せっかち散歩

ゆっくり急げ、時間がないから

公園の冬

2010-12-15 | 日記
家の近くの県立公園の樹木はすべて落葉して冬の寂しさが伝わる。イヌシデとコナラとエゴノキが主。

数年前に偶然ブックオフで100円で買った、浅山英一 花ごよみ が今や愛読書。その「冬の花」の巻のまえがきにある言葉が好きだ。
「冬の寒さは植物に春とは冬を越すことだと教えている。」

またあとがきにはこのようにある。
「街の花店を通りかかるとき、あるいは旅に出て野や山、丘の林に可憐な花や実を見つけたとき、なじみと親しみを覚えることができれば、その人は幸せである。その名もしらぬ草花や木というのでは人生の楽しみは半減、いやそれ以下であるかもしれない。」

その他「夏の花」「秋の花」にある言葉も気に入っている。

「真昼に太陽が投射角七十度近く南中するころ、樹々や草花が暑さと乾きに絶えて、いよいよ緑濃く内なる力を充実するのを見ると、そのたくましさは至上の美であると感じる。」
「数ある植物をこのよき季節に終生の友として知りつくしたい。また、その生きる生理も研究して、生涯の伴侶としての植物を育てることを知りたいものである。」
「葉の美しさは、カエデもイチョウもさることながら、この世の色の美しさが、この葉に潜み、この世の形の美しさがこの葉に宿っていることを多くの植物に教えられる。」
「一枚一枚の葉によさがあり、花はなくもがなと思わせられる植物にふれてみると、人の世もまた必ずしも絢爛と咲き誇るばかりが美しさではないことを知らされる。」

このようなことを言える人はどんな人なのだろう。会ったこともない浅山英一という人物を師と仰ぎたくなっている。

ダイサギとアオサギ

2010-12-15 | 日記
ダイサギ

稲刈りが済んでなにもない田んぼに降り立ったダイサギは何やら餌をねらって歩きまわっている。チュウサギかどうか迷ったが、ネットでは「冬羽ではチュウサギと識別が難しくなるが、チュウサギの口角は目と同じ位置だが、ダイサギの口角は目の後方にあることで識別できる」とあった。多分ダイサギだろう。

アオサギ

湿地の中に降りてきたアオサギ。目の上から後方に黒い斑が伸びているので容易に判別できる。

 
左はダイサギ、右はアオサギ。