今高校生であったり、専門学校生であったり、大学生である人から、「学生時代に新社会人デビュー後の会社員とかになったりする前に適正みたいなものはわかるのですか?」 という疑問もあったりするのでそのお話になります。
まだ学生の人から見て、「自分は将来社会人になった時に果たして会社員とかになれて普通の人生を送れるのかなあ~」 みたいに考える人がいたりする。
例えば、福岡で生まれ育った人とか、長崎で生まれ育った人とか、宮崎で生まれ育った人が実家から高校とかに通っていて、ふと自分が大学受験で東京にある大学などに進学したら、その都会で1人ボッチになって1人暮らしを始めて誰かと友達になれてその大学生生活をエンジョイできるのだろうか? みたいに不安になる人もいる。
自分がまだ学生で実家で暮らしていると、当然社会人はどういうものなのか? というのは見た事もないような経験した事のない世界ですので先行きの見えない世界なのでまあ不安に感じる方が正常だと言える。
人は一般的に18歳の高校を卒業したら、福岡のような田舎町で育った人が就職で東京に行ったりするとか、進学で大学生になったとかで東京に行ったりするみたいな、それまで何の土地勘もない誰も知り合いのいない所に引っ越してそこで人生初の1人暮らしを始めるという事になるというアローンスタートを経験する。
まあ、そんな感じのシュチュエーションになる時に、「俺は実家を出て都会に1人で行きたくないなあ~」 みたいな人もいる。
たぶん、そんな人は親離れできないタイプの人かなあ~ と思うので、気を付けた方が良いと思う。
私三之橋は意外に思う人もいらっしゃるのですが高校生の頃には一戸建てで1人で暮したりしていた。
お父さんが、「もう高校生にもなって実家で暮らしているとバカになっちゃうぞ」 みたいな感じで、「明日からあの家で1人で生活しろ」 みたいに言ったのです。
高校生の頃とかに1人暮らしをさせられたりした時に、わざわざ、「健康の為に自炊しよう」 とか考えないじゃないですか。
コンビニに行って高校生の制服のまま寄ってタバコとかも一緒に弁当を買って帰るとかそんな感じ。
そんな感じだったので大学生1年生になって入り浸っていた男友達の子といつもお昼とかにコンビニで同じ弁当を買って焼き肉弁当みたいなものをその子のマンションで食べていた。
夏休み明けにその子は8種類の薬を飲んでいて、「俺はもう一生治らない病気になってしまった」 と大学には病院もあり生徒は無償で診察してもらえるので薬代も無料と言っていたので、私三之橋は驚いたのです。
私三之橋の場合は大学生1年生から4年生までの健康診断で最高のAAみたいな感じで大学にある無料の病院とか行った事もない。
そんな感じでね、体に悪いとかよく言われているコンビニの弁当ばかり食べていた感じでしたが、実家を飛び出して初めて1人暮らしをしたりする人は最短1年で体が病気になってどうしようもない人生になるという人はそう珍しくない。
小学生とかの場合、お母さんが献立を考えて夕食を作ってくれるとかが当たり前のようになっている。
でも、1人暮らしをすると自分が好きなものばかりを食べるとかそういうのは珍しくないので、一気に体を壊す人はざらにいる。
要は自己管理ができる人なのか? そうでない人なのか? によって結果が変わるだけの話だと思う。
その病気になった子は大学そばにあるワンルームマンションに住んで、根がグ~たらなので大学の講義に出ない時はアルバイトもしないでマンションでテレビ見放題という感じ。
一方、私三之橋の場合は根がグ~たらな人は同じ種類なのですが大学そばに住んだりしないので運動量とか相当違っているので同じコンビニの弁当とかを食べていても健康診断ではずば抜けたAAという結果だったりした。
例えば、私三之橋の場合は小学生の頃とかに地元のお金持ちの家とかに大人気だった塾とかに嫌々行かされていました。
そういう塾に行った事もない人もいると思うので書いておくと、布団を入れるデカいバッグがあります。
それに布団を一式入れて、普通車のトランクとか後部座席に積んで送ってもらい、合宿で重たいそれを抱えて、「お世話になりますよろしくお願いします」 みたいに塾の合宿に入っていく。
まあ、引っ越しする人か夜逃げする人くらいしかそんなバッグは持っていない気もします。
夜24時30分とかに終わった、やっと眠れるとなると自分で自分の布団をセットアップしないといけない。
まあ、寝たのが1時くらいだったとすると、朝3時30分くらいに起こされ起床となる。
俗に言う、”刑務所ルール” でも夜21時就寝で朝6時40分起床ですので、それよりもはるかに短い。
眠たい中起こされ、布団を片付けて着替え、アメリカの海兵隊にみたいに、「俺たちは海兵隊」 みたいに歌うというか言いながらジョギングするみたいな感じで朝のジョギングに出る。
冬とかメチャ寒いし、吐く息が真っ白じゃないですか。
そこで脱走兵の時間となり、24時間開いているバカなおじいさんのコンビニで休憩する。
昔は24時間営業のコンビニって少なくって、朝4時に小学生の集団が行ってハンバーガーを食べコーラを飲みとか他に客がいなかった感じでよくつぶれていた。
1日に1度だけ脱走兵の時間で唯一外に出られ、自分のお金でジュースを飲むとかができる。
なぜ塾の合宿で運動もセットになっているのか?
