ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

勉強するよりも、友達と遊ぶ方が難しい

2024-08-10 09:59:33 | 会社員ゲーム

難関な国立大とかを出て会社員になったらいっきに躓いたという人がいて、”勉強するよりも友達と遊ぶのが難しい” というのを子供時代に感じたと話していました。

 

人は幼稚園生とかになると集団生活が始まりそこで知り合った男の子という友達ができたりして遊ぶ。

 

ただ、それ以前に近所に住んでいる年の近い子と遊ぶというのがスタートかなあ~ と思う。

 

一般的には、男性が女性と付き合っていて、結婚した時とか、子供が生まれるからとか、子供が幼稚園生になるのでとか、そういうタイミングで夢のマイホームを35年ローンとかで買うじゃないですか。

 

男性はその辺はよく考えて行動をした方が良いと思うのですが、結婚して奥さんと2人だけで新居を買って住む。

 

「新しい家に住むは気持ち良いから」 と考える人は少ないと思います。

 

ご主人はそれまでと同じ会社に通勤するという感じになるのですが、奥さんは専業主婦ですと土地勘もない誰も知り合いのないアローンスタートになる。

 

18歳になった時に大学生になるという事でそれまで生まれ育った実家を飛び出して土地勘のない誰も知り合いのいないところに引っ越して、生まれて初めの1人暮らしを始める。

 

それまでお母さんが料理や洗濯や掃除という家事をしてくれていたのがありがたい事だったと感じるように、その家事も自分のやらないといけない事になる。

 

それ以外に、誰も知り合いがいない大学に行くとかで誰かと仲良くならないといけない。

 

それまで未経験だったやったこともないような事で、かつやらないといけない事が急激に増えてしまい、誰かが丁寧に教えてくれるわけではないので、しんどいという感じもある。

 

その大学生時代4年間でアローンスタートで自分がどのくらいできたとかを振り返り、大学を卒業したら実家に帰り親戚などの縁故採用で地元で働くという人は少なくない。

 

大学生という、同じ年齢の似た境遇の人同士という集団で、「自分はこういうアローンスタートって苦手だなあ~」 みたいに感じると、大学を卒業して運良くどこかの上場企業に新入社員として入社できた場合、仕事も覚えないといけないし、同じ年齢ではないもっと70歳くらいまでの幅広い人とも人間関係の構築をできないといけないので、「私には無理」 と思う人もいる。

 

男性の場合ですと、大学生になる時にアローンスタートし、大学卒業し新社会人デビューして会社員1年生でまた知り合いもいないアローンスタートという感じでやってきている人が多い。

 

でも、女性だと、「私は実家を離れてアローンスタートは怖いし」 みたいな感じで実家から大学とかに通い、卒業後は実家から会社に通勤するという人は少なくない。

 

仮にそういう感じの女性と付き合っていた彼氏が、「彼女と結婚しても悪くない」 とか考えてみて、結婚し、新居で新しくマイホームを買うか、どちらかといえば賃貸で2人暮らし用としてマンションを借りるとかする。

 

ご主人の場合は、それまでの会社に通うとかで、家が変わるだけ。

 

でも、奥さんが専業主婦だと、アローンスタートで新居で近所の人と仲良くなるという部分で上手くラインに乗っかれる事ができないという事もあったりする。

 

想像してみてください。

 

福岡だと、”はとふれ” とかをネットで見て、「あっ、この中古の一戸建てが悪くなさそうだよね~」 という感じで2人で見て決めて買ったとします。

 

ご主人は会社とか仕事に行き、奥さんは家の前をほうきで掃くとかして、近隣の住人と挨拶したりして仲良くならないといけない。

 

そこが上手くいかないと、奥さんはずっと知り合いがいないままとなり、買い物もどこがお勧めとかわからないし、誰かと話すという事でストレスが和らぐという、ストレスコーピングもできない。

 

奥さんがノイローゼみたいになると、会社で仕事とか上手くいっていたご主人がそれに連動して引っ張られる事になり、夫婦の中が悪くなって離婚したりするじゃないですか。

 

そこで人は普通は考える。

 

赤ちゃんが生まれるとかそういうタイミングで人は家を買うとかするので、その同じタイミングで自分たちも家を買えば、新聞のチラシで見たそこそこデカい個数の分譲マンションとかを見て、「ここを買えば、新築だし、自分と同じような子供が生まれる事をきっかけに買う人が絶対にいると思うので、似た境遇の者同士ママ友とかになれそうじゃない?」 みたいに考える。

 

一戸建ての場合でも、大手が開発して家が20戸とか30戸とかの〇〇〇〇〇タウンとかを買えば、同じような人たちがいっぱい引っ越してくる。

 

赤ちゃんが生まれて、2歳とか3歳になり、隣の家にも似た年頃の子供がいると、母親同士が、「こんにちは~」 と挨拶するようになり、「どこで買い物しているの? 私は駅前のあのスーパーだけど~」 とか話すようになる。

 

日用品はあのディスカウント店で買うけれど、お肉とか魚はあっちのスーパーで買うとか、人それぞれ違っている。

 

隣の家とか、向かえの家とかにそういった話すママ友がいたりすればストレスコーピングで話ができるとかでストレスが溜まらないじゃないですか。

 

同時にいくら奥さんがアローンスタートに強い得意な人であったとしても、子供がそうだとは限らないじゃないですか。

 

隣の家に同じ年齢の女の子が住んでいて、その家も女の子だと、幼馴染となり、高校生くらいまでずっと一緒に遊ぶ事になるとかもある。

 

でも、お父さんとかお母さんがそういう戦略でないと、自分の家の周りに同じ年頃の子供がいないとかで、誰とも仲良くなれないとかもある。

 

幼馴染とかの子がいないと、ある日幼稚園生とかにそこで初めて自分と同じ年ごとの子と出会い、どういう風に遊んで良いのか? がわからずに幼稚園に行くのが苦手となる子もいたりする。

 

男性の視点で見れば、誰か付き合っていた女性と結婚した時に、奥さんがアローンスタートで躓くとか、子供がアローンスタートで躓くとかで人生が転落する可能性は否めないので、「だったら子供ができた時に家を買っちゃば1番理論上は安心ではないかと考えると思うのです。

 

例えば、自分が幼稚園生とか小学生の頃に、お父さんの仕事で転勤してきたという家の子がある日転向してきて、みんなの前で挨拶させられ、その後に苦労しているとか見た事はあったりするので、どこか自分が転勤したら子供とかにしわ寄せがいくとか考える人は少ないと思う。

 

例えば、テレビニュースで、お父さんやお母さんが中学生になるというタイミングで家を買ってしまい、小学校を卒業した子供が、「みんなと別れ離れになるのは絶対に嫌、新しい家なんか要らないのに」 と電車に飛び込み自殺したとか報道されるじゃないですか。

