ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

新聞の購読をしたくない人が多い理由

2024-02-27 10:07:56 | 知らないと恥をかく話

今回は、新聞の購読をしたくない人が多い理由の1つに、個人住宅への集金問題があると思うというお話になります。

 

2月27日の火曜日、朝8時30分過ぎに目覚めるともう自宅前の月極駐車場の耐震補強工事で床面の工事でうるさかった。

 

前日は19時過ぎに集まり、夜間の公道の水道管の工事があり、10人以上が1時くらいまでやって、時々通行止めもしていた。

 

そんな感じだったのですが、自宅のピンポンが鳴り、出て見ると、『おはようございます~、読売新聞です~』 と言われた。

 

今日は27日なので集金か、と思いちょっと探してみて用意していなかったので、「すみません、家族がまだ寝ているので準備ができていなくて」 と言うと、『そうですか、また出直します~』 と言ってバイクで走り去りました。

 

みなさん、集金ってやった事があります?

 

大学を卒業して、新社会人デビューをして、どこかの企業に入社して会社員1年生とかになる。

 

当然取引先に集金に行き、小切手とか手形とか集金して来るという仕事もできないといけない。

 

まあ、普通は支払日というのは取り決められているので、25日支払いですと2月のカレンダーでいくと日曜日になっているので、普通は後倒しの翌営業日の26日とかに行く事になる。

 

相手は会社ですので朝バタバタしている時間帯に来られても迷惑とかあるので、12時がお昼休みとして、それが終わる13時少し前に訪問したりして、まあ16時くらいまでの3時間くらいの間に行くかなあ~ と思う。

 

会社員として内勤職とかで働くOL姉さんとかでもわかる話なのですが、朝出社して、すぐに出かけるような人達がいて朝礼とかに参加して簡単なミーティングをしたりする。

 

いつも直行直行を繰り返すとかしますと、社内で顔を突き合わせて話すとかがなくなり、そうすると伝えたい事があるOL姉さんでも困る事がある。

 

会社の場合、始業時間直後とか、終業時間前とか、あまりそこでお客さんが来て欲しくはない時間があったり、電話をされたくない時間帯があったりする。

 

そういうのを見越して、電話したり、訪問する。

 

いつもその日のこの時間ピッタリに1分の誤差も出ない、そんな人はまず無理だったりするわけで、「あそこの会社は大手なので毎月このあたりの日の午後12時50分から14時までに来るかなあ~」 みたいな感じで安定をしている。

 

自分が仕事でも付き合いとして、相手の人に、『あの人はちょっと来て欲しくはない時にいつもやってきて、空気読めない人かなあ~』 みたいに負担に思われないように少しは考えないと、人付き合いというのは長くは続かない。

 

そんな感じで、社会人になって会社員1年生になった時に、『こんな仕事の相談は相手の人から見てこの時間帯に言われた方が良いかな?』 とか、『上司に病院に行く相談をしたいので、あの人だとこの時間帯がベストかな?』 とかある程度相手のある事というのは考えたりしないといけないというのを会社員1年生で覚える。

 

新聞の場合というのは、夜集金に行って、『ちょっと暗い時間に来られるのは怖いので日中に来て』 と言われる。

 

そうすると、今度は早朝に行くとか、家で掃除したり洗濯しているとかの時間帯に行ってしまう。

 

毎回バラバラな日に行ってしまい、行く時間帯もバラバラになっているので、来られる家の人から見ればそれはまるで統合失調症のような人に見えて、次第に付き合うのがしんどくなっていく。

 

なぜそのような事が起こるのか?

 

たぶん、集金に行く人が、手帳とかに、『あの〇〇さんは28日の午後13時に行った』 とか記録しないからだと思うのです。

 

集金というのもただお金をもらってくれば良い仕事に見えるかもしれませんが、2月27日の火曜日の朝とかに仕事場に出社したら、「今日は27日なので集金はあの家にこの時間帯に行き、あそこの家はこの時間帯に行き」 みたいな計画がないのだと思うのです。

 

例えば、27日の9時前に行って、「ちょっとまだ準備ができていないみたいで」 と言う。

 

そうするとあくまでも訪問したのは新聞屋さんなので、『こんな時間に来てしまいごめんなさいね。 そうしますと僕が出直しますので今日の13時とかに来てもよろしかったでしょうか?』 とかザックリした時間で相手が「そうねえ」 と言うと思う時間帯にまた来ると言っておけば良い。

 

ただ、そうする事もせずに、『それじゃあ、また出直します~』 と言って走り去る。

 

行く前に事前に電話をして、『今日そちらに集金に伺いたいと思うのですが、いつ頃の時間帯が良いとかございますか?』 なんて電話してから行けば済むのですが、世の中には電話が苦手でアポなしで、「とりあえず言ってみるか」 という感じの人がいる。

 

今大学生とかの学生の人は覚えておいた方が良いというものに、知らないような人に自分で電話して、自分の用事とか行動予定を説明して訪問したりするという事ができないと人生しんどいだろうなあ~ と思うのです。

 

新聞だと、3,783円みたいな端数の金額になっていたりするのでそれをきちんと現金で揃えて用意していたりする。

 

いきなり4千円という、千円札を4枚出すとか、1万円札を出すとかしますと、基本その人はお金の支払いができない人という風に見えてしまうとかもある。

 

例えば、福岡に住んでいた高校生が大学生となり都内の港区で1人暮らしを初めてやるというアローンスタートになったとします。

 

マンションが月額22万2千円の賃借料だったり、月極駐車場代が3万8千円だったとして、そばに大家さんとかが住んでいる一戸建ての家に持参するという場合でも、封筒にピッタリ金額が合うようにして持参する感じ。

 

若いとかの年齢だと、『すみません、コンビニのATMでお金を引き出してきて23万円からお願いします』 とか言う。

 

大家さんから見た視点では、「家賃が22万円と消費税なので22万2千円とわかっているのに、その準備ができないと私がつり銭の8千円を出さないといけないというのがわからないくらいバカちんなのかなあ~」 と思われたりする。

 

そういう相手の視点ってみなさんわかります?

 

福岡で安い月極駐車場があり、月額が税込み7,700円だったとします。

 

大家さんが隣の家でそこに利用者が一斉にみんな1万円札を持参しますと、大家さん側は都度お釣りの2,300円を支払わないといけなくなり、『気の利かない人だなあ~』 みたいになる。

 

大学を卒業してどこかの上場企業で働くような人というのは、その辺が違っている感じ。

 

大家さんにピッタリの金額に調整してそれを持参する。

 

そうすると、相手の大家さんから見た視点では、『大人になった時にどこかの企業で社会人経験を積んだ人かなあ~』 という風に見えてしまうじゃないですか。

 

そうすると仲良くしても損しない相手になるので、いろいろお得な情報を教えてくれるとかあったりするのです。

 

習慣というのは、車の運転とかと同じ”手続き記憶” という行動を側頭脳に刻むような感じなので、交通事故で頭を打って記憶喪失になった場合でも、それは覚えている。

 

まあ、人が生きていく上で重要な記憶領域ですので、よく自分の名前も覚えていない記憶喪失の人が、『あの人たぶんどこかの大企業で働いていた人に見える』 とかテレビでも出てくるじゃないですか。

 

育ち方と一緒で意外とその習慣は忘れないとかある感じ。

 

若い彼氏と彼女が結婚して、5年とかで別れたりするじゃないないですか。

 

大抵女性がご主人の事を育ちが悪いと感じていて結婚したが5年もしたらうんざりしたとか言うじゃないですか。

 

意外と自分の癖みたいなもので人生が上手くいかないとかあるのです。

 

ことわざのようなものに、『芸は身を亡ぼす』 とか言う感じ。

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虐められた子が自殺したりするのはなぜなのか?

2024-02-25 14:43:36 | 会社員ゲーム

最近はテレビニュースでも、虐められた子が自殺してしまうというエンドロールとなり、母親が代わりに戦う感じだったりします。 なぜ、虐められた子は自殺したりするのか?

 

人それぞれ違うと思います。

 

虐められて自殺未遂どころか、死のうとか考えた事もない私三之橋の考えでは、良い人になって欲しいと母親が大切に育てた結果そういう選択肢を選ばれただけかなあ~ と思ったりします。

 

私三之橋は、根がグ~たらな人で、善人でもありません。

 

私三之橋の場合は、同じクラスにいたどう見ても頭がおかしな人に見える人に目を着けられてしまった感じで、虐めの質がまったく違っていて、韓国映画とかでクラスの虐めっ子に焼きそばパンを買って来いと命令され、自分の財布からお金を出して奢らされるとか、そういうカワイイものではありません。

 

ある日クラスの担任先生がクラスの生徒にグダグダ言った事が原因となり、虐めっ子が、『あの担任の野郎のせいにしてしまえば良いので、問題を起こして担任をクビにしてクビでも吊らせようぜ~、三之橋も級長なので三之橋の命令でやった事に口裏を合わせれば三之橋もクビになって首でも吊るぜ~』 みたいに命令した感じでした。

 

私三之橋はまだ子供だったので、頭のおかしな人が冗談で言っただけかなあ~、と思ってしまった。

 

真剣に想像してみてください。

 

ことわざのようなものに、『人を呪わば、墓穴2つ』 といわれています。

 

無実の人間に罪を負わせて退学にして、学校を退学になった事で追い詰められて首でも吊るぞ~、みたいな首吊りゲームを実際にやれば、自分の人生も終わるとまともな人だとわかるじゃないですか。

 

「吠える犬は噛まないし、吠えない犬は噛むし」 みたいなことわざのようなもので考えた場合、口先だけの人かなと思ってしまった。

 

それで悲劇を迎える。

 

ある日生徒会緊急総会が開催されるとアナウンスがあり、級長をさせられた三之橋は行くしかなかった。

 

そこで開催されたのは、『三之橋君の退学勧告決議案』 という想像した事もない内容だった。

 

学校が創業以来の大問題、重大インシデントが起き、それは問題の責任者として級長からみんなに説明しろと命じられた。

 

なぜだかわからないが、副級長をさせられているもう1人が、『俺は副級長なので関係ない~』 と言って大笑いしまくっていた。

 

誰が見ても、罠にかかってしまったまな板の鯛みたいにしか思えない。

 

虐めっ子のシナリオでは、担任の先生に命じられたと三之橋が告白して、2人が責任取らされてクビになるというもの。

 

担任の先生は、当時アイドル歌手でトップだった人に似ている彼女と結婚すると言っていたので、その妬みもあったのだと思う。

 

結婚式の前に学校を解雇されれば、結婚式もしなくなるじゃないですか。

 

そもそも学校を解雇される人と結婚する人とかっていないと思う。

 

でも、そんなシナリオに付き合うと大変な事になるので、そういう話はしなかった。

 

それで、『こんなふざけた奴が同じ高校に通うなんて信じられない~』 とかヤジが飛びまくりだった。

 

それで、『三之橋君の退学勧告決議案をやります~、全会一致で退学が妥当だと決まりました~』 となった」

 

創業以来退学勧告決議案で決まった人が退学にならなかった事例は1つもないらしく、全会一致で決まったというのも創業以来初の快挙で、創業以来のとんでもないバカちんがいたぞ~という感じだった。

 

『Peace Pot Microdot』という感じで、中指を立てて、「お幸せに、さようなら」 という感じでした。

 

運命を変えたのは、この”適用解除” の部分です。

 

『適用解除って何?』

 

適用解除とは、現在適用されているルールを解除する事です。

 

例えば、高校生の三之橋という男子がいた場合、その子の適用ルールというのは、基本毎日学校に通う事です。

 

お父さんとか、お母さんが働いたりして養ってもらっている状態で、学費を支払っているわけなので意味もなく勝手には休まないじゃないですか。

 

例えば、日曜日にグ~たら過ごして、月曜日の朝に、「どうも具合が良くないなあ~、熱があるっぽい」 とかあれば、それは無理して行って学校で1日過ごして体調が余計悪くなって2・3日休む事になるのかもしれないので、先に1日休んでしまい、火曜日から学校に行く方が結果的に休み日数が減ると考えらえるとかある。

 

その場合も、休むというのは適用解除となる。

 

私三之橋の場合は、普通の人が長い人生を生きていて経験しないだろうなあ~、 という無実の罪を着せられるという感じでそのまま責任を取らされて学校を退学させられ、行き場を失って首でも吊れよ~ みたいな感じだった。

 

戸惑う感じと言えば良いのかもしれない。

 

昨日までは校内ですれ違ってもしゃべる事もないような人たちがいて、今日はなぜか100人とかが一斉に自分を攻撃してくるという世界。

 

その瞬間に楽しいとか、辛いとか、そういうのは感じない。

 

例えるならば、「今この見ているものが、夢であり、ハッと目覚めてくれれば良いのになあ」 と思い込むしかない。

 

一言で言うならば、何か殺気のような空気感を感じる。

 

頭がパニック状態というよりも、「この場はどう逃げ切ろうか」 みたいなものしか浮かばない。

 

想像してみてください。

 

そもそも頭のおかしな人がいて、その人がどう見ても主導したようにしか見えないのに、なぜかそれを三之橋の主導だと言っている。

 

そのくらいならまだしも、生徒会で問題になるとかそこまで人を動かすというコントロールをしているという事は、論破のしようがない。

 

『どうする?』

 

と考えると戸惑う。

 

「場所が問題なので、ここはステップバックして逃げ切るか~」 みたいな感じ。

 

俗に言う、”知能犯” という奴ですよ。

 

学校の中では、その虐めっ子は優等生を演じている。

 

でも、裏の顔は人を平気で殺すことを楽しんでいる。

 

マッチポンプ男じゃないですか。

 

自分で放火しておいて、119番通報するような人にしか見えない。

 

このタイプはそこそこ知能が高いのと壊れているという感じなので、うっかりこのまま学校を停学とかになったりしたら、その後虐められ続ける事になる。

 

すでに学校を支配しているような悪党に勝とうとか考えない。

 

重要なのはそこです。

 

虐めっ子というのは、自分の狙いを定めた虐められっ子というターゲットが、人間性を疑うような人を選ばないわけで、前提条件として、適用解除できない人を狙う。

 

韓国のホラー映画とかを見て、高校生男子がクラスの虐めっ子に虐められた時というのは、「焼きそばパンを買って来い」 とか命じられて、二者択一で自分のお金を出して買ってくるということさえすれば、自分の適用ルールの学校に行くというのは守られるという風に考えるから、毎日のように悪夢が続くのです。

 

お母さんとか、お父さんがまともな人であればあるほど、学校に行くのが子供のお前の仕事なんだ、そんな感じで教えているので、適用解除をするという事ができないのだと思う。

 

『あたまのどうかしている人達に虐められるのは場所に問題があるわけで、退学というか学校は捨てて転校するか~』 という風に三之橋は考えた。

 

中学生の頃には引きこもりになった友達とかがいたりしたし、学校で問題起こした子の親が、『転校させますので』 みたいにやったりするのは知っていた。

 

それで学校は捨ててしまうか~、転校するか~、 と考えた。

 

福岡市議会議員とかに、「通っている高校生で頭のおかしな子がマッチポンプの知能犯で虐められてこうなりました」 と言えば済むじゃないですか。

 

”逃げる” という事を抽象的に考えると失敗するので、具体的にステップバック戦略で逃げるとどう次は動くのか?

 

を考えないといけない。

 

ただ退学して、高校中退で働くのが良いのかもしれないし、それだと今よりも職場で年齢は自分よりも年上の人と接して働く事になるので、人間関係の構築スキルに問題があれば、さらに被害は拡大すると考えられる。

 

1番無難なのはどこか別の高校に転校する事だったりする。

 

その点、福岡市議会議員とかだと、信用はあるので、『この三之橋君は変人に虐められて』 と言えば、楽に転校できるじゃないですか。

 

ステップ②としては、反撃。

 

そもそも無実の罪で学校を辞めさせられたとかの場合、反撃もしておかないと、『あの三之橋という奴は、あの高校で問題を起こして退学勧告決議案で全会一致で決まったらしいぜ~』 というのを否定しておかないと一生それがつきまとう事になるじゃないですか。

 

反撃というのは、いわゆるフック系かなあ~ と思う。

 

ある高校で首吊りゲームをして楽しんでいる頭のおかしな人がいる。 なんて感じで全国ネットのワイドショーで流れたりすればショッキングじゃないですか。

 

力の強い子がいて、力の弱い子を殴ったとかだと、それは虐めなのか、喧嘩なのか、境界線が曖昧。

 

でも、知能犯で外面は良い人がいて、自分で仕組んでおいて、自分から通報して生徒会までコントロールしているとかだと、過失というより故意じゃないですか。

 

ただそのくらいの知能犯だとなかなかバレずに繰り返してきたというノウハウはあるので簡単に倒せない。

 

「どうする?」

 

という部分では頭の足りない子をみつける。

 

私三之橋の場合は、退学勧告決議案で全会一致と言っていた。

 

そもそも私三之橋は自分の退学に賛成するはずもないのですが、驚く事に副級長は笑い転げ、賛成に入れていた事になる。

 

そこにいたじゃないですか、頭の足りない人が。

 

刑法第14条に、少年であっても14歳以上であれば不法行為で刑務所に収監されるとかある。なお、損害の発生した金額の賠償は保護者に請求できるとなっている。

 

とりあえずその子は、級長である私三之橋が無実で虐められているとか首を吊らされるとか知っていて、わざわざ賛成に入れている事になるし、黙っていたという点でも死ぬのが余程楽しいと見える。

 

仮にもしも、刑事さんがその子の所に行き、『人を殺そうとしたという刑事告訴がありまして』 と捜査に関して事情を聴きたいと言えば、頭の足りない子だけにしゃべって、自分も命令されただけだと証言すると思うのです。

 

日より菌みたいな人は、自分で損得勘定で動いているとわかっているので、損すると思えばしゃべるじゃないですか。

 

学校という閉鎖された世界は会社とかと同じで、信ぴょう性の担保のある証言さえ確保できれば簡単に虐めっ子の構築した組織は崩れていく。

 

厄介だと考えられるのは、生徒会の所属している人達で、学校で1番偉いのは理事長なのでうっかりその人が損する証言はしないと思う。

 

東大に試験で合格できても、理事長が人物に問題ありと言えば無かった事になるし、卒業生は山のようにいるので大学はなんとかなっても会社員になったら虐められるので耐え切れないと思う。

 

その点頭の足りない子は、人が自殺に追い込まれるというのを見て、もう笑いが止まらないという感じで笑っていた。

 

1番犯罪を問えるのはその人に見える。

 

1つ信ぴょう性の担保ある証言がとれればそれが全国ネットでなぜか流れるじゃないですか。

 

『家政婦は見た』 なんてサスペンスドラマシリーズにもなっているように、名門のお金持ちの学校では首吊りゲームがあっているとかの内容だと視聴率は高い。

 

週刊文春とか読むと、お金持ちの成功者が転落するような内容は、爆発的に売れる。

 

学校って、助成金とかの援助で儲けているので、重大インシデントの発生は嫌がるじゃないですか。

 

1億とか2億とかで済まないと思うので、20億円くらいじゃないかと思う。

 

そもそもワイドショーで全国的にあの高校は問題ありとか放送されると、級長をやっているうような人は将来に響くので履歴書で転校となるように移動すると思う。

 

学校が莫大な損害を負うと、加害者の保護者には賠償責任が発生する。

 

仮に10億円だとしても、耐えられるだろうか?

 

そもそもその調子に乗っている虐めっ子って、そんなに調子に乗れるのは保護者が権力者だったりするとかそういう後ろ縦があるからだと考えるべきだと思う。

 

バックアップ側から先に遮断するという感じで、最初に叩くのは保護者に的を絞らないと、反撃される可能性が出て来る。

 

学校が重大インシデント発生の記者会見でも開き、莫大な損害が出る。

    ↓

加害者の親って誰よ? と賠償責任の話となる。

    ↓

後ろ縦がつぶれてしまうと、虐めっこは責任を取る事になる。

 

大きな話題となれば、さすがに親が権力者であったとしても、なかなか受け入れてくれる学校はみつからないと思う。

 

なぜか?

 

1度受け入れた学校が莫大な損害が出たと思えば、受け入れるだけの賠償責任能力が気になると思うから。

 

その虐めっ子が、『三之橋を学校から追い出して中台のレッテルを貼って一生苦しめようぜ~』 という企画を企てたわけなので、ブーメランのようにその虐めっ子が退学になっても自業自得としかみんな思わないと思う。

 

人世はシーソーゲームに過ぎないので、片方が浮かび上がる為には、沈めるしかない。

 

あくまでも私三之橋の場合は、『三之橋、お前が地獄に落ちろ~。 学校を退学になって行き場を失い首でも吊って死ね~』 と言われた時に、「人に死ねとか言う前に、お前が見本を見せてくれ~」 と思ったりする人だと思う。

 

想像してみてください。

 

私三之橋の場合でも、15年とか生きてきた中で、こんなマッチポンプみたいな人は初めて見た気がする。

 

教育委員会とかそういう人がその虐めっ子の親の所に行って何か話しても、たぶん私三之橋の予想では、『その三之橋って頭がおかしな人で、俺に言いがかりをつけているんだ』 みたいに言って、次はみんなに三之橋が頭がおかしいとか言わせそうじゃないですか。

 

水掛け論になったら、何も立証できなくなる。

 

泥沼の展開にでもなって、その学校に通い続けるのはしんどいと思う。

 

想像してみてください。

 

ある高校で虐めの重大インシデントが発生したという報道の場合、頭のおかしな人がボスで、1人か2人の部下が金魚のフンみたいになっていて3人で虐め、1人だけが突出していたと事情を聴いた内容が報道される。

 

私三之橋の場合は、なんと100人ですのでその桁数から違っている。

 

そもそも学校を代表するテストだけでは良い点っが取れるという人達だったりする。

 

そのくらい異常性を感じると、まともにやりあって勝てるとか思う人はいないと思う。

 

そうするとステップバックして逃避しようと考える。

 

学校を捨てる気になればそれは可能となるじゃないですか。

 

別に死ぬ必要性がない。

 

俗に言う、”プランBにシフトする” というやつですよ。

 

世の中には引きこもりの子とか何人もいたりするじゃないですか。

 

次の行動プランを思いつかないとたぶんそうなるのだと思う。

 

それで、ステップバックするのは反撃も想定しているので、信ぴょう性の担保が取れそうな頭の足りない子を見つけておいた。

 

同じクラスで同じように虐められているのに、自分だけは助かった~、 みたいな感じで無実の罪だと知っていてなんと三之橋の退学勧告案に賛成をしているという頭の足りない人がいた。

 

余程、人の不幸が面白いみたいでもう笑いが自分でも止められない状態で終始笑いまくっていた。

 

目の前で無実の罪で退学とか言われ、その間抜けに見える三之橋と、担任に先生もクビになって結婚が台無しになって首でも吊るというシナリオがメチャ楽しいと自分で行動で示した事になるじゃないですか。

 

虐めっ子のパワーというのは、所詮にわか的なもので、そばにいる部下にしても、自分が虐められるは嫌とかでその助けをする事でやっていたりするじゃないですか。

 

そうすると、その部下みたいに支配されている子に警察がこれは事件です~、 と事情を聴きに行けばすぐに虐めっ子のせいだと言うじゃないですか。

 

でも、生徒会の人達は種類が違っている。

 

学校で1番偉いのは理事長なので、うっかり学校に不利な証言でもすれば一生虐められる事になると考え、証言はしない可能性が考えられる。

 

自分の退学が決まった~ みたいな最悪な日に笑いまくっていたので、音でそのお礼は返すべきだと考えた感じ。

 

ただ、どこかの高校に転校できても、無実の罪を着せられていたという事は消せないと思う。

 

そもそも履歴書って中学校くらいから書くので転校していれば何かワケありとなり、それが一生続く。

 

その時に、虐められまして~、 みたいに被害者の立場で言えた方が良くないですか。

 

ただ、三之橋が学校を捨てる気になり、ステップバックするというのは、理事長から見れば、『絶対にあの子は何かやり返すぞ』 というのに気づいてしまうと思う。

 

そもそも緊急生徒会が開催され、議題は三之橋君の退学勧告決議案で、同じクラスの副級長が終始笑いを抑えきれないと、三之橋が虐められているとバカでも気づくじゃないですか。

 

高校生くらいだと100人とかに囲まれると何も言えないとか、泣くとかそんな感じだったりするのに、

 

「お幸せに、さようなら」 みたいにお別れしているのを見ると、理事長ってバカではないのに気づくと思うのです。

 

『あの三之橋はみんなを煽った感じに見えるので、たぶんやり返すぞ。 そうなればみんな終わりじゃないか』 となると思う。

 

こんな話を聞いたりしますと、『三之橋は天才じゃないのか』 みたいに思う人もいらっしゃるのですが、そうではない。

 

私三之橋の場合は、小学生のチビッ子時代に塾に通っていて、その塾長のおじいさんが口癖のように言っていたのです。

 

『人間には法則がある』 と。

 

適用解除の話もそこに出てくるだけの話だったりするのです。

 

高校生がいて、その子の日常は親に養われているので、朝起きたら学校に行き、授業を受けて帰って来るというのが適用されているルールとなる。

 

もしも、学校に行き、そこで頭のおかしな人に虐められるとかあるとどうなりますか?

 

親に相談できず、自分でどうして良いのかがよくわからず、とりあえず命令されたパンを買いに行き、自分の財布からお金を出して、みたいに適用ルールを続行させることを考えるので無理が生じるのです。

 

何かその無理を続けることである日さらに悪化して、行き場というか、逃げ場がなくなるのだと思うのです。

 

私三之橋の場合も実際そうでした。

 

ある日級長を発表すると担任の先生が言ったら、その虐めっ子が、『級長は自分たちで選任したいので総選挙できめまそしょうよ~、みんな三之橋が良いと思うだろう~』 と言った。

 

担任の先生がなんと力技で押し負けるという流れになり、投票結果が発表され、三之橋ともう1人の名前ばかりとなっていた。

 

その時、級長をする事態、将来履歴書というか成績表とかで進学に不利になるという事はないじゃないですか。

 

それに担任の先生が押し負けていたという雰囲気からその場で、「僕は絶対にやりません」 とも言えない空気感があった。

 

それでどこか押し負けてしまった自分がいて、級長をさせられ、でもどこかで、「このくらいは仕方ないか」 と妥協してしまった自分がいた。

 

その流れから、担任の先生を解雇させて結婚もダメして、どうしようもなくなって首を吊るしかなくなるんじゃないの~ という虐めに飛ぶ。

 

そもそも、虐めっ子はまともな人なのか?

