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ニコチャンマネーメイク

株式売買などのマネーメイク日記。

足の指の訓練など

2025-07-24 13:26:23 | 会社員ゲーム

以前ブログに、「足がしびれるとかある」 と書いた部分に関して。

 

あれから足でじゃんけんをする、みたいなYOUTUBEの動画を観て、「足の指でグーにする」 みたいな部分ができない。

 

という部分で、とりあえず足の指を曲げるようにしていたら、何となくですが少し前に進めた感じで小指を除いて曲がるようになってきた感じがあります。

 

足の指は、複雑な筋肉とつながっているみたいな解説動画がよくマッサージとか整体師さんとかの動画にあり、「この姿勢でないとその筋肉は動かない」 みたいな複雑な感じです。

 

いちいちそれを理解しようと思うと気が重たくなるので、テレビとかを見ている時にふと思い出してグーに挑戦するみたいな感じで、とりあえずやっておく、みたいな実践をしていました。

 

手の指は毎日使うのでPCのキーを入力するとかでも動くのに対して、足の指を使う事を意識する事ってほぼほぼないと思う。

 

車の運転で足を使う。

 

右足でアクセルペダルとブレーキ。

 

左足でMTのクラッチペダル操作をする。

 

最近はMTって滅多に乗らないのでまあ右足でアクセルペダルと、ブレーキペダルを操作する。

 

30プリウスというハイブリッドカー、HEVを毎日のように運転して、俗に言う ”燃費向上運転方法” とかをやっているのですが、それで最初に買った時より燃費が好転したりした事で、「右足の動きは問題ないなあ~」 みたいに考えてしまっていた。

 

YOUTUBEの動画の中で、マッサージの先生が、マッサージの仕事をしている人に「足のここをこう曲げて運動療法をしていく。 あれれ、〇〇さん、人差し指のここ全然曲がらないね」 と笑ったりする。

 

整体のお仕事をされているマッサージの人なので足の指が曲がるのは当たり前なのか? と思っていたら実はそうでもない感じで曲がらない人がマッサージのお仕事をされている感じだったりする。

 

自分の足の指をソファーで寝てテレビを観ている時に見て、「よし、足の指でグーにしよう」 と曲げてみて、「左足の親指が動いていないなあ、こうか」 みたいにイメージしながらやり、バキッと音が鳴ったりする。

 

最近、なぜか左足の親指に力を入れて曲げる時に、「あれれ、バキっという音がしないなあ」 みたいな日が出てきました。

 

普段全然動かせていない足の指を曲げてグーにする、という事にチャレンジした時に1番最初にしんどさを感じるのはスタートした日だったりする。

 

自分では一生懸命に動かそうとしているのに動かないし、力を入れ続けると異常に疲れる。

 

まあどんな事に挑戦しても、最初にしんどさを感じるというのは普通だったりするので、「このまま挑戦し続けるだけ」 みたいなものはわかる。

 

ただ、そばにマッサージの先生のような人がいるわけではないので、「これってやりすぎて明日とか車を運転する時に右足が攣るとか起きないのかなあ~」 みたいなものは無きにしも非ずという感じはある。

 

”おっかなびっくり” みたいな感じでどこか恐る恐るやっている感じはある。

 

よく、「仕事とか初めてやる時にそれが最初からうまくできるわけでもないわけで、どうすれば慣れるのですか?」 みたいな質問もあったりするのですが、ただの場数だと思います~ と言ったりします。

 

私三之橋の場合は、歩く事もできなくなり立つことさえできなくなった事があります。

 

いくつかの病院を廻ってたどり着いた病院で、先生に、『足はびっこを引くとかそういう後遺症は残りますか?』 と訊いたら、「まあそのくらい今が悪いので、将来後遺症が残らないように完治する事はないです」 と正直に答えてくれたことがありました。

 

ただ1カ月もしないうちに歩くのも回復した感じで最終的に飛んだり跳ねたりもできるようになりました。

 

専門医の先生の話によると、「いまだかつてそこまで回復できた人なんて見た事もなかったので数万人とか数十万人に1人くらいの確率だと思うと言われました。

 

その病院に行くようになった頃にパンツ1枚、トランクス姿になり床に座り、「立て」 と言われブルブルと足が痙攣して立つ。

 

そうするとまた、「座って、立て」 と言われる。

 

またプルプルと震えながら立つ。

 

「普通はね、立てないんだよ。 立つ時に筋肉がプルプルと痙攣してそれは限界を示している。 アスリート選手もたくさん診てきたのですが、その状態で立てる人なんて私も初めて見たんだ。 どうやって立てるのか想像すらできない」 と言われ、結局その立てるとか、歩こうとしているというのが感じられるという事で入院を希望したのですが、却下されました。

 

病院は禁煙なのでいつも待合室から足を引きずって外にある喫煙コーナーでタバコを吸っていました。

 

待合時間が長いので2回とか3回とかタバコを吸いに行くだけでもかなりしんどい。

 

でも、先生が言うには、「普通そのくらい悪いとタバコを吸わなくなるし、会社に仕事に行けないはずなんだ。 でも、歩こうとしている点が良い」 みたいに褒められたのはそこだけでした。

 

そもそも会社に行くのは、自分の仕事を誰かがやってくれるわけではないので、普通に考えたそのまま辞めるしかなくなるじゃないですか。

 

会社の仕事なんてものは自分が飽きたとかで辞めるとかは問題ないのですが、”辞めさせられた” となるのは嫌じゃないですか。

 

自分が絶望を感じている時にさらにクビになるとか嫌じゃないですか。

 

治ったら辞めて転職すれば良いと考える。

 