 

お父さんやお母さんが、「私たちの目ではこのタイミングで家を買うのは正解」 と思ってやってしまい、その後に子供が一気に人間関係の構築ができずに転落し不登校の引きこもりになるとか起きたりしているじゃないですか。

 

昔は不良になるとかが多かったと思いますが、人に溶け込むがダメな人は1人ぼっちで家に居る方を好むとかある。

 

そんな感じで、子供時代に対人関係とかが上手くいったとかそういう部分は親が子供の事を考えて行動したのか? とかいうマイホームの部分であったり、偶然マイホームを買った者同士の運みたいなもので、「隣の〇〇ちゃんで良かった」 とかがある感じ。

 

これは、”マイホームを買わないといけない” という話ではありません。

 

運が良ければ、はとふれで中古の一戸建てを見て、シンプルに自分が良いと考えて買い、たまたま隣の隣人に自分と似た境遇の人が住んでいて仲良くなれたりする場合もある。

 

デカい分譲マンションの新築を買っても奥さんや子供が隣人と仲良くなれないという事例もあったりする。

 

例えば、今高校性の男性がこのブログ記事を読んでいたとします。

 

普通は、「俺の人生はこれまで振り返ってみて、幼稚園生から高校生まで友達もできていたし、人に嫌われるとか虐められるとかもなかったので、大学生になっても今のままだと思うし、大学を卒業して会社員になっても今のまま変わらないと思う」 みたいに思うと思います。

 

それはある意味、”見方” としては実績を見ているという点から未来を想像しているので正しい。

 

ただ、その実績というのは未成年の場合は保護者がいて、その保護者が優れていればいる程、その保護者の実績と言えるのかもしれないじゃないですか。

 

テレビニュースで無差別殺人事件を起こした人であっても、子供時代はまともだったとか、むしろ近所の後輩の女子には憧れられていたとかもあったりするわけで、そのくらいの年齢までは親の力でカバーできると思うのです。

 

後は、”未来の予想をする” という場合、あまり過去だけ見ていてもダメだと思う。

 

自分が高校生であれば、すでに大学生になった親戚とかがどうなった? とかモデリングというか、サンプリングというか、先行する人を見たりする事も需要だと思う。

 

自分で問題ないと思っていたりする人って、意外とそれまでそれほど大きく潮目が変わった経験をしていないとかで何となくそう思ったりして、大学生になった途端、専門学校生になった途端、高校を卒業して就職した途端に、しんどさというか、ハードルを越えるのが難しいと感じたりする。

 

それまで自分ではもっとうまくできる人だと思っていたのに大学生になったその1回で懲りてしまった、みたいな人って少なくない。

 

自分と同じ年齢みたいな人たちと上手く人間関係の構築ができないと、アローンスタートでゼロになったそれが増えないとかで、「もしもこのまま会社員になったらもっと難しくなるのでその結果はもう自分で見たくない」 という感じの人もいる。

 

大学を卒業すると新社会人デビューして会社員1年生となる。

 

そこでも一気に上手くラインに乗っかれないというを感じる人は少なくない。

 

その後も、結婚をすれば、奥さんが引っ越した先で誰とも仲良くなれずノイローゼになるとか、そこは問題なくても赤ちゃんが生まれると1人で子育てをしている事で育児ノイローゼになるとかあるし、子供が学校で馴染めずに不登校になるとかもある。

 

元農水産相事務次官長男殺害事件とかを見ても、お父さんが官僚トップみたいに上り詰めた人であっても、家庭では子育てが上手くできずに殴られていたとか報道があったじゃないですか。

 

芸能人とかもそうですが、仕事ができる人でも、子育てとか奥さんとかで問題が報道される人は少なくないじゃないですか。

 

男性の場合は、いくら自分が会社の中で仕事ができたとしても、奥さんが躓くと連動して、子供が躓くとそれにも連動して、カバーしきれないという問題がある。

 

そんな感じなので、チビッ子時代に友達と遊ぶのが苦手で避けて勉強ばかりしていた、という人でも、お父さんとかお母さんがどうだったのか? をまず考えないと意味がないと思うのです。

 

自分が生まれ育った家は、お父さんやお母さんがどのタイミングで買ったのか? とかは登記簿とかで調べられるじゃないですか。

 

例えば、結婚する前はお父さんはどこに住んでいたとか直接訊いてみる。

 

お母さんにも訊いてみる。

 

お父さんはそもそも大学生になった時に県外まで引っ越してアローンスタートで都内の大学に通っていた人もいれば、1度も県外とかに行った事もない人もいる。

 

お母さんもずっと生まれ育った家の実家で過ごし、結婚するまで1度もアローンスタートで何かをやった人もいる。

 

まずは、自分の両親がどういう経験をして今の家に住んでいるのか? は簡単に調べられると思うのです。

 

もしも、親が無頓着で、ノープランで子育ての事とか考えずにやっていたという事で、幼馴染もできずに躓いていたのかもしれない。

 

そういうルーツというか、1つ1つ順を追って見ていかないと修正ができないと思う。

 

後は小学生時代に両親が友達がいないとかを心配して病院に連れて行き、統合失調症と診断されたと言っていたりするケースもある。

 

それも、本人が診断された結果はたしかにそうですが、そもそもそれはお父さんがそういう障害があるのか? お母さんに障害があるのか? を知らない人が少なくない。

 

例えば、「私は小学生の頃に友達がいない事で両親が心配し、ある精神病院に連れて行かれてそこで統合失調症と診断されました」 とか言いにくそうに言われる。

 

恥ずかしいとか、それが事実であったとしても知らない家族でもない人に言いづらいとかあると思うのですが、言われた人から見れば、お父さんがそういう障害なのか? お母さんがそういう障害なのか? とかを聞かないとどうしようもない。

 

ある人の悩みを聞いた時に、お父さんとお母さんは普通の人で、自分だけ統合失調症だった、みたいに言われる感じですが、そもそも親の両方が障害とかない場合、子育てで失敗する確率って低いと思うのです。

 

例えば、お父さんが大学生になりアローンスタートで苦手と感じたり、卒業後に会社員となり、アローンスタートでまた苦手と感じたりする。

 

普通そういう風に苦手でとなれば結婚して子供が生まれた時とかは、普通の人以上に、「子供も俺に似て苦手だと思うので、せめて環境だけは考えてあげよう」 みたいにマイホームを買う時期とか考えると思うのです。

 

それで小学生時代に子供が統合失調症と判断されたとかというのはおかしい気がするのです。

 

例えば、お父さんが大学生になる時に県外でアローンスタートをして、大学を卒業して会社員になりアローンスタートをして、環境への順応性が異常高くて得意という人だった場合、結婚したり子供ができた時にいちいち環境とか考えないと思うのです。