 

と訊かれたら、ただの頭のおかしくなっていた人だと思う。

 

その人の人生が何か上手くいかなく、その現実を受け止める事ができないのだと思う。

 

級長をさせられるという総選挙で選ばれた2人とか、担任の先生を解雇させるように仕向けて學校から追い出して首にして、結婚も台無しにさせて、死ねば良いとか言ったりする。

 

その3人に共通するのは、たぶん虐めっ子から見て正反対みたいな幸せ感みたいなものがあった事で狙われただけだと思う。

 

担任の先生はよせば良いのに、『彼女とかいるんですか?』 と生徒に訊かれた時に、「まあね、俺の彼女はアイドル歌手で人気の〇〇 〇〇さんにそっくりでメチャかわいい」 とか自慢していた。

 

テレビドラマとか、映画とかで虐められている虐められっ子というのは、発達障害のような、何か言われても言い返す事さえできない雰囲気の子が虐められているじゃないですか。

 

そこが違っている。

 

クラスにはしゃべれない子も何人もいた。

 

人は自分の人生が上手くいかないと、頭がおかしくなったりする。

 

例えば、男子高校生であれば、彼女もできないとかあれば、『ちくしょう、今年もバレンタインデーで何ももえなかった』 みたいに告白されない残念は人がいたりする。

 

もしもそんな場合、それは自分の努力が足りなかっただけで、来年はもらえる人になろう。 と考えれば済むじゃないですか。

 

でも、そもそも人生が上手くいかない人というのは、自分は悪くないという結論が先にあり、そこに後から理由付けをしていく感じなので、『あの担任の野郎がカワイイ彼女と結婚するとか、人生なめているのか思い知らせてやるぞ~』 みたいに妬みのようなものからそうなってしまうのだと思う。

 

”そんな理由で虐められるのか?”

 

みたいに思う人がいるのですが、逆に目立たず誰からも名前を憶えてもらえない人であれば、学校に行くのは楽じゃないですか。

 

虐めっ子が、三之橋に級長をやらせようぜ~、そう言った時に、クラスの子が、『三之橋って誰よ?』 と思えば正常じゃないですか。

 

でも、黒板に投票結果で名前を呼ばれる都度異常な声が響き、ダントツで1位となっていくのを見た時に、クラスで話した事もない子がみんな、『1番地獄に落ちて欲しい人ランキング~』 みたいな感じで私三之橋の名前を書いているのを見ると、怖いじゃないですか。

 

そのくらいなら、大人になって会社員になった時に飲み会で余興の1つのネタとなり、笑えるかもしれない。

 

でも、そこで終わらずに今度は三之橋君の退学勧告決議案へと進んでしまった。

 

生徒会から、あの三之橋が学校を辞めれば良いよね~ みたいに絡まれるというのは異常にしか見えない。

 

たぶん毎日勉強とかをして、どこか頭がおかしくなっていた人がそれだけ多くて、全校生徒から1番地獄に落ちて欲しい人ランキングで1位が三之橋となっている感じ。

 

そもそも虐めっ子に、私三之橋は何かしたというものがない。

 

というか、正確に言えば1度もしゃべった事はない。

 

それでそんな結果となっている。

 

先日夜のニュースで、福岡県宗像市の高校生2年生の男子が虐めで死んでいたという内容で、10件ほど虐めと認定されるものがあったが、死亡の原因と直接関係あるのかは不明という感じでした。

 

死んでしまった人が悪いかのような感じだったりする。

 

私三之橋の場合は、自分が頼んだわけでもない自分の退学勧告決議案の場に召集され、『もうネタは上がっているんだ、吐けよ~』 みたいな言葉が多かった。

 

思うじゃないですか、「お前は刑事か? どういう立ち位置でモノを言っているの」 と。

 

ネタが上がっていると言われれば、普通に考えたら誰かが無実の罪を着せようと告げ口している事のように感じ、もう結論ありきの決議案にしか見えない。

 

しゃべろと言われてしゃべったら、『こんなふざけた奴がいるなんて信じられない、もう頭がどうにかなりそうだ~』 そんな怒号が響きまくって、全会一致で三之橋君の退学勧告決議案は可決されました~ と言われた。

 

見当識障害のあるっぽい人達がいて、まさに集団になった時に、暴走しまくるという漢字で、人はおかしくなっていく。

 

あくまでも私三之橋の考えとして、お父さんであったりお母さんであったり、親が人はおかしくなるとか、そんな目に遭遇したら適用解除するとか、教えていない気がするのです。

 

大人になって会社員とかになって、そこで人生というか、仕事が上手くいかないという高学歴の人から相談されたりした時にわかったりするのですが、子供の人生がダメな場合、親がどこかメチャクチャだったりするケースがある。

 

例えば、お父さんがいて、『俺は小学生の頃に100点満点中のテストでは8点だったぞ』 みたいな話はしないと思う。

 

中学生や高校生時代に告白とかされたこともないモテない人生であったとしても、『俺は人並みだった』 みたいに親は子供に対してどこかカッコ悪いところを見せない人がいる。

 

例えば、『〇〇、お父さんは高校生の頃に頭のおかしな生徒が同じクラスにいて、虐められたんだ。 無実の罪を着せられて生徒会総会で三之橋君の退学勧告決議案で全会一致で退学が可決されてしまったんだ。 でも、そこはゲームチェンジャーでひっくり返しておいた』 みたいなカッコ悪い経験談と、それをどういう風に乗り越えたとかの体験談とかを離していない事の方が多いと思うのです。

 

もしも、自分のお父さんが過去に失敗をして、それはこんな内容で、でも今はこういう風に成功できている人生を送っている。

 

そんな話を聞いたりしていれば、自分が虐めに遭った時とかに悩まずに相談できるのではないだろうかと思うのです。

 

お父さんやお母さんが普段から子供に対して真剣に向き合っていないとかで、カッコ悪い人生をひた隠しにしたりして、成功した話ばかりをして、両面提示という、カッコ悪い失敗談とか、悩んだ問題をどう解決したとか話していないとかあると思う。

 

親が、成功した話ばかりをしてしまい、失敗した話がないと、人によっては自分も失敗しない人なんだと思い込む人がいると思う。

 

あるいは、お父さんやお母さんが成功したカッコ良い部分だけを話したりすることで、子供が失敗した時にそれはあり得ない失敗だと思い込み、死んでしまうとかもあると思うのです。

 

親が子に取り繕う人生を押し付けたりすると、子供も親に対しては取り繕うようにしてしまい、最後にどうしようもないとなったらそれは死んじゃうのかもしれないと思ったりする。

 

でも、私三之橋の場合は、創業以来退学勧告決議案で決定した子が退学になっていないのは1人だけと言われ、過去の退学勧告決議案であれだけ盛り上がっって、しかも全会一致で決まったというのも1人だけと言われたのですが、退学にすらなっていない。

 

100人がかりで首でも吊らせようとして、でも首を吊らないでいたら、結果的に大人になって会社員とかになったりした時に、『アイツが1番生き抜くスキルがあると思う』 とCEOとかに思われたりして、仕事は回ってくるとかあるのです。

 

映画のシーンで、戦闘機に乗ったパイロットが敵に追い回され、100億円とかする戦闘機を捨ててイジェクトレバーを引いてシートごと射出されて脱出するじゃないですか。

 

"危険な状況から脱出するスキル” みたいなもの。

 

高校生が自殺して虐めが原因だったのかもね、みたいなニュースでアナウンサーが、『子供から大人になる時期で不安もあるので、虐めに遭ったらそれは恥ずかしがらずに相談してね』 と言ったりしていた。

 

たぶんね、恥ずかしいとかで相談しないわけではないと思う。

 

虐めっ子というのは、外面が良かったりして、その人に多くの人が騙されていて、裏の顔というのが虐めに出てくる。

 

例えば、私三之橋の場合のように無実の罪を着せられてしまったという場合、口先1つでいろいろな人を操縦している感じにしか見えない。

 

それじゃあ、三之橋という高校生が勇気を出して相談に行ったとするじゃないですか。

 

その時に、相談した人が信じてくれたとしても、その虐めっ子は外面が良かったりするわけで、『あの三之橋というのは幻覚を見ている精神病のようで』 みたいにまた嘘をつかれ、「今度は何を着せられるのだろうか」 みたいにしか思えない。

 

だったら一撃で仕留め、2度と立ち上がれないようにした方が良いのではないかと思う。

 

その人にとって絶対的に自信のある頭脳戦で、人を操縦するという同じやり方で自分がコテンパンに負けてしまえば、2度とやらないような気がするじゃないですか。

 

2回もやられた時に、1回目くらいであれば見逃してあげたと思うが、過失でなく故意だよね? じゃあ、こっちは2回やられているので1回とか2回やり返してもお相子がよね? みたいな感じ。

 

どうせ1回くらいしかやり返せないと思うので、相手が1番痛がるアキレス腱を狙いたいので、邪魔されたくはない。

 

テレビで世界仰天ニュースで、”ナッツ姫事件” での被害者のチーフパーサーが言っていたように、『簡単に今の仕事を手離せないから』 と思った事でさらに悪化した。

 

逆に言えば、簡単に捨ててしまえば、被害はそれ以上にはならないと親が教えておかない事で死んじゃう人がいるのではないかなあ~ と思うのです。

 

世の中には想像する以上の”引きこもり” みたいな人がいると思う。

 

中学生になって学校に行かなくなる子とか、高校生になって登校しなくなっていき最終的に辞めてしまうとか。

 

私三之橋は、特に引きこもり研究家ではないのですが、気づいた事を書いておくなばら、1つは親の教育とかから派生しているのではないかなあ~ と思ったりする。

 

ある男の子は1人っ子だった。

 

それが原因とは言えないかもしれませんが、幼児の頃から何かあまり親に怒られる事もなく、特に習い事とかもいかずに過ごした。

 

問題となったのは、中学生から高校生になった時に、学校で何かあったみたいで急に行かなくなり、元々ノープランなのでずっと家に引きこもりになっていた。

 

学校に行かないのであれば、辞めてしまい働くとかしないと、そんな感じで親ではどうにもならくなってしまい、親戚なども説得したりした。

 

ただ、学校を辞めて、アルバイトで働きに行ったのですが、それも長続きせず。

 

そんな感じで20歳の成人となり、仕方ないので親戚が知り合いの会社を紹介して働くようになったが、今度は車で事故を起こして辞めて引きこもった。

 

お金がないと本人が困るので、また働きに行くようになり今度は人と接しないで済む車の運転の配達の仕事をしたけれど、ある日辞めてしまった。

 

結局そのまま数十年経過してしまっている・・・

 

みたいな感じが多いように思う。

 

私三之橋の場合は幼稚園生の頃だったか、近所にある習字教室に通わされていた。

 

市営団地の3階とかにある普通の家で習字を教えている先生がいて、そこに行って正座して字を書く練習をする。

 

まあ、女性で、おばあちゃんみたいな先生だった。

 

優しい感じでもなく、楽しい時間というわけでもない。

 

そんな感じで、チビッ子時代から何かに通っていたりする子というのは、引きこもりにならない感じがあるように見え、逆にそういう経験がない子というのは1度挫折すると引きこもりになる感じに見える。

 

中学生時代に学校に来なくなった引きこもりの子の家に行くと、100万円くらいしそうな高価なデスクトップPCが置いてあり、本棚にはコンピュータゲームのソフトが並んでいたりする。

 

オーディオもまた高級ミニコンポとか、お金がかかっていそうな感じ。

 

自分にとって、あまり楽しくない思い通りにならない事があると、引きこもり、自宅の世界では快適だったりするので、それを繰り返す感じでしょうか。

 

ただ、綿三之橋の考えでは、引きこもりがすべての転落に見える感じがあるので、意外とやっていない。

 

高校である日頭のおかしな子に級長は三之橋にやらせようぜ~ と号令を出した瞬間に一気に総選挙で決まったしまった感じで、それは虐めという認識になる

 

ただ、そもそも級長をする事って名目的なもので級長だから朝早く登校しないといけないとかはない。

 

黙ってやり過ごせば済むと甘い夢を見てしまった。

 

次の2回目の虐めでは、無実の罪を着せられて退学させられて、一生履歴書で高校中退となる事で行き場を失って首でも吊るぞ~ という感じだった。

 

三之橋という級長が、クラスの子に変なあり得ない指導をして、全校生徒の級長の中で自慢したいが為にやらかしたという感じで生徒会に呼ばれそこで、「実は担任の先生がこういう指導をされ、私はやらされただけです」 と弁明し、担任の先生が解雇になり、予定していたカワイイアイドル歌手似の婚約者から見捨てられ、首を吊るぞ~ みたいな首吊りゲームだった。

 

ご丁寧な事に学校でちょっと偉い人に呼ばれて事情を聴かれて、みたいなものではなくて、全校生徒を代表する級長とかが集まった生徒会でつるし上げられるという派手な演出だった。

 

自分が虐められ、その虐めから解放されたくて担任の先生を地獄に突き落とす係、というシナリオを渡されたというか、そういう状況になった時に2つの選択肢しかない。

 

虐めっ子に従うか、虐めっ子に逆らうか。

 

そんな状況になった時に、虐められて誰かを地獄に突き落としてしまえば、もう人生は終わりになると思うので、中指を立てて、「みなさん、お幸せに~」 みたいに去る決意をした。

 

場所に問題があると思うので、退学でもそれはありがたい話なのもしれない。

 

ただ、次の行動プランを決めておかないと引きこもりになってそのまま静かに時が流れ、”引きこもり35年生です” みたいな人になるだけなのかもしれない。

 

今の環境からステップバックして逃げるという時に、次にこうするという事をセットで考えないと、いざ行動してみて、焦るという感じで、それで死んでしまうのかもしれない。

 

平々凡々に生きてきて、ある日それまでの人生からは想像できない辛い目に遭遇した時に、どうすれば良いのかがわからないと死んでしまうのかもしれない。

 

逆に言えば、次はこう動くと頭に浮かんでしまうと死ぬという選択肢がなかったりする感じ。

 

大人になって会社員になった時に、ピンチから抜け出すスキル、みたいなものがあると、現実としてそういう人って意外といなかったりするので、プロテクト要員みたいに貴重な人材となるので出世しまくるというか、仕事に困る事がない。

 

そもそも大人の世界では、『アイツに首を吊らせようぜ~』 みたいな人ってあまりいないので、ヌルヌルな世界だったりする。

 

いま学生の人は想像できないと思うのですが、大人になった時に、”たった1回” 躓いただけで人は2度と立ち上がれないままとなるという事はよくある出来事だったりする。

 

学生時代に1度でも辛い目に遭ってそこから抜け出すというゲームチェンジできた経験があるだけでその後の人生が大きく変わったりする感じだと思う。

 

そんな感じなので失敗するのを恐れずに、何かデカい失敗を積極的にしておく方が良いと思う。

 

学生時代と社会人になった後の会社員時代では、圧倒的に学生時代の方が難易度が高いと思う。

 

ただ、人によってその辺は違っていて、学生時代に自分で天才じゃないか~、みたいに思っていた人が全然通用しなくて精神を病んでしまうパターンもある。

 

私三之橋の場合、小学生のチビッ子時代には塾とかに通っていて、そこではサバイバル訓練とかもあっていた感じ。

 

みなさんは、サバイバル訓練ってわかりますか?

 

太平洋戦争の時代をテーマとした映画を観た時に、戦闘機のゼロ戦の特攻隊みたいな人がいて、朝一緒にご飯を食べた人が夜のご飯の時にはもう見ないとかあるじゃないですか。

 

サバイバル訓練でも同じで、朝一緒にご飯を食べてしゃべった子が、夜の夕食時にはもういなくなっていたりする。

 

ダツラクする人しかいないサバイバル訓練では、自分が生き残るとダツラクしていく人を見続ける事になる。

 

耐えられない、みたいにダツラクしていく人がいる。

 

ダツラクしない人というのは、たぶんダツラクしないスキルみたいなものがあると思うし、生き残る事を考えるという風に教えられている。

 

大人になって、会社員になって会社員ゲームで会社が未曾有の事件でも起きた時に、『三之橋さんの出番ですよ~』 みたいに廻ってくる。

 

訊かれる事が多いのは、プレッシャーで血便出たりしないのですか? みたいに訊く人は訊く感じですが、そもそもチビッ子時代のサバイバル訓練とかでは死にかけた人は何人もいたのに、会社の仕事で死ぬ人とかいないじゃないですか。

 

例えば、クレームの対応でも、怒鳴られる事は普通にあるわけですが、いきなり刺されるとかってないじゃないですか。

 

そもそも会社の仕事をしている時に、「俺はこの仕事を一生手離さないぞ」 とか思う事がない。

 

簡単に仕事を手離させないとか思うからおかしな人生になると思っていたりする。

 

自分の会社ではないわけで、失敗して責任取れとか言われたら辞めるしかない。

 

今から7年前は突発性難聴になったりした。

 

テレビのワイドショーで、芸能人が突発性難聴になり活動休止の記者会見を開き、専門医が出てきて、『治る人なんて正直な話2割もいないです』 と言ったりするじゃないですか。

 

あれを聞いた時に、「何だ、1割くらいの人は治っているのか。 今まで会社とかである日突発性難聴になって辞めて行った人がいたけれど、治った人なんて見た事なかったので、そんなに治る人がいるのか」 と思ってしまう。

 

人は治る人は9割いないと聞くと、『もう無理だ』 と諦めてしまう人がいる。

 

でも、人によっては、「何だ、1割の人の中に入れば良いだけか」 と考える人がいる。

 

そんな感覚なので治ってしまったのだと思う。

 

別に耳が遠ければ、補聴器を買えば済むのかもしれないし、聴こえないという事で死ぬ人はいないかと思う。

 

強いていえば、私三之橋の場合は普通の人よりは聞こえているという感じなので、微妙な何かが聞き取れないという事で困る事はあるような気もする。

 

そんな感じで、”モノの捉え方” みたいな部分が普通の人と違っているような気がする。

 

私三之橋の場合は、頭のおかしな人に遭遇した経験もあり、それは恐ろしい事を考える人で、無実の罪を着せてその責任を取らせて学校を辞めさせて、高校中退というレッテルを貼られたりすればそれは勝手に首でも吊るんじゃないの~、みみたいなものだった。

 

後は担任の先生が当時アイドル歌手で任期だった女性に似たカワイイ彼女がいて、結婚するとか教室で自慢したりした事で、その担任の先生にも罪を着せて學校を辞めさせて、当然結婚直前に解雇されれば、もう勝手に首でも吊るんじゃないの~ という内容だった。

 

高校生というまだ子供という微妙な年齢だと、頭のおかしくなった子が、頭がまともな人に異常な絡み方をした時に、それを助けようとする人はいない感じになり、どこか絶望感みたいなものも感じたりする。

 

その初めての絶望感でどうして良いのかがわからなくなり、死んでしまうのかもしれない。

 

私三之橋は、虐められる側、死んでしまえば~ とか言われる立場で、人が狂気のの沙汰みたいにどんどんおかしくなっていくのを目の当たりにした。

 

それで、そんな人達と付き合っていくのがバカらしく感じ、適用解除をするという選択をした。

 

その頭がおかしくなった人と戦うというカッコいい話ではない。

 

燃えている火にさらに油を注ぎこんでも仕方ないという、一旦ステップバックして学校は最悪捨てても良いかなと腹をくくるような覚悟を決めた。

 

自分がカッコいい正義のヒーローなんではない。 とりあえずそれ以上人生が悪化しない方向性に進む。

 

でも、自分が辞めた後でもそういう首吊りゲームが続くと、結局誰の為にもならないと思うので、そこは反撃しようと考えた感じ。

 

カッコいい話ではなくて、自分が頭のおかしな人に、「三之橋死ね」 みたいに言われ、その周りの人がどんどんおかしくなっていく様子を見た側となるじゃないですか。

 

そういうのを1度でも経験していくと、それは自分がおかしくなっていくという事に対してどこか敏感になったりする感覚のようなものが芽生えるようなものがあり、そのおかしくなったりした人のようにメタ認知にならない感じとなる。

 

結果、大人になった時に、おかしくなる人ではないという感じで、例えば、事理弁識能力という、「その行動をしたらその結果どういう人生になるのか」 というものがわからなくなるような人ではない。

 

自分がこう動けばこういう結果となる。 みたいな予測ができる人となっていった。

 

その結果、企業でシステムの設計とかをやれと言われた時に、まだ20代の大学を出たばかりのルーキー時代に、「エクセレント」 と評価されるものが作られる人になっていた。

 

会社で未曾有の重大インシデントでも起こった時に、「三之橋さんの出番です」 みたいに廻ってくるとかあった時に、自分がどうすれば良いのかがわからないという事が起きずに、やれた感じだったりする。

 

成功率97%という言われるような感じで、過去に1度も失敗はしていない。

 

そんな感じの人から見た時に、よく高校生が虐められて自殺して、子供を守るのが仕事となる母親が裁判などで戦う姿を報道で見たりする。

 

あくまでも個人的な意見として、自分で死んでしまうという選択をする人のダイニングメッセージとしては、それは望んでいない気もすると思う。

 

第1に、自分が性的ないじめを受けていたとかを母親がほじくり返すとかはしてほしくないと思う。

 

第2に、自分が自殺する事で、「この問題はこれで終わりです」 みたいな宣告をしていると思うので、死んだ後は忘れて欲しいのではないかと思う。

 

飲酒運転の事故被害で死亡された人のお父さんやお母さんが、何年も経った頃に、「あの子が生きていれば今は何歳か」 みたいに思ったりした時に涙が溢れてくるとか言うじゃないですか。

 

静かに時は流れ、自分が高齢者となった時にその子供の事を思い出すと、ものすごくしんどいものがある感じ。

 

裁判とかで悪党と戦い数億円の賠償命令が出たという勝者となったとしても、お金がたくさんある事と幸せなのかは違っていたりすると思うので、戦った後の人生ってそう楽しい人生でもないような気がするのです。

 

そこは自殺しようとした人が申し越し残された家族の事とかを考えた方が良い気がする。

 

私三之橋の場合は、もう学校捨てようぜ~、という判断をした後に、理事長の保護下になった感じで、「あの三之橋は理事長のお気に入りらしいぞ」 となり、全生徒が一切虐める事ができなくなった感じでした。

 

それは1つの覚悟を決めた事で、理事長とかにブラフではないと通じたからでしょうか。

 

映画とかのシーンでも、『死ぬ気になれば、意外と出来たりする』 みたいな台詞があったりするじゃないですか。

 

こういう言い方が適切ではないのかもしれないのですが、あまり死んでしまおうとか考えないタイプの人もいると思うのですが、最初からそういう選択肢がない感じでしょうか。

 

今は2月で、進路とかに関しての悩みとか、高校生だと進学する大学が決まったりして、それは実家を飛び出してのアローンスタートという、土地勘もない知らない所に引っ越して、人生初の1人暮らしを経験し、大学に行っても全然知らない人ばかりという感じだと思う。

 

『俺は大学生になったらテレビドラマに出てくるような小洒落た賃貸マンションに住み、カワイイ彼女と付き合い、部屋に呼んで、後はカッコいい車を買ってドライブに行くぞ~』

 

そんな風に夢見スタートしても、現実はそういう感じではなくて、挫折感とかポツンと1人の孤独感とか何かを感じる人は少なくない。

 

冬の時期とか春の時期というのは、新しい生活がスタートするという時期でもあり、それが夏になると上手くいっていないとか感じたりする時期になり、秋とかに自殺される人もいるのかなあ~ と思ったりする。

 

1つの考え方として、上手くいかない毎日をただ繰り返していき、それが70歳とか80歳まで続くという長い時間があるので、スタートで笑える人と、そうでない人とに分かれてしまう。

 

ただ、そんな場合でも、やり方をさっと変えてしまえば、上手くいくという事もあるのかなあ~ と思う。

 

人は自分の人生が楽しくないと、あまり結婚しようとか、子供ができて子育てを頑張ろうとか思わないので、今は子育ての政策ばかりとなっている。

 

会社員となって部下の指導とか管理がうまくいかないと、結婚して子供ができても子育てでどういう風に教えるとかができないという感じになるとかあるので、立ち止まりそこから前に進めない人もいる。

 

まあ、そんな感じであったとしても、あまり自殺しようとは思わないでしょうから、虐められた時と、学制時代から社会人となった時に組織に上手く根付けるかができずにハブられるとかくらいでそうなるのかもしれない。

 

テレビニュースで虐められて自ら命を絶った人の話とかが報道されるのですが、ホストに入り浸る若い女の子の場合でも、よく子供時代に親が離婚して再婚した新しいお父さんに姉妹共レイプされ、そのトラウマでホストにハマっているような人がいるじゃないですか。

 

人は人生が上手くいかないと精神を病んでしまうとか、病気になってしまうとかあり、必ずしもみんな自殺するわけではないので、死なない人の方が圧倒的に多いと思う。

 

でも、わざわざ死にたくなる気持ちの日々に死にませんでした~ みたいなニュースはないわけで、1つは虐められた人が自殺しました~ という内容が、虐められたら死ぬしかないと思い込む原因なのかもしれない。

 

私三之橋の場合は、カッコいい人生ではなくて、無実の罪を着せられて学校を辞めさせられそうになり、学校を辞めたら首でも吊るんじゃないの~、 というまあカッコ悪い人の代表みたいな感じですが、わざわざそんなカッコ悪い話をブログとかに書いているのは、似たような境遇にあるブログを書いている人からは見えないのですが、そういう悩んでいる人が、『何だ、三之橋という人は100対1という喧嘩でも負けていないんだ』 みたいに思っていただけると良いかなあ~ と思う。