立てないくらい悪いとそれはタクシーで会社に行ってもデスクからトイレに行くだけで周りの人がみんな見ているくらい足を引きづっていて恰好が悪い。

 

でも、家で寝ていればそのまま膠着して、たぶん一生車いすの生活になると思うので、それは受け入れがたいと思うので行動を止めないのだと思う。

 

病院に行って、普段病院に行かないのでそこでヒアリング調査して、統計確率論で繰り返すとそこがたぶんベストな病院になると考えられる病院で、入院しようと考えたら却下された。

 

冬の時期にパンツ1枚で立てと言われやらされた時でも、汗が吹き出しまくりで全身全霊で力を使っていた感じでしんどいといえばしんどい。

 

病院からタクシーに乗って家に帰ったらそのまま夜までバタンキューと寝落ちする。

 

そんな感じで治ってしまったのですが、「どうすればそのような状況からゲームチェンジできるのか?」 と訊かれたりするのですが、それは元に戻るという感じなので楽だと思うのです。

 

20歳の人でも、それまで20年歩いていた記憶があるわけで、元に戻るというのは記憶を頼りに、経験を思い出すだけ。

 

脳梗塞の人でも、最初にリハビリの専属コーチみたいな人が付いて、「これは治るかも」 も回復していく中で完治まではいかない。

 

どうしても時間の壁とかあるので、一定時間を経過するとそこから先には戻れなくなるとかある。

 

そういうイメージから歩けなくなった日から歩いている感じで足をびっこ引いていたりするのでタクシーに手を挙げて停まっても、足を引きづっていると見なかった事にして走り去ってしまう乗車拒否もざらにあった。

 

ダンヒルの細番手の生地で仕立てたスーツを着ていて、ちゃんと襟章のバッジを着けているのに手を挙げてさっとタクシーが止まり、立っているのがしんどいのでガードレールとか壁に寄りかかっているのでそのタクシーまで歩く時に時間もかかって不格好なのでタクシーが会社の前で乗車拒否して走り去るとかある。

 

何度かそんな感じになり、売り上げが悪かったりしたのか1台乗せてくれるタクシーがあって家まで帰られるみたいな世界。

 

『comes around,goes around. なので抜け出さないといけないなあ~』 と思ってやっていたら、立てなくなって1週間後にはもう急回復していった感じでした。

 

どうやって回復できたのかよく覚えていない。

 

会社のコンピュータ用紙が1枚は必ず無駄になる仕様なので白紙がメモ用紙として使うようになっていたのでそれに「バトルプラン」 と書いて、「昨日は3歩歩けたので今日は7歩くらい歩けるような気がする」 とか記録していた。

 

本社から来た上司が私三之橋が休んで病院に行った日とか来てしまい、調べたら仕事は全部やってあって、引き出し開けたらそこにバトルプランと書いた紙がいっぱいあって、ある病院が評判良いと聞いて会社を休んで朝から直行し院長室に呼ばれて今後の治療方針とかの話をしようとしたので、「ぶっちゃけた話、治せる自信ありますか?」 と訊いてないみたいだったのでその日にその病院に通うのはやめたとか、統計確率論でナンバー1の病院を見つけたとか書いてあった。

 

会社というのは、ある日歩くことができなくなったりするとか、病人が出たりする。

 

それはたぶんその日のうちに全国にいる重役とかそういう人達に通達が出されて知る事になる。

 

そうすると近いうちに上司である人が現場に飛行機で行って仕事のできていない部分とかをチェックして、「あなたは戦力外です」 みたいな宣告を出して仕事に穴が開かないように新しく誰かを採用するとかしないといけなくなり、自分の居場所がなくなる事になる。

 

というのは小学生3年生の子供でもわかる話なので、前日に残業して翌日の分までやって朝には新しい病院に直行して、「今日の分は昨日のうちにやっていますので」 みたいに休みを取る。

 

そこに上司となる人がやってきて、「何だ三之橋は休みか」 と言って三之橋のデスクで仕事をどうしてあるのか? を隅々までチェックする。

 

引き出しを開けるとそこにバトルプランとかの紙が入っていて、読んでしまう。

 

新しい病院に初めて行って、院長室に呼ばれ重度の障害を抱えた患者の今後の診療方針みたいな説明があって、そこでとりあえず頑張っていきましょう~  とか言われ、それは人を騙す人の目をしていたのでもうその病院は初診料とか結構高い治療費を支払っていたりするのも捨てようと書いていたりする。

 

初めて行った病院の院長室に呼ばれ、「どうしてうちの病院に来たのですか」 とか、「どういう治療を望みますか」 とかヒアリング調査して、「うちに通ってもたぶん治せませんよ」 とはどこの病院でも言わない。

 

ほんとに困っている人に診察を拒む話をすれば自殺する人もいると思う。

 

でも、その人が治らないのに来ているというのも黙認しがたいものはあると思う。

 

自分で空気を読み、自分で決めるしかない。

 

お金がもったいないと思ったりするとダラダラとその通っても治る事がない病院に通い続け、時間も無駄にしてタイムアウトエラーになる。

 

「ぶちゃけた話ですが、ここに通っても治せそうにないですよね?」 と直接院長に訊いてそのリアクションの表情を読み取るしかない。

 

初診料とか1万円とかかかったとして、当てもないのに他の病院に行ってまたお金がかかるので損する、とかお金にこだわれば時間もお金も無駄にして治る事もないという現実が待っているだけなので、お金は捨てようと見切りをつけるとかも書いてあった。

 

足が悪いとお金を引き出すのもしんどいのでATMで100万円引き出して会社の引き出しに入れていた。

 

