goo blogサービスが終了になるという事で、本日アメーバブログの方に引っ越しデータと引っ越し申請をしました。
振り返ってみますと、利用開始から6,000日超えとなっておりました。

上記が管理パネルになるのですが、左サイドバーの上にブログ開設から6,628日になっておりました。
最近は、1日に200人~300人くらいの人が読んでいただいていた感じになります。
ブログの引っ越しというのは意外と難しいものがあり、別のブログサービスでライブドアブログに引っ越しデータをインポートしたら、最初は上手くいったと思い、ブログサービスが終了した途端に記事の画像データが見られなくなるとかの不具合が発生しました。
ブログの記事の中に、コードを入れる部分で、ブログサービスによって、「この場所にあそこの画像を挿入する」 というタグの箇所が微妙に違っており、そのブログサービスの中のurlの画像データを参照するというリンクになっていて、最初はそれに気づかず、ブログサービスの終了でその画像ファイルがアクセスできない削除となった事で判明した感じでした。
ブログ記事の中にリンク切れが大量発生し、検索エンジンのグーグルでトップの方から100位チョイ下まで一気に急降下して自分のブログを探すのが大変な労力を要するようになりました。
すべての記事のリンク切れを修正できずにまだ残っている感じですが、タグの事例で、「このようなタグをすべてこのようなタグに置き換える」 みたいな会社のコンピュータのようなプログラムが使用できず、1つ1つ手作業でという感じだったりします。
今回はアメーバブログに引っ越すとカテゴリーがすべて1つになるという不具合に注意とブログ引っ越し案内で紹介されていましたが、カテゴリーの手動変更は楽かなあ~ と思ったりしました。
新しい引っ越し先のurlは、下記
https://ameblo.jp/timerunner/
となる予定です。
最初は、株式トレードの日記を書いてみるか~ という感じではじめ、最近は会社員ゲームのような、会社員となったらどういう風にすれば良いのかがわからないというお悩みの人が多かった感じからそのような記事とかが多くなった気がします。
あくまでも私三之橋の場合は、こういう幼稚園生時代だったとか、こういう小学生時代だったとか、そんな話になります。
父は注文建築業という仕事で、祖父はゼネコンという仕事で、よく人から見たら、「親ガチャの人」 みたいに見える感じですが、特に父から仕事のやり方などを教えてもらったとかもない感じです。
歌舞伎役者の人ですと、4歳とか5歳の幼稚園生時代にはそのような親の家業を引き継ぐという感じになるわけですが、商売人は2歳にはもう親の仕事に同行したりしている。
人は一説によりますと、1歳~4歳くらいまでの間に脳が急激に発達するといわれています。
家の中で母親と一緒に過ごすと、お母さんの顔色を見て育ち、目の前のお母さんが笑って喜んでくれたとかを見て、「今の行動は正しい」 という風に考えたりする。
母親の誘導によって出来が変わるので、ロイヤルファミリーなどでは乳母がいたりして母親と切り離す。
2歳とか3歳で父の仕事に同行し、木造注文建築の家を建てているという材木の匂いがいっぱいの場所でただ、1人でそこで遊んでいた感じ。
職人さんとか、大工さんが仕事をしていて昔は有線の電動のこぎりとかを使ったりしていて、そこに新米の人とかアルバイトの人が来ていて、作業している工具のコードに引っかかって躓くとかあると、「あぶね~じゃね~か」 みたいに怒鳴られる。
電動のこぎりを使用している人が、誰かがコードに引っかかるとその瞬間に工具が引っ張られてしまい、指とか切断するとかある世界。
ある時は、どこなのかもよくわからない家に行き、そこで天井から操り人形のようにぶら下がっている人、まあ首を吊って自殺したおじちゃんとかの死体を見たりする世界。