 

ひょっとしたら、『自分はもう死ぬしかないんじゃないかなあ~』 みたいに悩んでいる人が読んで、『この三之橋という人は1度も自殺未遂とかもせずに生きているんだ』 みたいな希望の光に見えれば幸いかなあ~ と思うのです。

 

どうしても死にたい。

 

そんな人がいた場合、親が説得しようが、子供が頼もうが結局死んでしまうと思うのですが、誰かに相談して模範解答を言われても耳に入らないと思う。

 

テレビニュースで、ある高校生が虐められて自殺した悲しい事件がありました。

 

そんな風に紹介する司会者とかは順風万端な人生に見えるので、たぶん耳に入らないと思う。

 

そういうのに対し、ブログというのは普段からカッコいい人でない、よくミスもある人が書いているので、リアリティはあるじゃないですか。

 

私三之橋の場合は、昨年12月に耳が急に痛くなり、耳ダレも出たりして、それが少し良くなる感じに見えたら、今年になり反対側の右耳も痛くなっている。

 

結局2月になり、普段行く事もない耳鼻科の病院に通い、右耳は外耳道炎真菌症という、カビが生えたという事で耳掃除とか洗浄や抗菌の軟膏を塗る治療に通っている。

 

そこにさらに、歯茎が痛いなあ~ と電話して総合病院歯科に行ったら、歯肉炎で切開というメチャ痛い治療になったりしている。

 

不幸の第1波、続けて第2葉とあり、さらに第3波が激痛レベルだったわけですが、今こういう風にブログも掛けるくらいになっている。

 

第1波の左耳の外耳炎はもう耳鼻科で耳掃除もしないまでになった。

第2歯の右耳は、外耳道炎真菌症で治療し、難聴もほぼないが、耳を清潔にしないといけないので通院中。

第3波は、小さなノミのようなもので歯茎にグリグリとえぐられ、痛みもかなりのものでしたが、1週間くらいで痛みは日いた感じです。

 

「お~、ストーミー」

 

みたいな、台風のような嵐にでも遭遇した感じでも、いつかはその台風のようなものは通り過ぎる感じ。

 

ふと思い出した時とか、家族に話した時に、「あの時は痛かったけれど、今ではうそのように治っている」 とどこか笑えるじゃないですか。

 

そういう失敗する事も人生にはあり、痛い思いをする事もあるのですが、それを乗り越えていくと最後には笑えるみたいな、その小さな成功体験を積み重ねていくという事があるほど、あまり自殺とかはしないかなあ~ と思う感じです。

 

 

 

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歯肉炎で緊急切開しました

2024-02-16 18:59:37 | 九死に一生

火曜日に松田耳鼻科咽喉科病院に行った後くらいから歯が痛い。 翌日にはもっと痛いが、どうも歯茎が腫れてしまったみたいで、昨日の木曜日に総合病院に電話して、緊急切開してもらいました。

 

 

 

歯肉炎で、総合病院歯科にて切開

 

 

 

まず、歯が痛いとかでバファリンを飲むとか、痛み止めで誤魔化すというのは止めた方が良いと思うのですが、歯肉炎はもっと酷い感じで、そもそも痛み止めを飲んでも痛い。

 

何等かの理由でばい菌が歯茎とかに入って炎症して、そこから抜け出そうと歯とか骨を溶かすみたいで、痛みがデカい。

 

何か違和感しかないので虫歯治療で通っている総合病院歯科に電話して、予約は取れないので空いた時に診てもらう事にして病院に行きました。

 

ただ、レントゲン撮影してもそう異常はないと言われた後に、緊急切開しました。

 

これは痛みがあるところに麻酔を打つのが異常に痛いのですが、切開は小っちゃなノミみたいなもので歯茎を切開し、骨が見える感じで傷口が簡単に塞がらないようにグリグリやるので、さらに気絶しそうな痛さでした。

 

『血に膿が混じって出ています。 圧力が抜けるので痛みは引くと思います』

 

と言われたのですが、薬局に処方箋を出して、待ち時間あるので近所のコンビニにタバコを買いに行って薬局に戻る時とかに、その時が1番痛いのかもしれない。

 

みなさんも気をつけてくださいね。

 

歯とか痛みを放置すると悪化の一途をたどります。

 

ただ、歯医者さんに行っても切開ってメチャ激痛レベルです。

 

 

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会社員ゲームも、才能ではなくやり方で結果は違う

2024-02-15 23:57:31 | 会社員ゲーム

大学生の人で会ったり、専門学校生であったり、高校生であったり、あるいはすでに会社員になっていて結婚とかをしようかというシュチュエーションとかで子育てとかに悩むとかそういう人向けのお話として、会社員ゲームでは生まれ持った才能とかほとんど関係なく、やり方を間違えているだけで人は失敗しているというお話になります。

 

例えば、今大学生の人がいたとします。

 

『将来、俺は大学を卒業してどこかの企業に入社して、上手くできるだろうか?』 とかふと気になるとか、そういう人がいたりします。

 

人は18歳くらいの年齢で大きなターニングポイントがあり、一般的には高校を卒業して、それまで生まれ育った実家を飛び出して、県外の土地勘もないようなところにある大学に通うという部分で、人によってはそれが人生初みたいな、”アローン・スタート” になったりすると思います。

 

まったく何の人間関係もない人達が数多く通う大学に行った時に、誰かとまず仲良くならないとしゃべる人もいない孤独な感じでのスタートになる。

 

下宿であったり、安いアパートであったり、そこそこ見た目も良い賃貸マンションであったり、人それぞれどういう環境に住むとかはちょっと違っていたりします。

 

例えば、小っちゃなよくある木造アパート、ボロボロであったり、今風のデザイナーズアパートでも、1つの建物に8世帯とかの部屋数とかに住み、そこで同じアパートの住人としゃべるようになる人もいれば、まったくしゃべるとか挨拶もしないケースもあると思います。

 

よくどこかの田舎から引っ越して上京したりした時に、どこかのアパートに住んで、「さすが東京は隣人としゃべらないぜ」 みたいに思い込んでいる人がいらっしゃるのですが、都内の港区とかでも普通に挨拶するとかあったりします。

 

例えば、私の場合家族が都内の港区とかのチョイ高級なマンションとかに住んでいたりしますので、東京に仕事で行ったりすればホテルはあまり好きでもないのでそこに泊まるとかあったりする。

 

ただ、家族の住む賃貸マンションですので、行く前とかに大家さんに挨拶に行く。

 

例えば、東京本社で会議がある。 そんな場合、ホテルの予約を入れるとか面倒なので、マンションに泊まると言って、鍵をレターパックで送ってもらう。

 

後は、出張の時に会社の人用として土産をたくさん買うので、大家さんの分も買い、飛行機に乗る。

 

大家さんというのは、さまざまです。

 

ある港区にあるチョイ高級マンションですと、家族に訊くと大家さんはマンションがある表通りからちょい入ったところに家があるとか、説明がある。

 

マンションの隣の隣の隣とかそういう近くであったり、そのマンションの1階に管理人室があってそこに住んでいたり、最上階のペントハウスに住んでいたりする。

 

まあ、マンションそばですのでマンションに行く前に立ち寄り、ピンポンを押す。

 

「こんにちは、〇〇〇号室の三之橋です。 この度は都内で会議がありますのでマンションに泊まろうと考えました」 と挨拶する。

 

そうすると、『あ~、三之橋さんね、そういえば来ると言うのは聞いています。 三之橋さんの鍵は預かっていたかなあ~』 と言うので、「違いますよ、鍵はこのようにレターパックで送ってもらっていますのであります。 今回は泊まるという事もありましてご挨拶に寄らせていただきました。 こちら福岡空港で売っていたお菓子ですので、良かったらみなさんで食べていただければと思います。 一応お店で確認したところ、これは都内では売っていないそうです」 と渡す。

 

そうすると、『いや~、そうでしたか、それは珍しい』 と言ったりする。

 

東京の人って、福岡の事を福岡と呼ばずに、”田舎町の福岡” と言ったりする。

 

まあ、ざっくり言ってしまえば、福岡というのは全国の政令指定都市の中でも1番バカちんの住む街みたいに思っている人が多いので、挨拶に行ったら大抵は、福岡の人には珍しいと言われる感じがある。

 

賃貸マンションとかアパートという、賃貸契約で家主さんが事前に承認した人が使用者=賃借人となります。

 

家族であっても、普段そこにそこに住んでいないと事前に家族が来ますとか家主さんに言うのが当たり前となる感じ。

 

こういうのって、意外と知らない人がいたりするのですが、大学生の下宿でも、知り合った人に、『俺の下宿に来る?』 とか言われた時とかに、大家さんが隣の家とかで園芸をしているとかで会って、『〇〇さん、同じ大学の友達です~』 とか紹介されるので、そこで挨拶してから下宿に入る。

 

挨拶できない人=しゃべれない人=田舎の人。

 

みたいなイメージになってしまいますので、大学生になった時にきちんとしゃべれる人を目指す感じ。

 

最初に躓いてしまえば、手続き記憶でそこから人生躓きっぱなしとなるじゃないですか。

 

幼稚園生でも、そこに引っ越してきた新参者がいれば、その人がみんなの前で自己紹介でもするというのが日本のしきたりのようなものなので、さすがにそれが18歳でできない人と見えてしまうと、周りの人は関わらない方が良いとハブってしまう。

 

ここだけの話として、アパマン経営の家主さんとかって、あまり人間関係の構築が得意でない人が多いので、挨拶するとかは楽勝な人達だったりします。

 

例えば、太平洋戦争の戦後の動乱でタダみたいな感じで手に入れた土地があり、それが一等地とかになってしまったりする。

 

そうすると表通りにあるチョイ高級なマンションを経営して、そこで大家さんというか、管理人をして悠々自適な暮らしができると考えてしまうのでやる。

 

いざやってみると管理人である自分を無視する人達ばかり、みたいに気づいて、注意したい事でうっかり言ってトラブルになるとか考えると言わない。

 

そんな感じだったりするので、まともに挨拶してくれる人がいると、仲良くしてもらえる傾向にある。

 

必ずしも、人は18歳でアローンスタートするとか経験をするとも言えない。

 

例えば、女性の場合、ずっと地元で実家に住んでそこから短大も地元に行くとかして、地元にある会社に就職しても実家から通い、結婚した後に彼氏だった人が旦那さんとなり、そこがアローンスタートとなるという人もいる。

 

ただ、あまり年を取って経験してもしょうがないので、普通は18歳の大学生1年生とかで経験したりする人が多い。

 

例えば、お父さんが何か商売でもしていると、そのお父さんから離れられないという、自立できない人はそう珍しくない。

 

福岡に生まれ育った人がいて、大学生になるという事で上京して、その時に誰かと知り合いにならないとずっと1人ぼっちとなるじゃないですか。

 

じゃあ、『あなたは今日から大学生です。 頑張ってくださいね』 みたいに入学式で言われた時に、全然知らない人にいきなり声掛けできたりしますか?

 

という問題がある。

 

幼稚園生の頃から幼稚園とか、小学校とか、中学校とかに通い、その過程で転校生がやってきたとか見たりしていたとしても、いざ自分が挨拶しないといけないシュチュエーションになった時に、どういう風に挨拶すrば良いか? とかが頭に浮かばず、結果しないままとなるという人は少なくないと思うのです。

 

じゃあ、私三之橋の場合、大学の入学式の日から知らない人となる、国産高級車の新車に乗って来ていた子に声掛けしていたりするし、翌日からは一気にみんなにもう免許持っていたり、車を持っていたりするのか? とヒアリング調査していますが、それも才能とかではないと思うのです。

 

たぶん小学生の頃に塾とかに通ったりした事でそういう風になっただけだと思うのです。

 

その塾の経営者の塾長のおじいさんとおばあさん夫婦は、子供がいないみたいでした。

 

その人が、『人間には法則があると思う』 みたいに口癖のように言っていたのです。

 

塾と言うとわかりづらいと思うのですが、軍隊みたいなものと想像していただければわかりやすいのかもしれません。

 

その塾では、有名な国立大に入学して、どこかの上場企業に入社できる人はたくさんいた感じ。

 

でも、1軍選手で大活躍したという人はたぶんいない感じで2軍留まりが良いところという感じでしょうか。

 

それで塾長は考えたみたいなのです。

 

有名な国立大を出たところで、会社員ゲームになると自分の教え子が簡単に負けている。

 

そうだ~、最初から会社員ゲームで役立つことを教えれば、誰かが1軍に行けちゃうのではないか?

 

そんな感じで、将来大人になった時に教え子が困らないように、勉強はそこそこで、ほかの人間には法則があると思うという事を教えたりしていたのです。

 

その1つに食事に関してはメチャ厳しいものがあった。

 

お寺に修行に行かされた時だと、そこで出されたものはすべて完食しないといけない。

 

食欲がないので、今日は食べないで残すとか一切許されない。

 

そんな感じだったので、私三之橋が大学生になり、最初に仲良くなってその子のマンションに入り浸っていたのですが、夏休み明けに行ったら、ランチのコンビニで買ってきた弁当を食べた後に1つのビニール袋に8種類薬が入っていたのを飲んでいた。

 

『おれさ~、大学病院で診てもらったらもう一生治らない病気になってしまった。』 と告白をされた。

 

ぱっと見、18歳の男子という、どう見ても病人には見えない。

 

でも、その子の話では、大学生になり1人暮らしとなり、毎日自分が好きなものばかり食べていたら病気になってしまったと言っていた。

 

私三之橋もいつも一緒に大学から帰り途中コンビニで弁当を買って、その子のマンションの部屋で食べて、タバコを吸ってと自堕落な生活だった。

 

でも、私三之橋は何ともない。

 

塾長は、食事で好き嫌いがある人は一生苦しむと言っていた。

 

私三之橋が大学を卒業して、新社会人デビューして、会社員1年生になった時に、『みんなであの有名なうなぎ屋に食べに行こうぜ~』 みたいに同じ課にいた部長に誘われて同じ課の人と部長の車で行った。

 

『お前の会社って、部長の話が多いが、そもそも部長は何人いたの?』

 

と訊かれることも少なくないのですが、最初の1社目は同じ課に部長が3人いました。

 

1人は、私三之橋の上司であるお金持ちの子という高級車に乗っていた部長。

 

高級車に乗っていたってそもそもどんな高級車よ? と訊かれることもあるのですが、リーマンショックで不景気になり株価とか暴落した時に高級車のピッカピッカなベンツとか乗っていたので、それで想像してもらえば良いかと思います。

 

もう1人の部長は、システム部の責任者の部長で、私三之橋が入社するとすぐに、『三之橋君、どう今夜仕事が終わったらそこの角打ちで飲まないか? 僕が奢るから』 と言っていた部長。

 

娘さん2人いるらしくて、1人は大学生、もう1人は高校生。 家に帰ると奥さんと合わせて女性が3人となり、男性が自分1人なので手酌酒で飲むのはしんどいと言って仕事帰りに飲んで帰っていた。

 

それで、もう娘が大学生になったので、そろそろ誰かと結婚すると思う。 結婚したらその旦那が自分の人生初の息子となるので仕事帰りに2人で飲むが夢で、どうもその練習に三之橋がちょうど良いと考えてみたいでした。

 

もう1人部長がいた。

 

それは同じ課のOl姉さんに、『ねえ、〇〇部長~、今度みんなで飲みませんか?』 と女性のOL姉さんから誘われて、飲み会を主催する部長。

 

ややこしい感じですが、1人の部長は私三之橋の上司で、接客とかを担当していた。 銀行を含めゴルフ接待とかも多い感じ。

 

2人目の部長はシステムの管理の部長。

 

3人目は、その課でOL姉さんを中心に、1人目の上司の部長の補佐をしているような部長。

 

毎日ではないのですが、週1とかでよく、『三之橋君、一緒に昼飯行こうぜ~』 と3人目の部長が誘って、同じ課の男性グループでランチに行くとかあっていた。

 

その有名なうなぎ屋さんにその部長の車でみんなで行き、うなぎを食べる。

 

そんな時に、うなぎが嫌いな人がいて、『僕はうなぎはちょっと~』 と言う。

 

そんな時に、「えっ、〇〇君、ひょっとしてうなぎを食べられないの?」 と部長が言う。

 

食事で好き嫌いのある人って、大抵甘やかされて育った人によくあるパターンなので、軽く弄るというか、からかう感じだと思う。

 

『俺はヘビが嫌いで、うなぎってヘビに似ているのでよくそんなものをみんな食べられるよな~ って思うのです』

 

みたいな、これから食べる食事が不味くなるような、自分の考えがすべてが正しいかのように相手を否定したりして、幼児性が強く出る感じ。

 

共生というシュチュエーションでは、向かない人に多い感じなので、どちらかと言えば、邪魔な人という位置づけになっていたりする感じ。

 

もしも、自分がその食べるうなぎが嫌いであったり、苦手であれば、それだけを言えば良いと思うし、「俺は昨日家でたまたまうなぎ食べたので、さすがに連チャンはという感じなので」 と言って違うものを頼めば済むと思う。

 

例えば、私三之橋が大学生の頃に、ワンデー彼氏の募集に応募した

 

ワンデー彼氏とは、『私は20歳の女の子で会社員です。 彼氏がいないのですが、今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれてドライブに連れて行ってくれる人を募集します~』 みたいなもの。

 

例えば、宮崎とかで生まれ育ち、18歳の高校を卒業した後に福岡に就職で引っ越して来て1人暮らしをする。

 

会社でそこそこ仲良くなったOL姉さんの友達がいて、でも休みの日はその子が彼氏とドライブに行ったりする。

 

私もどこかドライブに男性と行ってみたいなあ~ と思っても、さすがにいきなり彼氏の募集するのは怖い。

 

うっかり名前とか電話番号とか、住んでいる家の住所とかを教えてしまったが為にストーカーのように付きまとわれるという事は心肺だったりする。

 

そんな時に、1日限定で彼氏のように、その人が車で迎えに来てくれて、軽くドライブして、ランチを食べて、またドライブして遊んで、夕方には楽しく別れたい。

 

みたいな感じ。

 

そんなワンデー彼氏に応募して、自分の車でドライブすれば、ランチとか一緒に食べるという風に展開する。

 

そんな時に、『私は、〇〇〇がどうしても苦手で食べられないの』 とワンデー彼女が言ったりする。

 

そうすると、「へえ~、そうなんだ」 と私三之橋は言って終わる。

 

まあ、奥さんでもなければ、彼女でもなくて、特に気にならない。

 

ただ、共生というシュチュエーションでは、そういうのを気にする人が多い。

 

一緒に食事をするとその人の何かがわかる感じで、気が緩むとかあると思うので、何かをつい言ってしまうとかやらかしが起こる。

 

今大学生などの学生の人だと、誰かと食事をするというのに力を入れておくのが良いと思う。

 

人によっては、自分の家でいつも家族だけで食事をしていて、お客さんが来ないとかある。

 

後は、いつも一緒の友達と一緒にご飯を食べるとかもあると思う。

 

閉鎖された環境で育つと、食事でも家族とか気の合う友達とだけ一緒に食べたりして、そのような場合、『私はうまぎが気持ち悪くてどうしても食べられないの』 と言っても、言われた人は仲の良い人なのでその事で嫌いになるとかはない。

 

お父さんがいて、おかあさんがいて、兄弟もいて家族だけでファミレスとか、回転すしに行って、いつものメンバーで食事をしたりしていると、その世界が食事の世界観みたいになってしまう。

 

その人の経験が、繰り返されれば繰り返されるほどに、それはその人の常識になる感じ。

 

自分が、うなぎが嫌いで、お母さんも嫌いだと、自分が嫌いな事はお母さんであればわかってくれていたりして、特に困らない。

 

そうすると、同じ仲間というか、同じグループの世界では、うなぎが嫌いであっても特に問題は起こらない。

 

ただ、大人になって大学を卒業して、会社員とかになってみんなで昼飯に行く~ とかあったりするので、その時に、『私の常識ではあんなヘビみたいなうなぎを美味しいと言って食べている人達と仲良くできそうもない』 みたいな距離感を感じてしまうとかの戸惑いはあると思う。

 

例えば、福岡のような田舎町の大学に行っていた人が、卒業して入社できた会社で東京本社で研修を受けるとか、都内の勤務とかになった場合。

 

あるいは、都内の大学に通った人が、どこかの上場企業に入社して、田舎の支店や営業所に配属になった場合。

 

田舎から都会に行くと、どうしても田舎と違う感じの都会感や閉鎖間みたいなものが新参者にはしんどいと感じる事があります。

 

例えば、鹿児島で生まれ育った人とか、長崎で育った人が、福岡の大学に行く。

 

まあ、同じ九州内ですのでそういった同郷の人がそばにいたりする感じで、多少訛っている人でも馴染める。

 

ただ、関東の東京とか神奈川とかですと、一気に言葉の壁とか、祖だった環境の違いとかを感じたりして、あまりしゃべるとどこかバカにされそうな気がして、上手くしゃべれないとかの疎外感を感じる場合があります。

 

また、福岡で生まれ育った人が、大学は都内にある大学に行くという事で関東に住む事になった場合、まだ学生ですので友達が新天地でできる感じがあるのですが、就職してなぜか東北地方の支店とかに配属じなるとかある。

 

その場合、福岡と東北は同じ田舎町ではあるものの、言葉の壁も感じるほか、習慣性の違いも感じるとかある。

 

『俺はせっかく都内のあの有名な大学までわざわざ行ったのに、なぜこんな田舎町に配属になってしまったのだろうか』 みたいに感じる。

 

まあ、都落ちみたいなショックの他に、あまり必要な人材でもないという判断から田舎街に飛ばされたのかもしれない。

 

問題は、『東京から来た人か』 みたいにちょっとその地方出身ではないという、とっつきにくさも感じたり擦る事で、新参者にとってはその人たちの輪の中に入るのはしんどいと感じるケースも珍しくない。

 

もしも、あなたが子供時代からいつもアローンスタートのような環境にあったのであれば、そのくらいは楽勝だと思うのですが、逆に1つの世界で生きてきたという場合は、なかなか年齢とかもバラバラな人達の輪の中に上手く入っていけないのかもしれません。

 

どこにでもいると思いますが、せっかく入社できた大企業でも辞めてしまい、誰かに理由を訊かれた時に、『馴染めなくて』 なんて言ったりする。

 

ただ、どこの上場企業とかでも、新参者がその世界に馴染むとかという部分は、誰でも本人が努力はして入っているという感覚ですので、自業自得となってしまいます。

 

じゃあ、全然が全員そんな感じなのか?

 

と訊かれたら、人によって違っているとなります。

 

例えば、福岡の人が東京に行き、そこで都内にずっと住んでいる人がいて、話した時に、会話は福岡だと福岡弁でしゃべるとかあるのに、都内に入ったら東京弁みたいに変わる人もいる。

 

都内に住んでいる人がいて、実は関西人で普段は関西弁をしゃべるという場合、その人と会って話すと関西弁で話すとかあるので、福岡に住んでいる人でも相手の言葉に合わせるという、クラッチング技術とか持っている人はいる。

 

意識しているというよりも、自然に、たぶん感受性が高いと相手の言葉につられるような感じでそういうしゃべり方になるのだと思います。

 

例えば、福岡に三之橋という小学生のチビッ子が住んでいるとします。 春休みとかに新聞の掲載されていたチビッ子短期留学ツアーに応募した場合、福岡空港から成田空港に飛行機で行く。

 

その成田空港で全国から集まったチビッ子が海外に1機の飛行機で飛ぶ。

 

当然参加者で多いのは、都内に住んでいるような関東在住のチビッ子だったりする。

 

東京の子が多い場合、1人だけ福岡弁のようにしゃべっても浮いてしまうとかあるので自然と会話では東京弁みたいになってしまう。

 

でも、そこには東北在住の子もいたりして、その子とは東北弁で話すとかもある。

 

そんな感じで、チビッ子時代にアローンスタートで東京の子が多いけれど、東北の子もいるみたいな環境を経験している人だと、大人になってもそう困らなかったりする。

 

でも、生まれてからずっと実家で暮らし、海外留学とかでアローンスタートというものを経験していないと、大学生になって生まれて初めて実家から県外などに1人暮らしをした時に、そこで初めてのアローンスタートになるという感じで、周りの人の輪の中に自分から上手く入っていけない事もあると思うのです。

 

そんな風に考えたら、”会社員ゲームとかで成功できるかどうかというのは、才能ではなく育ち方の問題” となると思うのです。

 

人は一般的にチビッ子時代から1人旅をしたりするじゃないですか。

 

例えば、三之橋という幼稚園生がいたとしいます。

 

福岡市内に住んでいて、国鉄の電車に乗って博多駅まで行き、そこで電車を乗り換えて佐世保市に行き、電車とかバスでフェリー乗り場に行って、そこからフェリーに乗って五島列島にあるおじいちゃんの家に行く。

 

おじいちゃんとかにいつのフェリーで行くよ~ と電話しておき、桟橋で待っていてもらい、そこに幼稚園生の三之橋が1人で行くと、おじいちゃんが迎えに来てくれている。

 

特に迎えは要らないのですが、幼稚園生だとどうしても迎えに行ってしまうのですが、小学生の高学年とかになると、1人でそのまま迎えなしでおじいちゃんの家に行く。

 

ちなみに私三之橋の祖父は、五島列島に住み、イカ釣り漁師で、デカい船に乗っている時には料理番の係で、自分の船で1人でもイカ釣り漁にも行っていました。

 

離島の暮らしとかにも詳しかったりするのは、おじいちゃんの家が離島にあったからです。

 

離島でも友達が近所の家に住む子で仲良くなったりして、よく離島まで遊びに行っていました。

 

もう1人の祖父の家は、某県にあるのですが、デカい敷地の中にみなし墓地のお墓があり、そこに祖父の特注のお墓があったりして、気持ち悪いのでほとんど行かない。

 

お墓とかって幽霊が出そうでチビッ子は怖いじゃないですか。

 

でも、離島は祖父の家は漁師さんの家で、そばにある漁師さんの家の子供とかがいて、遊びに行くと親切に接してくれて、島の中での事とかをいろいろ教えてくれる。

 

大人になった時には、海上自衛隊の船に乗っているらしくて、ほとんど帰ってこないので、会う事がなくなった感じです。

 

そんな感じで県外まで1人で遊びに行くとかあるじゃないですか。

 

でも、世の中すべての人がそうでもなかったりする。

 

発達障害の人だと、大人になってもまず1人で旅行とかには行かない。

 

自分の日常がすべてという人もいて、毎日家からそう遠くに行かない暮らしの人もいる。

 

じゃあ、幼稚園生のチビッ子時代から1人旅もしたことのないまま育って、大人になった18歳で県外の土地勘もないところにある大学に行くことになった時に、それまで育った実家の暮らしがすべてだったのが一気に変わるわけで、馴染めないという人もいたりする。

 

その場合、生まれ持った才能とかではなくて、普通の人が経験しているような経験の絶対数みたいなものが欠落しているだけだと思うので、残された大学生時代の4年間で自分で修正すれば済むだけの話だと思うです。

 

ただ、それまでの大学生になるまで1人旅とか、アローンスタートを経験していないと、わざわざ大学生時代の4年間にそんな事はしないと思ったりします。

 

そんな感じで修正できないまま、大学を卒業して新社会人デビューして会社員となるので、そこは潮目も大きく変わるので躓く人はそれまでの人生に比べるとガツンとダツラクする人が増えると思うのです。

 

人は、何を忌み嫌うのか?