脳と連動しているからだそうです。
あと塾長のおじいさんがいつも高級輸入外車に乗っていて、遠い実家と塾とを往復しまくりでした。
塾長の話では、移動するというのも脳に良いという話をしていました。
例えば、近所の認知症にしか見えないおじいさんは、毎日何度も軽自動車に乗って近所のスーパーとかに買い物に行くじゃないですか。
本人の視点では、「俺はこういう風に車の運転もできているのでまだボケていない」 と思い込んでしまっているだけだったりする。
知的障害者でもあまり遠くの職場とかに行かないとか、行動半径が短いとかあるじゃないですか。
私三之橋の場合は、大学生になる事でそれまで高校生時代に一緒だった男友達のスーパー特待生だった天才じゃん~ みたいな子と別れたので、1人ボッチになってしまった。
やみくもにやると坂道を転がり堕ちる人生かなあ~ と思った時に、ふと塾長が、「人間には法則がある」 と言っていたのを思い出し、そのマニュアルのようなもので行動していっただけなのです。
大学生になった時に、友達が作れないと困るとかの理由で同じクラスの子はほとんどが大学そばにあるアパートとか賃貸マンションとか下宿に斡旋してもらって住んでいたので、私三之橋から見れば、『うっそ~』 みたいな感じで驚いた。
私三之橋の場合は、塾長のおじいさんが脳がダメになると人間は近くにしか行けないとか言っていたりしたので、思いきっり遠くにしておいた。
それで車でバディシステムを組んで通学したのですが、相棒は会社経営者のお金持ちの子で、同じように近くになんか住んでいなかった。
それで3年経過して4年生になった頃に、大学そばに住むのが正解だとか言っていた人達は就職活動でもうどこかの上場企業とかは無理だと言って地元の会社にお父さんの知り合いで縁故採用してもらうという人が多かった。
そんな感じで自分ではその行動が最適なんだと思ってやって、結果が悪い人達であったという感じ。
一方私三之橋の場合は、根がグ~たらな人なのですが、遠くに住んで行動半径とか異常にあるので、運動量も違っていたりして、結果は良かった感じ。
例えば、内定をもらえた企業の中で副賞でデカい金額だったのは、「過去最高点を叩き出した最高の人材」 との事で慌てて都内一等地の分譲マンションを買いました~ とカタログに部屋番号と金額が書いてあり〇をしてあった。
余り知らない人もいると思いますが、高校生とかでもよくいるのは特定性が学費が免除され、スーパー特待生だと毎月とか給料が出るとか違っているじゃないですか。
そんな感じで大学生が内定をもらえた場合とかに、副賞で内定を辞退させないように住むマンションはここをご用意しました~ とか提示がある。
ある日偶然検索エンジンとかでこんなブログ記事を読んだりすると、それは天才な人とかそう思い込む人もいたりするのですが天才とかそういう感じではないと思う。
シンプルに塾長が教えていた事を実践しただけです。
例えば、「私は人に溶け込むのが苦手で」 と言う人は少なくないと思うのですが、それも才能とかでなくて誰かと仲良くできないと自分が困るだけというのが理解できていないだけだと思う。
例えば、私三之橋の場合は、大学の入学式に電車を乗り継いで行き、大学そばで同じ高校だったみたいな人のグループとかが歩いているのを見て羨ましいと感じた。
誰かに声掛けしないと明日も1人ボッチになるだけだと思ったのでその日に声掛けをした。
それが国産高級車の新車に乗って来ていた子で、目立っていて何か自信に溢れていた。
その車はお父さんの車か、お兄さんの車か、訊いてみたら自分の車で、「俺はさ~、4年後にはどこかの企業で営業車に乗っているつもりでその時に困らないように自分でバイトして買った車でこういう風に来ているだけで、何だお前そんな事も知らないで生きているのか~」 と言われた。
最初に声掛けする内容とかって重要でも何でもないじゃないか。
その高級車のエグゼクティブカーなる車に乗っていてトレンディな子の長い話を要約すると車の運転技術の習得の差みたいなものでこれから先の人生が大きく変わるファクターなので15歳でアルバイトを始め貯めた300万円を投資にまわす事でそれが3,000万円になって返ってくるような話だった。
その人が自信をもって語るその話にクラスの子がみんな興味ある目で見ていたので、まんざら嘘でもないと確信した。
翌日からはそのネタで、「ねえあそこにいる人が高級車で来ていたのは見た? あなたもひょっとしてもう免許を持っていたり車も持って乗っていたりするの?」 とヒアリング調査していった。
新しい大学であったり、新しい会社に入った場合、周りの人に直接顔を突き合わせて情報を得るという事くらいはできないとずっと前に進めないって18歳だとわかるじゃないですか。
その結果わかったのは、クラスのほとんどの子はもう免許も持っていて車も買って乗っていたという事だった。
大学生になった入学式の時点ですでに4年後の為に行動をしているという事はそれだけダツラクする人が多いという意味かなあ~ と思った。
大学に慣れた頃に自動車学校に行く事になり、鬼教官を指名した。
重要そうな運転ですので確実にそこはマスターした方が良いと考えたので、鬼教官なら「お前はここはできていないんだぞ」 と激高され、その叱られた事を記憶しておけば、卒業して公道で実践練習する時にいちいち自分ができない事を洗い出ししなくて済むじゃないですか。
車の運転というのは、友達の家に遊びに行き遅くなって暗くなったとかでお父さんが送ってくれるとかある。
幼稚園生の子供でも、「あの〇〇君のお父さんは車の運転が下手くそで自分でそれがわかっていないみたいなので頭が悪いんだと思う」 と友達のお金持ちの家の子が言ったりする。
車の運転が下手くそな人って、自分が下手くそな運転をしていると自分で気づけないのでずっと一生そのままだったりするのだと思う。
つまり、そういう性質があり、自分で自分が良く見えない人がいるという事になるわけで、いかに自分がその落とし穴に落ちないようにするのか? が重要だと考えた。
当時大学で同じクラスの子がみんな、「自動車学校で教官をやっている人というのは上場企業とかで採用されなかった人なので、特別運転技術が凄いから教官になったとかの人ではないので、その仕事しかないわけなので適当に素人の生徒に向かって、”なかなかうまいですよ” みたいにおだてて自分が人気の教官になろうと嘘を言う人が多いのであてにならない」 とか言っていた。
生徒が上手くできなくて、「私は運転に向いていないのでしょうか」 とか相談すれば、「そんな事はないですよ。 どちらかといえば普通の人より上手いと僕は思うけど」 とか適当な事を言って自分に指名がくるようにしている。
でも、鬼教官は運転が上手い事で採用されているとかなので媚を売るとかはない。 40年生が1年生に対して本気で「お前はそんな事もできないのか」 と怒鳴るとかやる。
運転が下手くそな人は、自分がどこがどう悪いとかがわからないので結局一生そのままになるわけで、最初にやるべきリストを手に入れる事ができたら楽勝じゃないですか。
後はストーリー性の問題。
大学生が将来運転技術が重要になるとか言って車を買って乗っているという事は就職の面接でも訊かれる事になると考えられる。
あなたならどう答えますか。
私三之橋であれば、物事の始まりはしんどいというスタートになると思うので、「車の運転は将来を左右するくらい重要だと友達が言っていたので自動車学校で鬼教官を指名したら40年生みたいな人が1年生に本気で怒るので怖かったし、これは自分には一生できないのかもしれないと悩んだスタートだった」 みたいな語り始めになるのが良いと考えた。
もしも、「私は自動車学校に行ったら最初から才能あるっぽいと言われ問題なかった」 みたいに出だしが順風万端な語りだと、世間知らずのお坊ちゃんが社交辞令で言われたのを真に受けておめでたい人かなあ~ みたいになると思う。
やる前はもっとイメージで簡単だと思っていたのがやってみたら挫かれた。 でもくやしいという気持ちがあり努力もして上手くなっていった。
そんな話だと、その人に内定を出して仕事をさせても伸びしろの上限までグングン伸びていきそうじゃないですか。
上手くできないという現実をあなたはどう受け止めますか?