例えば、家を建てるハウスメーカーとかはボロ儲けの人達、みたいに考えられている。
でも、現実は、「家を建ててくれ、お金はあるよ」 みたいに言っていた依頼主が支払いの段階になって、洋服を脱いで、「俺は去年まで●●刑務所にいて出てきた者だ、金はない」 と日本刀を出して入れ墨を見せて脅されるとかもある感じ。
たった1回仕事でしくじれば自分があんな風に天井から吊るされて終わっちゃうのかなあ~ みたいな世界。
そんな空気感みたいなものがある世界。
人は一般的に18歳の高校を卒業したら1人暮らしをして都会で働くとかある。
私三之橋の場合は、高校時代に一緒だった男友達に卒業前に、「お前とは一生付き合っても良い奴だと思っている。 これからの時代はコンピュータなので俺と一緒のコンピュータの専門学校に行こうぜ」 と誘われた。
正直な話として、嬉しかったと思う。
それでコンピュータの専門学校に行ったらキーボードのキーの位置が覚えにくそうなイメージだったので慌てて家電量販店に行ってデスクトップPC一式を父のクレジットカードで買ってしまった。
そんな感じで家にデスクトップPCがあったのですが、近所に中学生の頃に関東から引っ越して来ていた子がいて、急に家に来た。
「俺は親父の転勤でまたあっちに戻るから」 みたいに高校生時代にずっと会っていなかったのに挨拶に来た感じで、「えっ、三之橋君ってコンピュータやるの?」 と訊かれ、『高校で一緒だった男友達に誘われてコンピュータの専門学校に行く』 と言ってしまった。
そんな感じで、これから引っ越す人に連絡先を教えてとか言えずに、『じゃあまたね~』 と言ってしまった。
そんな事があったので急に昔の友達がどうしているのかとか気になってしまって、小学生とか塾で一緒だった子の家に電話した事があって、「●●は高校を卒業して東京で今働いています」 とかお父さんに教えてもらった。
何の土地勘もない誰も知り合いもいない大学に行くというアローンスタートで、大学生になった事でそれまでの友達がもう働いているんだみたいな置いてけぼりにされたかのようなものを感じた。
大学の入学式で国産高級車の新車に乗っていた子がいて、話した事でこれから先の人生を大きく左右するファクター車の運転だと言って、周りの同じクラスの子もみんなやっていた。
でも、それまで一緒だった男友達はこれからはコンピュータの時代だと言われ、それもやらないといけないので、面倒なので全部やっておくかとなった。
大学を卒業して会社員になった時に、「えっ、三之橋君ってコンピュータの専門家なの~~~~?」 とかOL先輩姉さんとかにも言われたりしたのですが、「へえ~、コンピュータが好きなんだ~」 とか言われるのですが、そもそもは男友達が一緒にやろうぜと言った事でやった感じ。
上司の高級車に乗って銀行廻りに行き大金を運ぶとかが最初の仕事で、OL先輩姉さんに、「へえ~、三之橋君って車の運転が上手いんだ」 とか言われるのですが、それも大学で周りの子がみんなやっていたのを真似た感じ。
自分で何かを考えているというわけでもなくて、周りの友達の影響を受けているだけ。
例えば、高校を卒業してコンピュータの専門学校に3年通ったり、大学生の人が情報処理の講義を受けるとかをする人がいて、卒業して社会人となり会社員になった時にコンピュータの仕事をしている人は少ないと思う。
コンピュータの道に進んだ人が、「いつかは頂点の設計の仕事をしたい」 とか思ったりする。
どうすれば設計の仕事をもらえるのですか? なんて訊かれる事もあるのですが、たぶん人は好きだからとか嫌いだからとか、どうでも良い事にこだわっていたりするような思い込みが上手くいかない原因ではないかなあ~ と思う。
情報処理とかの面でのメリットなんてものは、コンピュータのプログラムとかって,と.の違いだけでも動かないとかある部分だと思う。
