Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

母と娘

2008年12月02日 | Weblog
「お母さんのような人生を
送りたい」といわれる母親の人生って
どんなものだろう?

私は、母のようになりたくない!
と思ってきた。

それで、今の私がある。

私の娘も「お母さんのようには
ならない!」という。

私は、母に面とむかっていったことはないのに、
うちの娘は、面とむかっていう。

それだけでも、いいお母さんじゃないか?
と思うのだが・・。

二人の娘とも、私の人生をけなす!けなす!

否定すること、おびただしく、落ち込んで
涙がでることもあった。

先日も、娘が「私は、お母さんみたいには
ならないの!」とほざくので
いってやった。
「だいたい、娘は、母の人生をけなすものよ。
お母さんは、いいわよ!
三食昼寝、温泉つき!」
(メンバーであるフィットネスクラブのスパは
一応、温泉である)

働く母をみていて、かまってもらえないことに
不満だった私は、専業主婦とよばれる立場を
選んだ。
その母は、私にも、孫にも、
「女も、仕事をもっていないと」という。

しかし、1人の娘も、専業主婦だ。
うちの娘たちは、就職のことを
考えているが、このご時勢、あんな職業意識で
いいのかな?
はたして、なりたいものになれるんだろうか?
と思っている。

娘は母親を越えようと必死だ。
なにかにつけて、けなす。
ビジネスのことも、なにもかも
母親には、わからないと思っている。

長女がいれたお茶のまずさに
辟易した。
「高いお茶くらい、上手にいれなさいね。
安い葉のお茶を上手にいれるくらいでないと
仕事はできないよ!」
というと、
「いまどき、お茶くみなんてないよ!」
と返す。

そういうものじゃないんだなあ・・・・。
仕事のイロハが、そういうことに
凝縮されていると思うな。
そうやって、口答えする人に
誰が、仕事を教えてやろう、
と思うだろう?

私は、もし、職場にいたら、いわゆる、お局さまに
なっていたことだろうね。

必要悪じゃない?

母親という女の先輩は、意地悪なものなのだ。
娘も、また、生意気で、意地悪な女という生き物。

今日は、私は、「母親」になった記念すべき
日だった・・・。
あああ・・・・・。(ため息)

鍛えられて今の私がいる。