ってやつですよ。
自分には才能がないと諦めてしまう人もいれば、自分が情けないと思ってそのハードルを乗り越えようとする人もいる。
プロ野球中継をテレビで観ている時に解説者とかが訊かれ、「僕はただ野球が上手くなりたいと練習していた」 とか言うじゃないですか。
小学生2年生で野球を始め、周りのもっと年上の先輩とやる中で、自分がまだ小さいとか体格の違いとかあったり、足が速く走れないとか残念な現実を見た時に、「あんな風になりたい」 みたいな憧れのような誰かの背中を追うみたいな気持ちから練習をしてプロ野球選手になれたとか語るじゃないですか。
テレビの前でその話を聞いている人がその直向きさのようなものは聞いていて良い人に思えるとかあるじゃないですか。
私三之橋は高校生の頃に頭のおかしな人に虐められて、無実の罪を着せられ責任を取らされて退学になり、もう人生終わったと悲観をして首を吊って死ね~ と言われた。
そこまでくらいなら世の中に5万といそうじゃないですか。
でも違うんですよ。
人を操縦するという悪党を初めてみた。
・創業時より退学勧告決議案で現役の級長の退学は初。
・創業時より退学勧告決議案で全会一致は初。
・退学勧告決議案で決まったのに退学していないのは創業時より1人だけ。
みたいなタイトルホルダーとなった三之橋ですが、そもそもほんとに何もしていなくて、やったのは全部その頭のおかしな人なのです。
そのような経験、俗に言う、”学校の身代金事件” みたいなもので、何を学んだのか?
と訊かれた場合、自分の持つ人を操縦する技術を持つという、人を殺しているような凄い人が、「三之橋のやつこれで死ね~」 みたいにミサイルを発射した時に映画ブルーサンダーのように躱したら一気に標的が理事長に挿し代わったみたいな感じで、自分に自信を持つ人が溺れるみたいな光景を見てしまったのだと思う。
いじめられっ子の三之橋という人はそもそも退学になったところで無職にはならず転校するくらいの被害で済むじゃないですか。
何か悪霊でも憑りついてしまっているのか? 自分で自分の事を天才と信じ切っているように見える人が、実は頭が壊れて幻覚でも見ていた、みたいな感じに見えてしまった。
私三之橋は、学校の理事長の事はただの税金泥棒くらいにしか思っていなかったのですが、想像した以上に賢い人なんだと感心した。
普通お金持ちの人っていうのはどこか何かに溺れているような人が多いと思うのですが、自分が最初に死んでしまうみたいなものを察知するかのようにおじいさんの割に賢い人なんだと思った。
それまではどこか直感で行動をするみたいな、努力とかもしない根がグ~たらな人だったと思うのですが、
何と言うか頭脳戦ではその人には勝てそうにない気がした。
頭のおかしな人に目を着けられて付きまとわれるような嫌な感覚があって、ある日予想もできない事態に遭遇し自分の退学勧告決議案とかになってしまい、『チっ』 みたいな感じでよくスケボーをやっている人がスケボーを蹴るとバンっと立つとか手で受けるようなシーンがあるじゃないですか。
担任の先生がアイドル歌手に似たメチャかわいい彼女と付き合っていて結婚するんだ~ みたいな話から頭のおかしな人が、「問題を起こしてそれは担任の先生の誘導で責任を取らされて学校を辞めさせられて結婚が台無しになって何もかも失って首を吊って死ぬんじゃないか~。
ついでに三之橋も一緒に責任を取らされてクビになって、無職でもう人生終わったという事でショックを受けて首を吊って死ね~。
みたいな展開になった時に、自分の身は自分で守らないといけないわけで、チっみたいな感じで回避行動を取った感じで1番最初に首を吊るのは理事長で、2番は頭のおかしな子の父親かなあ~ みたいになった。
何というか全力でやっても振り切れないような感覚。
この差のようなものというのは、何か年齢を積み重ねたというか、場数の差なのだろうか。
みたいな上手くいかない事の連続感みたいなものを感じた。
『こいつ天才じゃないかな』 そんなスーパー特待生の男友達と一緒にいて、でも自分の未来が何かしぼんでいくような。
自分が大学生になれた時に周りの友達はもう全滅~ みたいな感じで1人ボッチの大学生となっていた。
例えるならば、18歳の高校を卒業してどこかの会社でカワイイOL姉さんとして働いて10年経って27歳になった女性が、それまでの運を使い切ったかのように、これから先はもっと仕事ができる管理職になるか、それとももう誰かと結婚するか、みたいにそれまでの勢いがなくなったみたいな感じを感じると思う。
小学生のチビッ子時代に、塾とかに行かされたりして、やっと最終ステージの大学生という所までのし上がってきたわけですが、もう与力がない。
たまたま人間行動分析学みたいな面で評価されて運を使って大学生になれたという人なのです。
友達が全滅するくらいなので自分のやり方というのはもう全部使えないレベルなんだと思うので右利きのピッチャーがプロ野球選手になった時に左投げにスイッチするように反転してみるか~ とか考えた感じ。
大学生になった入学式に1人で行って、そこには友達とかいないという1人ボッチの人だったのですが、自分の眼で見て1番自信が溢れていた子に声掛けして、これから先は車の運転技術の習得が人生を大きく左右するんだと教えてもらった。
その人をロールモデルとして追従していけば良いかなあ~ と思った。
どんなに生まれ持った才能があるとか、そういう話ではなくて、もう自分の人生が崖っぷちのラストチャンスのようなものだと思ったので、確実にいこう~ みたいに考えた感じ。
どうせやるのであれば、大学を卒業した後の会社員になった時とかに誰かに追従されないくらい思いっきり上まで行ってしまおう~ みたいに思った。
結果なんてものは、最初に自覚ができれば必然とやり方も考えるようになって変わるというものがあり、才能とかそういう感じではない。
大学生になって1人でポツンと電車を乗り継いで行く時に外の景色を見て、『自分がどこかの大学に入りたいみたいに努力したわけでもなくて毎日ダラダラ生きてきた結果こんな風に1人ボッチになってしまっただけなので、この景色を忘れるな』 みたいに思った。
映画とかにそういうシーンが出てきたりするので真似ていた。
実際にその後どうなったのか? と言えば、3日くらいで、『同じクラスですよね?』 と駅で同じクラスの男の子に声掛けして、そのまま一緒に電車に乗り横に座った。
シートが2人用だったので、1人で座ると知らない人と何か横に座るという感じになるので、1人だと座っていてどこか落ち着かなった。