 

という点にフォーカスした場合、『親に甘やかされて育った子』 だと思うのです。

 

もしも、大学生になった時に、『私は親に甘やかされて育ったなあ~』 と自分で思えば、残りの4年間はそう見えない人生に振り替えてしまえば良いと思うのです。

 

そもそも大学を卒業して新社会人デビューした時とかに同期入社の人と話すとか、同じ課の自分に近い年齢の人と話すことが多いと思うのですが、”直近の大学生時代にどう過ごしたのか?” という部分にフォーカスして訊いたりするので、そこだけストイックな暮らしにしておけば、意外とバレない。

 

もしも、子供の頃に家にマイカーがなくて、その為車で家族でいつも出掛けていなかった。

 

そんな人だと大学生になっても、とりあえず自動車学校に行って普通自動車運転免許証を取得しても、あまり車を買うとかしないままで、社会人になって軽ワゴン車とか、コンパクトカーに乗ってしまうとかあると思う。

 

でも、もしも同じ会社の中でカワイイOL姉さんがいた時に、『あの新入社員の三之橋さんって、軽自動車に乗っている。 普通に考えた場合、そんな小っちゃな車に乗るくらいなのでなにかワケがあるはず。 車の運転が下手くそなのに取り繕っているような、”なんちゃってドライバー” だと思うので、付き合っても意味がないかな』 と思われたりする。

 

なぜか?

 

共生というシュチュエーションでは、魅力としては薄いと判断されると思うのです。

 

女性の場合、付き合っている彼氏と将来結婚する相手と見た場合、どうしても車の運転が下手くそだと、、普通に考えてみれば、認知機能の低さが原因だと思う。

 

そうするとしゃべれない人とかだったりするので人間関係の構築とかも下手だと予見できる。

 

そんな人と結婚して、自分の人生が楽そうか? しんどい人生になりそうか? と考えた場合、加齢ですぐに右肩下がりの人生になると思う相手を付き合う彼氏とかに選ばないと思うのです。

 

どうしても昭和の時代でも、”車の運転をモノサシとして使う” という人は意外と多いと思う。

 

でも、逆に言えば、『車の運転をモノサシと使う人が多いので、逆に普通車とかに乗っておけば、良いのではないか』 という発想の転換をする人がいると思う。

 

実際に、社会人になって会社員となった時に、会社を解雇された人が普通車サイズの車とかに乗って取り繕っていたりした人が多いので、運が良ければ10年くらいは騙せると思う。

 

例えば、合コンとかで知り合った女性がいたとして、カワイイ女性だとします。

 

そんな場合、『〇〇さんって車は何か乗られていますか?』 とか訊かれるので、「僕はクラウンに乗っています」 と言えば、騙されると思うのです。

 

『今度の日曜日に、〇〇さんの車でどこかドライブに行きませんか?』 と誘われたらクラウンに乗って行けば良い。

 

どこかの上場企業に勤めている場合ですと、『〇〇さんの運転って丁寧ですね』 とか言われると思うので、「あのね、会社でどうしても免許証の抜き打ち検査っていうのがあって、ある日出社すると朝礼で仕事で会社の車を運転する人は免許証のコピーを出せと言われる。 当然そこで免停になっているのに車を運転している人がいたりして、謹慎処分とかになったりする。 そんな感じなので、あまり白バイに切符を切られると死活問題になっちゃうので、安全運転で走る癖が着いてしまっていて」 と自分で自分をフォローしておけば、彼女とか簡単に騙されると思うのです。

 

ほんとに、抜き打ち検査とかあるのか?

 

と思う人もいらっしゃると思うのですが、どこの会社でもある日朝礼で出せと言われ、朝礼後に免許証のコピーの裏表をコピーして出すとかあるのです。

 

内勤勤務の場合、そもそも仕事で社有車に乗らない人もいるので全員ではありません。

 

OL姉さんとかだとかは、そもそも仕事で車を運転しないとかあります。

 

例えば、運転が下手くそだと、ノロノロ運転になるとかあるじゃないですか。

 

どこかの分譲マンションを買って住んでいても、近所の人が、遠回しに、『三之橋さんって、立派な車に乗られていて、安全運転されていますよね~』 とか言われた時に、「会社で免許の抜き打ち検査がありまして、違反の履歴とかを出せと言われるとかありますので、どうしても安全運転になっちゃうんですよ~」 と返しておけばバレない。

 

相手が、『なるほど、さすが大企業は違いますね~』 とか言ったりするわけですが、どこの会社でも免許証のチェックとかしていて、免停になっているのに運転して通勤もしている人が必ずいたりする世界なのです。

 

例えば、飲酒運転で逮捕されたとします。

 

わざわざ会社にそれを言う人はまずいない。

 

そうすると免許が停止になっていても運転するしかない。

 

また、全員が全員証明書を取得させられるわけでもなくて、管理職だと要求されず、免許証のコピーだけで済むとかあったりします。

 

運転が下手くそレベルで、それを誤魔化す為にクラウンとかに乗っていて、ノロノロ運転していて、人に何か言われると、『会社で抜き打ち検査があるので』 という伝家の宝刀を振り下ろすという人が実在しているのです。

 

『世の中には、車占いのように車の運転とか乗っている車を見て、その人となりみたいなものを想像しているような、モノサシと使っている人は少なくない。 あなたはその現実をどう受け止めますか?』

 

というものに関して想像してみてくださいね。

 

Aさんという男性がいて、家は貧しいというか、お父さんが車を所有していなかったりして、子供の頃から特に家族でいつもドライブに行くとか、そんな感じで無かった。

 

東京とか、神奈川とか、都会では家はあるけれど車は持っていないという人も少なくない。

 

分譲マンションを買うと、毎月修繕積立金の他に、管理費も支払わないといけないし、月極駐車場で月額4万円とか港区だとしますので、さすがにそれを支払ってまで車を買いたいと思わない人はいる。

 

子供の頃からそういう暮らしをしていますと、大人になった大学生くらいの時に、周りの人がみんな自動車学校に通ったりして普通自動車運転免許証を取得しているので、さすがに免許を持っていないと男性だと就職でも不利にしかならないという事で自動車運転免許証を取得する。

 

ただ、車を買って、それで彼女を乗せてドライブに行くのはどういう感じなのか? とかイメージできないと車を買わないで乗らないという感じだったりする。

 

理由は他にもあったりして、親からの仕送りだけでは車を買って維持できないので、車を買うとアルバイトもしないといけなくなるという、”車は金喰い虫” という問題。

 

仮にもしも、アルバイト先で知り合った女性と付き合う事にでもなれば、ドライブでのガソリン代も高速代も出すという事になってしまう。

 

それじゃあ、『車を持っていなければ、彼女と旅行に行く時でも、自腹で自分の分だけを支払う事になり、損しない』 Mたいな計算もあると思う。

 

世の中には、『学生の分際で、車なんかに乗りやがって~』 みたいな考え方の人もいるので、お父さんが車を持っていないと免許を取るだけでもなかなか許可が出ない人もいたりする。

 

大学を卒業して新社会人デビューして会社員になると、そこで初めて車を買うという人がいる。

 

そんな場合運転に不安もあるので、軽自動車だったりして、会社で、『三之橋さん、車は何の乗られているのですか?』 とOL姉さんに訊かれて、軽自動車に乗っていると言って笑われたりして、2台目はSUVだったりするは少なくない。

 

でも、会社員になっても、車は買わない人は買わない。 自分で乗りこなすとか苦手と少しでも感じれば、そんなものに100万円とか200万円とか出すきになれない。

 

車はただの道具に過ぎないので、『あのカッコいい車を買えば、彼女ができてドライブ三昧で楽しいだろうなあ~』 と夢見て大学生時代にローンで買い、結局アルバイトに乗っていくだけで終わる人もいる。

 

でも、世の中には、車占いのようにその人の乗っている車で何かを見るようなモノサシのように使う人がいると知っているような会社員の子供とかいたりする。

 

まあ、仮に会社員の子供Bさんとします。

 

そんな場合、会社員になったら運転とかきちんとできないと自分が損するだけと考えているので、大学生1年生で自動車学校に通い、ローンを組んで中古車で普通車サイズの車を買って乗る。

 

彼女とかガールフレンドがいて、助手席に乗せて県外のテーマパークとかに遊びに行く。

 

もしも、バック駐車が苦手だとすれば、その一緒に出掛ける彼女に、『俺、バック駐車がどうしても苦手なので外で診ていてくれない?』 みたいに頼むしかない。

 

わざわざ出先でぶつけて事故を起こしても仕方ないわけだし、できないものをできるように取り繕うよりは良いじゃないですか。

 

まともな人だと、さすがに毎回、毎回彼女とかに頼んでいれば、それは悪いなあ~ くらいは思うので、もっと上達しなければとか思うと思う。

 

そんな感じでやっていれば、最初に運転免許証を取得して中古を買って乗り出した頃よりは、上達しているとか自分で感じる事ができたりすると思う。

 

『なるほど、彼女と遊びに行った時にゲーム感覚で彼女という人の力を上手に借りる事でハードルは乗り越える事はできるんだ~』 と感じられる事が重要。

 

最初は、カッコ悪いスタートになるのかもしれないのですが、ずっとそのままではなくて、普通車をスイスイ運転できるように慣れる事が重要。

 

後はそんな感じで結果が付いてくれば、そのハードルを乗り越えるという事はイメージ的には、「やり方次第で結果が出せるんだ」 と覚えてしまうじゃないですか。

 

そうするとね、世の中には車占いのようにモノサシに使っている女性とかも少なくないので、簡単にペテンにかける事はできたりするので、結婚もできたりすると思うのです。

 

彼女が実家暮らしで、軽自動車で送り迎えでもしていれば、彼女のお母さんが偶然見て、娘さんに、『あなたあんな小っちゃい車に乗っている人と付き合っていて大丈夫なの?』 と言ったりする。

 

バカにしているとかではなくて、わが子の心配をするのは母親とか父親だと当たり前だからです。

 

でも、クラウンとかでも乗っていれば、さすがに母親も騙されてしまうじゃないですか。

 

ペテンにかけるくらいやらないと結婚もできないのかもしれない。

 

1番最初にパッと見た時の印象って結構引きずる人は多いので、見た目さえ誤魔化しておけば結婚詐欺師でも上手くいくじゃないですか。

 

強いていえば、長くは持たない。

 

よく付きあっていた彼氏と結婚して、すぐに気づいてしまい、普通は子供が幼稚園生になると手が掛からなくなるというタイミングで離婚したりする。

 

子供がいれば、生活保護受給者にでもなれば、なんとかなるという現実もあったりする。

 

男性の場合、彼女と結婚して5年持てば、次に誰かと付き合った時に、『彼は1度結婚して、奥さんと性格が合わずに離婚しているけれど、5年は持ったのでそんなに悪くない人に見える』 という感じで2人目のペテンにかける人とかが出たりする。

 

世の中には、人を見る目がない。

 

そんな人は結構いて、どちらかとえば、実績で簡単に騙されるとかを繰り返していたりする感じ。

 

よくあるパターンとしてはそんな感じではないかなあ~ と思います。

 

人は、中学生であれば少しは高校受験とかを考えていたりすると思う。

 

高校生であれば、大学受験を少しは考えたりしていると思う。

 

でも、大学生になるとアローンスタートになるとかで母親などと離れてしまい、それまで、『勉強しないとダメよ』 とか、『食事もきちんとしないとダメよ』 なんて感じで口うるさい感じで言ってくれる人がいたりするのがなくなる。

 

1人暮らしだと毎月親からの仕送りが銀行口座に入ってくるので、そのお金で自分が好きな食べたいものばかりを食べて自堕落な生活を送り、かつての私三之橋の友達のように病気になってしまい、それはもう一生治らないと言われたと言っていたようにそこで人生終わったりする人もいたりする。

 

自分自身が余程管理能力が優れているという人でもなければ、友達を選ぶ事でその友達が自堕落にならないと連動して自分もそうはならないようなつられるような形となる。

 

就職活動って一見難しいように見えても、何社も内定を取れたりして、意外とそこは難しくはなくて、実際に現場で仕事をしたりする時に、適応障害とかが起こるのだと思う。

 

高校生であれば、参考書でも買って読めばなんとかなったりして、大学生となれたりする。

 

ただ、大学生の場合ですと、『いったいこの時期に何をやっておけば良いのかがいまいちわからない』 みたいになって、なんとなく就職まではできて入社できたけれど、そこから同期入社でも一気に差が開くというのがある感じ。

 

人は、なんとなく22歳くらいまでは差が出ない感じがあって、そこから社会人になった時に急に大きく差が広がっていくので、昔は良く一緒に遊んだ友達とも会わなくなったりしていく。

 

男性2人、友達同士であったのに、片方が仕事が面白いそうに話すと、相棒はあまり聞きたくない話だったりする。

 

女性2人、友達同士であったのに、片方が付き合っている彼氏とうまくいっていたり、結婚に近づいていくとかあると、あまり相棒は聞きたくない話だったりする。

 

小学生のチビッ子時代くらいからテストで良い点数を取るのに長けていたような人は、どこかの国立大に行って、卒業した後に転落するという人がいる。

 

なぜか?

 

人それぞれの事情は違っていると思うので一概には言えないかと思いますが、1つには、それまで得意という事に頼り過ぎる事で錯覚というか、思い込みが起こるからではないかと思う。

 

例えば、欲しいモノがあると、『ねえお母さん、僕は今度ラジカセが欲しいので、テストで1位を取ったら買ってよ~』 なんておねだりをして、テストで学校で1位になるとかはそう難しくはなかったりして、1位を取ったりして欲しいモノを手にしまくるという人もいる。

 

そういった成功体験が連続して続くと、人はそれが永久に続くと思い込んだりする。

 

大学生時代が学生生活最後だったりすると思っても、今まで得意な事で挫折した経験がないと、社会人になって参考書とかなくても、今まで上手くいっていたという実績があるので、『まあ、会社員になっても楽勝でしょ?』 みたいになるのだと思う。

 

ちなみに私三之橋の場合は、高校生時代であればそれまで一緒にいた友達がスーパー特待生という、よくいる特待生のさらに上の人だったりするので、転落するのも見てしまっている。

 

小学生の頃に塾とか行ったりすると、そこでダツラクしていく人は見続ける感じだったりする。

 

小学生高学年の頃には、クラスにいつも同じTシャツを着ていた、ちょっとわんぱくな子がいた。

 

ある日学校に行くと、その子の家の会社が倒産したと新聞に載っていたと大騒ぎになっていた。

 

そもそも、その子がお金持ちの子とかそんな風に見えないし、家がデカい会社を経営していたとかも聞いた事がなかった。

 

たぶん、誰かに知られるとお金持ちの家の子供という目で見られるので、いつも同じTシャツを着て、そう見えないように努力していたのだと思う。

 

学校では担任先生が、ちょっとワケありで、みたいな説明をしたのですが、結局その子は投稿せずに大阪にあるおじいさんの家に夜逃げしたような話だった。

 

福岡市立の小学校には、なぜか家がお金持ちの子がたくさん通っていて、時々クラスの子のお父さんのデカい会社が倒産した~ なんてことも意外とあったりした。

 

一般の人の感覚ですと、クラスに凄いレベルのお金持ちの子供がいれば、親ガチャでそれは永遠にお金持ちというイメージだったりすると思うのですが、普段から会社が倒産して新聞に載っていたりするという事は何度もあったりして、夜逃げしたのでもう登校しません~ という感じだった。

 

そういう環境で育ったりすると、テレビドラマに、土曜ワイド劇場でセンセーショナルなヌードで主演して一気にブレークして、ドラマで主演ばかりだった大女優さんが、10年くらいで人気に陰りが出て難病になったりする。

 

あるいは、アイドル歌手グループとして、歌番組でいつも出ていて、凄い人気だったのに、意外にも10年持たずに解散していたりする。

 

アイドルグループが解散したら、仕事もなくて、長距離ドライバーとなったりして、急死している人もいたりする。

 

そういうのも見たりしても、特に驚く事もない感じだったりする。

 

ことわざのようなものがあるじゃないですか。

 

『1年とか2年であれば、人は誰でも頑張れたりするけれど、それを続けるのは難しい』 と。

 

私三之橋自身、たぶんずっとトップを走るという人とか見た事がない気がするのです。

 

そういう環境の育ち方をしたりしますと、たぶん、『参ったなあ~、次は大学生か。 身近な友達とかかつてはスーパー特待生だったのにさすがに大学では受け入れ先がなかったみたいで』 みたいな感じで、身の回りの凄そうな友達がどんどん転落してしまい、頼れるものが無くなってしまった。

 

高校3年生を卒業するちょっと前の時期に、友達に、『俺はお前とは一生付き合っても良い奴だと思っている。 これからの時代はコンピュータの時代だと思うので、俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか』 と誘ってもらい、何だかそれは嬉しかったのだと思う。

 

でも、結局1人ぼっちでアローンスタートという、土地勘もない所に大学に行くことになり、誰1人として知り合いもいない感じでのスタートはちょっと心細かった。

 

スーパー特待生みたいな人って1人ではなくて、身近に何人もいたのにバタバタと転落してしまい、何だか自分の人生に陰りが出てきてのを痛感する。

 

『結局何だかんだと言いながら最後まで残れたのは三之橋かよ~』 みたいな感じで、私三之橋はそれまでブログにも書いているように殺されそうになったりしたものの、自殺した未遂事件もなければ、退学勧告決議案で全会一致したにも関わらず退学になった事もない。

 

推薦をもらえたり、受け入れ先の大学があったりして、『さすが三之橋らしいよなあ~、絶対的に運が良い』 とか友だちに言われたりしたものの、正直な感想としては、運が悪い方が生きていて楽なのではないかなあ~ と思うくらい、もう友達が惨敗していた。

 

大学生の入学式に行く頃には、この先どうしようか~、みたいにどんよりした気持ちで入学式に向かう電車の中で戸惑っていた。

 

夢があって、それを追うようなカッコいい人生ではない。

 

なんとなく、合格となった大学でそこで何をすれば良いのかが想像もできない。

 

そんな感じだったので、時間との闘いかなあ~ と思って入学式に国産高級セダンの新車に乗っていた子に声掛けして見たりする感じだったのだと思う。

 

その時にたぶん思ったのです。

 

ここ直近の人生で、いつも何か凄い人が友達になってくれて、何か楽しまくりだった。

 

高校生の頃に旅行とか友だちと行ったりしたのですが、全部その友達が旅行プランとか組み立ててくれて、国鉄の○○駅に〇時〇〇分に到着した列車の〇両目に乗り込めとか言われ、言われた通りにしたらそこに友達が乗っていた。

 

携帯電話のない時代に、ミスったら終わりみたいなプランですが、言われた通りにやれば友達が乗っていて、何だか作業員みたいで楽ちんだったりするのです。

 

そういう楽をし過ぎた人生の代償みたいなものが回ってきたのかなあ~ と思った。

 

それで真逆にやれば良いのではないかと考えた。

 

例えば、入学式で高級車に乗っていた子の話では、車の運転技術をきちんとマスターすればその後の人生が楽ちんになると言っていた。

 

彼女とか、ガールフレンドが、『ねえ、今度の日曜日に新しくできたテーマパークの〇〇〇〇〇に行こうよ~』 とか言われて、運転したいとは思わないのですが、付き合いみたいなもので1人頑張って運転した。

 

土地勘もない道路をカーナビもない時代に走ると道がわからない事があったりして、どこかに端に寄せて畑仕事をしているおじいさんとかに道を尋ねてくるとかしないといけない。

 

車の運転免許証も持っていないし、道に迷っても、『私がちょっと訊いてくるね~』 とか絶対に言わないような彼女と付き合ったりしていた。

 

なぜか?

 

一説によると、兄弟とかに身体障がい者がいたりする子というのは、その子が足かせのようになるので、自分が頑張らないといけないと感じるので脳とかが急速に発達するとかあるという話がある。

 

自分が根がグ~たらな人なので、さらに自分よりも根がグ~たらな人と付き合っていれば、シーソーゲームのようなもので負荷がかかった人の方が最終的に得すると考えた感じ。

 

近所に住んでいる発達障害っぽい人とか、受験勉強で失敗して会社員になって適用障害を起こして精神病になった感じの人を見た時に、誰でも気づく事があるじゃないですか。

 

どんな人でも1人くらいお友達がいたりして、そのチョイしっかりした感じに見える友達がいる事で、その人は悪化の一途をたどっているように見えるのです。

 

例えば、家がお金持ちの子みたいな人が大人になり、借金しまくっても親が支払うと、また繰り返すじゃないですか。

 

親とかが見捨てないと、たぶん、自分の行動は常に正しいみたいに思い込むので成功しないと思うのです。

 

そもそも自分が仕事で頑張っても、頑張らなくても結果はそう大差ないわけで、会社に入って面白くなくても、親が生きていれば借金も支払ってくれるとかで、頑張らないといけない理由がないじゃないですか。

 

認知症の人がなぜあそこまでボケる事ができるのか?

 

たぶん身近にお世話をする人がいる事で覚えないといけない理由がないからだと思うのです。

 

人道上、ちょっとは問題はあるような気もするのですが、大学生の男性が、ノーテンキな女性と付き合い、ドライブでもその人が根がグ~たらな分頑張るじゃないですか。

 

そうするとその後に別れた場合、楽した女性はガツンと転落に向かうのですが、所詮はシーソーゲームなので頑張った人が何かその反動で人生が好転するというのがあるのです。

 

例えば、23歳のOLをしているメチャカワイイ感じの女性が、同じ会社員のイケメン27歳と付き合っていたとします。

 

彼氏が高級車とかに乗っていて、その高級車でドライブでも県外にガンガン行ったりして、いつもガソリン代とか高速代を出してくれていたりすれば、女性は同僚とかにも鼻高々で自慢できて、『人生なんてちょろいものよ~』  と思ったりする。

 

でも、3年後とかに別れたりすれば、女性は一気に人生が転落に向かうのに対して、いつも頑張っていた彼氏の方が逆に上昇するような結果になるのです。

 

例えば、福岡に住んでいる三之橋という男性がいて、大学は東京にある大学に行く事になり、そこでアローンスタートとう土地勘もないところで誰も知り合いもいない大学に行く。

 

そこでもしも、どこかのお金持ちの家の子という男性と知り合い、仲良くなったとします。

 

18歳という年齢でもう普通自動車運転免許証を取得していて、車もチョイ高級車とかスポーツカーとかに乗っていて、友達となった事でその友達の車の助手席に乗せてもらい、土地勘もない都内とか横浜とかドライブに行ったりして、ガソリン代もその友達の負担だと、『助かる~』 と思ったりしないですか?

 

4年間その子と友達でいた事で助かる~ というのはあると思うのですが、大学生活って4年で終わるわけでいつか終わりは来てしまうじゃないですか。

 

その時に困るのは誰ですか? という現実問題では、三之橋という男性であって、いつも自分の車に乗せて運転していた友達が別れても特に困る事はない。

 

若い女性でもそうですが、長崎で生まれ育ち、高校を卒業した時に福岡市内にある会社でOL姉さんとして働いたりする。

 

風俗とかでないわけで、美容師さんでも、アパレル販売でもそんなに高い給料ではない。

 

そんな時に、イケメンではないけれど、三之橋という大学生と知り合い、なぜかチョイ高級車に乗っていたりして、いつもその車の助手席に彼女を乗せて県外にある新しくできたテーマパークまで往きは高速道路に乗って行き、遊んで、帰りは下の道を走って1日ドライブ三昧というか、楽しめるとします。

 

でも、大学生だといつか終わりはやってきてしまうので、三之橋という男性が大学を卒業して新卒入社で東京にある会社で働く事になった事で別れたとします。

 

その場合、三之橋という男性は、大学生で重要な車の運転をしていて、中古とかで買ったマイカーの維持メンテナンスとかもして、彼女を乗せて日曜日とかに長崎県とか宮崎県とかま遠出をして、高速代もガソリン代も負担していたとします。

 

それでは、三之橋という男性は、会社員となって都内で何か困るものってありますか?