イメージとして、その100万円を予算としてタクシーに乗ったりして減っていく中で、一定時間で方向性を決めないといけないという現実があると思うので、焦りもある感じ。

 

会社の仕事がハードなので、いつまで1人でできるのか? という予想が困難だし、残業して翌日の分までやって休みを強引に取るというのもその病院の通院1回でも大変な労力を使うので無限に何度もやれるとは考えられない。

 

土日に休日出勤したとしても、週に2回病院に行くだけの為に休みを取るのが限界かなあ~ というのもある。

 

病院って初めて行くと8時前にもう来ていないといけなくて、そこで予約なしで診てもらうという事で検査とか時間もかかるので早く終わってお昼くらいという感じ。

 

3カ月とか、半年とか、そんなに長くやれるとは思えない。

 

前の日に残業して仕事をして、翌朝には初めての病院に直行して、12時頃とかに終わって家に帰ると夜まで熟睡する。

 

起きて夕飯を食べてお風呂に入って、また朝まで熟睡してから会社に行く。

 

病院で先生に質問した事があるのですが、『私は眠り病でしょうか』 みたいに力を抜くと目が覚めるまで爆睡している。

 

”時間との戦い” みたいなものは自覚できていた感じ。

 

上司となる人が、最終的に自分を戦力外だと宣告する決定をしてもそれは逆の立場で考えてみれば、いつ会社に来なくなるのかもわからないような人を雇い続けるリスクは避けたいとなるだろうから、仕方はない。

 

わかっているのは、誰かが助けてくれるみたいな期待をするのが1番良くないかなあ~ と思うので、日常生活がリハビリと呼ばれているように普段の会社の仕事をして、圧縮してできた時間で治療の為に評判に良い病院に飛び込んでみるという繰り返し。

 

会社というのは上司を送り込みそこで調査した結果でも聞くという事になるのですが、そこでまさかの「本人は治るつもりみたいです」 と言って、「はあ~」 となった感じで仕事をしていたまでは想定内だったけれど、バトルプランに書いてあるパターン分析して的を捉えたようだという部分は想定外だったみたい。

 

手に考える方法と呼ばれるのですがそもそも歩けなくなるくらいなので自分の脳が何か誤解をしている可能性もあると考えたのでよく紙に書いて読んでロジック的におかしくないか? とか仕事の合間にやっていた。

 

初めて経験した事となる足で立てないとか歩けない事態に陥った時に統計確率論的に評判の良い病院に初めて行きそこでダメだと判断して失敗を繰り返して、当たりを見つけたとか書いてあるのを読む人も頭のおかしな人にしか見えないと思う。

 

病院の先生に言われたのですが、「生まれて初めて自分の目の前で心臓が止まった人を見た。 それだけでも驚いたのにその後リブートして心臓が動き出した人も初めて見た」 と言っていた。

 

会社って重度の病気とかをした人がその後回復して治って攻略できたという人が1人もいなかった。

 

でも、私三之橋だけはV字回復している。

 

しかも、『心停止1回記録あり』 と笑って報告した感じですが、そもそも会社の社員には役員も含め心停止になった人は死んだ人しかいないので1人だけ記録を更新した感じ。

 

そんな感じで抜け出せたのですが、さすがに次に生まれ変わった時にもう1度やってとか言われたらやりたくはない感じ。

 

でも、なぜできたのか? と訊かれれば、記憶していたのを頼りに戻るだけという感じだったのでできた。

 

今回のように足がしびれるとかそういう部分というのは、足の骨の関節とかがたくさんあって、どこがどういう風にどうズレているとかあると思うのですが、足の指をグーにするとかそういうのが日常生活にはない行動だと思うので、上手くやれそうにない。

 

”歩けない” というのは、会社にもコンビニに行くのもすごく大変なので、「そのうち放っておけば治るだろう」 とかそんな感じには絶対に思えない。

 

今日少ししか歩けなくてもその歩く努力をしないと明日はもっとそれよりも酷い事になるとわかるので努力しないわけにもいかない。

 

ひっ迫感が違っていて、タクシーでも止まった後に急に消える感じで走り去る乗車拒否とか生まれて初めて経験してショックだったりした。

 

あなたはある日突然歩けなくなるとか、地獄に真っ逆さまに堕ちたらどうします?

 

私三之橋の考えでは、病院の待合室でじっとしているのはダメだと思うので喫煙コーナーに行く。

 

なぜか?

 

そこに行ってタバコを吸っていれば、常連さん達のたまり場だったりして情報を仕入れられるじゃないですか。

 

ある日そこで、「お兄さん、こんな事を言うと気を悪くするかもしれないけれど、お兄さんはかなり重症なので身体障がい者として申請すれば一発だよ~」 とおばちゃんというかおばあさんがタバコを吸いながらそう言った。

 

信じられない感覚でぶっ飛んでいるじゃないですか。

 

足が悪くなって何とか抜け出そうと病院に行っているのに、もう一生働くなくてOKよ~ みたいに言われ、その日に歓迎会をしてくれる事になった。

 

病人の世界だと、自分よりももっと酷いレベルの人を見るとホッとするみたいで親切にしてくれるので歓迎会は奢ってもらえる。

 

”場末の食堂” みたいな病院そばの食堂でお昼から飲み会となった。

 

そこにいる常連さんというのはもう重症の病人みたいな人なので、コップにビールとかを注がれ、そのコップをさっき誰が飲んだのか? がもうわからないので、ロシアン・ルーレットのようなもので、『このコップで飲んでAIDSにならないだろうか』 みたいな恐怖がある。

 