”目標遂行能力” みたいなものが仕事をする時には必要で、それがデジタルみたいな感じではないかと思う。
例えば、大学生1年生の18歳で普通自動車運転免許証を取得して、車を買って彼女とかガールフレンドに、「ねえ、今度の日曜日はあの新しくできたテーマパークに行こうよ」 と誘われ、当日に地図本を出してチャチャっとドライブルートプランを組み立てて走り出す。
車は交通量が多かったり増減するとかあるので最初の組み立てが上手くいかないと調整したりするとかもしないといけなくなる。
最終的には、彼女とかガールフレンドとデートで遊ぶというのがメインになると思うのですが、その過程がリズムに乗れないもたつくようなものだとその日1日が楽しくならなかったりする。
『その目標に到達できるにはどういう要素があるのか?』 みたいなものを考えないといけない。
そんな組み立てと実践の場数のようなものかなあ~ と思う。
車の運転免許を取った大学生1年生で、「卒業して会社員になるまでの4年間にどういう訓練をしていればダメ出しされない所になるのかなあ」 みたいなどこか逆算をしたり、偏りを考えるとかそんな感じ。
自分で目標にどうすれば到達できるのか? というのを考える事も重要なのですが、そもそも彼女とかガールフレンドが目標を出すとそれに追従できないと到達もできないじゃないですか。
一話完結の刑事ドラマみたいなもの。
その問題を最後の時間までに解決できないといけないみたいな。
例えば、この前観た刑事ドラマでは、何かが原因で引きこもりになった30代とか40代の息子がいて、年老いた母親がパートで働いていて、そんな内容があった。
もうおばあさんみたいな母親が、「自分の子供ができが悪いと親が不憫で」 とか言っていた。
引きこもりの人がいて、親がそれをかばうみたいな感じでお金を渡しているとかがあると周りの人は、「そんなに甘やかすなよ」 とか言う。
でも、そういう親の心境みたいなものというのは、「私が親としてだらしない人間だったので子供に迷惑をかけた」 とか思い込んでいる。
その引きこもりの息子がメチャ好きでとか、愛しているとか、カワイイので、みたいなものではなかったりする。
親が見てショックを受ける我が子の姿みたいなものというのは、大人になって仕事もできないとかで引きこもるとかそういう姿ではないかなあ~ と思う。
そういう風に考えている人が少なくないと思うので、高校生が学校で虐められているとかの被害に遭った時に、「これ以上は親に迷惑がかかるので終わらせよう」 とか思って自殺しちゃう人がいたりするのだと思うのです。
逆に言えば、人生上手くいっていれば済む話だと思うのです。
会社に入ってその人の中に溶け込むとかできれば人間関係で悩むとかないのかもしれないし、仕事でも上手くできれば悩まないのかもしれない。
たぶんね、世の中には2種類の人がいると思うのです。
「私は、成功者になりたい」 みたいに上を向いている人。
もう1つは、
『私は失敗して親がショックを受けるようなものは避けたいかなあ~』 みたいな人。
オフェンスとディフェンスみたいな違い。
自分が成功したいとかお金持ちになりたいとかそう願う人と、自分が失敗をしたくないとか貧乏になりたくないと願う人は違っている。
例えば、働いている会社でコンピュータのシステムの設計をしろと言われたらやるしかない。
別にその設計で大成功をしたいとか考えてもいない。
もしも真剣にやってみてダメであればさっさと辞めて電気工事士の資格でも取って作業員になれば良いのではないかと考えている感じなので、気負うとかもない感じ。
会社員になってそこでその人の中に溶け込めない感とかがあったら、それはその先努力しても無駄なだけかもしれないので、『じゃあ1度トラック野郎みたいなドライバーの仕事でもやってみるか』 と動く感じ。
例えば、どこかの国立難関大学を卒業して会社員となりそこで仕事がもらえない社内失業者になったとしたら、どうします?