 

特にないと思うのです。 自分の車を自分で運転して、かかるお金も自分で工面していただけですし。

 

でも、別れた彼女の方は、それまでの4年間高級車とかに乗せてもらっていたりして、自分では運転もしないし、車を買うとかもしないし、彼氏と別れた途端に不便な暮らしに戻ると思うのです。

 

1度付き合った彼氏がそれなりの良い普通車サイズの車で、遠出するのにかかるお金とかのガソリン代も高速代も出してくれていたりしますと、ある日また男性と知り合った時に、軽自動車に乗っていたりして、遠出もしない彼氏だと付き合った時に、『ゲッ』 と思ったりして、何か納得できないものはあると思うのです。

 

私三之橋の考え方としては、男性の場合、男友達と一緒に大学に車で行くという場合でも、バディシステムを組んで、1日交代でそれぞれの車でその持ち主が運転するような公平さのようなものがある方が損しないと思うのです。

 

女性の場合でも、偶然付き合うようになった大学生の三之橋という男性がチョイ良い車に乗っていたりして、高速代もガソリン代も全部出してくれる感じであったとしても、『私も半分出すよ~』 みたいにやっていたりする方が別れた時とかに自分が困らないと思うのです。

 

新しい環境という生活がスタートした時には、その辺を意識する方が良いかなあ~ と思います。

 

私三之橋の場合は、たぶん高校生の頃まではなんとなく友達にブラ下がる事を考えてきた気がする。

 

それでたぶん殺されそうになったりしていると思うのです。

 

大学生になるという入学式の日に向かう電車の中でちょっとだけ反省して、『手っ取り早く反転させておくか』 と考えた感じ。

 

それまでの人生にはなかった、1番とっつきにくそうな誰も話しかけない人に声掛けして、その国産高級車に乗っている理由を訊いて、『そんな事も知らないで生きているのか』 とバカにされてしまった。

 

スタート時点で大恥をかいてしまえば、そのピーク値を超える出来事でも起きない限り、それが大学生時代の恥ずかしいエピソードになる。

 

後は翌日から一気にクラスの子に、ヒアリング調査している。

 

それも今までの人生では、”お高く留まりやがって~” みたいな感じだったので、一気に挨拶廻りしている。

 

会社員になった時でも、一気に社内の人間は倉庫で働く人でも全部挨拶廻りしておくか~ とやった感じ。

 

18歳の大学1年生になる頃に、入学式の日に向かう電車の中で、自分で人から疎まれている人ってこんな人かなあ~ と想像してみて、発達障害のような人、うつ病や認知症の人、統合失調症のような精神病の人とか、たぶん今の自分の行動を変えろとか言われてもできないと思うので、とりあえず反転してみればわかるかなあ~ みたいな感じ。

 

飛行機でも、背面飛行はできないパイロットはいると思うで、とりあえず背面飛行から入ってしまい、万が一何かヤバいとかあれば元に戻せば良いだけの話だと考えただけかなあ~ と思う。

 

『私は人生上手くいっていないなあ~』

 

そんな人がいれば、それは自分で行動を反転させてみればわかると思うのです。

 

 

 

 

 

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親戚より高齢者と連絡が取れない安否確認

2024-02-10 11:10:39 | 安否確認

ある日、親戚の高齢者と連絡が取れないので安否確認してほしいという希望が起きたりするお話になります。

 

先日、近所のたぶん民生委員っぽい人が家に訪ねて来られました。

 

『〇〇さんが、最近どうなのか? ってご存じですか?』

 

そんな感じで言われました。

 

何か察するにまた何かやらかしたのかなあ~ と思ったのですが、どうも安否確認のような話に聞こえたので、「あそこに屋根なし月極駐車場があるじゃないですか。 あそこの〇〇番に〇〇〇〇色の軽自動車があり、その車が〇〇さんのですから、今動いてないように見えます。 その車が夜19時とか20時に戻っていれば、元気でが外出されていたとわかるのではないかなあ~ と思います」 と私は言いました。

 

その〇〇さんは、学生時代に受験で失敗し、そして会社員になって適応障害を起こしたみたいで重度の精神病となった感じで、年を取って高齢者になり、今ではアルツハイマー型認知症のように見えます。

 

その人の兄弟から、母親が認知症の施設に入れたと聞いていますので、恐らく〇〇さんもそんな感じかなあ~ と個人的にそう思っていたりします。

 

あくまでも〇〇さんご本人が、私と同級生という人にある日精神病で病院に行っている話をしたらしくて、たしかに本人が精神病と言っていれば、見た目と一致しますので、そんな障害があるのかと思うわけです。

 

そういった人は日本全国どこにでも住んでいたりすると思うのですが、誰かが何かを訊くと言うシュチュエーションでは、「私は知りません」 みたいに当たり前のように答えると、訊いてきた人の不安を煽ると思うので、きちんと答える方が後々トラブルになる事もない。

 

後は、「一昨日くらいは、見かけましたよ。 お昼前後、11時とか12時によく出かけるみたいで、そんな感じで見ました。 夜に家に電気が点いているとか毎日チェックはしないので、ひょっとしたら昨日は電気が夜に点いていなかったのかもしれません。 ただ、基本、僕の車もそばにある月極駐車場に移動して、車1台しか通れない狭い路地になるので、家族の車で出かける時は路地奥の方にしかハンドルが切れないので、〇〇さんの軽自動車のある月極駐車場前を通るので、先日木曜日にお昼くらいに買い物に行った時には車は無かったと思います。 その時間帯に出かけるみたいですので、お昼くらいに車がない、夕方戻るというパターンだと思うので、それを見てコウカク、行動確認すれば元気だとわかると思います。 家の中で四六時中わめく感じなので、家の奥の部屋にいると電気が外から見えないとかありますよ」 と言っておきました。

 

そんな話を外で話したところ、『こんな話をして良いのかわかりませんが、実は親戚を名乗る人から地域振興課に何度も電話しているのに出ないのでおかしいので、見にいって安否確認してほしい・・・ みたいな事がありまして』 と言われていました。

 

まあ、普通に考えたら、民生委員っぽい仕事に見えますので、何かワケアリに思ったので、「そうですか。 それでは月極駐車場に今日の夜車が戻っていれば、明日そんな内容で報告しておけば良いのではないでしょうか」 と言っておきました。

 

その後は、とりあえず福岡県警に何か親戚と名乗る人が、〇〇さんの安否確認要請を地域振興課にしたようで、電話に出ないから死んだとか断定はできないと考えますが、重度の精神病なのでお知らせしておきますとお知らせしておきました。

 

後は、松田耳鼻咽喉科病院に外耳炎真菌症で治療に行きました。

 

 

 

外耳炎真菌症で、松田耳鼻咽喉科病院に2回目の通院

 

 

 

昨年12月に耳が痛くなり、どうも外耳炎真菌症となったみたいで、福岡で有名な耳鼻科の病院に行き、耳掃除をして、その後はベッドのある部屋に移動し顕微鏡を見ながら耳掃除、耳の中の洗浄、耳掃除とやって帰りました。

 

家に帰って、ソファーでテレビを観ていると携帯に着信があり、県警本部となっていました。

 

昼間に内容をお知らせした件で、一通りあったことを言って、後は本人が精神病で警察のパトカーが来て通報されたとかで注意されるとか、高齢者で安否確認依頼を親戚を名乗る人が地域振興課にしている点など、自宅で死亡した可能性もあるのでお知らせしていたと言いました。

 

警察官の話をざっくり書いておきますと、コウカクで月極駐車場に車がないという事は出かけているだけと判断でき、逆にこれが車は月極駐車場にあって連絡が取れない方が危険となる。 後は電話をかけた人がいて、電話に出たくない事もあるわけで行方不明と断定もできないので、今の様子見で問題ないとの事でした。

 

夕方になり暗くなると、また昼間の近所の人がうろうろ家を見に来ていました。

 

たぶんね、”何かあったらどうしよう” みたいな気持ちになるとかあると思います。

 

さらに暗くなった時に日課のウォーキングに出掛けようと服を着替えていたら、ドンドンドン、何かそんな音が聞こえました。

 

外に出て、「あれれ、〇〇さんの家に電気が点いている」 撮影し、その時に、そばにあるマンションの屋内駐輪場に警察官が見えました。

 

いつもウォーキングに出かける時に自販機で冷たいものを買っていくので自販機に行く時にその賃貸マンションの前を通るのですが、警察官2名と〇〇さんが話していました。

 

雰囲気から推察しますと、前日に誰かにまた110番緊急通報でもされて、パトカーが家に来ると思ってどこかに雲隠れしていたのではないでしょうか。

 

携帯の電源を入れると位置情報が追跡されますので、電源でも落として温泉施設などで過ごす。

 

そうするといつも電話で話しをする人が電話に出ないので、地域振興課に電話してしまう。

 

その連絡が近所の民生委員っぽい人に回ってきて、1日に何度も家の様子を見に行く。

 

町内会長とか、組長とか、民生委員っぽい人とかにはよく高齢者の親族などから何かあった時の連絡先等登録されている人が多いとか、そういうお仕事の人だと個人住宅の家に行って様子を見るとかもされますので、地域振興課に電話して対象者の住所や名前などを言うとそれが下に下りていくのかなあ~ と思います。

 

全然そういう感じでない人が個人住宅の中を覗いていれば、巡回中のクラウンパトカーに職質されるとかあると思いますが、そういうお仕事の場合は、その点安心という感じでしょうか。

 

今回の場合は、推測20歳の成人になった頃には何か精神病を発症していたっぽい人なので、そういう人って実年齢プラス20歳くらいの老け方をしていくので、認知症で出かけて家に帰れないのかもしれない。

 

そういう心配で親族の人が異常を感じているという連絡をしたのかもしれない。

 

そうすると警察に言った方が携帯電話から位置情報を割り出せるので捜索は早いと考えられる。

 

後は、昔警察官が、『人が殺される悲鳴が聞こえたと110番緊急通報がありまして』 と夜にやってきた時に、結局その〇〇さんが家の電気を全部消して留守を装っていた感じで、その家の周りに刑事さん達が何人もいて、『中に潜んでいるのを確認しました』 と言っていたので、また警察沙汰をやってしまって家から逃走したのかなあ~ と思った。

 

その場合、捜している人は警察関係者という想像になる。

 

そんな感じで、情報は共有しておく方が良いと判断して県警本部にお知らせしておきました。

 

そうすれば、より事態が悪化するという事は避けられると考えられる。

 

後は、”自分の行動が常に正解” と思い込んでいる人は幸せから遠のく人生になるので、「こんな相談があったので、私の考え方としてはいつも契約している月極駐車場に車で出かける昼とかに行って、夕方に帰るので夜にでも月極駐車場に車があるかを確認すれば良いと思う」 という部分がおかしくないか? というのは警察官に言ってみて、『それはマズイですね』 と言うのかもしれないわけで、検証しておく方が良いじゃないですか。

 

通常、付き合っている彼女が急に連絡が取れなくなり、マンションの部屋で倒れている可能性がある。

 

みたいな相談ですと直接管轄の警察署に出向くと思う。

 

そもそもその人が親戚を名乗っているだけで、ひょっとしたら友達とか、知人なのかもしれないじゃないですか。

 

役所だと身元の確認はしない性善説で動くと考えられるので、ひょっとしたら悪党に狙われているのかもしれない。

 

福岡市内だと住宅街に1日何回も巡回のクラウンパトカーとかが通るので、夜に家に電気が点いているのかを現場のPCに確認させられば良いわけで、また何かやらかしているのかもしれない。

 

ただ、精神病とか、認知症って翌日にはなぜ逃走したとかもう記憶がなかったりして、ひょっこり自宅に帰って来たりすると考えられる。

 

そんな感じで、自宅に近所の誰かが訪ねて来て、何か相談でもされれば、それは真面目に答えておき、同時に警察に情報共有しておくという手じまいをする感じ。

 

ひょっとしたら知人と喧嘩でもしていた場合、精神病同士の喧嘩は何度もやるので、最初に警察に知らせておけば巡回のパトカーが増えるとかで、特に住人にとって弊害などはない。

 

 

 

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外耳炎真菌症で、松田耳鼻咽喉科病院に行きました

2024-02-06 18:57:41 | 突発性難聴

外耳炎真菌症という、耳の中にカビが生えたという事で福岡で人気の松田耳鼻咽喉科病院に行きました。

 

 

松田耳鼻咽喉科病院の写真です。 左手に建物と駐車場,道路を挟んだ反対側も駐車場。

 

■参考資料:

 

外耳炎真菌症で、福岡の松田耳鼻咽喉科病院に行く

 

 

 

昨年12月に耳掃除をやり過ぎたみたいでどうも外耳炎になってしまいました。

 

脳天直撃のような痛さで、耳ダレも出てしまい、パピナリンをAmazonで買って使いました。

 

耳ダレに関して効果てきめんな感じでした。

 

なぜか、耳掃除しないで気を付けた右の耳も同様に痛くなり、パピナリンを点耳。

 

どうも左とは症状が違い、1カ月経っても難聴が治らないのでイヤースコープで覗いたら白いカビがびっしりでした。

 

イヤースコープのLEDライトはホワイト照明なので、「普通耳垢は茶色いかなあ、マズイわ、カビだわ」 となり松田耳鼻咽喉科病院にウェブ予約を入れておき、本日行ってきました。

 

個人的な所見は当たったようで、外耳炎真菌症でした。

 

外耳炎ってそもそも細菌の炎症なので、専用のパピナリンを投入すれば、細菌が死んで、代わりにカビに住みやすい環境となるのでカビが生えてしまう。

 

まあ、耳が悪くなって突発性難聴になる人とかいると思う中で、取り急ぎパピナリンか~、 とやったら真菌症となってしまった感じでした。

 

外耳炎と違い、外耳炎真菌症はカビを耳鼻科の掃除機で掃除しないと、自然には、ほぼほぼ治らない。

 

あまり放置すると難聴となったのが悪化する事もありますので、松田耳鼻咽喉科病院に行って来ました。

 

 

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失敗した事で、コンピュータを操る人になった

2024-02-06 10:32:54 | 会社員ゲーム

今回は、よく、『私は失敗したりするのが嫌で』 とか言われる人がいるのですが、失敗をした事で人は成長するようなところがあるというお話になります。

 

私三之橋の場合、どこかの会社で働いた時に、”コンピュータのスペシャリスト” みたいな感じで言われたりする。

 

それで、有名な凄そうな国立大学を卒業した人から、『三之橋さんはいつも仕事がいっぱいで、それはどこからどういう風にもらってくるのですか?』

 

その人の悩みを打ち明けられた時に、どうもその人は会社の中に仕事を回す部署のようなものがあり、登録センターのような所に自分がきちんと登録していないのではないか? それで自分にお仕事が回ってこなくて、朝出社した時から1つもないと想像したらしい。

 

後は、コンピュータに関して、『三之橋さんはコンピュータのスペシャリストで凄いと思うのですが、それはどこに行けば習えるのですか?』 というのも訊かれたりした。

 

例えば、会社に役員のもうおじいちゃんという人がいて、若い時、入社した時代にコンピュータとかはなかったのかもしれない。

 

そんな人が営業とかで活躍し、年を取った時に周りがみんなワープロ操作を勉強したりして書面を作ったりしても、『俺は絶対にそんなものをやらないぞ~』 と言って、OL姉さんに頼んだりして何とかした。

 

定年という年齢が近づいた時に、役員がバタバタと倒れたりして、抜擢され役員まで昇りつめた。

 

そんな時に、潮目が大きく変わった。

 

『これからの時代、コンピュータができない人はもうダメなんだ』 となってしまい、役員全員にモバイルPCとか、そういうのが一式支給された。

 

役員は、会社にパソコンの専門家の講師を呼んで勉強するようになった。

 

こんな話をすると信じられない人がいらしゃるかと思うのですが、会社に社員にパソコンの操作を教えるスペシャリストみたいな人がいた。

 

ただ、役員はなぜかその人から習うので、わざわざ外部から専門のスペシャリストの講師を呼んでいた。

 

パソコン教室に行こうぜという発想はない。

 

私三之橋の上司の役員にもモバイルPCが支給され、セットアップとかの説明などもしたいとそのスペシャリストの人が役員に言ったら、『俺は三之橋から習うので、必要ない』 と断っていた。

 

あり得ない話だと思うのですが、社内にパソコン操作の講師がいて、その人は役員全員にそんな感じで、『俺は困っていいないので必要ない』 とその人に何か習おうとかしない。

 

そんなPCを触るのも絶対に嫌という頑固というか、拒絶反応が異常なくらいな人がいて、『俺には三之橋がいるので、あなたは他の人に教えていなさい』 と言ったりする。

 

それで、役員がメールで見ようとした時に、『おい、三之橋~』 と呼ばれたりする。

 

PCに興味がなさ過ぎて、何か調子が悪くなるとかあったりする。

 

たまに心配そうな顔もされる事があるので、『「大丈夫ですよ、もしも壊れたら新しいモバイルPCをヤマダ電機に誰かに買わせに行きますので、まあ僕の予算で100台くらい買えると思います」 と言ったりする。

 

『おい、いくらパソコンができない俺でも、100台は怖さないと思うぞ』 とちょっと叱られる。

 

PC操作ができない人に教える時には、相手が役員でそんな冗談を言えないと距離感とかが縮まらない。

 

後は、仕事で、『三之橋さん、ここはどういう風にすれば』 というものでよく行列ができたりしていた。

 

会社員ゲームの難しさというものの1つに、いくら自分の仕事ができたとしてもダメで、周りの社員に何か教えられるという人でないと評価は低いというものがある。

 

有名な国立大学とかを卒業し、なぜか自分には仕事が回ってこない。

 

でも、この目の前にいる三之橋という人は、自分よりも低い学歴なのに、仕事が溢れるくらい回っていて、その1つに役員などにも操作を教えてと言われている感じで、毎日何度も役員が、『おい、三之橋~』 と自分のデスクに呼ぶというのがちょっとだけ羨ましいと感じたみたい。

 

その会社では、いくつかの部門で三之橋がトップではないか? みたいなものがあった。

 

コンピュータ。 社内でシステム部という専門部署があり、業務の改善でここを改良してと依頼する。

 

コンピュータに関してのお仕事というのは、いろいろあると思いますが、システムの設計みたいな人というのはコンピュータに関する仕事をしている人のある意味頂点みたいなものだったりする。

 

仕事に関してわからないので相談に来るという人がいる。

 

よくテレビニュースでどこか有名な大学を出た人がどこかの凄そうな上場企業に入社して働いた時に、与えられた仕事が上手くいかないとかで自殺したニュースが報道されたりするじゃないですか。

 

現実問題として、どこかの上場企業に勤めたりする人というのは、もっとあっさりした人が多いので、『こんな問題は自分で考えてもわからないので、さっさと誰かに訊いてしまおうぜ~』 みたいな人が多い。

 

それで社内の誰かに訊くというラインのようなものを持っていたりするので悩まない人の方が多い。

 

後は未曾有の事件とかが起きた場合、それは経験した事がないと失敗するかもしれないので、シェルパみたいな人にその仕事を振る。

 

”シャルパ” というのは、本来チベット山脈のエベレストに登山する人達の荷物を運んでいた人の事で、荷物を運ぶ過程で登山ルートとかいろいろ経験していくので、『良いシェルパを雇った方が登山は楽だったり、確実となる』 という感じでガイド能力を買われるようになっていった。

 

上場企業には、”緊急事態マニュアル” とかがあったりする。

 

未曾有の地震とか、滝のような大雨の豪雨とか、台風とか、そういう自然災害でも発生したら、社員は提示に出社しないといけない。

 

管理職の場合は、公共交通機関が麻痺すれば、自転車をかっぱらう、みたいな勝手に盗んでそれに乗って会社に向かうとか、タクシー会社にお金をちらつかせて1台チャーターしてしまうとか、方法は自分で考えて出社しろとなっている。

 

ことわざのようなものに、『人は誰もが同じに見えて、でもその決定的な差というのは緊急事態が起きた時に明らかになる』 といわれている。

 

よく車の運転でもそうだったりするのですが、運転が下手くそだと雇えないじゃないですか。

 

例えば、”雪が舞い散る事はあっても、積雪は滅多になくて数年に1度” とか言われている。

 

それじゃあ、会社にクレームとかの電話があって、得意先と会うという段取りになっていて、そこに大雪が降ったり、台風とかで大雨になったとします。

 

『こんな天候ですので、今日会うお約束は後日という事にしませんか?』 と相手の会社に電話でもすれば、その会社に会う人は出社していたりするわけで、余計怒らせることになったりするじゃないですか。

 

大雪でホワイトアウトしていて吹雪でも、そこに当たり前のように車を運転していけないと、『そんなレベルの人がうちのクレーム担当なのかよ~』 みたいに舐められてしまうとかある感じ。

 

車の運転くらい誰でもできる、おばちゃんでも下手くそなりに軽自動車に乗ってスーパーに買い物に行ったりしているでしょ?

 

何だお前らは、そんな事もできないのか?

 

みたいに思う人は少なくない。

 

例えば、小学生1年生の子供でも、雪が降った日にいつものように学校に行って、帰りは雪合戦して遊んで帰ってきたりするじゃないですか。

 

でも、人は大人になると、『ちょっと寒いので今日は出かけるのはやめない?』 と言ったりするように、ダレてしまうとかが珍しくない。

 

適切な表現かはわかりませんが、今年1月に令和6年能登半島地震が起きたじゃないですか。

 

ある日、人は災害とかに遭遇したりすると、自分でどうして良いのか? を考える事ができなくなったりして思考停止したりする。

 

でも、企業の場合は、思考停止していられない。

 

もしも、何かの業界で第1位だと、2位とか3位とかの企業がそこで順位を入れ替えるチャンスとなるので、損失が拡大しないようにしないといけなくなるじゃないですか。

 

『現場はこんな感じで、いったいどうすれば良いですか?』と訊いて、さっさと、「じゃあ、こうしてください」 と言って行動に移さないと時間だけが過ぎていくという事になってしまう。

 

その為、管理職の人とかは、災害があろうとまず出社しろとなっていて、ほんとに出席しているかの確認もしている。

 

みんなが経験した事もない事が起きた。

 

さあ、あなたならどうします?

 

企業の場合、経験した事のない出来事に遭遇した時に、『あの人が生き残るというスキルに長けているので、あの人に仕事させれば良いじゃん』 みたいなノリだったりする。

 

”成功率97%” みたいな、要は会社の中でその人が1度も失敗していないという人から適任者を想像する感じでお仕事が回ってくる感じ。

 

『ほんとに、ほんとに、1度も経験した事のないのに仕事が回ってくるの?』 と真顔で訊いて、ネタとかでないのか? みたいに信じない人がいらっしゃるのですが、経験した事がお仕事で廻ってくれば誰も自殺するとか精神病むとかないじゃないですか。

 

みなさんは、こんな風に思った事はありませんか?