説明が難しいと思うのですが、その男の人と友達になりたい。 とかではなくて、ただ電車で1人で座るのが苦手という感じで、一緒に座る通学友達になりたいと思った感じ。
ひょっとしたら1カ月後くらいに、話が合わないとかで一緒に乗らなくなるのかもしれないわけですが、特にその先の展開なんてものは考えていなかった。
それまでの高校生時代にいつも一緒だった子とは性格みたいなものは全然違っていて、最初はとっつきにくいなあ~ みたいに感じた。
入学式の日に国産高級車の新車に乗っていた同じクラスの子に声掛けして以降、一気にヒアリング調査して同じクラスの子と話した結果わかったのはみんな運転免許証を持っていて、車も普通車サイズを持っていて、大学そばに1人暮らしをしている人が多かった。
新車の子は遠方から車を運転して来ていた。 必ずというか全員が大学そばというわけではないのですが、大学そばに住んでいる人がほとんどだったので、「同じ電車の子はあの人しかいない」 と気づき声掛けした感じ。
全然知らない人にいきなり隣に座られるとかは嫌だと思う。
ただ入学式の日から同じクラスの子としゃべっているというか、ヒアリング調査しているとそれを周りで見ているので、何となく知らない人という感じでもなくなるので、「まあいいか」 みたいに同じ椅子に座って電車に乗るとかバスに乗るとかはそんなに抵抗はないと思う。
自分が1人ボッチになり、それは自分の行動が招いた結果だと最初にそういう自覚をした事で気づくと3日後にはもう通学友達ができた感じ。
18歳になった時にそれまで忘れていた塾長の事が急に頭に浮かんできた感じで、「大抵学校のそばに住んでいる子ってバカだったりする」 みたいに言っていたのを思い出した。
親がマイホームを買うという時に一戸建てとか分譲マンションとか、あるいは賃貸マンションを借りる時に小学校のそばとかを買うとか借りるとかする。
「子供が雨の日とかでも短い通学時間で濡れにくいとか喜んでもらえる」 みたいに気を利かす。
でも、そういう風にすると友達ができにくいとかバカになるとか言っていた。
遠くに住んでいると同じクラスの子が授業が終わって帰る時に同じ方向の家の子と遊びながらダラダラと寄り道をして帰るとかになるので結果友達ができて、一緒に話す時間も長くなるのでバカになりにくいと言っていた。
大学のそばにある下宿に住んでいる子は、「まず大学で誰か友達ができないとずっと1人で通学して4年間そのままになるから」 みたいなものを気にして、下宿に住めばそこに2年生が住んでいて、同じ年齢の1年生が自分と同時に入るので友達が作れると考えたらしい。
まずは、大学そばにあるアパートに住めば、同じクラスの子に話して、「じゃあこれから俺の部屋に来る?」 みたいに誘いやすいじゃないですか。
その同じクラスの子が例え遠方に住んでいたとしても、自分が大学そばに住んでいれば、ちょくちょく遊びに来てくれるというイメージ。
友達の定義というのは、いつも一緒にご飯を食べている間柄とか、自分の家に遊びに来て家族とかの顔も知る間柄とかあるじゃないですか。
「えっ、〇〇君は〇〇町に住んでいるの? 俺はね〇〇〇町で近いね」 と言えるというのがメリット。
近くに住んでいる者同士という距離感から仲良くなれるという感じ。
一方で遠くに住んでいる人の場合だと大学そばに住んでいる人と仲良くなれないと講義と講義の間に時間が空くとかがあるので大学そばに住んでいる人の部屋に転がり込むとかしないと時間をつぶすのがしんどい。
でも、もしも同じ方角とかに住んでいる子を見つけることができれば、電車に一緒に乗って移動する間暇なのでしゃべるという事が必然と起こるじゃないですか。
近くに住んでいる同じクラスの男友達がいて、毎日その人の家に行ってというのは小学生のガキじゃないのでたぶんやらない。
頻繁に家に来られるのも嫌だったりする事はあると思う。
でも、長い距離の電車友みたいな感じだとわざわざ長距離電車で移動して、そこで話して、「じゃあこれから俺のマンションに来るか?」 みたいにはならず、「じゃあ明日また」 みたいに終わる。
片道1時間の電車だと、1日2時間、月曜日から土曜日までだと1週間で12時間はしゃべるじゃないですか。
大学から帰る時に電車で、「さっきの〇〇君って人が愛車の事を語っていたのはどう思った?」 とか他愛もない話をして駅を目指す。
少しややこしいと思うのですが、まずは電車とかの通学友達みたいな人と仲良くなる。
ストレスコーピングってやつですよ。
電車とかに1人で乗って、ウォークマンで音楽を聴くとか、スマホでYOUTUBEを観ていれば、それは自分が一緒に学校に行く友達がいない事の裏返しって話になるので精神病んでしまいそうじゃないですか。
ある会社での先輩が言っていたのですが、福岡から東京に行って就職して月曜日から金曜日までは会社で話すとかあるわけで、それが土日に1人でマンションで過ごし、「今日はコンビニの店員と注文で話した事くらいか」 みたいに誰ともしゃべらないと孤独感みたいなものを感じるのだとか。
男性という男同士の2人組ですが、大学に行った時に大学そばに住んでいる1人暮らしの同じクラスの子の賃貸マンションに2人で行き3人になる。
みたいな、大学に行った時に1人ボッチにならないようになる感じ。
いつも一緒に通学している人を見ると、「あの2人はメチャ仲良さそう」 みたいに見えると思うのですが、実はそうでもなかったりする。
今風に言えば、1人で電車の中でスマホでYOUTUBEを観て過ごすより、生きた人間としゃべっている方が有意義な感じなだけ。
私三之橋の場合は、大学で同じクラスの子と話して、「俺の部屋に来る?」 とか言われ行くと本棚に、「友達の作り方」 みたいな本があって、『こんなのを読んでいるの?』 と言うと、「俺はもう読んだから貸すよ」 と言われ、借りて読んだ事はない。
よく「三之橋さんは電車友達みたいな、そんな人は趣味が同じとかどういう基準で選んでいるのですか?」 と訊かれるのですが、『適当です』 となる。
まず、1人ボッチで大学に行くという入学式の時に道順とかわからないわけで暇じゃないですか。
駅で乗る時と降りた時に駅のホームにいた人の顔を覚えている。
2日目にヒアリング調査して気づいた点として、同じクラスの子はみんな大学そばに住んでいた。
2日目に駅のホームで乗る人と、到着し降りた駅のホームで見た人と、前日と比較して、『あの人は同じ大学の人か』 みたいに気づくじゃないですか。
そうすると3日目には、『同じクラスですよね?』 と大学で見て駅でも見る顔というのは覚えているじゃないですか。