 

人はよく、「失敗した」 とか、「躓いた」 とか、「あれは苦手で」 みたいに一括りにして言ったりすると思うのですが、自分で問題点を洗い出す場合でも、誰かに相談する場合でももっとディティールを見ていかないと修正とか問題解決にはならないと思う。

 

例えば、勉強するというのは、チビッ子の場合、算数で、1+1=2です。 みたいに覚えるという工程があり、ドリルとかで覚えたのか? を試してみるとかするじゃないですか。

 

そのくらい簡単な事だと思うので、人が思うよりは価値がないと思うのです。

 

教科書に書いてある事は、今日読んでみても明日読んでみても同じだったりするじゃないですか。

 

それじゃあ、友達と遊ぶという場合、人は同じ人っていないと思うのです。

 

自分の家の隣にA君という人が住んでいて、2つ自分よりも年上で、何かと自分よりもいろいろな事を知っていたりして遊び方とかも教えてくれる。

 

そして、自分の家の斜め向かいにB君という2つ年下の子が住んでいた場合、その子の家に行くと、自分がちょっとお兄ちゃんという感じになるので、A君という先輩から教えてもらった話とかをB君に教えたりする。

 

年齢が違う、立場が違う、性格が違う、とかあったりする。

 

それ以外にも人はその日の気分とか機嫌とか違ったりする事もあるので、どこか揺れているじゃないですか。

 

例えば、私三之橋の場合は、幼稚園生の2年間同じクラスで、小学生1年生と2年生まで同じクラスだったという4年間一緒だった男友達の子に、家が会社経営者という感じで黒塗りのデカい運転手の車に乗っていた友達がいた。

 

小学生になり、ある日その子がやろうぜ~ と言った感じで全然知らない会社に不法侵入して倉庫でロケット花火大会をやってしまった事で警察が来て連行されてという事があった。

 

チビッ子とは言え、最初にその子にやろうぜ~ と言われた時にそれは論理的に考えてみて、ヤバいのではないか? くらいは思った。

 

警察署で、警察官が、「どう説明すれば良いかなあ~、知らない人の会社に勝手に入っちゃダメで、それをやるとおまわりさんがこういう風に来てしまい、こんな風に連行されて・・・」 みたいに説明する。

 

友達が、「おまわりさん、それは前回も聞いたので説明しなくて良いです。 2回も聞かないといけないくらい僕たちはバカじゃありません」 とか言ったりする。

 

その子は、誰かと遊んだり話したりした後に、2人になった時とかに、「あの子2回も同じ事を言ったりするので」 みたいに言って嫌ったりする感じがあった。

 

友達の家に黒塗りの車で帰り、その子のお母さんがちょっと不機嫌な顔に見えたりする。

 

なぜ、誘われた時に、「それはやっちゃダメだよ」 とか言って、やめさせるとか、あるいは人によっては、「僕はやらない」 と1人だけ帰るという人もいると思う。

 

でも、韓国映画とかテレビとかでも、小さな子供が1つ年下の弟が廃墟に遊びに入った時とかに、「俺は帰る」 とか帰ってしまい、その後に弟が死んだりして、「お前お兄ちゃんなので弟を守るのが役割なのになぜ見なかったんだ~」 と両親が怒鳴り、それが大人になっても夢に出てくるとかで苦しんでいるシーンとかあったりするじゃないですか。

 

論理的に、法律的に見て、自分はやらないというのが正解だったとしても、その後の結果によってはその正解が不正解になるという事もある。

 

チビッ子がやらかした事で多少不機嫌で面白くはないという顔をしているように見える友達のお母さんはその話をしない。

 

別に叱られることもない、

 

なぜか?

 

私三之橋がその子を置いて1人で行かせたというのがなかった事はホッとしたように見える。

 

後は、叱らないというのは、たぶんその友達が超えない一線があると母親としてわかっていたからではないかと思う。

 

例えば、小学生1年生の頃にクラスの女の子がよく給食の時間にパックの牛乳とか投げつけられるとか、男の子が飛び蹴りをして泣かせているとかあった。

 

誰も説明しないのでよくわからないのですが、どうもその子の親が生活保護受給者とかで、それで虐めていたのだと思う。

 

チビッ子は割と残酷な感じがあるので遠慮をしないという感じで、周りの子のノリに左右されてやってしまう子もいる。

 

でも、その友達は、そういうのはたぶんやらない。

 

誰かがノラネコを捕まえて、手足を引っ張るとかしても、それには参加しない。

 

誰かが昆虫とか、トカゲとかの手足を引っ張ってしっぽとかももぎ取るとかしていても、やらない。

 

幼稚園生の2年間一緒だったりして、毎日ではないけれど遊んだりして、その子の性格というか、思考パターンを考えてみた時に、知らない人の会社に入って、そこから先誰かを傷つけるとかそういう事はしないとわかっていたような気がする。

 

それでその子が、やろうぜ~ とか言った時に、どのような展開になるという想像のスジヨミの部分で事件とかにならないと思って付き合い、そばを離れなかったと思うのです。

 

その子のお母さんが、「家族みんなで助け合いましょうね~」 とか口癖のように言っていたので、一応自分的には家族のような接し方をしていて、危ない遊びでも付き合っていた。

 

友達と遊ぶというのは、ドリルとか参考書には書いていない事で、自分の眼でその子とかその子の親とかを見て、論理的な事を学ぶとかの他に、感受性の高い子供なので、感情も学ぶというのがあると思う。

 

例えば、友達が知らない人の会社に入って遊ぼうと言う。

 

それを聞いた時に、それはやっちゃダメな事でお父さんにバレると叱られるかなあ~ とかチビッ子なりに考える。

 

論理的には法律を考え、自分はやらないと逃げるのが正解だったりする。

 

でも、その子の思考パターンとかを考えた場合、誰かを傷つける事はしないと思うので、その子が1人だけで建物とかに入って、何かあって死んだりした時に、「お前は1人だけで行かせたのか?」 という問題に変わるとか想像できるじゃないですか。

 

例えば、その子が大けがでもして生涯歩けなくなり車いす生活になったりしたとか死んだとかだとする。

 

その子のお母さんが、「うちの子が言い出したのが悪いし、たしかに法律違反だったりするとは思うけれど、1人でうちの子供だけを行かせてそれでもあなた人間なの? 自分の事しか考えていないの?」 とか言われそうじゃないですか。

 

俗に言う、”人間の感情” というやつですよ。

 

友達が知らない会社に入って遊ぼうぜ~ と言う。

 