「お兄さんは、〇〇ちゃんとお似合いだから付き合っちゃば~」 と言われ、『それは無理です~』 みたいに思ったりするのですが、そんな事を正直に言えばこれから先病院で虐められそうな雰囲気なので、『やった~、足が悪くなったこんな僕にも彼女ができるなんて~』 みたいにおどけてみせる。

 

そもそも何の歓迎会なのか? もよくわからない。

 

何だか自分の足が悪い事で身体障がい者に認定されるのはもう確実で大金をゲットできた人というお祝みたいな感じだった。

 

何だか涙が出てきそうな、そんな飲み会でした。

 

そんな飲み会があったりした後に帰りに病院を見て、『この世界から早く足を抜けよう~』 みたいな気分になる。

 

よく病気をしてそれが何十年と治らないまま通い続ける人がいると思うのですが、たぶん病院の居心地が良いからだと思う。

 

普段病院に行かない人は、ある日急に病院に行く事になるとそれは受付からもうわからない世界だったりする。

 

朝8時とか早くから来て待合室に座っていても11時とかに呼ばれればまだ良い方だったりする。

 

馴染めそうにない世界。

 

たぶんそういった病院には行きたくないなあ~ みたいな気持ちが強くあるので、治るのが早いのだと思うのです。

 

ボスが日本一の高級住宅街の芦屋に住んでいて、そういう生まれつきのお金持ちの人の人的インフラで調べてみても、私三之橋のように歩けないレベルから数十万人に1人みたいな急回復をした人というのは調べてもいなかったりする。

 

そうするとどうなると思いますか?

 

重症みたいな事態に陥った人が、何でもなかったかのように嘘のように回復して会社で歩いているのを見ただけで、「あんなに酷かったのにもう歩けている」 みたいに驚かれる。

 

私三之橋が手に考えさせる方法で書いたバトルプランという紙を読んだ上司は、生まれて初めて経験するものに対して一瞬でパターン解析して攻略していくというメモみたいなものを見て、「あいつは神ってる」 と思ったりする。

 

こんな事を言うと問題だと思いますが、

 

ボスはお金持ちの人が見ても超お金持ちみたいな人だったのに、最後は難病に陥ってしまい、一生使いきれないくらいお金を持っていたのに、そのお金が何の役にも立たない感じで回復できない感じでした。

 

そんなボスから見たらとんでもない桁外れの貧乏人となる私三之橋が唯一パズルを解く速さは上回っている感じでした。

 

どんなにお金持ちの人でも身近に病院で心臓が停止した記録を持つ人が、電気ショックとかの蘇生をする前に自力で心臓がリブートして生き返ったみたいな人は見た事がないらしくて、珍しい動物園の猿みたいに見える感じ。

 

「もう良くなったのか?」

 

『はい、心臓が1度止まって軽く死んだのですが、神様の抽選会で復活できたみたいで今では歩けます~』 と言う人を生まれて初めて見たらしい。

 

よくボスに嫌われている感じがあるので何かやらかしたのですか? と訊かれる事があったのですが、たぶん似ていないタイプだからだと思う。

 

お金持ちの人とか成功者と言われている人は、病気にでもなればその人脈を使って治せる病院を紹介してもらったりする。

 

でも、私三之橋の場合だと、そのようなやり方をすれば修正しづらいという欠点があると思うので自分でヒアリング調査して、初めて行った病院で3時間とか4時間で、『この病院は違うかなあ~』 と見切りを付ける。

 

普通は初診料がもったいないとか考えると思うのですが、そこは捨てる感じ。

 

お金持ちの人とか成功者だと、自分が立てないとか不格好な姿だと見せられないと考えたりするので入院するとかするじゃないですか。

 

演者なので自分のイメージを大切にする。

 

私三之橋の場合は演者ではないので、ゼロインみたいな感じで立てなくなったその最初に日に会社に出社しているので驚かれる。

 

シンプルな理由なのですが、『俺がこんなに急に立てなくなるなんて』 みたいなショックはあるのですが、でも会社に行かないと仕事ができないとか実際のところどうなのか? とかわからない。

 

損傷具合をチェックするとか、最初に立てないと思ったけれど動いていれば楽になるとか、立てない時に壁とかに寄りかかったらどのくらいでチャージするとかチェックしたいじゃないですか。

 

どこで力尽きるのか? なんてものはたぶん予想しても当たらないと考えるので、往きは家族に車で送ってもらい、どこかで力尽きたらそのまま救急車呼んで病院に搬送してもらえば済むかなあ~ と考える感じ。

 

高齢者であったり、幼稚園生時代の喘息の友達でも、朝が体調悪いのに午後になると落ち着くとかあるじゃないですか。

 

朝出社する前の7時とかに、『やばいぞ、俺は歩けないのでこんな不格好な姿で会社に出社して、そこで救急車で搬送されたりするとマズいぞ~』 と考えて休んだとしても、明日はどうする? とかわからない事だらけだったりする。

 

考えても仕方ない事って無意味に考えても余計変な方向に行くだけだと思うので、ベッドで寝てそこで考えるとかは無駄でしかない。

 

出社して夕方まで居る事ができれば、2日目の朝とか精神的に楽じゃないですか。

 

『理論的に考えてみて1日目が1番しんどいと考えられるのでそのハードルを乗り越える事ができた。 今目覚めて仕事に行く体制になったという事は体は拒絶していないし、昨日に比べて今日は重度の障がい者2日目という事で少し精神的に余裕も出ると思う』

 

みたいなたった1日会社に行って頑張った事を基準にすると翌日の2日目は1日目の何もわからない状態と比べると少し慣れのような好転が出ると考えられる。

 