雑踏の中で、たくさんの人がいて顔が覚えられないような気もするのですが、シュチュエーションで大学で見る顔とかと同じ顔があれば同じ大学の子となるわけで意外と覚えている。
大学に行くという、同じ大学の人をみつける過程で、できれば同じクラスの子にした方が同じ電車に乗る確率が高いと考えられるじゃないですか。
わざわざ電車に乗って遠い距離を走って大学まで行くというのには意味があって、1つは駅で同じ電車に乗る人の中から同じ駅で降りる人を見つける。
月曜日が大学入学式だとすればそこで2回見た人、翌日にその2回見た人を見ると合計4回見た事になり、水曜日にまた見たら合計6回見た事になるじゃないですか。
ひょっとしたら月曜日の入学式の日から土曜日までの6日間で、3日間だけ見つける事ができるのかもしれない。
大学に向かう電車のホームで見た人の顔から、大学に行く為に降りた駅のホームで見た顔をチェックし、大学でまた見た顔をチェックする。
そうすると同じ大学の人かと気づくじゃないですか。
じゃあ、気づいたのが最初の入学式の日だったという1日目だとしたら、そこで声掛けするのが最適とも言えない。
ひょっとしたら他にもそういう人がいて見落としていて、『この人しかいない』 と思い込んでしまっているだけなのかもしれないじゃないですか。
少なくとも3回トリプルチェックをして、他にいないとか確認して声掛けしている。
正確に言えば途中の駅から乗り込む同じクラスの子はいたけれど、たまにお兄さんの車で大学に来るとかあったりした。
もしも雑踏の中で、顔とかを見分けられないとかであれば、それは大学を卒業して会社員になったら大変な事になるのかもしれない。
自分が何か強く意識して駅で人を見ているとかではなくて、乗る瞬間と降りた瞬間などで「あの人はさっきも見た」 とかそういう記憶。
2日目にも見た時に、『昨日も駅で出発時と、降りた駅のホームで見たし、大学でも見たかな』 みたいに覚えている。
そういう”即時記憶” ができない人であれば、たぶん脳の障害があると思うので大学病院に行って診てもらうと思う。
『同じクラスの人ですよね?』 みたいに言われ、一緒に座るとかになった時に、もしも相手の人から見て、「うわっ、この三之橋ってどうして俺に声掛けしたりするんだ」 みたいに疎まれたりすれば、どこかのタイミングで、「俺は1人でいたいから」 みたいに言われそうじゃないですか。
「話が噛み合わないような人だったらどうするの?」 みたいに訊く人もいるのですが、話が合わないとお互いに別々のシートに座ろうという話になるだけだと思う。
そんな感じ。
もしも自分が大学生になり、誰も知り合いもいない土地で、電車に乗って同じクラスの子とか同じ大学の子に声掛けしてお断りされれば、シンプルに言えばそれは、”人当たりが悪い人” という事になるだけだと思う。
そうするとその結果を真摯に受け止めて、『私は人当たりが悪い方なんだ』 みたいになって将来会社員になるかどうか? とか職種とか何かの参考にするのだと思う。
何か練習するとか、本を読んでとか、そういう感じでなくてアドリブで実践して特に問題が起きなかった感じ。
そういう実践テストをしているので、きちんと電車で通っていた。
もしも、『俺は友達作るのに自信ないなあ~。 そうだ大学そばに住めば何とかなりそうじゃん』 みたいに大学そばとかに住んでしまえば、その駅で電車通学友達が作れるのか? という実践テストができないと思うのです。
潮目が大きく変わったという、誰も知り合いのいない何の土地勘もない大学に1人ボッチで通うというアローンスタートで、スタートでの立ち上がりで何を意識しているのか? と訊かれれば、友達が0人になったスタートから自分1人でそれを増やすという人間関係の構築ができるのか? という実践テストを確認している感じ。
”人の緊張感の持続時間は2カ月くらい” と言われている。
まあ4月から始まり5月が過ぎて6月になった頃とかに、「1つの節目が過ぎたみたいなので、大学に慣れたと言っても過言ではないだろう。 みんながもう運転免許証を持って車も買って乗っていたので追従するか」 と大学そばにある自動車学校に通った。
そうすると、そこに電車友達と、他にも同じクラスの大学そばのアパートに住んでいる子が来ていた感じ。
その大学そばに住んでいた子は同じクラスだけ家には行った事はないけれど、クラスが同じでという事でしゃべる事はあった。
大学の入学式に国産高級車の新車に乗っていた子がいて、その子の語る将来の話に車の運転技術の習得が左右するとか、翌日からのヒアリング調査でみんなも同じようにもうやっていたので、『この車の運転は外せないなあ~。 仕方ない小ズルいやり方だけど支持線を挿し込むか』 と鬼教官を指名する事にした。
でも自動車学校の受付のカワイイお姉さんが驚いて、「頭大丈夫ですか」 と訊かれた。
大学生とか18歳の人は優しい教官は誰ですかと訊くのが普通なのに、鬼教官が良いですとは誰も言わない。 あの人だと最後まで行ける人は見た事ないのでお勧めできませんがと言われた。
たしかに厳しい人で、例えるならプロ野球選手でホームラン王みたいな人が引退した時に、「俺は誰かに教えるとかが嫌」 と言う人がいるようにそんな感じで、自分は運転はメチャ上手いけれど同じようにできないやつは許せないタイプ。
でも、将来会社員とかになった時にそういう教官のような人がいた時にそれが人生初という経験だとどうにもならないだけかもしれないのですが、1度経験していれば何とか攻略できそうじゃないですか。
塾長のおじいさんが言っていたのです。
「人間には法則があると思う。 何かをチョイスする時に人はバカな奴は必ず楽に見える方を選択し、その結果将来困るという自分の手で自分の首を絞める人が多い。 迷わずに絶対に自分が選ばない方をチョイスしておけ。 そうすれば、結果が良くなる」 みたいな話。
もしも自動車学校で優しい教官に出会い、「三之橋さんは上手いね」 とかおだてられてそれを真に受けてしまい、その後運転が下手なままで結婚した奥さんや子供も一緒に車で出かけるのは嫌だと言われるよりは、今この瞬間だけでも厳しい目に遭っておく方が自分の為ではないかと考えた。
5分に1回助手席で教官が補助ブレーキを床まで一瞬で踏むのでMT車がエンストしもう何が起こったのかがわからないのに激高しまくる。
ずっと後に会社員になった時に、キレる役員とか出会った時にパニックにならずに済んだのはたぶん鬼教官の方がキレ方が異常だったからと思う。
車の運転って何が難しいのか?