たしかにそれはやれば警察沙汰かなあ~ と思ったりするので、その子1人だけで行かせたとかあったら、感情の面で、「あなたバカなの?」 と友達のお母さんが怒るとかあると思うのです。

 

幼稚園生時代に2年間遊んだりして、その子が何か欲しいものを万引きするとか、誰かを虐めるとかそういうラインは超えないと築かなかったのか? みたいなボンクラ扱いされる人もいると思う。

 

たぶんその友達が遊んだらスッキリして、そこに置いてある売り物の商品を壊すとかそういうのはしないとわかるというのが人間での付き合いでわかると思うのです。

 

人間関係の構築という部分では、①ここは論理的に考えて行動するのが正解。 ②ここでは感情で考えて行動するのが正解。

 

みたいにシュチュエーションで正解が分かれるというのがあると思うです。

 

例えば、お友達に誘われ警察沙汰になり警察署に連行されたとなれば、自分のお父さんが知った時に、「おい〇〇、お前はどうしてそんな事をしたのんだ?」 とか事情を聴かないといけないじゃないですか。

 

悪い友達がいて、それで巻き添えになっているだけかもしれない。

 

悪ガキに虐められてやらされているのかもしれない。

 

その事情を聴かれた時に、「僕が幼稚園生の頃から遊ぶ友達で、お金持ちの子で不法侵入マニアみたいな子がいて、付き合わないと1人だけでもやったりすると思うので、付き合っていた。 一応その子は人を傷つけるとかもしないとかあったので」 とか説明すると思うのです。

 

そういう流れをスジヨミして自分なりに考えて行動していて、お父さんだったら、そういえば許すかなあ~ とか一応考えてはいる感じ。

 

友達と遊ぶというのは、勉強に比べると自分の頭で考えるという部分が増える。

 

後は、警察沙汰でパトカーがきて連行されるという意味がわからないと言う人もいる。

 

例えば、自分の会社に知らないチビッ子が勝手に入って遊んでいれば、叱って敷地外から追い出せば済むという簡単な話ではなかったりする。

 

ひょっとしたら家出をしている子供なのかもしれないし、親はその子がそういう遊びをしているとか知らないのかもしれないじゃないですか。

 

「未成年なので、落としどころは110番緊急通報かなあ」 と考える。

 

それが1番トラブルにならないし、人として親に一応警察が知らせるとかして指導するのがその子たちの為かなあ~ と考える感じ。

 

自分の家の私有地でも、勝手に誰かが入り込んでいれば、それはお父さんが出て行って注意するという人もいれば、確実に処理しておくという手堅い解決法として110番緊急通報する人がいる感じ。

 

ひょっとしたら小学生1年生の子供でも、発達障害とかがあってそれで知らない人の会社の中で遊んでいるのかもしれないし、発達障害とかないのにただスリルだけを求めて探検している子供もいたりする。

 

どんな人なのか? というのは警察官が親とかに電話したりして確認するしかない。

 

お金持ちの家とかだとお母さんが保証するとかですぐに迎えの車で帰られる。

 

一応刑法には、刑法第41条に責任年齢14歳とかがあり、発達障害とか知的障害とかで理解できないとだと施設に送られるとかはあるのですが、そういう少年でないと後は親がしっかりしているとか誰かを傷つけたわけでもないので注意されて終わる。

 

大人でも普通の人が乗らない高級車が迎えに来れば、万引きとか窃盗とかする必要もない人に見えるので笑って柄買いでまたね~ と見送られる。

 

またね~ と見送られると、また会う事になる感じ。

 

私三之橋は2歳の頃から父の仕事とかに同行していた。

 

何を勉強していたの? と訊かれたら、たぶん感情ではないかなあ~ と思うのです。

 

百科事典が家にあって、そこにライオンとかが家族で写っている写真に、「親が子に狩りをするのを見せて教えている」 とか説明が書いてあった。

 

赤ちゃんとかに教えるのは、たぶん生きていくのに重要な事を親が教えているのだと思うので、感情かなあ~ と思う。

 

例えば、3歳とかで近所の〇〇君の家に行ってくる。 と親に言うじゃないですか。 黙って出かけると怖いし。

 

その時に父親がこっそり後を追って様子を見るとかもないだろうし、遊びに行った家のお母さんがずっとそばで見ている事もない。

 

そして家に帰った時に父親が、「今日は誰とどういう遊びをしたのか?」 とか訊かないじゃないですか。

 

チビッ子でも、誰も自分の行動をチェックしていないと思うので、適当にやるのはマズいかなあ~ と思ったりするじゃないですか。

 

よく、「どうして?」 とか真顔で訊く人がいたりするのですが、幼稚園生になってそこで知り合った子の家に行くと、お母さんがもっと我が子の事を注視しているとかある。

 

〇〇ちゃんという幼稚園生から小学生6年生まで一緒だった子は、明日の準備も宿題も着る洋服まで全部高校生とか年の離れたお姉さんがやっていた。

 

幼稚園生から小学生2年生まで同じクラスだった会社経営者の子は黒塗りの車で運転手が付いていた。

 

普通に考えてみてもお金とか相当かけて我が子、たぶん1人っ子なので監視しているのにお金もかけている。

 

どこに遊びに行っても、そんな感じなのに、自分はそうではない。

 

そこから、行動をする時に、『お父さんの視点だとこうかなあ~』 とか、『お母さんの視点ではどうかな~』 みたいに頭の中で同時にセルフチェックする方が安全かなあ~ となる。

 

例えば、小学生1年生の時に不法侵入マニアの友達がやろうぜ~ とか言った時に、一瞬で、お父さんの視点で、お母さんの視点で、とその行動の先に何があるのか? を想像してみる感じで、『警察沙汰になっても問題ないか、許容範囲か』 みたいな計算をしているような感じ。

 

チビッ子は、自分でそれを判断するという能力には無理があるので、お父さんだったらとか、お母さんだったらとかそういう視点でセルフチェックしていると思う。

 

日曜日にテレビを観ていて、バナナせっかくグルメだと、紹介されたお店に電話して予約する時にコメンテーターが、「うわっ、お店の人が優しい言い方した~」 とかいちいち言うじゃないですか。

 

自分の周りにそういった言い方をいちいち気にするお姉さんがいると、同じように言い方を考えるとかの癖になる感じ。

 

私三之橋の場合は、チビッ子時代に親戚のお姉さんが家に居た。

 

何だか病気みたいで、田舎では治らないみたいでこっちに来て、たぶん父が面倒をみていた。

 

それで病院に行かない日とかに家で家事をやってくれる感じだったり、チビッ子と一緒に留守番をしてくれるとか、ごはんを作ってくれるとかしてくれた。

 

私が大人になった頃に、誰かの葬式の集まりで会社に電話していたら、終わった時に久しぶりに会ったお姉さんが、「〇〇君は優しい言い方するよね~、私は好き」 と言っていた。