 

例えば、テレビを観た時にあるドラマで、「この人は昔からずっとテレビに出ていて、生き残るスキルに長けているなあ~」 と感じた事はないでしょうか。

 

昔テレビで毎日というか、毎週ゴールデンタイムのドラマで主演で出ていた俳優さんがいて、凄い人に見えた。

 

でも、大人になって再放送で見た時にネットで何となくその俳優さんをググったら、出演作品の紹介で10年くらいでその人気に陰りが出てしまい、晩年はチョイ役で出ていた感じだったりする。

 

歌番組とかでも、凄くテレビに出ていたアイドルグループが、10年も持たずに解散したとかあったりする。

 

どちらかといえば、そんな感じの人が多い気がするのですが、なぜか主演でドラマに出ているという、生き残るスキルに長けているという人は実在しているじゃないですか。

 

会社って変わっているところがあって、社内にいる根がグ~たらな社員とかを把握している。

 

会社の総務の人の話では、社内のネット回線とかメールもチェックしているらしい。

 

プロテクト社員みたいな人のメールは全部読んでいるらしい。

 

上場企業とかで働いている人って、どちらかといえば人としてはクズ、みたいな人がほとんどだと思うので、メールとかを見ると、仕事中にメールに証券会社から株式売買でいくら儲かりました~ とかの約定メールとか含まれる。

 

会社員の世界は変わっている。

 

車を1台持っている社員がいて、なぜかマイカーローンは3台持っている事になっている人とがいる。

 

シンプルな話として、マイカーローンが1番金利が安いとかあり、上場社員だと会社名書いたら審査とかないので、審査に通過して、銀行口座に振り込み着金したら、車は買わないとかがあった。

 

それで飲み会とかの資金に困らない。

 

あまりにもそういう人が多かったのですが、マイカーローンの担当者もノルマが消化できれば良いので、『多分この人は車とか買わないんだろうなあ~』 と思いながらも審査合格~ とかやっていた。

 

どちらかといえば、器用な人間が集まっている感じで、なぜかそこに不器用な人もいる感じ。

 

例えば、会社にきたクレームでそれを解決するのが難しい、勝算はないとかの計算をどうしてもしてしまう人が多い。

 

そうすると、会社のCEOとか、社長から電話でもあると、『申し訳ございません、得意先の〇〇〇〇〇と商談の予約が入っており行けません、役立たずで申し訳ございません』 と言って、その後に得意先に商談の電話を入れる感じ。

 

頭の悪い人が少ないので、勝算のないゲームをやって失敗をしても何の得にもならないじゃないですか。

 

それで私三橋とかに回ってくる。

 

それで朝出社したらなぜか回ってくる。

 

それで本部長とかの携帯に電話して、「三之橋です、この度こういう案件が回ってきて請ける事になりました。 そこでご相談なのですが、どの辺が落としどころとかのご希望とかってありますか。 ラインを合わせておきたいのですが」 と挨拶しないといけない。

 

よく大学生とかの人が誤解して、仕事は上の人から電話がくるとか思い込んでいる人がいるのですが、下っ端から上に電話するという仕組みだったりする。

 

『いや~、三之橋君、聞いているよ~この度は災難だったね~』 と実に楽しそうに言われる。

 

『それ社長の仕事でしょ? そんなものに僕が意見したとかバレたら明日出社したら僕のデスクは捨てられている事になるので、言えないなあ~』 と言われる。

 

会社員をやった人ならわかる話なので、仕事を押し付けられて仕方なく電話でもすると、”人の不幸は蜜の味” みたいな感じで実に楽しそうにしか見えない上司がほとんどだったりする。

 

例えば、『俺がもしも三之橋だったら、まずはここをこうするかなあ~』 みたいな親身になって答えるようなテレビドラマに出て来るような上司であれば、助かると思う。

 

でも、現実はそうではなくて、『三之橋のやつ、地雷踏みやがったぞ、ざまあみろ~』 みたいな感じで、人生で宝くじでも当選した人のように笑いまくっていたりする感じ。

 

自分が困った時に、ドラえもんが出て来てくれて何とかしてくれるわけでもないし、ハクション大魔王が出て来る事すらないわけで、自分で考えてなんとかしないといけない世界。

 

なんとかできないとまあ、会社を辞めるしかなくなるだろうなあ~ みたいな感じ。

 

そんな感じなので、その凄い国立大学を卒業した人から見た場合、『そうだ、三之橋はコンピュータの事に詳しいので売役員の人にも教えているわけで、自分もコンピュータであれば暗記するのはメチャ得意なので、その方向性で行くか~』 みたいに思うみたいなのです。

 

でも、私三之橋の場合でも、そもそもコンピュータを勉強しようとか、将来はコンピュータに携わる仕事をしたいなあ~ とかそういう感じとは程遠いものだった。

 

私三之橋の場合は、高校を卒業する少し前にいつも一緒の友達に、『俺はお前とは一生付き合っても良い奴だと思っている。 これからはコンピュータの時代だと思うので、俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか』 と誘われた。

 

それでデスクトップPCを買ったりしたものの、綿三之橋は大学生となる事になってしまい、友達とは別れてしまった。

 

大学生になってその友達に、『みんな集まって飲もうぜ~』 と誘われた。

 

まあ、今振り返ってみると10代だったので飲み会はおかしな話かもしれない。

 

それで待ち合わせた駅で会って、そのままお店に入って行った。

 

何だか今どうしているの? みたいな話で、コンピュータの専門学校は辞めてしまったみたいで、私三之橋としては何か誘われて一緒に行けなかったので悪いなあ~ みたいに感じたりしたが、友達はその話はしたくないと言うので言わないでおいた。

 

友達が付き合っている年上のお姉さんの彼女の家という感じのアパートで暮らしているのでお前も泊まって行けと言われてしまいタクシーで向かった。

 

それで行ったら、その彼女のお姉さんが出てきて、凄い剣幕で怒られた。

 

『今何時だと思うの? 夜中の3時だよ~、普通の人はもう寝ているのに大声出してバカじゃないの~。 先週大家さんの家に誤りに行ってきたばかりなのに、何してくれているの~』 とお姉さんが大声で怒っていた。

 

『君たちいくつなの? 言われてもらうけれどね、君たちどんな育ち方をしているの? 育ち悪いよね?』 みたいな感じで、酔っぱらった友達が酩酊状態でもう寝てしまったのに、正座してずっとそんな感じで叱られていた。

 

次第に話がズレていき、『君友達だよね? 友達なら友達が困っていれば助けてあげないとダメでしょ?』 と怒られた。

 

どうも友達がコンピュータの専門学校も辞めてしまい、毎晩浴びるように酒を飲んで帰ってきて、お姉さんのアパートなのでお姉さんも困ってしまっているような話に聞こえた。

 

でも、その時は、「そんな人を助ける余裕なんてないよ」 と私は思った。

 

想像してみてください。

 

高校生になり同じクラスに頭のおかしな人がいて、『みんなでやって三之橋のせいにして学校を辞めさせて首を吊らせようぜ~』 と宣言というか命令した人がいた。

 

無実の罪を着せられて、三之橋退学勧告決議案では全会一致の賛成となってしまった。

 

世の中には、何の躊躇いもなく人を殺したりする人がいて、少年刑務所に収監されていたという人と出会い、三之橋は100対1の喧嘩をして負けなかったという、そこにフォーカスしていた。

 

『お前スゲ~根性しているよなあ~』 みたいに感心された。

 

それまで人を虐めていた人がいて、唯一虐める過程で失敗してしまい、往きているというのが三之橋だったりする。

 

そういうイメージ、喧嘩しても負けた記録のない無敗のチャンピオンみたいに言う人がいたりする。

 

でもね、そんなにカッコいい話ではないと思う。

 

自分が未熟なので人に殺されそうになったりする。

 

例えるならば、お店に1枚ものの大きなガラス窓があり、ある日台風のような感じで何か飛んできて、窓に当たってしまい、一瞬で無数のひび割れが入り、でもなんとか粉々には散っていないような感じ。

 

人に殺されそうになったショック、何とかしようとギリギリでしか勝てていない感じのショックもあったと思う。

 

中学生の頃に引きこもりになった小学生時代の友達の家にはなぜか良く行っていた。

 

たぶん、その子は学校が嫌いなので、『三之橋君、学校はどう?』 とか絶対に訊かないからだと思う。

 

ある日、自分を殺そうとしている人が言っていた台詞を聞いて、吠えるだけの犬かなあ~ みたいに思った。

 

でも、吠えるだけでなくて噛む犬であったという、スジ読みという部分で思いっきり外してしまい、ふと見たら100人がかりで自分を辞めさせようとしている人達がいた。

 

そのくらいは何とかできた感じですが、全力でやっても勝てないような、どこかそういう無力感を感じた。

 

映画を観ていて、殺人鬼に襲われた人が、『キャア~っ』 と叫んで何もできずに殺されてしまうシーンを見ると、何か自分がその殺される人とカブってしまう。

 

偶然に知り合った友達がいて、それで力強いところがあった。

 

卒業する前に一緒にコンピュータの専門学校に行こうぜと言われ、3年か4年か一緒だとしばらく何も考えずに済むというので嬉しかったのだと思う。

 

何か自分が苦手な事で足を引っ張らないように、ゲームをして、たまにキーボードのキーの位置を暗記しようとかやっていた。

 

そんな感じだったので、大学生となるという事でのアローンスタートでは、入学式から誰かと仲良くなろうと声掛けをして、恥もかいた感じで、新車の国産車に乗っていた子に、車の運転がこれからの人生を左右するファクターだと聞いたので真似ようとした。

 

ヒアリング調査して、「ねえねえ、あそこにいる子が新車の高級車に乗っていたのを見た? あなたももう免許持っていて、車とかもローンで買っていて乗っていたりするの?」 とか訊いて廻った。

 

そういう行動になっていたのも、すべては高校生時代の失敗から学んだ事だったと思う。

 

「自分は何をやれば良いのだろうか」 みたいな目標もないのはしんどいと感じたから、次のステージの大学生時代では車の運転の練習でも一気に本気モードでパターン解析するとかやっていた。

 

その結果、就職活動をして内定も頂戴できていき、1番凄い会社では都内の芸能人でも住んでいるような街にできた新築マンションの部屋を用意していただき、フェラーリより高いという感じだった。

 

何か殺されそうになった子が少しだけ前に進めているという感じがして、それが嬉しかった。

 

根がグ~たらなので、引きこもりの子とそう大差ない感じで、自宅に引きこもらないだけマシかな~ みたいな差でしかなかったのに、「俺もやればできるじゃん」 みたいに何か弾みがついていった。

 

「これで満足するのか? それとももっと高みを目指すのか?」 みたいな部分で、もう1段上にギアを入れよう~ となっていった。

 

それで新社会人デビューして、会社員1年生になった。

 

お局様のいない会社を目指して、それでその時は良くても、5年後とか10年後にいざそういうお局様に転職した会社で出会うとまた何もできないのかもしれないので、最初の会社で出会っておきたいと考えるようになった感じ。

 

そんな感じで会社員1年生となった感じで、同じ課にいたお局様大ボスに初日に睨まれてしまった。

 

そういう経験をして、ある日システム部の部長が、上司である部長と話しているテーブルに呼ばれて行き、3人で座った時に、殺気だった空気の中で、『三之橋君どう? そのくらい君でもできるでしょ?』 と言われた。

 

信じらない人もいると思いますが、システム部の責任者の部長は、同じ課にいて、1日中暇そうに見えていた。

 

それで、定年まであと何年という感じになっていて、私三之橋の上司は部長でもその人よりかなり年下となる。

 

たまにいるのですが、自分よりも年が下の人に何か言われると、『あなたにはわからないと思いますが、僕は一杯の仕事をしているんですよ』 みたいな感じで突っぱねる人が実在している。

 

それで私三之橋が、「わかりました」 と言うと今度は上司が三之橋が呼ばれて押し付けられたのを見てしまい、『それじゃあ、1人プログラマーを雇うのでその面倒を見て』 と言われた。

 

会社員となって最初にコンピュータに関しての仕事は社内にあるシステムとは別にもっと最新型のものを作ってしまい、それを大手銀行に提出して審査を受けて、メインバンクを乗り換えてしまうという事になった。

 

それで自分よりも年上で職務経験も長いゲームしか作った事のないプログラマーの人が採用となり、何かあると、『言われたここまでできましたが、次は何をすれば良いですか?』 と訊かれる。

 

一緒に仕事をしていく仲間なので、『僕はゲームしか作った事はないのでよくわからない畑違いではあるのですが、ここはこういう風にしてみるとかはどうでしょうか?』 なんて意見でも出してくれると良かった。

 

でも、その真逆で、何か1つでも訊くと、『俺はゲームしか作った事がないのでわからない』 と怒られる。

 

その辺くらいから捻じれていくのを感じた。

 

まず、システム部の部長は上から命じられた仕事を忙しいという名目で断ってしまった。

 

会社員なのでとりあえず請けてしまい、できないならできないでその修正で誰かを雇うとかすれば良かったと思うのに、まったくやる気が見えなかったと思う。

 

私の上司はそれを見てイラっとしたかのように見えてしまった。

 

何か同じ課にいて、仲がさらに悪くなるように見えて、上司はハブっているように見える。

 

それでいざシステムができて審査に出して、楽勝で審査に通過してしまった。

 

例えるならば社長室の応接セットのテーブルに現金で10億円をドンと積み上げた感じ。

 

会社員の生涯年収は2億円とかいわれていたので、挨拶代わりに10億円積み上げて、「釣りは撮っておいてください」 みたいな感じになるので、”あの新入社員のちょっとバカに見える奴がこんなに稼ぐのか” みたいなイメージとなるじゃないですか。

 

そうなると、システム部の部長はもう要らない人ではないか? みたいに見えてしまうじゃないですか。

 

会社がメインバンクを変えようと説明した時に、『わかりました』 と請けてやってみて、審査に落ちた場合、そこで忙しいのでと言って誰かを雇えば良かった。

 

でも、たぶん審査されるとその人のレベルが低いとか言われると察したと思うので断ってしまった。

 

たぶんそれで自分の居場所がなくなった感じになっていく。

 

そうすると、上手くいったらいったで、『三之橋君、あのくらいは誰でもできる仕事なんだよ』 と言われるようになっていった。

 

私三之橋が何かをやったのではなくて、システム部の責任者の部長が勝手にコケてしまい、捻じれていった。

 

後は、私三之橋として、お局様界大ボスのおばあさんのやっていた仕事の取引先の管理という、センター長みたいな仕事を経験させてもらい、もうしばらくはその仕事をするだけという感じなったので、転職をしていく事にした。

 

1つは、システム部の責任者の部長が定年まで数年まだあるうちに、1度その仕事を返しておけば、会社員となった時に各内で奢ってくれたりしていろいろ教えてもらった恩は返せるかなあ~ と思った。

 

私三之橋がシステムを作ったわけで、しばらくは改良もしなくて良いのでそのまま定年を迎えてもらえれば良いじゃないかと。

 

ただ、それも余計頭にきたのかもしれない。

 

私三之橋の後任の仕事は自分がやると言い出して、『三之橋君、君のやっていた仕事、前任者の〇〇さんも勘違いしていたけれど、あれは誰でもできる仕事なんだよ』 とお局様界大ボスの人の事もボロクソ言っていた。

 

後から聞いた話としては、私三之橋が辞めてから1年もしないうちに取引から苦情が営業とかにくるようになっていき、上から目線の言い方などの態度とかを言われ、『おたくの会社はあんな人がフロントに立つなんでどうかしちゃったのではないか』 みたいに言われる事が急増していったらしい。

 

何と言うか、仕事ができない人というイメージになった事で向きになるという感じになったのだと思う。

 

『僕でもこのくらいはできるんだ』 みたいにやりたくなった感じで暴走してしまった。

 

あまりにもひどかったらしくて、結果定年前に辞めさせられたらしい。

 

例えば、コンピュータシステムの部署は会社の裏方さんみたいな感じとなり、表舞台には出ないような感じだったりするので、無理があると思う。

 

ただ、お局様界大ボスのおばあさんがやっていたわけで、社内の誰もが何か言われると、『はい』 としか言えない感じだったので、センター長みたいな仕事を定年前にやってみたかっただけなのかもしれない。

 

ただ、そのしゃべれない人が表舞台に立った事で取引先からは苦情が殺到し、その結果100名以上の社員が職を失い、軽く見積もっても損害は100億円超えているみたいな酷い結果となってしまったらしい。

 

そんな感じ。

 

人それぞれ人生は違っていると思う。

 

例えば、幼稚園生とかで親が将来にコンピュータに慣れておく方が良いとPC教室に通わせているケースがある。

 

一説によれば12歳までに習慣化すれば、コンピュータに対して苦手意識とかない人生になるといわれていたりする。

 

そのまま、『俺ってPCとか好きなので』 という感じで大学を卒業してどこかの上場企業でシステム課とかで働き、その頂点となるシステム設計に携わる人もいると思う。

 

企業のすべてが、自社開発したシステムを使ってはいないので、システム系の会社に丸投げして作ってもらい、その保守管理をしているケースもある。

 

自社内にシステム系の人間を抱え、すべて自社開発している企業というのは、頭の賢い集団なので、システムを第三者に発注はしていないと思う。

 

パターン解析されるとどうしてもスキームに秘密があるわけで、プログラムはパターン開設防止型で作ってあるので、普通はシステム屋さんというスペシャリストが見たところで理解できないようにしてある。

 

システム系のお仕事というのは、原則社内の裏方さんみたいになるので、フロントに立つ仕事ではないので人当たりとかはあまり関係もない感じもある。

 

どんなにその人が仕事ができる人であったとしても、どんなに専門知識が優れた人であっても、人当たりが良くないとどこかの会社の人の前にその人を出すというのはやらない傾向にあると思う。

 

例えば、『俺は人当たりが良くないので、目つきもよく変質者っぽいと知らない人に110番緊急通報されパトカー呼ばれた事がある』 みたいな人だと不動産会社の小っちゃな会社のカウンターで接客するとか、内覧で案内するのは無理という事もあるじゃないですか。

 

でも、どこかの上場企業のシステム系に勤める事ができれば、それは人当たりが悪ければ社内で友達ができないくらいのリスクで済むし、その人がいないと困るので解雇もないと思うので夢の仕事なのかもしれない。

 

安定感のある職種となると思うし、それを専門で学生時代からスムーズにどこかの上場企業とかのシステム系で働く人はいると思う。

 

あくまでも私三之橋の場合は、そんな順風万端な人生とは程遠い人生だったというだけである。

 

そもそも、長い人生の中で誰かに殺されそうになるという事がほとんどの人にはないと思う。

 

例えば、平成29年の東名高速道路夫婦死亡事故でもみてみてください。

 

ある日、偶然に高速道路のパーキングエリアの駐車枠のない通路に駐車してあった車があり、ミニバンが横を通る際にスライドドアを開けて、『邪魔だ、ボケ』 と言った。

 

それを少し離れたところでタバコを吸って見ていた事で、急に走り去った車を追いかけてしまい、煽り運転とか繰り返しているうちに死亡してしまい、現在刑務所に収監されているじゃないですか。

 

例えるならば、その日に偶然出会ってしまい、言い方が悪かったくらいで殺されているような感じなので、”撲殺” じゃないですか。

 

そういうのとまったく違っていて、『三之橋の野郎をみんなで追い込みかけて學校を無実の罪で辞めさせて首を吊らせるぞ』 と頭のおかしな人が何人いままでに殺してきたのかわからないですが、それって、”故殺” じゃないですか。

 

三之橋を苦しめて殺してやると何日も掛けて罠にかけていて、三之橋が退学勧告案で辞めさせられると想像した時にもう笑いが止まらないとかそういう世界じゃないですか。

 

そんな頭のおかしな人に命を狙われるなんて長い人生で1人いるかどうかだと思う。

 

三之橋が罠にかかったとそう見えた時に同じクラスの本来相棒じゃないかと思う奴が笑いをこらえきれずに笑っていた。

 

殺されそうになったのにその学校にしがみつく必要はないので適用解除しようと考えた。

 

ただ、適用解除するってことは自分に対しての加害者を同じ目にするという報告制裁となり、普通に考えた場合、その子がそこまで無茶できるのは保護者がいるからで、そこを1番最初に叩く事が予見される。

 

三之橋という学生が退学勧告決議案で全開一致で決まり退学手続きをしたら、たぶん転校の手続きを取り、その学校での首吊りゲームをリークして学校が大損害になり、その加害者のお父さんとかがお金持ちでも弁償しきれないで破産するという方向になる。

 

1番莫大な損害が出るのは学校になるので、それだけは避けたいと考えるわけで、退学とかになっていない。

 

たぶん理事長が賢い人で気づいたのだと思う。

 

三之橋が退学すると被害者として損害が確定してしまう。

 

でも、その決議案がなかったとして退学させないでおけば、三之橋のバックアップチームは何もできない。

 

一瞬で罠に誘い込んだと見えたのだと思うので、それが意図的なものだと凄腕となり、そこから予想すれば自分が1番莫大な損害が出ると頭の悪い人でなければ気づいてしまう。

 

テレビドラマの必殺仕事人は、悪党を1人を真剣に1人が殺すとかやるじゃないですか。

 

中々簡単に倒せないしぶとい悪党を苦労してやっつけるので、絵面でそうなる。

 

悪党の罠にハマったという私三之橋は、一気にひっくり返して逆に罠に誘っていた。

 

私三之橋の退学勧告決議案が全会一致で可決されました~ という時に、同じクラスの子はもう笑いが抑えきれなくなってバカみたいに笑っていたのですが、頭がそれだけ悪い人なのだと思った。

 

笑ったりしていないのは理事長で、さすがに気づいたみたいでした。

 

三之橋という人の損害が確定しなければ良いという感じで、1歩先を見ているかのように封じてきた。

 

そういったディフェンスの上手さというのが、何十年とお金持ちの世界で生き抜いてきた人ならではのものかなあ~ と思った。

 

そんな感じの出来事があり、それで大学生時代は少しだけ真剣に生きていこうと入学式から何かを意識していたと思う。

 

そんな感じで大学を卒業して新社会人デビューした時に会社員1年生となっていった。

 

その会社でシステムの設計の仕事でも、最初になにかゆっくりとした展開でお話が回ってきたのではなくて、上司がシステム部の部長に銘じて何か喧嘩のようになっていく感じがあり、例えるならば、嫌な仕事を押し付けられたという風にしか見えなかった。

 

そんな感じ。

 

災いを転じて福となす。

 

みたいな、何か不幸が先に訪れてしまい、抗う感じで結果だけが良くなったみたいなもの。

 

追えば、どこか田舎の方の離島で生まれ育ったりした人だと、閉鎖的な環境なので虐めっ子とかいなかったりする。

 

そういう育ちをしたら、大人になって都会に出た時に誰かが突き放すような事でも経験すると、『何か人が怖い』 みたいな不信感を感じてしまい、その会社を辞めて田舎で暮らすとかあるのかもしれない。

 

でも、都会とかで虐めっ子のいる環境で育つと、そういうショックは少ないかなあ~ と思う。

 

私三之橋のように社会人となり、自分よりもかなり年齢が上となる人がどうしてもそのシステムを作るとか審査を受けるとかが嫌に見えて、『三之橋君、どうなの? そのくらい君でもやれるでしょ?』 みたいな無茶ぶりをした時に、少しはショックもあったりしたと思う。

 

それまで40年くらいやっていたお局様界大ボスがやっていた仕事を引き継ぎ、それだけでも大変なのに、システムの設計もやって作れという仕事はどう見てもオーバーワークに感じる。

 

何か押し付けられた感もあるわけで、でも、それは逃げ出せば解決するとも限らないじゃないですか。

 

自分なりにチャンスなのかもしれないわけで、やってみたこともない仕事にチャレンジした時に、自分がどういう感じなのか? というのを試す機会でもある。

 

ひょっとしたら全然できなくて、あるいは銀行の審査に出して大笑いされるのかもしれない。

 

1度挑戦して、メチャメチャ酷い結果であれば、もうシステムの事は忘れて自分には向いていないと判断し、別の道を探す方が幸せなのかもしれない。

 

「押し付けられた」 という部分の感情的なものは一旦ペンディングで放っておいて、その仕事に集中してみる。

 

ひょっとしたら、”遂行機能障害” のようなものが見つかるのかもしれないし、ひょっとしたら上手くできるのかもしれない。

 

そんな感じかなあ~ と思う。

 

人はどこか結果のようなものしか見ない感じあって、結果が出せたらそれは褒めるとか、良い人生に見えたりするだけなのかもしれない。

 

どこかの会社で働き、『あの三之橋さんという人はコンピュータにメチャ詳しい』 みたいに見えるだけなのかもしれない。

 

それでどうやってコンピュータの事を勉強したのか? と訊かれたりする感じですが、今のインターネットの時代にコンピュータゲームをする場合とか、実際にやっているのはコンピュータの操作となる。

 

誰かがパソコンの操作が苦手で教えてください~ みたいに言ったら、それは10人いれば10人それぞれに教え方とかも変えている。

 

あくまでも私三之橋の場合は、最初から得意とかそんな感じではなかったので、苦手な人がいれば、その人がその苦手意識を忘れて操作できるようになってくれればいいなあ~ と願う感じ。

 

例えば、車の運転というのは、できないよりはできた方が良いのではないか? みたいに考える人がいる。

 

女性の場合でも、男性の場合でも、買い物に車で行ける人生の方が、行けないじんせいよりは良いみたいに考える。

 

近所のスーパーまで車で行くのであれば、難しくもなさそうに見えたりする。

 

でも、車を買った場合でも、メンテナンスとか最初から覚える気もない人とか少なくないと思う。

 

自分にとって、ちょっとだけ運転できれば良いわけで、他の知識とか経験は必要ないという、どこか限定的なものにしようとしている感じで、それで結果的には伸びない。

 

そんな人にわざわざ習おうとか誰も思わないだけ。

 

良いとこ取りをしよう~ みたいな人は多いと思う。

 

例えば、どこか有名な国立大に行っていると、『俺は普通の人より偏差値の高い大学に行っているので、普通の人より頭が賢い』 みたいに思い込む。

 

とりあえずパソコンも操作できないとマズイと思うので、メール操作もはいできました~ となる。

 

車の運転も、『こんなのは近所のスーパーまで行ければ良いわけで、普通車だとバック駐車が面倒とかあるので軽自動車をレンタカーで借りてみてちょっと乗ってできたので、もうできる人なんだ~』 と思い込む。

 

自分で自己採点をした場合、100点満点中100点に近い。

 

そんな人がどこかの上場企業に入社したりすると、周りの人の、『このくらいできて当たり前』 みたいな水準から見れば、かなり低いレベルに見えたりして、仕事を任せる気にさえなれないとかあると思うのです。

 

私三之橋の場合でも、最初の1社目でお局様界大ボスに睨まれても辞めてはいない。

 

その人の40年とかやってきた仕事も引き継いだりして、少なくともお局様界大ボスよりも酷いとか言われた事もない。

 

システム部の責任者の部長がどうしても絶対に祖の仕事は嫌と言っていた感じで押し付けられてしまったカッコ悪い感じだと思うのですが、実際に逃げたりもしていなくて、考えて作ってみて大手銀行の審査も受けてメインバンクが変わるという結果となっている。

 

私三之橋が1社目を辞めるという事になった時に、1番出世街道を幕臣しているように見えるのになぜ辞めるの? と質問もきた。

 

まるであたかも私三之橋が、社内で1番高級をもらっていたかの錯覚をしている人もいた。

 

まるで酷い人間のように思い込んでいる人もいたりしたわけですが、それも違っている。

 

数年在籍し、軽く見積もっても10億円くらいは会社に利益をもたらしている。

 

40年以上務めたお局様界大ボスが定年で辞めると何か問題が起こるみたいに社内ではビビッていた感じで、その仕事は私三之橋が引き継いだ事で、大ボスのおばあさんは、夫婦でヨーロッパ周遊旅行をプレゼントされて辞めている。

 

社員の多くは大ボスがいなくなって喜んでいたと思う。

 

給料が少ないので不満だった、そういう理由もあるとは思うのですが、必ずしもそういうものでもない。

 

何か自分が内定を頂戴した会社の中で、1番そこが入社したらしんどいだろうなあ~ みたいな、どこか人間関係がグチャグチャしたイメージで挑戦したので、お局様界大ボスに睨まれても対処法を考え出して、部下のいる違うフロアで過ごしてそこでタバコを吸うとかもできていた。

 

何かが嫌になったというより、最初に想定した人間関係の構築では上手くいったという感想になり、もうそこで学ぶものはない気がした。

 

私三之橋が退職し数年後には100億円以上失った感じの100人以上が解雇されるとかの事件もあった感じですが、それも、『三の橋さんが辞めて会社の雰囲気が一変しておかしくなった』 と言っていた人がいたのですが、それも私三之橋が作ったシステムに問題があるとか、そんな感じではない。

 

システム部の部長が得意先の管理の仕事も自分ができると言い張り、得意先からのクレームが殺到したらしい。

 

その件に関して私三之橋の意見としては、最初に自分に命じられた仕事を断った事で何か上司とかの見方が変わったのだと思う。

 

それで、審査に通過した時にプログラムとかを見てシステム部の部長が、『ふ~ん、なるほどね。まあ、誰にでもこのくらい作れて当たり前か~』 みたいに言って、その部長から見て私三之橋のやったことは面白くないように見えた。

 

それで、私三之橋が辞める時に、『三之橋君、君がやっていた仕事なんか誰にでもできる簡単な仕事なんだよ。僕が引き継ぐので安心して辞めて』 と言われた。

 

私三之橋は、40年とかお局様界大ボスがやっていたくらいなので、得意先とかの管理で微妙な匙加減とかですべて調整するとかの難しさがあると思ったので、やめておいた方が良いですよ~ と言っても聞いてもらえませんでした。

 

そこで学んだのは、『あなたにはこの仕事ができていない』 と誰かに注意された時に、自分で、「そのくらい俺にだってできる」 とかこだわる人って、認知症かなあ~ みたいなものだと思う。

 

認知症の高齢者とかって、本人がやりたい事を注意してやらせないようにすると異常なくらい興奮するとかあるじゃないですか。

 

メタ認知のように、自分が見えなくなるみたい。

 

そんな感じです。

 

コンピュータが好きな人がいて、『俺もいつかはコンピュータの仕事の頂点の設計をしたい』 みたいな人がいた時に、どういう風に勉強すれば、その夢が叶うのか? 

