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我々が求めているのはAI便利社会ではない。「人情社会」なんだ

2025年04月28日 | これから何が起きるのか?

 以下は7年前に私が書いたブログ
  https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828162.html

 我々の人生は、人情から生まれ、人情に消える。AIなど、なんの関与もしない。AIというのは、企業の金儲けの道具だけに使われるのだ。
 おまけにX100太陽風や核戦争で瞬時に使えなくなってしまう脆弱性を抱えている。

 我々は、母の愛のなかに生まれ、愛によって育つ。生涯、愛を求めて彷徨い、愛に満足して肉体が滅んでゆく。我々の人生を定めているのは、「愛という名の人情」である。
 人情に頼らなければ、一日も過ごすことはできない。そして、我々の肉体と命は、AIに比べれば丈夫なものだ。

 「自分は人情や愛とは無縁に育っている」と言える人を見てみたいものだ。
 そんな人は、この世にいない。
 AIなんてのは、上下水道や電気やパソコンと同じインフラの延長にすぎない。これに絶対的な幻想を抱く者は、結局、自分の人生もAIとともに滅ぼすことになるだろう。

 「人生は人情である」と断言できるのだが、それを理解できず、人情よりもAIの方が価値が上だと信じている人がいる。
 もちろん、その人は人生の価値が人間の外側にある、蓄財、権威、優越的地位のような虚構を信じている人だ。
 人の内側にある、真実の価値を理解していない人だ。

 これからの地球社会で、本当に必要な人、本当に人々の役に立つものは、人間の外側にある価値、組織や車や豪邸のような見栄ではない。
 人の内側にある、人情=愛、人間性ではないのか?

 人々は、トランプ・プーチン・習近平・石破茂のような人間性にうんざりしている。彼らのどこにも救いがないと思い知らされている。
 彼らが、我々を救ってくれるのか? ありえないことだ。
 本当に人々を幸せにしてくれる「真実の価値ある人」を求めている。

 それは、豊かな人間性のある人だ。
 その人を見ているだけで、安心感の生まれる人だ。その人と一緒に歩いてゆけば、きっと素晴らしい未来が生まれると思える人だ。
 日本社会に、そんな人がいるだろうか?

 その人は、人間の外側の価値、虚飾や虚構を宣伝する人ではない。蓄財や高級車や豪邸や美人妻を自慢する人ではない。学歴を自慢する人でもない。
 その人を見ているだけで、みんなが安心できて、不合理や不正に怒る我々の心を救ってくれる人だ。
 
 我々は人情社会を求めている。正義と平等が実行される社会を求めている。子供たちが、のびのびと育ち、差別や格差を求めて競争するような思想に洗脳されないで、健全な人間性と肉体が育つ社会を求めている。

 ユーチューブに出てくる右寄りのスピーカーたちが、そんな人を軽薄に共産主義者と決めつけて、正義が平等に実現する、人々が連帯する社会を拒絶している。
 格差社会の大好きな彼らは、トランプが登場すると、一斉に称賛した。今、トランプの人間性からくる究極の社会破綻を目撃しても、自分たちの評価が間違っていたことを認めようとしない。

 結局、トランプを称賛し、持ち上げていた彼ら右寄り評論家たちは、トランプと同じ、人の心に共感できないサイコパスだったのだ。
 具体的にいえば、櫻井よしこ、藤井厳喜、フィフィ、上念司、木村太郎、渡辺哲也、堀江貴文、チャンネル桜や虎ノ門ニュースのメンバー、「トランプ大統領を支援する会」など、日本の反共保守派の大半がトランプに追従していた。

 トランプの独善的で愚かな正体が世界中に暴露されてしまった今でも、自分たちのメンツを保ちたいことから、トランプを正当化するのに必死になっている。
 結局、彼らは、底辺の民衆の感性=価値観に連帯しようとせず、利己的な金儲けを演出する新自由主義の格差社会にあこがれていたことで、その旗手としてのトランプに幻想を抱いたということだろう。
 
 権力を持たない底辺の我々は、「人を愛することのできる人情社会」を求めている。格差社会を誰も求めていない。みんなが幸せになれる社会を求めているのである。
 このことに連帯できる評論家は、保守右翼のなかには存在できない。保守右翼というのは、金儲けに憧れ、差別や格差の社会を容認し、自分が上位に君臨したい人たちだからだ。

 また、人の命や人間性よりも、社会的地位のような虚構を上位に置く人たちだ。人の外側に価値を見出している人たちだ。
 上に紹介した人たちが、人を愛する価値を口にしたことなど見たこともない。人情社会が必要だと、ただの一度も口にしたことがないばかりか、利己主義の金儲けを推奨し、差別や格差の新自由主義社会を宣伝し、煽ってきた。
 自分たちを正当化する理由として、自分たちが「科学的」だからと言い張っている。

 保守派に共通するのは、全員が原発を推進していることだ。
 人間と人間性を大切にする人なら、人間を滅ぼすことしかできない原発を推進することなどありえない。
 原発推進派の全員が、人の外側に価値を見出し、内側にある価値を疎外している。つまり、科学技術などの虚構を妄信している。
 だから、原発もAIも、人類にとって価値あるものと信じ込んでいる。

 人間の外側にある価値=科学技術を信仰してしまい、内側にある価値=人間性など人生にとって無価値だと信じている。
 2011年の福島原発事故など、もう完全に忘れてしまい、一切見返そうともせず、どんな反省が必要なのか、放置すれば何が起きるのかについても無関心だ。
 ただ、「科学技術が人類を救ってくれる」と、統一教会員が文鮮明を信じ切っているように、AIや核開発のような科学を信仰しているのである。

 彼らのなかの誰一人として、原発やAIがどれほど嘘に満ちたもので、脆弱な虚構性に左右されているのか理解しようともしない。
 放射能汚染事故から15年後の今なお、10万人以上の人々が、故郷を追われて帰郷できない現実を見ようともしない。

 今後、セシウム・ストロンチウムについて300年、プルトニウムやウランについて数十万年も危険な汚染が続く事実から目を背けて語ろうとしない。
 今、福島に年間20ミリシーベルトの許容量が設定され、そのなかで生活している人たちが、被曝による癌を患う可能性について触れようともしない。

 そして福島事故を受けて休止している日本の原発を次々に再稼働し、世界が危険性のため手をつけないプルトニウムMOX燃料を使わせている。
 南海トラフM9が起きれば、震度7の想定される伊方原発は、ほぼ確実にメルトダウン事故を起こすと考えられる。
 浜岡原発の薄い防潮堤を押し倒し、乗り越えた津波が、数千トンの使用済み核燃料プールを襲うことも確実と考えられるが、誰も危険性を口にしない。

 我々が求める人情社会に、原発は必要ない。AIも必要ない。必要なものは、人を愛し、大切にする人情と人間性なのだ。
 今の新自由主義日本社会では、人間性を崩壊させるものばかり生み出してきた。
 だから半世紀前には、想像もできなかった、人権侵害や殺人が激増している。

 すべて、資本主義社会の行き着いた先、新自由主義社会の「市場原理」が生み出した人間性崩壊なのだ。
 何もかも、市場原理=金儲けだけが正義だと勘違いし、人々の健康や豊かな人間性を破壊してゆくのである。

 これを推進している政党は、自民党、そして竹中平蔵の作った維新、国民民主党、保守党、立憲民主党である。
 彼らは、日本の底辺の民衆をますます貧しくし、格差を拡大する政党である。
 我々が、誰を信用するのか?
 それは、我々に直接ブーメランとして還ってくることを忘れてはいけない。
 


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