 

誰かが電話するというシュチュエーションでいちいちその言い方とかを気にするという感じで、変わらないなあ~ と思った。

 

ふと考えてみた時に、高校生の頃に自宅に引きこもりになった子の家に行って、その子の自慢の100万円とかしそうなデスクトップPCとかコンピュータゲームのソフトがたくさんあって、「三之橋君、それで遊んでも良いよ」 とか言われたりして、そういう繊細な子が部屋に入れてくれるとかというのは、お姉さんが弱々しいというかそういう影響のような気がする。

 

そんな感じで、友達と遊ぶ。 みたいな部分は人によってかなり可変すると思うのです。

 

学校で教えている授業とかって文部省とかそういう統一の中身でそう地域によって大差もない感じで固定されている。

 

友達と遊ぶとかというのは、誰と一緒に時間を過ごすのか? どんな人と過ごすのか? というのが、人によって変わるので、内容が可変する。

 

例えば、幼稚園生から小学生6年生まで一緒だった〇〇ちゃんは、家に行くとおばちゃんという感じで愛想の良いぽっちゃり系のお母さんがいて、大歓迎してくれる感じ。

 

遠足の前日に、その子のお母さんから私三之橋の家に電話があり、「明日遠足があり、〇〇ちゃんがごはんを食べる相手がいないと困っているので、三之橋君、一緒にご飯食べてあげて」 と言われた。

 

電話が終わると、私の母が、「何の電話だったの? 何かあったの?」 と訊くので正直に答えたら、「えっ、そんな事電話して言われたの? 過保護でバカ親じゃないの~」 と大笑いしていた。

 

でも、私三之橋は笑えない感じで、〇〇ちゃんっていうのは遠足があるというイベントでその明日の事が不安で仕方ないという人なので、そばでお母さんが心配してわざわざ私三之橋に電話して、「明日は一緒に食べてあげてね、〇〇ちゃんから目を離さないでね」 と約束させられた。

 

小学生1年生の頃に不法侵入マニアの友達に、一緒にやろうぜ~ とか言われた時に一緒にやったとかの部分は、幼稚園生の頃から、我が子と一緒に遊んでね、目を離さないでね~ と言う友達のお母さんは多かったと思う。

 

自分にとって大切な子供なので、まだ小さいから友達を自分の頭で判断できないとかあるので、母親が遊ぶ友達をチェックしているとかを感じるじゃないですか。

 

誰かの家に遊びに行くと、その友達だけでなくてお母さんと話したりする。

 

「あの友達はこういう感じの子で、お母さんはこんな感じで、お父さんは避ける感じで僕たちが行くと隣の部屋とか奥の部屋に移動する」 みたいな1つの家族とかと関わる感じ。

 

どうしても、「こんな家の人たち」 とか見てしまうじゃないですか。

 

そうすると私三之橋から見れば、自分のお父さんはこんな人という想像をしたりする。

 

たぶんね、私の父は自分の子供にいちいち何かを言いたくないのだと思う。

 

自分で何もできない子供がいて、いちいちあ~しろとかこ~しろとか言って教えても、大人になった時に自分で何もできない人になってしまうじゃないですか。

 

例えると2階の家の屋根にまで上がって、かけてあったはしごを下ろされるともう自分でどうしようもできなくなる。

 

どんな人にも限界はあると思うので、お父さんがお金持ちとかの人でも、子供がダメで働ないでギャンブルばかりして、その借金を払ってあげていると、自分も年を取って陰りが出てきて、そうすると共倒れになると思うのです。

 

元農水産省事務次官長男殺害事件とか、親がそこそこ成功した感じの人でも、子供は最後には見捨てている感じじゃないですか。

 

そういうのがわかっている人は、たぶんいちいち、「おい〇〇、何だこの8点というのは、もっと勉強しないとダメだろう~」 とかいちいち言わず、大人になってダメな人になっていれば、「それはお前の選んだ人生なので自業自得なのでこれからはもう大人なので1人でやっていけよ」 と言われ終わるのだと思ったりする感じ。

 

ことわざのようなものに、「子供は友達は選べても親は選べないでしょ?」 みたいなものがあるじゃないですか。

 

テレビドラマとか映画でも、そんな台詞が出てくる。

 

チビッ子の男の子は、友達に家に行った時に、「うちのお母さんはぽっちゃりなのに、〇〇君のお母さんは細身でスタイルが良くて美人で」 みたいに、自分にはないものに憧れるとかあるじゃないですか。

 

私三之橋の場合だと、お父さんとかがいちいちこ~しろとか言わない人なので、友達のお母さんが子育てに熱心な人でわかりやすいので、見て真似ておいた感じ。

 

俗に言う、”モーション解析” ってやつですよ。

 

例えば、友達のお母さんが、「学校は私立のお坊ちゃま学校に行かせるとそれがその子が知る人間のすべてとなり、大人になった時に普通の学校に通った人と話が合わないとか世の中の事が何もわからない人に育ってしまうので、福岡市立の学校に通わせている」 とか言う。

 

そのお母さんが言った台詞とか、その友達の行動を見て、そこから、「たぶん頭の中にあるマニュアルみたいなものはこんなものではないか」 と1度マニュアルを作成して、そのロジックの法則性とかを覚えてしまう感じ。

 

なぜそういう行動をするのか? と訊かれれば、百科事典に書いてあったからです。

 

自分のお父さんに2歳とかの頃に仕事に同行させられて、どこかの会社の社長室に行ったとする。

 

お父さんがさっと座ると、自分で立ち位置とか考えてやれ、みたいな感じだったりする。

 

お父さんとそのおじさんがしゃべっているのをじっと見たりする。 顔の表情とか、声の震え方とか、性格とか、恰好とか。

 

お父さんの仕事は木造注文建築業なので、そんな現場に2歳の子とかいたら危ないと思ったりするのですが、誰かが歩いていて、工具の電動のこぎりの電源ケーブルに引っかかったとする。

 

作業していた大工さんが、「てめぇ~ 危ね~じゃね~か~」 と怒鳴ったりする。

 

チビッ子から見れば、殺されそうに感じるくらい怒っているように見えるので、「あのコードは踏まない方が良さそうだ」 とか気を付ける。

 

百科事典にライオンの親子とかの写真が載っていて、親が狩りをするのを見せて生きていく技を教えるとか書いてあるわけで、電源コードを踏むとか躓くとかで怒られている人を見れば、「あれは真似たら危ない」 みたいに覚えていく。

 

そういう感じでどこか難しいように感じたりするのですが、友達の会社経営者の子供のお母さんとかはもっと論理的に教えているような感じでチビッ子的には覚えやすい。

 