『もしも自分が不格好過ぎてみんなに笑われるとか恥をかくとどうしよう?』

 

そういうものって、1番不格好な姿で登場すれば、最初の1日目は精神的にしんどくても、2日目になれば、『もう昨日散々恥もかいたので今日恥をかくというのはないのではないか』 という気持ちになる。

 

不登校の引きこもりの友達を見ても、最初の1歩を踏み出す事ができずに休んでしまい、そうすると2日目も3日目も休まないといけなくなる。

 

半年ぶりに先生に言われて登校して、周りの生徒に、「久しぶり~」 とか言われたら翌日にはもう休んでしまうじゃないですか。

 

お金持ちの人であったり、成功者みたいな人であれば、それは成功者とかをイメージした見本みたいなもの、理想のような行動に出る。

 

私三之橋の場合は、残念な人という引きこもりの失敗した人をロールモデルに反対の行動を取っているようなもの。

 

バトルプランという紙に書いてあった鏡の中の自分に向かって言う呪文も、『勘違いしてはいけない。 誰も助けてはくれない。 どんなにお金を持っている人であったとしてもそのハードルは自分で超えないといけない』 とか書いてあったのを読んだりすればイラっとするのだと思う。

 

”完全遂行能力” とか呼んでいたりするのですが、ある目標が与えられてそれはどのようにすれば目標に到達できるのか? というのを自分で考えて組み立てないといけない。

 

最初のイメージした行動プランに、2日目、3日目と折り重ねていく。

 

例えば、大学を卒業した新入社員がいて、失敗したくはないという想いなどがあればたぶん成功した人が書いたと思われる書籍を参考にしたりすると思う。

 

でも、私三之橋の場合は、そういう人って世の中には溢れていて多くは成功なんかしていないと思うので、生きた人間を見本にその人はどうして残念な人になったのか? を考えロールモデルの真逆に行動するという風にしている。

 

なぜか?

 

逆走しなければ、大きく外さないと思うので方向性を絞るとかの際に修正幅は少なくて楽だと考える。

 

”火事場のバカ力” と呼ばれるものがある。

 

火事になって我が子がその燃える家に取り残されていると母親が燃えている家に入ったりして、重たい家具の下敷きになっているとかを見て持ち上げて助けてしまった、なんてこともあったりすると言う。

 

普通は脳が制御しているはずのリミットみたいなものが外れると驚異的な力が出せるとか言われている。

 

普段は使わないような何かを引き出せれば一気にパワーアップする事が人間にできると考えられている。

 

バトルプランに書いてあったどうすれば攻略できるのか? という目標を攻略するまでの論理的な組み立て方とかどういう風にアクセルを踏むみたいな塩梅とか、どのように潜在的能力を引き出すのか? とかいろいろな技術がそこに書いてあった感じ。

 

ザックリ言えば、サバイバル訓練とかで実践していたものかなあ~ と思う。

 

人間って面白よね?

 

それまでビジネスという仕事で凄い人だと思われていた人がある日難病とかになってしまうと、それを攻略できないとかでそれまでの「あの人って凄い人だと思っていたのに実はそうでもないような気がしてきた」 みたいになって評価が一気にマイナスに傾き信用の屋台骨が揺らぐとかある。

 

逆に私三之橋のような場合だと、悪くなった1番恰好悪い姿で出社して、その姿を見た社員はみんな「あいつはもう終わった、辞めるな」 みたいなスジヨミとなる。

 

でも、2日目3日目と出社していくと1週間も経った頃には、「あいつ最初より良くなっていないか?」 と目に見えて変化がある。

 

たぶんね、「ホンモノとニセモノ」 みたいな世界になっちゃうと思うのです。

 

よくそれまでなんともなくて順風万端だったご主人が躓いてしまい、奥さんとか家族の人が見て、「どうして会社に行かないのだろうか?」 とか思ったりすると思う。

 

”もしも失敗して恥をかいてしまったら”

 

みたいに考えない人はいないので、狙い過ぎるとかあると思う。

 

私三之橋の場合は、自分が会社にも行かず家の中に引きこもると家族の人はその姿って見たくないと思うのでそういう事をやっちゃえば家族が全滅するかなあ~ と思ったりする感じ。

 

1日とか2日くらいだと何ともなくても、それが1週間2週間と場数が増えるほどに、「この先どうなってしまうのかなあ~」 みたいに不安になると思うのですが、1日目から家から出かけていれば、そういう不安を感じないのでヤサぐれないと思う。

 

人生の挫折というか、絶望を感じた時に奥さんが優しいとその優しさに埋もれてしまうと思う。

 

でも、最初の選択でその選択肢は捨ててしまえば、愛に溺れるという事も起きないと考える。

 

そんな風にグリッドラインで線を引くようなイメージ。

 

影踏み遊びの子供は幼稚園生でも踏む影を見て行動するじゃないですか。

 

逆に言えば幼稚園生の子供でもできるくらいなので、高知能みたいなものが無くてもできそうだと考えるので、自分は疲弊した時にその線を越えてしまわないようにするのはそれほど難易度は高くもないと思うので自分を見失わないと思うのです。

 

大人になってどこかの会社で働いた時に、精神を病んでうつ病みたいな感じになって、誰かが何か言えば異常に怒る人とか見たりするじゃないですか。

 

あんな感じで、自分の人生が上手くいかない人というのは、思考停止したかのようになったり、周りの人から見て腫物を触るかのように緊張するような人になったり、当たり散らすとかあると思う。

 

