昔、私が学生だった頃、何も見通せない自分の将来を漠然と考えながら、父親と話していたときのこと。
「自分の人生にとって大切なものは何?」
と父親に尋ねてみた。
すると、少し間を置き、
「家族・・・やっぱり家族だな」
父親は、静かにそう応えて頷いた。
もっと派手なきれい事を期待していた私は、なんだか肩スカシを食らったようで拍子抜けした。
そして、更に、
「しょぼーっ!全然楽しくなさそうじゃん・・・俺は、そんな生き方はまっぴら御免だ!」
と思ったものだった。
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「自分の人生にとって大切なものは何?」
と父親に尋ねてみた。
すると、少し間を置き、
「家族・・・やっぱり家族だな」
父親は、静かにそう応えて頷いた。
もっと派手なきれい事を期待していた私は、なんだか肩スカシを食らったようで拍子抜けした。
そして、更に、
「しょぼーっ!全然楽しくなさそうじゃん・・・俺は、そんな生き方はまっぴら御免だ!」
と思ったものだった。
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この息子さんは残念でしたけど、こんな親父さんがいてくれたことだけは、幸せなことだと思います。
自分はまだ21で人生経験も浅いです。
俺は自殺を考えたとき、人生で初めていっぱいいっぱいでした。
今考えるとなんで自殺なんか考えたんだろうって思います。
でも、あの状況下で自殺という選択肢が出てしまったことは確かです。極限の状況下で自殺という選択肢が出ることは悪いことですか?いいことだとは思いませんが。
心底思いました。
家族、大事にします。
いいお話、ありがとうございます。
気持ちを(1000円)押し込むところがまたいいね。「黒く陽に焼けた満面の笑みに潤む目が印象的」この一言でドカーンと親父の気持ちがなんか伝わってくるね。うーん泣ける。
いつの間にか、自分も父親になっています。自分の何かを息子に伝えることができるのでしょうか。父の出来なかったことが自分にできるのか?自分も父のように、何も伝えられずに、消えてしまうのか 不安や やりきれなさを感じます。
つまり人の死とは、村落共同体の内部においてしかありえなかったのである。
しかし、地縁から解放され、共同体から離脱した個人を中心に営まれる現代社会の生活では、人は一人で死ぬようになったのである。
そのような社会にあって家族という最後の縁から離れてしまう一群の人々こそ、孤独死→腐乱死体化→隊長の仕事の必要、をもたらす最大の原因である。
つまり、かつては絶対に離脱不可能だった地縁からも「家」から地域からも投げ出された個人の死。それは未だかつて人類史で存在したことがなく、それ故社会がいかように扱えばいいのかわからない死。その新しい死に対し、現代社会は特殊清掃という形での隠蔽と不可視化という答えしか用意できないのである。
しかしこの新しい死について、私たちはえもいわれぬ興味を持ち、また他人事に思えない何かを感じるのである。「人間の腐乱と腐敗臭」の描写に対する消費欲と同時に、「なぜ自分はならないといえるのか」という恐怖。その興味と恐れがこのブログに人を寄せ付けるのであろう。それはまさに私たち一人一人が条件付の「縁」しか持てない社会に住むからである。
そして、それに対する恐れが反転する形で、家族に対する愛と執着も切実さを増すのである。
私たちの社会はこの新しい死に、今後どう向きあろうとするのだろうか。これからも隠蔽という道しか用意しないのであろうか。それは隊長の仕事がこれから社会にいかに理解されるかによってある程度判定可能になるだろう。
長文失礼しました。
「家族・・・やっぱり家族だな」
と、依頼者の
「俺には、家族が一番大事なんだ」
という言葉が心に残りました。
言葉だけ追うと月並み思われれますが、依頼者の行動は息子に対する深い愛情を感じます。
息子さんの魂が、このお父さんの残りの人生を幸せに導いてくれることを祈らずにはいられません。
涙が出てしまいました。
自分の父親、父親のいない私の子供。
つい、考えさせられてしまいました。
両親より先に死ぬという 親不孝はしたくないし、 子供が先に死んでしまうという 親不孝者にもなってもらいたくないな、と。
私は 仕事の関係上、『孤独死』という現場に いつ遭遇しても おかしくない仕事をしています。
いつも拝見していますが 隊長様の 温かいお仕事に 頭が上がりません。
どうぞ、お酒を飲み過ぎないように お互い 頑張らない程度に頑張りましょう。
貴社ホームからこちらへ飛んでまいりました。
以前 少々湯灌に携わった経験があります。特殊清掃の仕事につきたく、札幌にも貴社支店がオープン予定と聞き、貴社に問合せのメールをしたのですが、いまだにお返事をいただけず、縁がなかったのかなと あきらめているところです。とても過酷で いろいろな葬家の中のことをかいまみることが多いですよね。おからだ ご自愛なさってくださいね。
命の水を飲むようなブログを、これからも読ませてもらいます。
最後の「幸と不幸は紙一重…」のところでもう駄目。
親父を思い出しちゃうじゃないですか。あーもう。
なにとぞ宜しくお願い致します。
虐待したり、、、、、。
親ってなんだかすごい。
子殺しや虐待のニュースもいいが、
こんなニュースも流せば良いのに。
死んでしまった息子さんには申し訳ないが、
殺伐としたニュースの方が多い中、
このニュースにはなんだか、
ほっと、させられた。
「俺にはもう、息子にしてやれることはないんだから、やらせてよ」
この言葉をオヤジさんはどんな気持ちで言ったのか?
隊長さんにジュース代をあげたときの心境は?
何より隊長の文書力に脱帽です。
今、自分はすごくみじめな思いをしてるけど、それでも生きようと思いました。
今日は読んでいて泣けてしまいました。
「俺にはもう、息子にしてやれることはないんだから、やらせてよ」
っていうお父さんの言葉、愛情の深さ、本当にせつないですね・・。
親よりも先に死んでしまうことは親不孝なことですね。
私は早くに親を亡くしましたが、悲しむ側が自分でよかったと思えてきました。
また更新を楽しみにしています。
隊長さん、頑張ってください。
お仕事もブログも…。
本当に大切なものは家族だと、
思います。
二人子どもが居ますが、
親より先に死んで欲しくないですね。
この話のお父さんと、
気持ちは一緒ですね。
若い頃、
大事故で死にそうになったとき、
枕元に親父が居ました。
仕事休んで遠くから来ていました。
その親父も、
あまり孝行しないうちに、
死んでしまいました。
時々、
親父の写真見て、
思い出しています。
墓参りはお袋のために……
私は信心がないし、
坊さんのあたりが、
悪すぎて、
無宗教で死にたいし、
散骨希望です。
またいい話読ませてください。
初めてのコメントです。
虐待のニュースをよく目にする昨今、無条件の愛を感じました。
私にも娘ですが子供がいます。
この子の為なら何でも出来る。と、あらためて感じる自分がいました。
大変なお仕事だと思いますが頑張ってください。
文書になってスミマセン、なんかコメントを書きたくなって書いてしまいました。
本当に辛いですね…心優しくて繊細な人ほど、世の中の汚れを一手に引き受けてしまってるような気がします。
良いお話を聞けました。有難う。
ギスギスした今の社会にはこのような優しい心がもっと必要ですよね。
前にも娘の清掃を手伝った父親の話がありましたね。
なんて愛情が深いんだろう・・・
涙・・・涙です。
隊長さんがいい人でよかった。
きっとこの親父さんも悲しみの幾ばくかが
救われたのではないでしょうか・・・・