チビッ子的には、『とりあえずこれはパクっておくか~』 と便利そうなイメージで覚えてしまう。

 

そんな感じではないかなあ~ と思う。

 

商売人の子供とかを見ると、人は親からそのやり方を教えてもらった人、みたいに思い込んでしまう人がいる。

 

でも、小学生3年生の子供が考えてみても、同じ家の系譜で、全員が師匠から弟子まで同じやり方をしていれば、世の中の景気が悪くなったとかの潮目が大きく変わった時に全員1度に破産するとかの結果になると思う。

 

1人くらい生き残っていた方が、物語的にもつまらなくて良いのではないかと思う。

 

例えば、祖父がゼネコンをやってます~ という感じの家だとすれば、その子供となる人とか、さらにその子供となる孫とかが、全員祖父と同じマニュアルで生きていれば、面白くもないじゃないですか。

 

たぶん1人1人系譜の師匠みたいな部分は独自にやっていると思うので、商売人の子供は必ずしもお父さんと同じやり方はしていないと思うのです。

 

世の中には歌舞伎役者とか、親から引き継ぐ者を重要視している世界もあるとは思う。

 

祖父が公務員で、その子も公務員で、孫もその系譜で、「おじいちゃんの代からいかに働ないかの技術を引き継いでいます」 みたいな人もいると思う。

 

その系譜のような部分で、会社経営者の子供という友達と一緒に遊んだりして、真似ているような感じだと思うので、大人になって会社員となった時に、上司とウマが合うみたいなものになりやすいと思う。

 

商売人の感覚と、会社員の感覚は違うと思う。

 

人間には法則があると思う。

 

ちびっこの男の子がある家に遊びに行った時とかに、「あの子育ちが悪いみたいで、いったいどういう教育されたのか? 親の顔が見てみわいわ~」 とか言ったりすることがある。

 

テレビニュースとかで無差別殺人事件とかをやらかした人のお父さんに取材して、「申し訳ございませんでした。 次に生まれたら人の役に立つ人になってほしい」 とか言ったりするじゃないですか。

 

頭のおかしな人は、親に問題があるのではないか? みたいな感じがあるのでわざわざお父さんとかに取材したりする。

 

男の子だとチビッ子が何人も集まったりして家の前に自転車をズラ~っと適当に置いてあったりして、チビッ子をその家のお母さんが叱ったりして、「ちょっと~、こんな風に自転車置いたら邪魔でしょ?」 とか言うとかもある。

 

人はたぶん、「うわっ、君どういう育ち方をしたのかなあ~」 とか言われると嫌だったりすると思う。

 

チビッ子とかの時代に直接言われるとかあれば、トラウマになって一生引きずりそうじゃないですか。

 

誰か友達がいて、学校で仲良くなってたまたまお金持ちの子で家に誘われて行ったら、なぜか2回目がないとかあれば、空気読めない人でも、前回自分の行動がどこか常識を外れていたとかかなあ~ と思ったりする。

 

そこで、だったら最初から言われないように常識的な人の常識に感覚を合わせておけば良いじゃん~ となる感じ。

 

どこか凄い難関の国立大を出た、みたいな凄そうな男性がいて、「学生時代まではテストで無敵だったのに、会社員になったら上司に気に入られないと出世できないと感じて、どうすれば良いのかがわからない」 と悩んでいるとか言ったりする。

 

でも、上司に気に入られてもダメな人はダメだと思うのです。

 

上司が自分の家に呼ぶとかあるじゃないですか。

 

「おい三之橋、今度俺の家に来てLAN工事をしてくれよ~」 とか言われる。

 

「おい三之橋、今度俺の家の娘の部屋にエアコンを買って取り付けてくれよ」 とか言われる。

 

それを聞いたOL姉さんが、「三之橋さんは支店長とメチャ仲が良いのでリストラとか一生なさそうですよね~」 とか言われる事がある。

 

会社員でもよく勘違いしていると思うのですが、上司といくら仲が良かったところで家に呼ぶとかしないと思うのです。

 

奥さんとか、娘さんとかが、「あの三之橋さんという人、ちょっと嫌な感じがするので2度と家に連れて来ないで」 とか言う事があると思うのです。

 

普通はご主人とかが、奥さんの好みというか、そういうのを理解していると思うので、「あの三之橋は家に呼んでも大丈夫かなあ~」 くらいは考えていると思うのです。

 

上司に小学生の息子さんがいた時に、テレビが故障したとかあると、「あの人を呼んで修理してもらえば、修理代が浮くので呼ぼうよ~」 とか言ったりするのでほんとに呼ばれるのです。

 

家の中に知らない人が工事に来るとかって、嫌だったりする人が意外と多い。

 

例えば、日立製のエアコンを使っていて、どうも調子が悪いとかあって、買い直すとか迷うとかあった時に、メーカーに電話して日立のサービスマンが家に来るとかあると、呼んだだけで1万5千円とかかかり、愛想の悪いというか感じの悪い人が来ると嫌な感じしかしない。

 

上司の子供の小学生のガキでも、「お父さんの部下のあの人を家に呼んだ方が良くない?」 とか思ったりする。

 

会社で上司に、「おい三之橋、今度俺の家のLAN工事してくれよ~」 とか言われると周りの人がそれを聞いて、「えっ、三之橋さんってLAN工事とかするの?」 とか、「三之橋さんは、LAN工事得意なんですか?」 とか言われる。

 

『LAN工事はやった事ありませんよ~』 とか言うと、信じてくれない感じだったりする。

 

そんな時に思うのは、『もう大人なのに、会社の中で嘘とか言ってもしょうがないとかってわからないのかなあ~』 と思ったりする。

 

チビッ子の頃に誰か友達の家に遊びに行き、そこでその友達のお母さんとかを良く見たりする。 お父さんは普通仕事に行っているので日中はいないから。

 

いろいろな友達がいる中で、『僕は〇〇君のお母さんの言っているようなその人の常識というのが1番良いのではないかなあ~』 みたいに思ってその常識というか、感覚に合わせた気がする。

 

誰か友達の家に遊びに行って、そこでその家のお母さんが、「今日家に来たあの三之橋って子はちょっともう家に連れて来ないで、常識のない子だったし」 とか言われると言われた友達が困るとか思うじゃないですか。

 

シンプルに、忌み嫌われるよりはマシかなあ~ みたいなチョイス。

 

その友達のお母さんが会社経営者の子供にはこういう風に教えている、みたいなその人の常識に合わせておくと、他の子の家に行っても、「あの三之橋って子はちょっと育ちが悪いよね~」 とか言われなくて済むじゃないですか。

 

幼稚園生の頃とかに合わせた感じで、誰に合わせるのが正解なのだろうか? というのは論理的に考えれば1番幸せそうな家に合わせていた感じになると思う。

 