 

そんな風に訊かれた場合、コンピュータのシステム設計とはやめておいた方が良いと思いますよ~ と私は答える。

 

こういう言い方が適切ではないのかもしれませんが、コンピュータの関連のお仕事というのは、どちらから裏方さんという感じになります。

 

システムを自社開発しているくらいの企業ですと、基本普段は別のお仕事をしている感じです。

 

コンピュータのシステムも、パターン解析防止型とかなので、少しくらい専門知識があってもまず理解できない。

 

そういうものを含めない場合でも、ずっとコンピュータの仕事ばかりしていると何か周りが良く見えなくなる人が多い気がします。

 

今大学生であったり、高校生であったり、専門学校生であったり、学生の人かみて、将来会社員となった時に失敗したくないとかそう思う人がいれば、車の運転をしておくのが1番手堅いと思うのです。

 

ドイツでは自動車学校に行くと、最初に運転哲学を教える。

 

『車の運転は常に俯瞰(ふかん)視で周りの車や人を良く見て事故などにならないように気を付けて、誰かの迷惑にならない事を意識する』

 

そんな風に教えてから、公道で実践練習させている。

 

俯瞰(ふかん)でモノを見るとか言うじゃないですか。

 

俯瞰視というのは、韓国のホラー映画のコンジアムの中で主人公がドローンを飛ばして、主人公の探検に行くぞ~ というシーンで、車の後ろ上空から探検隊の車を自動追尾して撮影しているシーンがある。

 

あんな感じの少し離れた視点からの見え方みたいなもので見る事ができないと、下手くそな運転のままとなり、大学を卒業して会社とかで仕事も上手くいかない人が多い。

 

自分でやれない場合ですと、誰かトレーナーとかコーチをする人を雇った方が手っ取り早いかもしれない。

 

私三之橋の場合は、個人的にドローンの操縦が面白そうかなあ~ と考えています。

 

福岡市内のような政令指定都市だと基本どこも飛ばす場所がないのですが、ドローン専用の練習場に行ってそこで私有地の中で飛ばすみたいなのです。

 

心霊動画とかにドローンが出てくるのですが、あれも加齢による脳のボケとかに凄く良さそうな気がします。

 

ドローンだといくら失敗したところで自分が、けがもしないじゃないですか。

 

車の運転は、自分が一生懸命にやっていて、できていない時にそれに運転中に気づかない人がいる。

 

運転であれば、アクションカメラで撮影しておき、後でそれを自宅のリビングテレビで観たら、気づく事もあるのですが、そもそも俯瞰視での撮影が無理じゃないですか。

 

でも、ドローンだとできないと墜落するのでアスペルガーの人でもできていないとわかる。

 

大学生時代に、あれもこれも、そんな感じでやっていて、結局どれも使える技術までいかない。

 

何か1つだけに集中してやっておく方が良いと思うのですが、それが俯瞰視でモノを見るという事。

 

車の運転をしながら俯瞰視ができるという事は、たぶん2つ以上の事を同時にやれ、その状態で俯瞰視ができている事になる。

 

俯瞰視ができるかどうか、それで人生の何かがきまるような感じ。

 

テレビのワイドショーで都議会議員で問題になった人とかが話題の時に、コメンテーターが、『この人は俯瞰で自分の事が見えていないんでしょうねえ~』 とかよくそんな台詞を使っているじゃないですか。

 

コメンテーターのお仕事というのは、テレビを観ている茶の間の人が、『たしかに』 と共感できることをただ言っているだけだったりするじゃないですか。

 

『私は大学生時代に、こういう出来事があり、その時に俯瞰で自分の事が見えなくなった事があり、それと一緒ですね』 みたいな言い方はしない。

 

「こいつバカじゃないの~」 というのを強調している感じ。

 

誰かが無差別殺人事件でもやらかした時とかに、『この人は俯瞰でモノが見られないから』 と言ったりする。

 

逆に言えば、俯瞰視ができれば、そういうおかしな人生にならないと考えるのです。

 

例えば、私三之橋の場合だと、ワンデー彼氏に応募したりした。

 

『私は彼氏がいない20歳の女の子です。 今度の日曜日に1日だけ彼氏になってくれてドライブに連れていってくれる人を募集します~』 というもの。

 

例えば、『私はタバコの匂いがちょっとでもダメなので、タバコを吸う人は絶対に応募しないでくださいね』 みたいに絶対にこれだけは外せない条件を提示している女性もいる。

 

そうするとね、逆にそんな人は珍しいので、「私三之橋はタバコをよく吸いますが、彼女とかでも特にその事に関しては何も言わないので逆に困っています。 そこでどうでしょう? タバコを吸う男性がワンデー彼氏に応募した時にそばでタバコを吸わないという条件で1度私の車がタバコ臭いのか? をチェックしてもらえませんか? もしもドアを開けて臭いとかあれば、そこから先はドライブに行こうとか誘いませんので」 なんて感じで、条件を出している人に交渉する。

 

待ち合わせをした場所に行き、それじゃあ車に乗ってみてどうか? 確認してもらえますか? 

 

そんな感じでチェックしてもらい乗ってもらう。

 

『特にタバコの匂いはしないのですが』 と言われたら、「ここにあるオゾン脱臭機の効果なのかもしれない。 こういうのって買って取り付けてみても、ほんとに効果があるのか? がわからないので、今日チェックしてもらって効果があるとわかって助かった~」 と私三之橋は言う。

 

1度そういうタバコが絶対にダメという女性と知り合いになると、一気にドライブして、レストランでディナーという事になり、「それじゃあ、テーブルで吸わないのでそこでも匂うとかチェックしてくれるとありがたいのですが」 と厚かましいお願いをする。

 

後は、映画が好きで観たいとかそんな人だと、映画館に行きカップルとして隣同士に座ってタバコの匂いがどうなのか? まで接近戦で確認してもらう感じ。

 

その経験をしておくことで、将来会社員となって隣のOL姉さんが絶対にタバコを吸うのはNGという人でも、「この接近戦だとこのラインまでは大丈夫」 と自分で判断できるじゃないですか。

 

何の人間関係もないわけなので、言いたい事があればガツンと私の為になるように言ってね~ と言ってチェックするとそれは本音に近いものが返ってくるじゃないですか。

 

後は、いつもいろいろな車でドライブしているみたいな女性だと、「僕は大学性で免許取ったばかりで、彼女とか乗せて県外にあるテーマパークに行っても運転が下手とか言わない。 まあそれは何らかの人間関係があれば、口は災いの元と言ったりするので、言わないだけなのかもしれない。 そこでどうでしょう? 〇〇さんが助手席に乗り、ドライブした時に、”ここが下手くそかな” と思ったら、僕の為にもなるわけなので正直に言ってね」 と言えば、俯瞰視できていない場合に、1日だけの彼女としての視点での意見とか聞けるじゃないですか。

 

ひょっとしたら、自分が運転して、2つ錠の事を同時にできない事で気づかないだけなのかもしれない。

 

でも、隣の助手席の女性は運転していないので、隣というだけに意外と気づくとかあると思う。

 

自分で洗い出しをするよりも、まったく赤の他人を使った方が正確だと考えられるじゃないですか。

 

チェックをする人が生身の人間で、かつ、まったく何の利害関係もないような名前とかよく知らない人で、ランダムに複数人投入して検証しておけば、少なくとも大学を卒業し入社した会社でOL姉さんと隣に座って仕事をしても、食事のランチに一緒に行っても、ハズすという事は無いと思うのです。

 

『あの新入社員の三之橋は、空気がほんと読めないよね~』 とか言われる事というのは、極限まで減らせると思うのです。

 

2020年新型コロナウィルスが流行った年に、リモートワークでご主人が会社に出社しなくて良くなると、家にいつも居ることになって、『さすがに一緒に居る時間が長くなると相手の嫌なところが見えてしまい、耐えられなくなって離婚した~』 みたいな人が急増したってニュースでもあったじゃないですか。

 

あんな空気が読めないというのも俯瞰視で自分を見れないからそんな目に遇うだけの話だと思うのです。

 

大学を卒業して会社員になったら、凄い国立大を出た人がいて、『会社員は上司に好かれないと出世できない』 と言ったりする。

 

たぶん、俯瞰視でモノを見るという事ができない事が原因だと思う。

 

チビッ子時代というか、子供時代の育つ環境によって上手く俯瞰視ができなくて、大学生で普通自動車運転免許証を取得しても、自動車学校卒業した頃から運転は成長しない感じで諦めている人に多い気がする。

 

『俺はメチャコンピュータが得意なので、会社員になったら出世しまくるぞ~』 みたいな人でも、躓くのは俯瞰視という部分。

 

どんなにコンピュータの知識があったとしても、その会社で働く人にどういう人がいて、どういう仕事をしているとかが見えないと、システムの設計などできないと思う。

 

そこが人生をエンジョイできるかの肝かなあ~ と思うので、車の運転が苦手な学生の人ですと、コーチでも雇って少しでも上手くなった方がお得だと思うのです。

 

 

 

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ノートPCに必要なメンテナンス、CPUグリス塗り替えAH53/B2

2024-02-03 21:26:49 | YOUTUBE

ノートPCは、空冷ファンを使って冷却しているので、空冷ファンの掃除とCPUグリス塗り替えをしないと性能がダウンしてしまいます。 富士通製1H53/B2の動画に関してのお話です。

 

富士通製AH53/B2を分解してノートPCのCPUグリス塗り替えとファンの掃除方法

 

ノートPC富士通製AH53/B2のジョーシン電気モデルという光るキーボードを所有していて、ある日時間ができたのでサッと分解して、それをせっかくなので動画撮影しておき、YOUTIBEにアップロードしておくか~、 そう考え、深夜にサッとやりました。

 

その際、深く考えず、持っていた三脚にビデオカメラを自分の前に置いて撮影しました。

 

動画を見ていただく人の視点、ざっくり言えば自分でもしも試す場合、作成者はこういう風に見ているという視点の方がイメージしやすいと考えました。

 

ただ、ビデオカメラってそこそこの重量がありますので、1番下に向けると倒れる事があります。

 

後はビス(ネジ)を外す時とかにどうしても作業の邪魔になってしまいますので、ところどころ作業優先で撮影を止める感じとなりました。

 

動画を閲覧していただいた人からのコメントで、端折っている部分が知りたいとか、見たいというリクエストを頂戴しました。

 

令和4年4月1日から自宅前にあるデカい屋根付き月極駐車場の耐震補強工事が令和6年3月15日まである為に、現在は車1台通れる狭い路地に入ったところにある古家を解体してできたにわか屋根なし月極駐車場に移動しております。

 

耐震補強工事が既存の特殊な硬いコンクリートを削るとかして、凄い音がしたりします。

 

そんな感じですので、日中に何か動画を撮影するのも音があったりしますので、動画撮影が現在ペンディングとなっております。

 

そんな感じの中で、考えた時に、ノートPCの分解とかに関して自分でDIYでメンテナンスされる人が多いのかなあ~ という風に感じております。

 

私三之橋自身は、そのノートPC、富士通製AH53/B2というのを初めて分解してみて、特に問題なかったと感じたので動画をアップロードしました。

 

それは、動画というのは全体の尺とかの長さを考え、ご興味のあった方が観られて、『なんとなく作業の全般がわかった』 みたいに感じていただくという、あまりダラダラと長い尺にしない方が観やすいとイメージしました。

 

ただ、端折るという部分で、そこがない為に作業できないというお声もあったりしますので、スロー動画となるように作業をしている間を撮影しておくという感じに改善しようと考えてみました。

 

考え方として、リビング等のテレビに私三之橋の動画を観たりしながら、同時にその動画に合わせて分解していくという使い方ができるのが1番わかりやすいのかなあ~と。

 

後は尺が長いと、『そこは見なくて良いよ』 となると思うのでテレビのリモコンで早送りしてもらう。

 

ちょっと手間になる人がいらっしゃるかと思いますが、そのような動画にしてみようかなあ~ と考えております。

 

私三之橋は、コンピュータに苦手意識が強くあった高校生時代に、いつも一緒の友達が、『お前とは一生付き合っても良い奴だと考えている。 これからの時代はコンピュータの時代だと思うので、俺と一緒にコンピュータの専門学校に行かないか』 と誘われてしまい、それで人生初のデスクトップPCとゲームソフトを買ってしまいました。

 

高校生の頃に、中学生くらいから学校に来なくなった小学生時代の友達とバッタリ会って、それでその子に家に行った。

 

俗に言う、”引きこもり” になった感じで、部屋に行くと500,000円というか、100万円くらいのデスクトップPCがあり、コンピュータゲームソフトも本棚に並んでいたりする。

 

その子に、『三之橋君も良かったらゲームしても良いよ~』 と言われ触れなかった。

 

1つはその子にとって親に買ってもらった宝モノだと思うので、変に触った気を悪くされない方が良いと思った。

 

後は、キーボードのキーがランダムな配置に見えて、こういうのって難しいと感じた。

 

引きこもりの子の家に行くと、大抵そんな高額なおもちゃが揃えてあったりした。

 

そういうのが目当てで行くとかでなくて、たぶん、その子の家に行くと学校の話とか訊かれないので楽だったりするからだと思う。

 

そういう感じだったので、高校卒業する頃に友達に一緒にコンピュータの専門学校に行かないか? と誘われた時は戸惑った。

 

まあ、誰でもそうだと思うのですが、自分が苦手意識が強いとか触れないとかあるのに、そのコンピュータの専門学校に行こうぜ~ と言われると正直な感想としては行きたくはない。

 

それで仕方く家電量販店にデスクトップPCを買いに行った。

 

あくまでも引きこもりの子を見てそう思ったのだと思うのですが、コンピュータというのをゲームするという事で触っていればキーの位置とか覚えると考えた。

 

キーの位置が覚えられないと、プログラムソースの入力ができない。

 

そんな感じで、コンピュータに関してはかなり強い苦手意識があった感じ。

 

苦手というのは、何で苦手なのか?

 

キーの位置がわからないので、何かのキーを入力しようとすれば探すというのが面倒くさい。

 

面倒くさいと感じるとそれはやりたくなくなる。

 

それじゃあ、フロッピーディスクとかで起動して、矢印キーとかジョイスティックでゲームすれば、最初にちょっとだけキーの入力をするとかあるものの、全般としてはキーの入力は端折れたりする。

 

そうすると、まず触るという事、ゲームをするという事に対して、苦手意識はそれほど強くは作用しない。

 

とりあえず毎日ゲームをして、”ゲームは楽しいなあ=コンピュータを触るのも意外と簡単じゃん” みたいになるかなあ~という作戦。

 

コンピュータ専用のモニターを買うとそれ以外では使えない感じなので、ちゃんとその辺も考えて、テレビモ観られるようなモニターにしておいたので、コンピュータを使わなくてもモニターでテレビを観るという風にしたので、とりあえず毎日使うという習慣化というものができそうな感じ。

 

そうやって、何かを新しく始める時にはスタート時にしんどさを強く感じ、次第にそれは消え失せていくという風になるのを体験していった。

 

大学生になって、入学式で国産某高級車の新車に乗って来ていた子に声掛けし、その子に車の運転はその後の人生を左右する大きなファクターという話を聞いて、その子自身も女の子にもてそうな国産高級車のハイソサエティカー、エグゼクティブカーに乗っていたのを見て、なるほどそういう攻略方法かと思ってしまった。

 

車の運転も強い苦手意識があったのですが、どうしても高校生で学校で禁止されているバイクの免許とかを取ってバイクを買って乗っていたりすると、急にサイズが大きくなるとか操作が変わり苦手意識が強く出る。

 

でも、その苦手意識を感じた時でも、その前にパソコンを買ってゲームで攻略していくという、最初にしんどさを感じる部分をどうハードルを乗り越えて行くのか? という部分を考えるとか組み立てるというのはできた感じ。

 

大学を卒業して新社会人デビューすると会社員1年生という、それまでの学生時代から大きく潮目が変わっていく。

 

おじいちゃんみたいな人がいたり、おばあちゃんみたいな人がいたり、年齢の幅が凄く広くなっていった感じで、戸惑うものはある。

 

その会社の中に自分の居場所がないような感じで、やる仕事もないような感じで、でもその時間でも給料は出ているわけでなんとか根付いていかないといけない。

 

それも新しく始まった会社員生活という最初の段階で一気にしんどさを感じ、それもパソコンが苦手だった時のスタートと一緒で、「こういう時はこういうパターンで慣れていくか」 みたいにコンピュータ攻略で培った経験をフィードバックして応用していく。

 

大卒新入社員というのは、どんなに凄い大学を卒業していても、その会社で仕事ができるとは限らない。

 

同じ課にいたお局様界を束ねているような、大ボスのおばあさんに虐められた。

 

『三之橋さんはお洒落さんですね、部長みたいな恰好をして。 仕事もできないのにね』 と仕事の時におばあさんがよくメガネをかけて、頭は45度下を向いているのにメガネから上目づかいで見る感じ。

 

たぶんみんなそうだと思うのですが、入社した時点では自分で仕事ができるとかわからない不安もある。

 

そんな感じで新入社員時代が過ぎていき、ある日の午後に、私三之橋の上司の部長と、システム部の責任者の部長が話していたテーブルに呼ばれた。

 

どうも、上司の部長が、大手の銀行に審査受けるのでシステムを作って欲しいと依頼し、それをシステム部の部長が断ったいるみたいだった。

 

まあ、誰が考えてみて、大手銀行の審査を受けてとか言われたら嫌だと思う。 定年まで数年というタイミングでNGだったりすれば、それは会社に居づらくなるというのはわかる感じ。

 

システム部の部長は、同じ課の全員そう思っていたと思うのですが、1日メチャ暇そうな感じに見えていたのに、自分はとにかく忙しくてそんな時間がないと言っていた。

 

その後に耳を疑う発言が出た。

 

『どうだろう? 三之橋君、君でもそのくらいできるよね?』 と無茶ぶりされた。

 

会社員となって、お局様界大ボスみたいなおばあさんの仕事を引き継ぎ、取引先を管理する仕事を受けたばかりでそんな余裕はないと思う。

 

でも、その雰囲気から断る方が危険な感じしかない。

 

「わかりました。 やらせていただきます」 と言うしかなかった。

 

それがシステムの設計だけやってくれれば、と上司が言ってプログラマーを部下に付けるという事になって、完成し、審査も余裕で通過してしまった感じで、会社員として最初に評価を受けたのは、コンピュータの仕事でした。

 

それまでのメインバンクが一気に大手の銀行に変わる資金調達が一気に楽になるし、取引先からの信用度もさらに上がるわけで、例えるなら社長室の応接室のテーブルに現金10億円積み上げた感じ。

 

人が一生に得る給料は2億円くらいとか言われていて、10億円くらいドンと積めば、その会社の中での地位みたいなものが何か確立する感じとなるじゃないですか。

 

誰かが何かを教えてくれるわけではない。

 

書店に行って、参考になる書籍なども売ってはいない。

 

初めてやって、「これが私三之橋のベストコンフォートです」 みたいに出して合格できる方が確立として低い。

 

そもそも銀行のシステム時代、システム屋さんというコンピュータメーカーから派生したスペシャリストが作っていて、そこに審査を受けるというのは難易度も高い。

 

そこから何かがより捻じれていった感じで、システム部の責任者の部長は、『このくらい誰でもできる仕事なんだよ』 と言われたりしていった感じ。

 

大学生次代から、会社員となった時に何かその会社で自分の存在感を出せないとどんどん新入社員は入ってくるわけで埋もれて行き、抜けえ出せなくなってしまう。

 

学生時代とは何か先行きが見えない世界で、自分の仕事とかが自分に向いているとかもよくわからないわけで、会社員に向いているのかさえもよくわからない。

 

やった事もない仕事が振られて、また部下が増えて仕事が増えていく。

 

結果が出せないとそこで終わりかなあ~ みたいにも思えてしまう。

 

小学生の頃に担任の先生が松山ちはるさんのファンでよく歌ってくれたりした。

 

『はばたけ高く、はばたけ強く、小さなつばさひろげ』 みたいな感じ。

 

コンピュータが苦手な子供がいた。

 

でも、大人になって会社員となった時に、システム部の責任者が逃げてしまった感じで仕事が回ってくる。

 

それは例えるならば、プロ野球選手となってなかなか仕事に出られない2軍の選手がいて、ある日1軍の選手がけがした事で自分に急遽仕事が振って沸いたかのようにやってくる。

 

ある意味チャンスではあるとはわかるものの、それ以上に何度が高く感じてしまい、逃げ出したい気持ちもないといえばウソになる感じ。

 

「失敗したら終わりかな」

 

みたいな気持ちでもある。

 

高校生時代に引きこもりをやっていた子に遊んで良いよと言われた時にやっておけば良かったなあ~ とかちょっと反省するような感じ。

 

学生時代はテストの前日に勉強すれば良かったのに、大人になると自分で考えてくださいとなる。

 

後、『俺はコンピュータは苦手で』 なんて言ったりする。

 

正しくは、「私はコンピュータの操作が苦手で」 となる。

 

『俺は車の運転は苦手で』 と言ったりする。

 

正しくは、「私は車の運転操作が苦手で」 となると思う。

 

俗に言う、”操作系” とかのカテゴリーというのは、YOUTUBEの動画でも手本にして、それを真似るという事で上達はできると思う。

 

車の雲煙でもそうだと思う。

 

大学生1年生の18歳で自動車学校に通って、普通自動車運転免許証を取得して、後は普通車の中古車でも買って初心者マークを貼って1人で公道を実践練習していき、自動車学校を出た時には全員横並びでスタートしていく後で差が広がってしまう。

 

『もう大人でしょ? 後は自分で練習して上達してください』 と突き放されるので、自分で考えるのが得意か、苦手で結果が変わっていく。

 

でも、今の時代だと料理でも、見本を真似ていれば上達する事はできると思うのです。

 

ノートPCのCPUグリス塗り替えでも、空冷ファンの掃除でも、まずは筐体のケースを分解しないといけない。

 

その分解というのは、メーカーの人から見た時に誰でも簡単に分解できると新品を買って分解して、その後にメーカー舗装で新品を買って普通に使っていたら自然故障したとか言われて、面倒な事が増えるので、素人には分解できないように爪とかで固定したりしているとかある。

 

その為、分解できる人とそうでない人がいるのだと思う。

 

ただ、分解して元に組み立てできなくなることもあると思うので、そういう動画を観て自分に無理だと思えば、近所のPC修理屋さんの個人経営みたいな小っちゃなお店に有償で依頼した方が良いと思ったりします。

 

そこは自己責任となったしまうかと思います。

 

ただ、私三之橋の個人的な考え方として、ノートPCを10万円とかで新品を買う。

 

分解している動画とか無かったとしても、サッと分解してみて、もしも上手くいかないとかあれば、ビスとかをきちんとケースにこういう順番で入れているとかの説明と一緒に町のどこにでもあるような小っちゃなPC修理屋さんにでも持ち込めば組み立てとかしてもらえると思う。

 

自分が上手くできない事で失敗する。

 

それを誰かに修正してもらうには、ネジとかも1つのケースに全部入れられていると組み立てる人から見ればどこの土のネジかもわからないので余計時間もかかるとか話を複雑にする要因だと思うのです。

 

説明するスキルという部分も重要だったりする。

 

そんな感じですので、自分で挑戦される場合は、スマホで動画で撮影しながらやるとか、自分なりに工夫されてみてはと思います。

 

『三之橋さん、今あなたが大学生だとして10万円で買ったノートPCを自分で分解して、不動になったらどう思いますか?』 と訊かれた場合、「別にどうも思わないかな」 と答えると思う。

 

例えば、10万円で買ったものを自分で壊してしまえば、それは10万円ですのでショックはある。

 

スマホとかでも、撮影していてうっかり突風で落とすとアスファルトに落ちたのを見てショックはある。

 

じゃあ、その失敗があった事でブログ記事とかの撮影をやらなくなるのか?