気を付ける事としては、会社に行ってそこで、「おい、三之橋。 お前歩けなくなったのか?」 とか先輩に言われた時に、『チっ』 とか言うのではなくて、正直にそのままありのままを話して、スマイル~ みたいなものができれば、たぶん捻じれずに済むと思う。

 

精神を病んで、仕事もしないでいつもボ~っとして、うっかり話しかけると怒るという人として廃人みたいになって最終的に誰か責任者が会社を辞めるように説得するとかあるじゃないですか。

 

例えば、そんな人を目の当たりにした時に自分がちょっとこの空気感嫌だなあ~ とか感じたのを思い出して、『そんな風になるのは避けたいなあ~』 とマイルールでそんな風に自覚すれば、たぶん頭の中が捻じれるとか起きないと思う。

 

自分だけのマイルールを考え、「これはやめておこう」 とか最初に線引きしておけば、将来ずっと足が治らない結果となってもその会社で受け入れ先がみつかり車椅子で本社とかで働けるのかもしれないじゃないですか。

 

イジケてしまうと、そばにいる人が気を使うとかになって、忌み嫌われるだけだと思う。

 

でも、明るく笑いながら歩けない地獄の3丁目あたりまで堕ちてしまいました~ と言えば、悲壮感みたいなものがないので相手も笑えるのです。

 

例えば、元モーニング娘の吉澤 ひとみさんの飲酒運転事故でも、飲酒運転をやらかしていて、それだけであればまだ良かったと思うのですが、事故を起こし逃走する動画が報道された事で人生終わったみたいな感じになった。

 

例えば、最近だと伊東市長の田久保 眞紀さんの学歴詐称事件みたいなものでも学歴詐称の疑惑の後に見せた改ざんした卒業証書のチラ見せとかで辞めないといけなくなった。

 

そんな感じで人生は最短2回やらかした事でドミノ倒しのように崩れていく感じで、1回目で気を引き締めるという事ができない事でその後の2回目で周りの人の心が離れていったみたいな、自分で自分の首を絞めるようなことが起きるので、1回目に歩けなくなったというタイミングでアンカーを打ちまくりそれ以上地獄に堕ちないようにしていた感じ。

 

お金に関しても、会社を辞めると2割負担から3割負担になるとかいろいろあると思うので、ある程度治療の目途が立たないうちは辞めるという選択肢はないと考える感じ。

 

初めて行った病院で、『この病院ではダメだな~』 みたいに3時間とか4時間で見切りを付けるとまた違う病院に行って初診料とか検査代とか支払う事になるのでもったいないというのはある。

 

でも、治ってしまえばグランドスラムに到達した人みたいになるのでリストラも残りの人生でないと思うので、ある意味はした金ではないかと割り切る感じ。

 

ただ予算はあった方が良いのでキリの良い100万円という金額を下ろして来て財布にそこから補充するので、治った~ みたいな時に総額いくらくらいかかったのか? がわかるようにして、予算を使い切ればそれはその金額が減っていった過程で次の一手を考えれば良いという考え方。

 

現実の話としては、そんなにお金もかからないまま治った感じで1カ月も病院に行っていない。

 

知らない人もいると思うのですが、病院内で心停止状態が公式に記録された場合、医者がその告知をして、原則治療はそこで終わる。

 

『じゃあ、痛み止めを1カ月分だけももらえませんか」 とか交渉すると、「わかりましたこれが最後です」 と処方してもらえる代わりにもう来ないで欲しいみたいな事を言われる。

 

一般的に人は1度心臓が停止するとそこで死んでしまう。

 

1度心臓が停止したのに、リブートして生き返ったという人を医者でさえも見た事が無かったりする。

 

そうするとね、”運がメチャ強い人” みたいなイメージになるじゃないですか。

 

ビジネスでは、運が強いだけ生き残ってきた人、みたいな人を好む傾向にあったりして、「俺のチームにあんな三之橋は欲しいなあ」とか思ったりする。

 

「俺は何をやっても人生ダメで仕事もダメでほんと運がない奴なんですよ~」 と言う人より、「あいつはメチャ強運みたいなやつ」 みたいな人を好む傾向にあり、”験を担ぐ” (げんをかつぐ) みたいな感じでプロ野球中継を観ていても運が強い人を人は好む傾向にあるじゃないですか。

 

例えば、お風呂場で何か動いたという気がしてドブネズミに遭遇した時に、殺鼠剤を買ってきて排水管のⅬ字になっている箇所に落としておくと22時過ぎにネズミがきてお持ち帰りをしてくれ、最終的に死んでくれるとかあるじゃないですか。

 

会社である日難病になるとか事故に遭うとかトラブルが起きると、上司が飛行機とかに乗ってお金も掛けて調査に来る。

 

部下のデスクに座り引き出しを開けたらそこにバトルプランというメモ書きがあれば、普通はデジタルコピーしてお持ち帰りをしてくれると思う。

 

なぜか?