もちろんすべての人にその常識が通用するというわけでもない。

 

例えば、私三之橋の場合は、高校生の頃に頭のおかしな人にしか見えない人に、無実の罪を着せられて、学校を退学させて行き場を失い首でもつらせようぜ~ とか言われ、最初はそういう人が1人だけだと思っていたのが、ふと気づくと自分の退学勧告決議案で全会一致で可決したとか言われ、鼠算式に増えていたのです。

 

どっちが常識的な人なのか? という部分では良く知らない人が首を吊って死ねば良いとか言ったりするような人の方がダメだと思うのです。

 

でもね、現実はそうではない。

 

「ねえ誰か~、どうしてこういうやり取りになったのかというのがわかる人いる???」 みたいな感じで、理解できない話をしたという事で多くの人の頭がパニくった感じ。

 

何人かの人がおかしくなって精神病になった感じで、それも原因が私のせいのような感じになったりしていた。

 

100人くらいは頭がおかしくなった感じで、唯一理事長だけが理解できたらしい。

 

人間関係の話とかって目に見えないような非認知能力のような世界だと思うので、わかる人にはわかるが、わからない人は何回聞いてもわからないと思うのです。

 

たぶんね、人は自分と同じような考え方とする人といる方が楽だと思うのです。

 

大学を卒業して会社員になり、上司の運転する車の助手席に座り、「俺はね、大学生の時には中古車を買って半年に1度それを下取りに出してまた中古車を買い、4年で8台くらいは乗ったかなあ~」 と言った。

 

それで私三之橋は、『あ~、わかります。 1台の車に4年乗っていれば、それが車のすべてだと思い込んだりするのでそうですよね~』 と言った。

 

上司はお金持ちの家の子という感じに見えるので、普通の人にそんな話をすれば、「〇〇部長って家がお金持ちだからですよね~」 みたいに言われると思うので会社の中でOL姉さんとかにはそんな話をしないと思うのです。

 

新入社員でルーキーなのにすぐにOL姉さんの部下ができて、上司の同級生の子供みたいなチョイ訳ありで預かるような話だった。

 

でも、同じ会社の多くは、「あの子メチャかわいい」 みたいにそこにフォーカスしていた感じ。

 

私だけだと思うのですが、メチャかわいいとか、サバサバした感じに見える性格とか、いつも私服がお洒落な感じとか、そういうものを見た時に、ぱっと見ではわからない部分で、『繊細な子かなあ~』 という、他の人には見えないものが見える感じ。

 

チビッ子時代に、勉強をするというのは教科書を読んで理解して暗記している感じで、友達と遊ぶというのは、たぶん頭の中で考え続けていると思うので、苦手だからと勉強ばかりして友達と遊ばないとたぶん、”偏桃体” が発達しないと思う。

 

そこから想像すると、認知機能が低いとか、それがダメな人に多い非認知機能も低いとかそういう人になるのではないかなあ~ と思うのです。

 

認知機能が低いと、大学生1年生18歳で自動車運転免許証を取得して運転でも、全然関係のない月極駐車場に勝手に入り無断駐車してしまうとかやりそうじゃないですか。

 

そういう人は、「周りの他の人はやっていないのに、俺様だけがやっている」 とか認知できないと思うので、相当認知力が低いと思う。

 

月極駐車場に勝手に入って通り抜ける人って多いじゃないですか。 

 

例えば、この前自衛隊員が関係のないアパートの敷地に入って不法侵入で検挙されていたというニュースで報道されていました。

 

近所の重度の精神病の人が、夜中に全然関係のない賃貸マンションの駐輪場にパンツ1枚上半身裸でバッドを持って隠れていたのを見た時に、『うわっ、参ったなあ~。 何をやっているのか理解できないけれど、見えなかった事にしておくか~』 とかリアクションに迷う事とかあるじゃないですか。

 

本人は一生懸命隠れたつもりで、それが上手くいっているように見えている感じ。

 

車でバック駐車する時にその真後ろに廻り込む人とかいるじゃないですか。

 

以前ニュースで幼児の孫娘が遊びに来て、おじいちゃんがファミレスに車で連れて行き、なぜか駐車場が混んでいたりしたのか先に降ろしてしまい、バック駐車したらその真後ろに廻り込んで車と車の間に挟まれて死亡した事故とかありました。

 

たぶん、大人なのに車がバックしているのを見て何をしているとかがわからず真後ろに廻り込むというのは、異常なレベルの認知力かなあ~ と思うのですが、意外とそんな人は珍しくない。

 

認知症のおじいさんとか、おばあさんとかって、たぶん自分でその行動をやるのが適切なのか? みたいなチェック機能が働いていないと思うのです。

 

そんな感じかなあ~ と思う。

 

そうすると、「私は子供の頃に友達と遊ぶがダメで、統合失調症と判断されて、でも勉強はできたので難関のあの国立大学まで行けたので、どう修正すれば良いですか?」 という質問をされる人がいる。

 

簡単じゃないですか。

 

たぶん、”認知行動療法” とか参加して修正すれば良いのだと思うのです。

 

一説によりますと、人が生きていく上で1番重要なのは、”非認知機能” だと言われています。

 

難関の国立大学などに行かれた人が、会社員になり一気に躓かれ、「私は小学生時代に両親が心配して病院で統合失調症と診断されたこともある」 とか話され、友達と遊ぶのが苦手だったというちびっこ時代を話されたして、どういう風に修正すれば良いのかがわからないと言われたりする。

 

推察のようなものでお答えするならば、たぶん、「私は内気な性格で、勉強はできているのでとりあえずどこかの上場企業に入社して、内勤職で働けば良いのではないか」 みたいに考えてしまった事で躓いただけではないかなあ~ と思うのです。

 

よくある誤解のようなものに、会社員の世界で人付き合いが上手い人が営業職で、人付き合いが苦手な人が内勤職だと思っている人が多い。

 

でも、朝から晩まで同じ建物の中でデスクとか並んでそこで一緒に過ごすと、夫婦でも新型コロナウィルスの流行った2020年に奥さんが自宅リモートワークになったり、お店が営業できないので自宅にいるご主人の嫌な所がどうしても目に着き、我慢できずに離婚が急増したとニュースでも報道されていたじゃないですか。

 

営業職の場合、余程見た目がだらしないような人でない限りはそこまではいかない。

 

あるとすれば、商談中に爪を噛んだりしていて、「ちょっと幼児性の強い感じに見えるので、その人の上司に教えてあげる方が良いかなあ~」 とか思われた時にそういう事があるくらいの確率だと思う。

 

長く一緒に時間を過ごすわけではないので、多少の癖は気にならない。

 

内勤職だと、朝から晩までとなる傾向にあるのでOL姉さんが見て嫌な上司だと、「会社辞めない限りそれが続く」 と思って、退職願いを書いて辞職して転職するとかがある感じ。

 

「私は人付き合いが苦手なので」 みたいな理由で自分で考えて、内勤職希望とかをチョイスしますと、より難易度の高いコースに行ってしまうので、入社してそこで躓くとかもあり得る感じ。

 

男性が新入社員で、入社後にすぐに女性OL姉さんの部下ができるとどうします?