たぶん土地勘がないと道がわからないという部分だと思う。
運転席に座ってエンジンをかけてMT車をスタートさせる。
バイクに乗っていた人はわかると思うのですが360度視界が良いのに対して車の運転席から見える景色がちょっと違っている。
不慣れな運転操作なのに、シフトを2速とか3速にしないといけないのに、道も考えないといけないという、頭を使いまくる感じ。
バイクは車両サイズがメチャ小さいので情報量も少ない。
でも、軽自動車でもそれが一気に跳ね上がる感じになり、普通車サイズだと頭の中でいろいろな計算をしないと隣の車とかに擦るとかぶつかるとかの結果になる。
バイクだと住宅街の狭い車1台しか走れない路地に入る時でも躊躇う人なんていないと思う。
でも、それが軽自動車になるとちょっと考える事になり、普通車サイズだとその路地がどうなっているとか考えないと行き止まりになると全部リバースに入れてバックして下がるしかなくなる。
車2台がギリギリ離合できるという幅員が最悪で、『あそこが少し広いのであそこで離合しよう』 みたいな計算をしないといけない。
私の場合は福岡市内在住ですが、近所のショッピングセンターの立体自走式お客様駐車場に出入り口が1つで入ると半時計周りに4面に駐車してある前の左に寄せて上がっていかないと対向車が下りてくるので離合できない。
運転の下手くそな人とか、高齢者の認知症のおじいさんやおばあさんとかが前にいると車を左にいっぱい寄せられないと離合できないので、もたつき後ろが大渋滞となり迷惑な人となる。
全長が4,500mmとかの30プリウスで駐車枠線内ギリギリみたいな感じになり、全長が5,000mmだと前にどうしてもはみ出す。
そうすると左に寄せる時にデコボコしているので左にギリギリまで寄せないといけないというシュチュエーションでは無理となり、対向車が離合してくれるまで動かない人がいる。
そんな感じ。
じゃあ、普通車の中古車のMT車をローンとかで買って、そこにガールフレンドとかが、「ねえ、今度の日曜日にあの新しくできたテーマパークに行こうよ~」 と言ったらどうします?
普段が土地勘のない道路を走るという事でしんどいと感じているわけで行きたくなかったりする。
県外にあるテーマパークにどういうドライブルートプランで行くとかをチャチャっと地図本を見て走り出し、進捗具合とかを頭で計算にスピードアップしないと到着時間はこんなになるかなとか考え続け同時に運転し、彼女とかと話もしないといけない。
テーマパークで遊んで、夕飯を食べて帰る時にふと助手席の彼女を見ると遊び疲れた子供のように寝ているのを見て、『やれやれだぜ』 みたいに思って下の道をライトを点けて走る。
例えば、福岡の人が長崎のランタン祭りとかに行った時に帰りにライトを点けて下の道を運転して、青い標識というか矢印で、福岡→ みたいなものを見てひたすら福岡になる方に走らせて、今どこなのかよくわからない。
そんな感じで走り切って彼女とかガールフレンドを送り、そこから家に帰る。
そうすると家に着いてもうバタンキューみたいな感じでラスベガスのカジノで遊んだ人みたいに頭を使い過ぎて疲れて寝る感じ。
そんな感じで1回経験した時に、ヘトヘトになる疲れみたいなものとか、自分の思うようにならないとか、何かしんどさを感じて、『俺はMTに乗っているけれど遠距離走ると疲れるのでAT車に買い替えよう』 とか、『俺は普通車に乗っているけれどもっと小さくしたコンパクトカーに乗り替えよう』 とか、『俺には彼女を乗せて県外まで走るなんて無理だわ~』 とかそういう風に考えたりする。
でもね、塾とかに行って塾長が脳の話とかをしたのを聞いたりした人というのは、『1回やれたわけなのでそのままキープ』 みたいに考えるのです。
しんどいというのは、何かを始めた最初の段階がピークだったりするわけで、2回目3回目になる程場数を踏む程楽になっていくとかを知っている。
脳は必要に応じて、勝手にパワーアップしていくみたいなものがあるのです。
そういう経験がなかったりすると、「俺はもう脳が限界のような感じがしたので、ダウンサイジングで軽自動車に乗り替えたわ」 みたいになったりして、増々脳が働かなくて良くなるというリセッションをしてしまう人がいるのです。
”最初の1歩” みたいなもので、その1歩目がもう限界のような気がする。
そうすると、「これは自分には無理だ」 みたいにテンパってしまう人がいる。
会社員が転職してどこかの上場企業に入社し、1日その会社で周りの人が働くのを見て1日で、「もう自分には絶対に無理だ」 と1日で辞めさせてください~ と言って辞めていく人なんていくらでもいるのと同じ感じ。
人は、「自分の為にもこうする選択がベストな気がする」 みたいにミスチョイスをしている人はそう少なくない感じなのです。
高校を卒業して18歳の時に大学生になるとか、専門学校に行くとか、就職して会社で働くとか、その年齢で自覚しないといけないのは自立というものだと思います。
お父さんやお母さんがいなくても自分で生きていくみたいな部分。
例えば、誰も知り合いもいない何の土地勘もないような大学に行くのは自分には無理。 みたいに考える人もいると思うのですが、でもそれって自立とは逆走しているようなものになると思うで、誰も知り合いもいない何の土地勘もないような大学に通っている。
最初の1歩という部分では、大学の入学式に声掛けして、そこで国産高級車の新車に乗っている子と知り合った。
とっつきにくい雰囲気はあるものの、『それって発売されたばかりの後期型の新車なの?』 と知らない人に訊かれても、どこか上から目線で「まあね」 みたいに答えるのは悪い気はしないと思う。
そもそも新生活が始まるというシュチュエーションで、高級車の新車というエグゼクティブカーに乗っている事自体センスを疑うような人だとは思う。
”マジョリティー感” みたいなものが欠落していそうじゃないですか。
庶民感覚と言えば良いのかもしれない。
1人ポツンと高級車とかを運転して大学の学生専用駐車場に駐車して、その環境から周りの人に溶け込むのは難しいと思う。
でも、その子が車の運転技術の習得でこれから先の人生が大きく左右されるファクターで、と言っていたので、教えてくれた話を総合判断するとそれは大学生の多くがそういう風に考えているというマジョリティーな話題だと思ったので翌日からはヒアリング調査で使った。
電車通学では、1人で2人用シートに座っているとポツンと感が強く出るので、電車通学友達みたいに同じクラスの子に声掛けし、一緒に大学まで行く事になった。