 

上司は会社に報告をしないといけないから。

 

人は誰もが同じように見えて、1番差が出るのは緊急事態が起きた時と言われている。

 

三之橋が立つこともできず歩けないとかの情報を得た上司は1度部下がどんな具合なのか? とか顔と顔を突き合わせて話してみるとかしないといけない。

 

ネズミではない上司ですが、普通飛行機でアポなしで行きその対象の三之橋が病院から電話してきて、「今日は休ませてください」 とか言えば、「何じゃそりゃ~」 みたいに上司は無駄足となって怒ると思う。

 

でも、上司がある日飛行機で来てデスクに座って仕事の進捗具合をチェックして全部してあり、さらにお持ち帰り用にバトルプランが置いてあったらそれをコピーして帰りの飛行機の中は暇なので読んだりするじゃないですか。

 

アメリカの有名なコンサルタント会社が書いていた事に、同じ文書でもそれを読む時間を変えるとか、読む場所を変えると違う見方になるとか推奨しているじゃないですか。

 

会社の中で呼んで、帰りの飛行機の機内で呼んで、家に帰って読んで、そうするとね翌朝には会社に出社した時に、「三之橋は辞めさせるべきではない」 と言えるじゃないですか。

 

私三之橋の場合は、足が悪くなった途端支店長に遠まわしに辞めて欲しいみたいに言われてしまった。

 

支店の中で難病で普段から休む人が何人もいたのですが、女性なので辞めさせると自分の評価が下がると考えペンディングしていた。

 

でも、そこにさらに足が悪いという人間が増えたら、新参者の直近悪くなった人がまず辞めるべきではないかとなる。

 

そこで、「ちょっと待ってください。 支店長は僕がもう2度と歩けないように考えているので時期尚早ですよ。 とりあえず1カ月時間をください。 回復できないようであればスッパリ辞めますよ~」 と時間稼ぎをしていた。

 

仕事の面で上司となる人が飛行機でやってきてまともな情報を持ち帰らないとCEOとかに、「お前部下の事を知らないのか~」 と一喝される。

 

でも、部下がそのプレゼン資料を作成しておけば、「助かるぜ~」 となるじゃないですか。

 

会社というのは支店長とかの責任者がこいつ辞めさせよう~ と思っても仕事上でその上司となる人が、「辞めさせるなんてもったいない」 と言えば支店長決裁とか簡単に却下されるという魔力みたいなものがある。

 

だから、”バトルプラン” となっているのです。

 

賢い人に見える上司が読んで、「こいつは良く考えているなあ~」 そう思えば良いだけの話だと思うのです。

 

その人が読んで、「なるほど」 という感じで三之橋という人間がどういう考え方でどう行動しているとかわかれば、「私は三之橋は辞めさせるべきではないと思う」 と言うと思う。

 

どんな人でも、うっかり躓いて転んでしまうとかあると思う。

 

けがをしないように、転ばないように、失敗しないように、そういう風に生きているとつまらないだけの人生になるのかもしれない。

 

でも、実際に落とし穴に堕ちてしまった~ みたいな時はショックだったりする。

 

どんな人であっても、初めて経験する事なので1度で脱出できるとか難しいと思うのですが、それよりも自分で自分の傷口を広げないようにというのが第1歩になると思うのです。

 

例えば、会社員の場合仕事があるじゃないですか。

 

難病みたいなものだと病院はどこが良いみたいだと探すという部分で時間もかかる。

 

でも、「体調管理は自己管理ですよ」 とプロの世界は言う。

 

私三之橋の場合は、余程酷かったとかあったと思うのですが、1週間も掛からず2日目の夜にはもう辞めて欲しいみたいな打診がありました。

 

そこは小学生3年生の子供でも想定内となると思うので、バトルプランを書いていたりする感じで、「今よりもっと下に堕ちなければ大丈夫」 みたいに見えないクリアワイヤーで自分が下振れしないように最初に考えた感じ。

 

「正直な話として、もうその様子だと2度と歩けないだろ?」 とか言われた。

 

先輩が、「あいつ空気読めないので普通の人が言わないような事をズケズケと言うよなあ~」 と言っていたのですが、管理職の要件を満たすにはそのくらい言えないと失格となると思うので、そこは気にしない感じ。

 

怒りの感情は自分の運気を押し下げるだけ。

 

バトルプランを書いて。

 

その姿を見た者がみんな、「あの三之橋はもう歩けない身体障がい者になるはず」 みたいにもう人生終わった人のように思う。

 

そんな中上司が調査に来るという部分でその上司が、「いやあの三之橋は回復するみたいですよ」 と会社に報告できれば辞めさせるべきではないとなるじゃないですか。

 

仕事を空けるとそれを代行する人がやってきて、その人が仕事をしたりすると自分の仕事を取られてしまい居場所がなくなってしまう。

 

特別な仕事だとその支店で代行できる人がいないのでたぶん本社からそれなりの管理者が来る事になる。

 

それで残業でもして翌日に休んで病院に行くという流れになる。

 

想像してみてください。

 

自分がもう人生終わったかな~ みたいな時に会社の仕事をきちんとしていれば、「あの状況下であいつはまだ余裕があるのか」 とバカじゃない人はそう考える。

 

「他の者たちはみんな三之橋はもう2度と歩く事ができないというスジヨミをしていましたが、私の調査ではそうでもないと判断しました」 と上司がそう報告すれば辞めさせようという話はペンディングになると思う。

 

引き出しを開けた時に、バトルプランというプレゼン資料が入っていれば、ついそれを盗み見るみたいになってしまう。

 

わざわざ飛行機代を使って、きちんとした他の者とは違う報告ができないと、「お前はバカなのか」 となってしまう。

 

でも、バトルプランという情報を共有化できると、毎週上司が飛行機で来て、「続きはどうなった?」 とまた読んでしまうと思う。

 

最初の1日目は歩くのが3歩が限界と書いてあり、それがどんどん伸びていく。

 

テレビドラマでも1回偶然見てしまった事で翌週気になって見てしまうとかあるじゃないですか。

 

じゃあ毎週飛行機に乗ってその続編はどうなった? と読んで、心停止になったとか書いてあれば、報告を聞く人も、「心臓が止まったのか?」 と驚愕な展開になるじゃないですか。

 

それで数十万人に1人とかそういう感じで回復して病院にはもう来なくて良いと言われたとかそういうエンディングだと、上司はそういう報告ができた事で「やっぱりあいつは見る目があるよな~」 と調査に行かせたことがハッピーエンドになって上司も信用が上がるじゃないですか。

