「アホ」だろう)
に媚びへつらい、おもねり、ご機嫌を伺い、物分かりの良さをアピールする必要はない。
「僕のことを友達だと思って仲良くしてね」と生徒に言う教師がいたら「気持ち悪い」と感じるのと同様、
自分たちを「おまわりさん」「チームメイト」と呼ぶこの警察官を僕は「気持ち悪い」と思うのだ。
ところが、彼を「気持ち悪い」となじることは、反感を集めやすい。
なぜなら、彼は「善意」と「温かさ」に扮してこのような台詞を発しているから。
「善意」の側、「温かさ」の側に立つことに成功し、あたかも「みんなの仲間」であるかのようにまで思わせた彼は、
なるほど、警察の「広報」戦略としては上出来だろう。
図に乗った警察が、さらなる「広報」展開として「彼に警視総監賞を」などと考えるのも、いかにもありえる話だ。
だが彼は、群衆整理という職務の本分においては、やはり「失敗」しているのだと思う。
確かに今回、ひとりの怪我人も逮捕者も出さなかったかも知れない。
(あれだけ壁のように多数の警察官を並べてそれでも統制できないとすればその方が問題だ)。
しかし彼は、あの空間をまさしくDJのように「盛り上げ」、余計な注目を集めさせてしまい、
本来なら一掃すべき「危険が発生しかねない警戒区域」を、
場違いな「群集と警察官がハーモニーを醸し出す祝祭空間」に変えてしまった。
そして、これからもどこかに生まれるはずのこうした騒擾の場で、
「今度も警察官は何かやってくれるはず…」と群集におかしな期待感を抱かせる結果を招いてしまった。
場合によっては、「警察官見たさに」敢えて群集に加わる者だって現れるだろう。
彼はもう、二度とこのような場で今回のような役割を果たすことはないに違いない。
警察がまともな洞察のできる組織なら、彼を再び表舞台に登板させることはないはずだ。
何でもいいので騒ぐきっかけ、盛り上がるきっかけを欲しがる群衆や、
それを面白おかしく報じたがるマスコミに、「格好のネタ」を提供するだけで、
(「騒ぐ群衆」でも「面白警察官」でも、目を引けばどっちだっていいのだ)
群衆整理という「警察の職務の本分」を遂行するには、遠く隔たってしまったのだから。

「美人すぎる××」と言って面白がりたがることなんかが象徴的だけど、
「その役割にしてはユニーク」という存在を、メディアや大衆はとかくタレント化して囃し立てたがる。
「海女にしては美人」「鵜匠にしては美人」「予備校講師にしては型破り」「警官にしては話術が巧み」
…みんな騒ぐ根っこは同じだ。
彼ら当人は決して騒がれることを目的にしているとも思わないが、
騒がれず、目立たず、誉めそやされもせずに、職務の本分を見失わずにいる人こそ、僕は一番気高いと思う。

<追記>
どこかのネットに「あの場に金八先生はいらない」という書き込みがあって、実に言い得て妙だと思った。
金八先生自体は別に悪くない。だが、「金八先生に言われなきゃ説得されない」と駄々をこねる社会、
どこにでも「金八先生」=ヒーローを求めたがる社会というのは、実に幼稚で、気持ち悪いものだ。
優しくフレンドリーでも、「説教」は「説教」、諭されて盛り上がってる場合じゃないだろうに。
「あそこまでガキ扱いされて恥ずかしくないのか!」そう一喝できる「大人」はいないのか…。

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