最初の1歩という部分では、3日目くらいだったので1歩目を踏み込むスピードみたいなものは速い方かなあ~ と思う。
人間関係の構築という部分ができないとそれは残念な人になると思うので最初にそこはチェックした。
よく大学そばに住んでいる方が良いとかそういう人がいるのですが、そういう感じだと同じ電車に乗るという通学友達ができるのか? というチェックでの人当たり実践テストができないと思う。
車の運転という部分が重要だと同じクラスの子がみんなやっていたので、そこは確実に最低限というか及第点はクリアできるようにしたいと考えたので鬼教官を指名した。
それまで自転車とかバイクに乗ってその運転技術が重要だと考えた事もなかったという点でスペシャリストの教官を手本にしようと考えた。
意外に思う人もいらっしゃるのですが、私三之橋の父も祖父も車の運転なんかはしない。 というか普通自動車運転免許証を取得した事すらない気がする。
そうすると車の運転が下手くそだった場合、「お父さんに教えてもらおう」 みたいな選択肢そのものがないわけで、チャンスは1度しかないと考えた。
自動車学校に行き普通自動車運転免許証を取得して、中古車でも買って運転して、誰かを乗せた時に、「えっ、三之橋君って運転下手じゃん」 みたいに指摘されると誰も乗せなければ良いとか考える。
自分で運転してそのダメな所に自分で気づけないとかそういう指摘をされると、認知症のおじいさんと同じだねという意味だと思うのでそれは相当面白くない話となる。
最初の車の運転免許証を取得したばかりの素人感溢れるようなところからいかに早く抜け出せるかが重要なのだと思う。
そういう意味では、最初の1歩というのは鬼教官にするという風にしていた。
自立というのは、お父さんに車を買ってと言うとか、運転がへたっぴでと言うとか、そんな自覚のなさが問題となる。
言わなければ良いだけの話なので簡単じゃないですか。
誰も知り合いもいない何の土地勘もないような大学に行って、一緒にご飯を食べる友達がいないとかになればそれはお父さんとかショックを受けると思うのです。
強いていえば、私三之橋の場合は高校生くらいでもう運みたいなものは使い切ってしまった残念な人だったと思うのです。
クラスに頭のおかしな子がいて、周りの人は気を悪くされないようにゴマすりまくりだったのに、ゴマすりができない私三之橋は、級長にさせられてしまった。
そのクラスでは、級長がクラスで1番下っ端で、副級長が2番目の下っ端みたいな感じ。
でも制服に級長という襟章が付けてあると、バスとかで「ねえあの子級長ってバッチが付けてあるので頭賢いんじゃないの~」 とか女子高生が見て言う。
引きこもりの友達の家に制服着たまま行くとお母さんまでが、「あの友達は級長をしているの」 みたいになってお菓子とか一杯出てくる。
なんちゃってエリートみたいに外では見えるのです。
県議会議員とか、市議会議員とかでもそうじゃないですか。 大した仕事をしていないような人に見えても、票を獲得できる人=エリートみたいになる。
何か頑張ったわけでもないのに、級長をさせられた事で内申書とかは最高点獲得じゃないですか。
虐めっ子がいて、みんな級長は三之橋にさせようぜ~ とデカい声で命令する。
でもね、クラスには1度で良いので自分が級長になれるように周りの人に自分に入れるように裏で動いている人がいるので全員が三之橋に入れるわけではない。
それでも、なぜか私三之橋が最多数獲得してしまう。
虐めっ子と虐められる子がいる。
普通は虐められる子というのは、韓国の映画とかドラマに出てくるようにパンを買って来いとか、小遣いを渡せとか損する人を指す。
何か三之橋という虐められる子がお金でも損しているとか、殴らるとか蹴られるみたいなものはない。
なぜか得していく感じなのです。
例えば、この前テレビニュースでストーカーの相談を警察にしていた女性が殺害されたと報道されていた。
当事者でない人はそういうニュースを見ると、1度そういう事態に陥るとなす術もないみたいなイメージがあると思う。
私三之橋の場合は、そういう事態に陥ってしまった時に手品の脱出ショーのように理事長の前で抜け出した事で評価を得てしまった。
手品ショーと違い、練習もしていない点が評価を得る事につながった。
大学を卒業して新社会人デビューした会社員1年生となりそこで認知症の役員に杖で頭を殴られるとかの事件に遭遇した。 いつも奢ってくれるシステム責任者の方から押し付けられたシステム設計で成功してしまうとかで評価を得てしまった。
転職した2社目では歩くことができなくなったのですが、そこからまた抜け出してしまった事で評価を得てしまった。 専門医の話によるともしも仮に歩けるようになったとしても絶対にびっこを引くとか後遺症が残ると言われたのですが、後遺症もない感じで治ってしまった。
でも、大学生時代はそういう災い転じて福となすというのがなかったのです。
大学の入学式で国産高級車の新車に乗って来ていた子がいて、それはエグゼクティブカーなる車ですので目立っていた。 声掛けしてみて、それは高校生になってアルバイトをして貯めてお金で買ったと言っていて、その人がこれから先の人生が大きく左右するファクターが車の運転なので実践練習をしていると言っていた。
その話を聞いた時に意味はわかった。 例えば、企業が正社員を採用する場合に1流大学とか凄い成績の人がたくさん応募してきたとした場合、甲乙つけがたいというシュチュエーションだと、車の運転をさせてそれを見て運転ができる方を採用した方が間違いないじゃないですか。
例えば、私三之橋の場合は父は木造注文建築業だったりする。 現場というのはアウェイ戦となり、日常的に行かないような場所だったりする。
職人さんとかが車で行くという場合に、運転できる人が重宝されるとかあったりする。 「この現場で」 みたいにメモを渡され、「あ~、なるほどわかる」 とか言って他の職人さん達を乗せて運転して現場まで行く人が重宝される。
カーナビでしか走った事のない人から見たら信じられないと思いますが、カーナビなしでメモを見て初めてそこに行き迷わずに現場に到着できるかどうか? が最低基準だったりする。
例えば、タクシーの場合だと乗客が目的地までの道順とかを教えるとかある。
私三之橋が羽田空港に降りてタクシーに乗り込み目的地を言って走り出す。 運転が空いたタイミングとかで、『〇〇さん、一之橋二之橋ってあるじゃないですか』 と言うと「ええ、ありますね」 と運転手さんが言う。 『その三之橋の所で降ろしてもらいたいのですが』 と言うと、「わかりました」 とか伝わるじゃないですか。