私三之橋の場合だと、たぶんそこで修正できないと思えば、自分にその世界が向いていないだけかもしれないので、プランBに移行するかなあ~ と思う感じ。
「どうすれば良いのかがわからない」
みたいな悩みだと精神病んでしまうと思うので、さっさとプランB、プランCに移行するかなあ~ みたいな感じ。
そんな考え方をしているのでプランAが上手くいくのではないかなあ~ と思う。
よくあるのが、どこか国立難関大学を卒業した人が会社員となった時に上手くラインに乗っかれないとかで社内失業者になっていたりする。
そんな時に、「私があの難関大学を出た事で妬まれているのではないか」 みたいに映画の主人公の悲劇のヒロインを演じている人のようになってしまっているとか実際にある。
会社員ゲームに参戦してわかったのは、上司に気にいられないと出世とは程遠くなる世界・・・
みたいな感じ方をしている人がいる。
ザックリ言ってしまえば、仕事ができない人にしか見えないだけだと思うので、本来何が原因なのか? という洗い出しをして修正すれば済む話だと思う。
でも、商売人の子供みたいな人を見ると、「あいつは親ガチャで、いろいろな事を教えてもらっているに違いない」 とかそういう思い込みが激しい所もある感じ。
”それじゃあ、いったい何をやれば良いのか?”
みたいな部分では、情報処理みたいなコンピュータの専門学校とかに通って学べば良いのではないかと思う。
大学生でも情報処理とかの講義を受けると良いと思う。
私三之橋の場合は、大学生の頃にコンピュータの講義とか受ける事にしたのですが、「コンピュータ室」 だったか、「電算室」 だったかそういう建物があり、入退室は専用のカードキーで出入りするので入退室が記録化されるとかあった。
1台100万超えみたいなデスクトップPCがあり、そこで実践テストみたいなプログラムを作らないといけない。
コンピュータ室は、タバコも吸えないので、1度退室をして外に出て吸ってまたカードキーで入室しないといけない。
プログラムを作成するという実践テストでは、基本誰も助けてはくれないので自分で何とかするしかない。
たった1つ、,のコンマや、.のピリオドが入れ替わっていた場合でもプログラムは動かない。
自分でミスったところを洗い出して見つけて修正しない限り前に進めない。
会社員になると部下ができたりして、その部下であったり、誰かがやらかしたミスを洗い出して何とか修正しないといけない。
そういった自分で洗い出しをしないといけないという部分が、できるか? できないか? みたいな運命を分ける事になると思うので、まあやっていない人だとコンピュータを学ぶとかで人生が好転する可能性はあると思う。
会社員の中で、何か凄そうに見えたりする人というのは、特別何か才能があるとかではなくて、シンプルに言えば、”自分の事は自分でできる人” みたいな感じなのだと思うのです。
何か行動をするという仕事でのシュチュエーションなどで、サッと頭の中でそれが上手くいくのか? みたいなものを考えて、『これだと上手くいかないと思う』 みたいな感じになって、論理的にチェックするようになると思う。
例えば、大学を卒業して新入社員となった会社員1年生の人が見て、会社員5年生とか会社員10年生とか会社員30年生の先輩となる人見た時に、仕事ができる系の人を見ると、勝手に何かとんでもない才能がある人みたいに思い込んだりする。
でも現実は、動作がコンピュータプログラムのように1つ1つが雑なものでない完璧なものだったりするだけだと思うのです。
そんな感じかなあ~ と私三之橋は思ったりします。
ブログをやめるわけでもないのですが、urlという住所で言えば家の番地みたいなものが変わったりするブログの引っ越しになりますと、どうしてもそれまで読んでくれた人がもう2度読まなくなるとかあったりしますので、ブログ開設から6,628日というタイミングで、新しいアメーバブログの方に移転する予定という事で、これまで読んでいただいた方に長きにわたりありがとうございました~ という感謝の気持ちを書いてみようと考えました。
ブログとかは、1年間に1万円ちょっと得しちゃったなあ~ とかの人が1万人いれば、社会に1億円貢献できるようなものかなあ~ と思います。
goo blogサービスが終了になるとか開設時にはまったく予想もできない事だったと思うのですが、残念な事があると、ブログの場合は引っ越したその先でまたそこでのダッシュボードなど管理パネルに慣れないといけないとか環境の変化みたいなものもあります。