せっかち散歩

ゆっくり急げ、時間がないから

縄文のハス

2013-06-25 | 日記
先週末天気がいいので早朝にハス池を見に行った。市立公園なのに特別に朝6時からオープンしている。


早朝から多くの人達がカメラを持って集まっている。


ウィキペディアには次のように説明があった。植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎博士(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘品の中にハスの果托があることを知り、1951年(昭和26年)3月3日から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行った。調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げられなかったが、翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し4月6日に2粒、計3粒のハスの実が発掘された。


オオガハス







前日の雨のために葉には水がたまっている。


















ハスの咲く池を見て作り話を考えた。

数千年の昔、そのでは10家族ほどが竪穴住居をつくり集まり住んでいた。川は広く雄大な森を蛇行し近くに大きな沼と湿地帯を形成し、他のを迂回して海に流れ込む。入江付近ではアサリやハマグリが面白いほど採れたのでそれを男たちは丸木舟で上流に運んだ。は深い森で囲まれていたが岡の上からは天気がよければ遠くに富士山が見える。女は野でキジの巣を見つけては卵を集め山菜やノイチゴを採取した。威勢のいい男たちはイノシシ狩りに情熱を傾けその収穫量の多い男は女たちの憧れとなった。イノシシがよく捕獲できる山にはイノシシの名前をつけた。ある朝燦々とふりそそいでいた太陽が突然消えた。皆既日食だったのだろう。しばらくして陽は戻ったものの「これはよくない兆しだ」と長老は言った。イノシシ狩りで若者が死に、疫病で子供たちが次々に亡くなっていく不幸が重なった。地震が続き彼方に見えていた富士はついに噴火をはじめ火山灰で何日も薄暗闇が続くこととなった。これほどの災いは沼の大蛇のたたりだと誰もが思い始め、ついに生け贄を捧げて怒りを鎮めてもらう他にすべはなかった。生け贄のイノシシの頭と少女の血を沼にせり出す岩の上から沼に落とすのが慣わしとなっていた。儀式の朝は沼一面が桃色のハスの花弁で埋め尽くされ朝日が昇ると光り輝きはじめた。「私もこのハスの花になれたら」そう思いながら少女が腕を鋭い石で切りつけて真っ赤な血が滴り落ちて行く時、少女は沼の中から覗き見る大きな目に気が付いた。次の瞬間少女は気が遠くなって引き込まれていくように水の中へゆっくりと落ちていった。少女の手にはお守りのハスの実がしっかりと握りしめられていた。

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