 

と訊かれたら、新しくスマホを買ってまた撮影したりしている。

 

その失敗は失敗だと思うのですが、何か私三之橋の人生を左右する程のものではないじゃないですか。

 

失敗すれば、「あの時スマホを落としたのでケースは耐衝撃性のものを買おう」 とかするじゃないですか。

 

それと同じですよ。

 

大学生時代にPCを分解して10万円損をすれば、失敗した理由くらいは考えると思う。

 

失敗した事で自分の癖とか何かがわかるとかもある。

 

大人になってその癖とかに気づいていないと後になって気づく程、大きな落とし穴に落ちたりSるので、若い時にそれがわかっただけでも10万円の価値はあると思う。

 

失敗してお父さんに、『お前バカじゃないのか~』 と言われたりした場合、それは事実そうだと思うので、言われても仕方がない。

 

ただ、取り繕うとかはしないと思う。

 

そうすれば人生が悪化するだと思うから。

 

そんな考え方をしているかなあ~ と思います。

 

友達にコンピュータの専門学校に一緒に行こうぜ~ みたいに誘われて、きっと嬉しかったのだと思う。

 

進路をどうする? とかそういうのを考えるのが苦手だったりして、そんなタイミングで誘ってもらえた。

 

一緒にて、『もうお前とはうんざりなので、卒業して別れると思うと清々する』 とでも言われるとショックな気もする。

 

ただ、キーボードを見てキーの位置が覚えるのが難しそうというイメージから、誘ってもらえた事で一緒にコンピュータの専門学校に行って、そこで自分がついていけなくなると、自分だけがその専門学校を辞めたりすると、友達に何か悪い気がして、それでデスクトップPCを買ってしまった。

 

もちろん30万円は持っていなかったので、父のクレジットカードで支払ってしまった。

 

「お金は後で返せば良い。 今はとりあえずデスクトップPCを買わないとタイムアウトエラーになってしまう」 みたいな感じだったと思う。

 

それじゃあ、コンピュータの道に進んで、何をどうやるとかのイメージはあったのか? と訊かれれば、特には何もない。

 

とりあえず、そのコンピュータの専門学校に友達と行けば、これからの3年間とかやる事がない毎日を過ごすよりは良いかなあ~ みたいなイメージ。

 

「将来は会社員になって、コンピュータの専門学校に行った事でマスターした技術で働くぞ~」 とかそういうのも考えていない。

 

たぶん、大学に行くとそれはきっとアローンスタートになるとか予想できるので、誰かと一緒に居たかっただけのような気がする。

 

考えていたのは、そのタイミングでは何をする? という部分だけ。

 

友達と一緒にコンピュータの専門学校に行く。 それって自分で考えてみて、どこが嫌かなあ~ と想像した時に、キーボードとか普段触らないのでキーの位置がわからないじゃないですか。

 

それで、そこが超えないといけないハードルかなあ~ と考える。

 

「それはどうやれば、攻略できそうか?」 と考えてみる。

 

そうすると、非日常という、普段触らない事でキーの位置が現在わからないので何か入力しようとすれば探して入力するしかないわけで、そうすると1回1回探すので長続きしないと思う。

 

だったら、毎日触って、そのキーボードに触るのが日常の暮らしとなれば良いのではないか? と考える。

 

触るのが目的なので、書店でプログラムの書籍を買ってきて、いきなりプログラムをする必要はない。

 

「だったら、引きこもりの友達がいて、キーボードを触るのはコンピュータゲームで触っているので、引きこもりの子でもハマっている感じなので、それは続けるのは簡単だったりするのではないか?」

 

そんな風に考える。

 

後は、コンピュータの専門学校に行った時に、そこで初めて触る子とかがいたりして焦るとかあると思うので、そこで少しだけ自分にアドバンテージの優位性があれば、まずは躓いて辞めないかなあ~、何とかなるかと考える。

 

何か新しい事を始める時に、最初にしんどさを感じるというのはわかっているので、そこはコンピュータゲームでも遊ぶというので、ズラしてしまう。

 

でも、大学生になる事になって急に進路が変わる。

 

そこで入学式にはまったく予想できないような、国産高級セダンの新車に乗っていた子と出会い、車の運転がこれから先の人生を大きく左右するのでこんな車を買っちゃったと言われ衝撃を受ける。

 

私三之橋の場合は、デスクトップPCを30万円チョイで買ったのに、その子は300万円超えという金額にも驚いた。

 

頭の中が混乱してしまう。

 

高校時代に仲の良かった友達は賢いスーパー特待生なので、その子は、『これからはコンピュータの時代だと思う』 と言っていたのに、なぜか大学生になるとそこでは、『車の運転がこれからの人生を左右するので』 と言って入学した時点でも普通自動車運転免許証も取得して、中古の普通車をローンを組んで買って乗っていたりした。

 

「参ったなあ~、これはどっちを選べば良いのだろうか」 と戸惑った。

 

それで、「どっちが良いとかわからないので両方やれば良いじゃん」 と考えた。

 

アローンスタートなので土地勘のない大学に通うとかで誰かと友達にならないといけないので話をする。

 

そこで話すにはすでにその子が先行していてアドバンテージの優位性のあるテーマにした方が、相手もしゃべりやすいとかはある。

 

自分から見た視点では、同じクラスの子は先輩となり、その子の体験談などを聞いてみる。

 

そこからイメージしたのは、自動車学校に通って卒業したら全員横並びのペーペーという感じでの横並びでのスタートになり、1人で公道に車を運転して、その現場にある法則性を自分で見て学んで上達していかないといけない。

 

「う~ん、それってまず公道に1人で運転して出るというのが精神的にしんどさを感じるのでそこをどう乗り越えるか?」 というのを考え、自動車学校では鬼教官を指名した。

 

毎日5分に1度、助手席で圃場ブレーキを一気に踏まれエンストし、隣で教官が激高する。

 

それは普通の人だと頭がおかしくなりそうな世界だと思うのですが、自動車学校は在籍時間が短いわけで耐えられないわけでもないと考えた。

 

『お前はここができてねぇ~んだよ~、バカなのか~』 と激高される。

 

そうするとあっと言う間に卒業の時間がやってきて、まず公道に1人で運転で出てみると、異常なくらい静かさを感じる。

 

隣に鬼教官が座っているだけでストレスを感じるじゃないですか。

 

1人で走ってみると、それは初めて1人で公道に出た時でも、隣で激高されないだけ自動車学校時代の仮免での路上を走っている時よりは、何かマシな気がするじゃないですか。

 

普通は教官がいなくなると、1人で運転しながら自分のどこがどうダメでそれをどう修正しようかと考えないといけないので、2つ以上の事を同時にできないと運転しながら周りの人の運転と自分を比較できないとかでそのままとなる。

 

でも、鬼教官にいつも怒鳴られていると、負の感情を伴う記憶というのは、発達障がい者でも昔言われた事を数十年覚えているとかあるので、洗い出しをしないで良かったりするじゃないですか。

 

入学式の日に国産高級新車で来ていた子が通学で使うと言っていたのも、たぶん毎日乗って車の車の運転は非日常ではなくて、日常のルーティンとしてしまった方が長続きするとか考えていると思うので、自分も真似て毎日大学に乗っていく。

 

ただ乗っても上達はしないので、鬼教官がこう言っていたなあ~、と修正すべきカ所を意識して走れるので1週間もやればガソリン代がかかるという代償を支払う代わりに、もう素人臭さのような下手さは見えなくなっている。

 

最初のハードルを簡単に乗り越えてしまえば、「この車の運転は自分に向いているのかもしれない」 という気持ちになったりして、そこから弾みがついていく。

 

どのくらい調子に乗ってしまったのか・

 

車を運転していたら道路の先に白バイが何台もいて封鎖され、サイレンが鳴り停止命令という感じで、そのままそばで待機してバスに乗れと連れて行かれ、ぱっと見1番奥の人が手招きしたので、もっと前の椅子に座ろうとしたら、『頭のイカレた人は署長が担当しますので、奥にどうぞ』 と言われてしまった。

 

自己紹介で警察署長の〇〇ですと名乗る警察官がいて、『お前調子に乗り過ぎているので逮捕しても良いんだぞ』 と言われてしまった。

 

いつも当たり前のように法定速度の3倍で走っているとか言われ、恥ずかしい話にもなるのですが、私はスピードを出して走ったらただの青切符で済むという考えだったので驚いてしまった。

 

まあ、誰でもそうだと思うのですが、ある日ハクション大魔王のように、『呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン』 停めの前に警察署長が出てくれば驚くと思う。

 

ある日地震が起きて、家が倒壊してしまった人が令和6年能登半島地震でもあったと思うのですが、そんな感じ。

 

そんな感じでちょっとだけ調子に乗ってしまいやす所もある。

 

コンピュータでも、やりたくて始めたわけでもなくて、友達が、『これからはコンピュータの時代だと思う。 やらないやつはバカ』 と言っていた事で始めた感じ。

 

コンピュータゲームはやった。

 

大人になって会社員になり、そこではシステム部の部長という定年まで何年かという人がやっていて、良く同じ課の中にデスクがあり入社した時から、『俺には娘が2人いて、1人は大学生、もう1人は高校生で、家で女性しかいないので俺しか飲まない。 娘があと何年かで結婚するとその相手が初めての息子になるので、仕事が終わったら一緒に飲むのが夢なので』 と言っていて、良く会社そばにある角打ちで奢ってくれた。

 

ある日、自分の上司の部長と、そのシステムの部長が話しているテーブルに呼ばれ、もうその人は頼まれたそのシステムを作ってと言われたのが絶対に嫌に見え、『ねえ、三之橋君、僕はメチャ忙しいのでできないんだけど、そのくらい君でもできるよね? どう?』 と言われ、「わかりました」 としか言えなかった。

 

よく訊かれるのは、『1回もやった事もない仕事を請けて、適当に作ってそれを大手銀行に出したの?』 と驚く人がいたりするのですが、そもそも会社の仕事って、その仕事を何年もやらせて勉強させて、その後に大きな仕事をやらせるとかしていないと思う。

 

例えば、システム部で10年仕事をさせてみて、32歳とかになって、そこでやらせてみてできない人はできないじゃないですか。

 

そうするとその10年がもったいない。

 

そういうシステムなので、ある日やった事もない仕事をやれと言われ、物理的にほかの仕事もあるので、プログラマーを別に雇ったりして、部下が、『次はどうすれば良いですか?』 と訊いてくるので作業指示を出さないといけない。

 

インターネットでグーグル先生に訊くとかないので、想像して考えて作るしかないという世界。

 

上司もノリ的なものでいえばそんな人だったと思う。

 

『三之橋君、あれはどういう感じ?』 と訊かれ、「今はこういう感じでできています」 と答える。

 

そうすると、『なるほどね』 と納得される。

 

訊かれた時に、「実はどういう風にすれば良いのかがわからなくて作業中断しています」 とか言えば、わざわざプログラマーとか追加でその為だけに雇っていたので、赤字じゃないですか。

 

この前ニュースで病院で働いていた男性医師が自殺されたというのがあっていました。

 

有名な大学とかを出た人が社会人になって働くと上場企業でも精神を病んでいくとか、難病になるとか、自殺されるとかそういうのはある。

 

私三之橋の想像では、根が真面目過ぎて、どうすれば良いのかが思いつかない人とかがそういう感じになると思うのです。

 

私三之橋の場合は、根がグ~たらな人なので、システムの設計をしていて、ふと、「失敗したらもうこの会社には居られないだろうから、さっさと適用解除して辞めて、1度バリ島にでも行って遊んで、帰ってきてエアコン工事の電気士にでもなれば良いんじゃないかなあ」 みたいに諦めもある感じ。

 

会社員として仕事で失敗したら、そのまま別の会社に入ってもまた失敗しそうな気がするので1度離れて、客観的に遊びながら反省はしようというスタンス。

 

ことわざのようなもので、『日本では古の時代より、言霊(ことだま) があると信じてきたので、それで失敗しない事も考えずにやるんですよね?』 と訊く人もいらっしゃるのですが、失敗したらプランBというのは考えていると思う。

 

失敗して、別の課に配属になってそこの会社で働くのが良いのか? はわからないのですが、失敗は認める事が重要だと考えているので、大きな失敗をしたら、1度精算するかなあ~ みたいな考え方はしていると思う。

 

人それぞれモノの捉え方とか、考え方は違うと思いますが、ノートPCは空冷式で空冷用のファンとかが使う程にホコリで汚れていくとかありますし、冷たいものが通電によりCPUに熱が高温になりヒートパイプの銅線を密着させているCPUグリスがポンピング現象というものでカスカスになって密着性に問題が出てしまい、CPUグリスを塗り替えしないとCPUの排熱に支障が出てクロックダウンしたりします。

 

インテルのCPUなどには昔から熱が高温になるとCPUの性能をダウンさせ排熱に支障が出ないように半導体の破損を防ぐ安全装置が付いているので、酷い場合は普通に使っていてマウスを動かすとスムーズに動かずにカクカクするという感じになったりっします。

 

それでみんな、と言うか、一部の人とかは自分でノートとかをチャチャッと分解して、ファンの掃除とCPUグリス塗り換えをしています。

 

メルカリとかでゲーミングノートPCを急に不調になったのでと、そんな感じで投げ売り処分されて出品されると即日安いので買う人がいたりするのですが、自分でCPUグリス塗り替えができると、CPUグリスを塗り替える事でお買い得な中古品が買えるようになります。

 

1番最初に、YOUTUBEの誰かのCPUグリス塗り替えとか分解の動画を観て、真似てやってみるとおっかなびっくりという感じで作業すると思いますが、2回目とかになるとすでに1度経験しているので作業する時間などが早くなったり心理的なプレッシャーも減ったりします。

 

大学生1年生18歳の人が自動車学校に通って普通自動車運転免許証を取得して、普通車の中古車を買い、1人で公道を運転した場合、毎日大学に乗って行っても1回目も30回目も体感さはそう大差ないという感じだったりします。

 

それは、周りにたくさんの車が端っているとかで鳴れるまでにかかる時間はかなりの個人差があります。

 

一方、ノートPCを分解してCPUグリスとか塗り替えるとかというのは、車の運転のようなアウェイ戦と違い、自分の家の中の自分の部屋とかで基本誰も邪魔したりするとかもないホーム戦という感じになります。

 

初めてやるという人でも、写真とか撮影しながらゆっくりやって2~3時間くらいかなあ~ と思います。

 

それが2回目とか3回目は1時間とかで終わるように作業は加速して早くできたりする。

 

なぜか?

 

1度経験すると、ここはこういう感じとか、次はこういう感じとかわかるので、法人の業務用タブレットの中古でも買って、分解動画がなくても、「こんな感じかなあ」 と想像してやってみたりできるようになる。

 

ノートPCの筐体(ケース) を分解するにはどういう風に分解するのかなあ~、 と想像したりして、実際にやってみて想像と違った部分があったりして、突然そのハプニングに遭遇した時に上手く対処できたりする事もあれば、「ここはよくわからないのでペンディングしておくか」 という事もある。

 

普段の日常でやらない事をやるというのは、”頭の体操” になるというメリットがあります。

 

一説によれば、人は20歳くらいから聴力が低下していくと言われていて、脳も低下していく。

 

18歳の大学生1年生でアローンスタートを始めるという、土地勘もそこに知り合いもゼロみたいな環境で新しい大学生生活が始まり、すぐにみんなが自動車運転免許証を取得して、普通車の中古車を買ったりして、運転というのを始める。

 

現実的なものとしては、周りの人がやっているという車を買い、運転して男友達とか彼女やガールフレンドなどを乗せて走ったりしていた人とそれはお金もかかるしなどの理由でやらなかった人では新社会人となってから差のようなものがある。

 

どんなに凄い大学に行ったという人でも、車内という狭い空間で男友達と一緒にドライブするとかの経験がないと、会社に入社した時が、人と同じ空間で共生するという初の経験みたいになるのかもしれないじゃないですか。

 

そのくらいの年代だと、

 

①18歳で大学生1年生のアローンスタートを経験し友達を作ったりする。 

 

②自動車学校に通い普通自動車運転免許証を取得して、普通車サイズの車を買い、公道を実践練習して、自動車学校を卒業して全員ほぼ横並びの素人という状態から初心者マークを貼って1年後とかには周りの人の中で差が開いていく。

 

③大学生時代の就職活動で、内定を頂戴した企業の複数社の中から、自分がどの会社に行くとかを決めて、会社員ルーキーとなる。

 

会社員になるというのも、大学生時代と同じ土地勘のない会社とか知り合いがゼロから人間関係の構築もしながら、同時に仕事も覚えていく。

 

後は、3年とか働いたらとりあえず新米は卒業したかなあ~、 みたいな慣れも出ていると思うのですが、人によっては単純な仕事だったりして、そこは何か新しい挑戦をしていく事を意識しないと、脳にかかる負荷が減るので加齢による影響でボケとかが加速していくのがある。

 

例えば、大学を卒業してせっかく入社できた会社なので、そこで40年とかお仕事ができた方が良い。 という考え方が一般的だったりする。

 

でも、人によっては自分の仕事が変わらないとかあったりして、周りの人間関係といいますか、そこにいる一緒に働く人たちもずっと同じ立ったりする事で、脳にかかる負荷が少なくなってしまうという問題もある。

 

私三之橋の場合は、入社して即日同じ課にお局様界を束ねている大ボスのおばあさんがいて、どうもその定年を過ぎてもやっていた仕事を私が引き継ぎするみたいで虐められた。

 

ほかにも、役員が骨董品みたいなクズに大金を使って買い、請求書を会社に回す。 それで役員が一致団結して請求を突っぱねるぞ~ と考えた。

 

その請求書の支払いがないと確認の電話があり、その役員はなぜか綿三之橋の頭に杖を振り下ろしていたので、びっくりして避けて死なずに済んだ。

 

入社して1カ月くらいで人生初の会社員部下のOL姉さんができた。

 

お局様の仕事を引き継ぐ過程で、システム部責任者の部長があと何年かで定年というタイミングで私三之橋の上司がシステムを作って、銀行の審査を受けると説明をして、仕事を命じていたテーブルに呼ばれ、『三之橋君、どう、君でもそのくらいやれるでしょ?』 みたいに振られた。

 

まあ、誰でもシステムを組んで、それを大手銀行に出して審査を受けるとか言われるとビビるというのはある。

 

もしも審査結果がNGで、『あれはちょっと酷いレベルです』 とか言われると、定年まで〇年とかあるのに辞めるのが加速して前倒しになりそうじゃないですか。

 

その仕事をしている人が、責任者なのに、絶対にやりたくないように見え、命じられた仕事をできないと言い張り、なぜか押し付けられた。

 

綿三之橋は忙しいので物理的にできないので上司が部下をさらに雇って三之橋の部下にするのでそれで何とかやってみてと言われる。

 

こんな話をするとそれはネタですか? と言う人がいるのですが、コンピュータゲームくらいはやったのですが、会社のシステムを組むとかの経験が大学生にあるわけないじゃないですか。

 

『こういうものを作ってみてください』 みたいなものがあるわけでなくて、具体的ではない抽象的なもの。

 

作ってみてそれを銀行のシステムを作っているシステム屋と呼ばれるコンピュータのスペシャリストが良い仕事をしているなあ~ と感じたら合格という世界。

 

まあ、個人商店の社長が良いもの作ってくれたら買うよ。 みたいな世界。

 

そういうのをやってみて、できてしまった。

 

そんな感じで大学を卒業して新社会人デビューして、初めての会社で3年くらいは何か人間関係もドロドロしたものとかを経験したり、自分よりも凄く年齢の上の人が高い給料もらっているのに年下に平気で仕事を押し付けるとかも経験したりしていく。

 

そんな感じで3年持ったという事で1人前みたいになるので、履歴書でも最初の会社は3年は仕事をした方が良いといわれている。

 

『私〇〇は、大学を卒業して1年ではありますが、あの有名企業で働いておりました』

 

そう言われても、言われた方から見れば、1年とか2年で辞められると何か難しい仕事でも与えられて辞めたのかも? と思ったりする。

 

でも、厳しい会社だと新卒では3年持たないし、転職だと6カ月持たないという感じがある。

 

『私三之橋は大学を卒業してあの会社で働き、こういう仕事の責任者をやっていて、もう飽きちゃったので次のステージに行きたくて』

 

みたいに言われると、仕事はできるのだろうなあ~ と相手は感じる。

 

転職する人の視点では、3年とか働いた事で、1つの峠を登り切った感じで、しばらく7年とかその仕事を続けるのだろうなあ~ という安定期に入る。

 

自分が30歳までその仕事を続けると、そこで転職するよりも、今辞めてしまって転職する方がまだ転職の間口は広いとかあるでしょうし、同じ仕事を続けると視野も狭くなってしまうじゃないですか。

 

高校を卒業してプロ野球選手になった人でも、すぐに試合に出る1軍選手になれば、そこから10年はやれたりする。

 

そんな感じで1つ成功すると、最低10年くらいは維持できると考えられ、「でも、その維持するというのは楽でもあるわけで、未来の自分から見て、ほんとに自分の為になるだろうか?」 と考える。

 

ひょっとしたら、まぐれ当たりで運が良くて上手くいっただけなのかもしれない。

 

そうすると2社目に転職してしまって、アローンスタートで土地勘もないとか、その業界の事も未経験とか、知り合いもゼロという環境からもう1度チャレンジしてみて、上手くできるのか? と検証してしまっておくのが1番確実じゃないですか。

 

転職はリスクもかなり高い。

 

でも、2社目でもアローンスタートになるので、①大学生になったアローンスタート、②新社会人になっての会社員1年生でのアローンスタート、③転職2社目でのアローンスタート。

 

3回できれば、ハットトリックを決めるようなものなので、たぶん残りの人生で人間関係でどうすれば良いのか? とか悩む事もないと思う。

 

小学生1年生とかで友達を作るのと、大人になって作るので難易度が違っているじゃないですか。

 

例えば、福岡に住んでいる人が大人になる。 憧れた東京に行くという場合、大学が最後のチャンスになる。

 

どうしても、高校を卒業して新卒で東京の会社とかで働くと、友達が作れないという現実的な問題がある。

 

仕事をして社内でしゃべる人ができて、「今度の日曜日に、一緒に遊ばない?」 と誘ったら、『ごめん、高校時代の友達と遊ぶので』みたいに言われてしまう。

 

小学生、中学生、高校生、大学生。 まあどれでも良いのですが、学生時代の友達というのは利害関係がなかったりする。

 

でも、大人になると、その辺が違ってくる。

 

会社で仲良くなった人と遊ぶよりも、高校時代の友達と会って一緒にご飯を食べるとかした時に仕事の話とかしないとかあったりして気楽じゃないですか。

 

もちろん、会社で知り合った先輩がいて、『今度俺の家を新築したので三之橋も今度の日曜日に来いよ』 とか誘われて行くとかはあったりする。

 

でも、世の中には働いている会社の人と仕事では話すけれど、誰かの家に呼ばれた事がないとかそういう人もいたりする。

 

できれるだけ20代で人間関係の構築というのは、できているかどうかの検証をしておく方が良い。

 

例えば、今大学生の男性がいたとします。

 

ある日使っているノートPCと同じ型式を分解しているCPUグリス塗り替えの動画を観てしまったとします。

 

その時にロールモデルとして真似てみて、自分もやってみる。

 

もしも、上手くいかない事があれば、作業工程表を作成していないとか、何か原因があると思う。

 

その場合、その失敗ができるようにしておけば、大学を卒業して会社員となった時でも、仕事を習うとかの引き継ぎできちんとノートにまとめる事ができたりすると思うので、無駄ではないと思う。

 

会社員となって慣れた男性が偶然同じように動画を観てしまったとします。

 

その場合、普段やらない非日常という世界なので、上手く理解できないとかあるのかもしれない。

 

ことわざのようなものに、人は年を取ると新しい仕事を覚えられなくなるとかある。

 

ハードオフとか、メルカリで、中古を買ってみて分解して整備して、売るというのもアリかナシかでいえばアリだと思う。

 

大学生から学生時代にお別れをして、社会人になると中間テストとかもなくなる。

 

周りの人がどういう感じなのかとか、そういうのが人によってはわからない感じとなり、体調管理は自己管理という世界なので、病気にならないように自分で気を付けて、後は自分でボケないように脳の海嶺による劣化とかも意識していないと若年性アルツハイマーのようになるとかある。

 

昔ある国立大学があり、そこで電気に関して教えていた人がいて、そういう人っておじいちゃんになった時でも意外と認知症とかは無縁っぽい感じだった。

 

昔朝日新聞社に勤めて、対年退職後に東京海上の同診療で寮長をしていた叔父もそんな感じだった。

 

独身寮を辞めた時にプレゼントされたラジカセがあり、乾電池を充電して離党の祖父の家で良く使っていた。

 

離島って、電気屋さんがあってもあまり充てにならない感じもあり自分で分解して簡単な修理とかした方が早い。

 

あなたもテレビとかで観た事があるのかもしれない。

 

昭和の家電製品を直す修理業をしているおじいさんがいて、全国から修理の電話が殺到し、電話もつながらない事が多いので1日朝高速を走って夕方にアポなしで修理して欲しいものを持ちこむ人がいる。

 

そんな修理をしているおじいさんって、話しとか上手くないのに、意外とボケとは無縁じゃないですか?

 

家電だと昭和家電が好きで集めている小学生がいたりして、故障すると自分で直すとかするので頭が賢くなるとかテレビに出てくるじゃないですか。

 

女性の場合は高齢者になるとみんなでワイワイという趣味を好み、男性は1人でできる釣りとかにハマる人が多い。

 

でも、家電の修理とかメンテナンスは年を取ってもできて、頭がボケない。

 

なぜか?

 

壊してしまうともうそれは売っていないので、分解する前にとかに構造を考えたり、分解して見た時の所見とかでもここが悪そうとか考えるじゃないですか。

 

結構そういう考えないといけないというのをやっていると、普段何も考えない人と比べると加齢による影響とかが差が開く感じで高齢者になっても脳もしっかりしている。

 

ボケとかの認知機能が低い人というのは誤解されがちですが、有名な国立大を卒業して新卒入社で会社員になった人でもそこから仕事をさせてもらえない感じでハブられてしまう人はいる。

 

それまで勉強をして脳はそこまでひどくもないのに、仕事をさせてもらえないと脳に負荷がかからなくなって悪化の一途をたどってしまう。

 

人が自分の周りから離れるという孤独な人生となり、30代とか40代で仕事も就くのは無理な感じになるとかある。

 

そういう人だとノートPCが空冷式だからと、分解してCPUグリスの塗り替えとかしない。

 

そんな感じなので、ノートPCの分解とかは80歳くらいまでボケないのに有効だと思うのです。

 

個人的なお話となりますが、どうも外耳炎になってしまった感じですが、私三之橋の想像では最も重症コースのようで現在難聴に陥っています。

 

ひょっとしたら中耳炎のような、何か風邪のようなものに感染した事で耳の方に入り込んでしまったのかもしれませんね。

 

そんな感じですので、もう少し治るまでに時間もかかるかと思いますが、みなさんもお体には気をつけてくださいね。

 

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