 

もしも、その女性OL姉さんという部下がチョイ年下で、短大を卒業して新卒入社で、上司から、「じゃあ三之橋君、面倒みてあげてね~」 とか言われ、異性の部下とかだと同性の男性の部下よりは扱いとか難しくなるとかあるわけで、最初に人間関係の距離感とか一気に縮めておかないとやりづらさだけ残ると思うし、「私もう辞めちゃいます」 とか言われるとショックもデカいかなあ~ と思う。

 

男性の場合ですと、女性が、”キショイ” という、キモイとかと違い、もう生理的にダメ~ みたいな反応になると、それはしんどいと思ったりする。

 

OL姉さんの世界で、「あの三之橋さんてダメな感じ」 とか伝播するのは早いので、1度そういうイメージになれば、「誰か三之橋君のチームに入りたい人はいないですか?」 みたいになって誰もいないと、会社からみればそういう人が管理職で良いのか? となる。

 

でも、営業職だと男性の部下というか、後輩だったりすると思うのでその辺は楽ちんですよ。

 

男性が、大学を卒業して新社会人デビューして、会社員1年生になった時にもしも内勤職ですと入社後1カ月とかで女性の部下のOL姉さんとかも着くとかあるので、新入社員でも入社して半年持つかなあ~ という感じ。

 

もしも男性の上司の部長がいて、仕事がバリバリできる人で、「あちゃ~、あの三之橋はもっとできるやつに見えたけれど、女性の部下を着けてみたら散々な結果だなあ~」 という風に見えると、もう部下としては、”使えないレベル” になると思うのです。

 

上司からみれば、「あの仕事をするOL姉さんの部下を調達して採用して、面倒は三之橋にみさせよう」 みたいに自分の帳合先を部下の三之橋にして何人も用意していこういう展開を想定する。

 

”三之橋チーム” みたいな1つのチームにしておけば、上司は何もしなくても、三之橋がリーダーとして勝手にやるだろう~ というイメージで楽ちんじゃないですか。

 

でも、1人目のOL姉さんという異性の部下でダメだと、もう三之橋が自分の部下としてあまり活用できそうにないようにしか見えないので、「あの新入社員の三之橋は必要かな?」 となってしまうと思うのです。

 

もしも営業職ですと、お局さまに睨まれたとしても朝ちょっと小言言われてもそれ以降は会わないとかで楽ですし、仕事ができない人でも、そばで誰かが見ていないので1年経っても、誰もわからないとかはある。

 

でも、内勤職だと1カ月も見たらわかるじゃないですか。

 

そういった感じの、”外交的な性格なので営業が向いていて、内向的な性格は内勤職が向いている” みたいな会社員の世界を知らない人がよく勘違いするポイントみたいな感じで、仕事のチョイスミスをしている。

 

ドキュメント番組で長崎に住んでいるおばあさんが、「人間はやぐらしかけん」 とか言ったりするじゃないですか。

 

高齢者でも、人付き合いが苦手と言ったりしているように、1番苦手だったりする。

 

そこから想像してみても、人は誰か人と付き合う際に1番脳に負荷がかかるとかあると思うので、20歳とか22歳とかでもうおじいさんやおばあさんみたいな、フレア状態みたいになっていれば、脳に負荷がかからない事でもっと認知機能が加齢などで低下していくと思う。

 

大人は子供と違い誰かがそばでみてあげるとかはないわけで、そうすると専門家の病院に行くとかした方がまだ誰かが自分の事を管理してくれるとかあるだけマシではないかと思うのです。

 

「私は人と話すが何が何でも嫌なので工場勤務にした」 とかテレビでそう言っている人も見たりするのですが、消去法としてそれが1番問題が起こらないと考えてそうしたと思うのですが、『それ逆じゃない?』 と私は思ったりする。

 

人と話すのが苦手で、その苦手を端折る仕事でかつ単純作業にしたら、ぱっと見それが良さそうに見えるけれど、脳に負荷がかからない事で、元々低い認知機能はさらに悪化すると思うのです。

 

逆に、「人と話すのが苦手なので」 みたいな人は、喫茶店とかファミレスでウェイターやウェイトレスみたいな仕事にした方が良いと思う。

 

テレビでたまたま映ったお店で、その店長が以前は会社員でその世界が合わないと感じて、飲食店で田舎でお店を脱サラでやったとかが紹介される。

 

飲食店などの、”接客業” というのは、これといってお客さんとの人間関係が存在しないような世界なので、口下手のご主人とか奥さんでも、「いらっしゃませ」 とか「ありがとうございました」 だけきちんと言えれば、後は、「俺はこういう手の込んだ料理が好きなので」 とか、「素材にはこだわっている」 とか、そういう口下手系の人に多い、こだわりがあれば、繁盛したりしているじゃないですか。

 

焙煎にこだわった飲食店があり、経営者の店長が口下手とかで余計な事を一切言わないと、逆にその雰囲気が良いとそのお店に行く人がいるじゃないですか。

 

そんな感じで、子供の頃に友達と遊ぶとかしゃべるとかが苦手で、その苦手なものを遠ざけてしまえば解決するかのような気がして、大人になった時に、同じように遠ざけている事がさらに悪化させているという事もあるのではないか? と思う。

 

自分の苦手な事を遠ざけてしまえば済むみたいな人って少なくないと思うのですが、例えば私三之橋の場合でも高校生を卒業する頃に友達に、「お前とは一生付き合っても良いやつだと思っている。 これからの時代はコンピュータの時代だと思うので俺と一緒にコンピュータの専門学校に行こうぜ」 と言われてしまった。

 

それは自分にとってはメチャ苦手というか、1番やりたくない事だったりしたので、少し迷ってしまった。

 

それで父から渡されて持っていたクレジットカードを持って家電量販店に行ってデスクトップPCを買い、「後で言い訳は考えるか」 と買っちゃった。

 

子供が何か欲しいモノがあって、それが欲しくて泥棒をするとかあるので、一応クレジットカードは渡されて持っていた。

 

「コードブラックが発生したので仕方ないか」 と使ってしまった。

 

その後大学生となり、コンピュータの成績はAAとかだったりして、苦手意識のあるからというのと成績は必ずしもリンクしない。

 

 

 

 

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