運転手さんの視点では、どの辺に行くとか漠然としたものだけ言われてもイメージしづらいとかあると思うので、「あそこで降ろすのですね」 と走る時にわかったら楽チンで後は他愛のない話でもして運転すれば良いだけになるじゃないですか。
あるいは目的地を伝え、「ルートは適時教えますので」 と言って走る。 例えば会社の仕事が終わって家に帰るシュチュエーションだとドライバーさんにお任せするとより時間がかかるだけだったり、料金が高くなるだけだったり、事故に遭う確率なども高くなるとかある。
車の運転をしない人だと道を教えるとかでタイミングがズレているとかあったり、降りる時でも「そこで」 とか車が停まっていけない交差点とかで言う人とかいる。
会社員が仕事から帰る時にタクシーが会社前にいたりするのですが、あれって電話すると「もう〇台待機していると思います」 とか言われ会社前にあるタクシーに乗れば良いのでわざわざ電話しなくて良いみたいに言われる。
タクシーの左後部ドアパネルの所に行くとドアが開くので、『良いですか』 と言うと「どうぞ」 と言われ乗り込むと走り出して、「いつものルートで良いですか」 と言われる。
自宅に近づくと、「コンビニには寄りますか」 とか訊かれる。 私三之橋の場合はタクシー乗る時にⅠ万円札しかないとかだと運転手さんに悪いと思うのでコンビニに寄ってそこで精算して家まで歩くとかあったりするので、それも覚えている。
たぶんね、10年に1度乗るかどうかみたいなお客さんよりいつも乗る人より太客みたいな人を乗せて走る方が楽だったりすると思うのです。
酔っぱらいとか乗せて悪態をつく人っていたりするので、楽な人を好んで乗せるような感じがあると思う。
私三之橋の場合は、幼稚園生とか小学生1年生の頃とかにお金持ちの家の子がタクシーに乗るので一緒に乗って到着した時に1万円札を出すと、「チッ、乗る分だけの金くらい用意しとけよ~」 とか言われるとかあったりした。 でもお金持ちの家の子ってタクシーに乗る時にナンバーメモっていたりするので、『またあの人は100倍返しとかに遭うんだろうなあ~』 みたいに思う事があった。
昔タクシーってヤクザ崩れみたいなガラの悪い人が運転していた感じで怖い感じがあった。 海外とかでもホテルの部屋を出て、ベルの人が外にいるので『ここに行きたい』 みたいにガイドブックを見せると、タクシーをジェスチャーで呼んで目的地を言ってくれる。
たぶんホテルの敷地とかにあるタクシーはセーフティーなので誘拐されるとかボラれるとかが起きない。
タクシーだとそんな感じでお客さんが運転が下手くそな人とかだ道とかを教えるとかもやりづらいとかあると思うのですが、基本は道を教えられる人が乗っていると思うのです。
でも、車の運転が目的地までの簡易的手書き地図を見て走れる人でも、お仕事で行くわけですので駐車をする部分で変な駐車をする人もいるわけで、運転ができるから仕事をもらえるわけではないじゃないですか。
ザックリとした部分で、”車の運転はできますか?” というのでは及第点をクリアできているのですが、”ディティール” の部分で仕事には使えないレベルの技術となり損をしている人っていると思うのです。
そんな感じで入学式の日にはもう新車に乗って来ているとかその人の目的みたいな話を聞いて1度で理解はできたのですが、『なぜ新車なの? なぜ周りの人が自動車保険料を高くならないように中古車とか買うのに? なぜみんなMTなのにわざわざAT車を買ったの?』 みたいな部分で違和感を感じた。
大学にバディシステムを組んで男友達と一緒に行く車内での会話でも、「あの人達って大学そばに住めば成功間違いなしとか言って変わっている人達だよね~」 と友達が言ったりする感じ。
広い大学の敷地があって、その南面になるそばのアパートに住んでいるAさんがいて、その北面にある賃貸マンションに住んでいるBさんがいて、どちらかがどちらかの家にちょくちょく遊びに行くかな? みたいな疑問。
私三之橋の場合は、電車に乗ってその男友達と一緒に座りしゃべり、車の運転をするようになるとまた同じ車で一緒に行くとかしていたので、移動する時に他愛もない話をするじゃないですか。
例えば、最初にどちらかがバディシステムを誘い一緒に車で行くようになる。 もしもどちらかが、「この人とは付き合いづらいなあ」 と感じればバラバラになるとかあると思う。
仲良くなった時に一緒にお昼にご飯を食べるとかになり、食べ方が汚いとかで疎まれるのかもしれない。
あるいは、会話という部分で違和感を感じ続けるとかあるのかもしれない。
それってもしもそういう忌み嫌われるという結果があったりすれば、会社員になる前にわかるので役立ちそうじゃないですか。
ワンデー彼氏の募集とかもそう。 「私は20歳の女の子で会社で働いています。 彼氏はいませんので今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれてドライブに連れて行ってくれる人を募集しています」 とかに応募する。
名前も顔も知らない間柄なのでその女性がイメージしたものと違うとかで、三之橋という大学生のマイカーに乗って狭い車内で知らない人として会話が噛み合わないと、ランチとかディーナーとかわざわざ一緒に食べたくもないと思うので、「ちょっと用事を思い出した」とか言われ終わると思う。
適当にワンデー彼氏ゲームに100回挑戦する~ みたいに考える。 大学生が映画俳優を目指すみたいな感じで演者になった気持ちで挑戦していく。
もしも10回やってみて最初の掴みが全然ダメだったら、同じやり方を残り90回やるのは無駄だと考えるので話し方教室にでも行って修正してどう変わるのかを検証する。
それで全然ダメだったら工場長を目指すとか、電気工事職人を目指すとかするのではないかなあ~ と思う。
それまでの高校生まで根がグ~たらで努力しない人だったと思うのでラストチャンスは努力する人を目指した感じ。
たまたま私の場合はワンデー彼氏に応募しても順調だったりしたので、次のステージに進み会社でOL姉さんと他愛もない話ができるのか? という検証に進んだ感じ。
普通の人は良い企業に就職したいとかそういう目標だと思うのですが、私三之橋の場合は、将来生きていくのに必要な技術のマスターを目指していただけだと思います。
プロ野球で言えば、ソフトバンクに入団して3軍とかで辞めた後にわいせつ事件で逮捕されたりする人っているじゃないですか。 それと同じでどこかの上場企業に入社できるのを目指しても似たようになる人はいると思うので、中身を重視した形。