 

会社のお金で飛行機に乗っている人って、そういう感じですよ。

 

他の者とはスジヨミが違っていて、部下が何を考えているとかも把握できてコミュニケーションも取れている。

 

という事ができないと一生会社のお金で飛行機にも乗れない。

 

人はある日難病になったり、けがをしたりして、大変な目に遭う。

 

そこで仕事を失う結果となる人と、仕事はそのままキープできる人がいる感じ。

 

要はどういう組み立て方をするのか? みたいな部分で結果も変わるという感じ。

 

自分でそういうのを考えるのが苦手であれば、考えるのが上手い友達に考えてもらうとかすれば良いだけの話。

 

私三之橋の場合は、足に関してはもう1つエピソードがある。

 

大学を卒業して会社員になった頃にとある病院で待合室で高齢の紳士に声を掛けられた。

 

「あの~ちょっと訊いてもよろしいですか。 あなたは座る時や立つ時に右足を庇っているので1度歩けなくなったりしたけがをされていませんか?」 と訊かれた。

 

『僕は歩けなくなったりしたことはないです』 と答えた。

 

そのおじいさんの話では、長年ずっと医者をしてきてもう辞めた。 今日は人の付き添いでこの病院に来ている。 たまたまそばであなたが座る時や立つ時に1度歩けなくなった人が歩けるようになった時にやるような感じで足を庇っているように見えましたので、昔大けがをされたのかなあ~ と思って訊いてしまいました~ と言われた。

 

人は交通事故などに遭うと2度と歩く事ができなくなったりして車椅子生活とかになるとかも少なくない。

 

でも、立つことさえできなかったのに、リハビリなどで回復したりして元のように歩けるようになる人が稀にいて、そのような人はみんな同じように悪い足を座る時とか立つ時に庇ってしまう癖のようなものがある。

 

パッと見て普通の人には気づかないようなものなのであなたがおかしいと見えるわけではなくて、専門医が見たら、立つことさえできなかった人が今は歩いているんだなあ~ と見えて懐かしい感じで訊いてしまっただけと言っていました。

 

50年くらい整形外科のような仕事をされてきた人が偶然三之橋という人が病院の待合室で椅子に座る時や立つ時にそういう人に見えてしまったという感じでした。

 

身なりはかなり良い仕立ての良いスーツを着ていたりしたのですが、「頭のおかしな人かなあ~」 と思ってしまった。

 

何だかまるで私三之橋がいつか歩けなくなるように見えている人となるような話で気持ち悪いと感じた。

 

もう引退したという長くその道のスペシャリストとして働いた医者だった人が見て、私三之橋の場合足の体重移動とかが特殊というのを一瞬で見て気づいた、みたいな話は、何だか私三之橋が歩けなくなるような未来を教えてくれているように聞こえてしまった。

 

その時には、気持ち悪いなあ~ と思ったのですが、足が悪くなって専門医の病院にたどり着いた時に、パンツ1枚になり床に座って立てと言われた時に、「普通はその状況下では絶対に立てない。 何か昔特殊な訓練でも受けていませんか?」 と言われた。

 

プロ野球選手とか、そういったプロのアスリート選手とかをいつも診たりしてきている中で、どう見ても立てるわけがないという風に見えるのに1人だけ立てた人間を初めて見たと言われた。

 

普通立つのが困難な人が病院に来て待合室に座っている時にその人がヘビースモーカーでも喫煙コーナーに歩いて行ってタバコを吸って帰ってくるというのはできないので吸わなくなる。

 

諦めるようにわざわざ遠い所に喫煙コーナーを作っているわけで、初めて病院に来た時に2回、次に来た時には4回と待合室から喫煙コーナーまで足を引きづって歩いたりするのは、膠着とか癒着を防ぐ為でたぶん毎日休む事なく限界まで歩行訓練という運動を繰り返していると考えられる。

 

人間の体を知り尽くしているような人か、1度立って歩く事ができない状況に陥った人が特殊な訓練を受けて歩けるようになった人だとなる。

 

でも、どんなに知識があったとしても、立てないレベルの状況で筋肉が動かせないというのはアスリート選手でさえできないので、訓練を受けた経験者ではないかとなる。

 

そんな話をされて、プロのアスリート選手でもできない領域を超えてやれるのを初めて見たりしたり、突出した感じで驚異的な回復のスピードを見たりして、「たぶん専門の訓練を受けた事がある人」 と思ったのだそうです。

 

そんな感じで50年くらい医者をしていたという人と、現役のアスリート選手も診ているという医者の人と、2回1度歩けなくなったような大けがをして、専門のリハビリのような訓練を受けているはず、みたいに言われた。

 

特にそういう大けがはしていないと思うのですが、幼稚園生になる前くらいに自転車に乗れるようになって曲がり角で飛び出してタクシーに撥ねられた交通事故は経験している。

 

体のおなかとか背中とかに包帯をグルグル巻かれて擦り傷だけで済んで頭とかは無事です~ と医者がお父さんとかに話して、1日病院に行っただけで終わった感じ。

 

ひょっとしたらその時に右足でも打ったりしたのかもしれないなあ~ と思う事がある。

 

あなたも是非足の指をグーにするとかやってみてくださいね。

 

私三之橋の場合は、小指が動かないような感じもあるので、まあ3年くらいやっていれば痺れとか治ったりしてあれは夢でも見ていたのかという笑い話になるのかなあ~ と思ったりしています。

 

病院選びって重要だと思うのは、50年くらい医者として働いていたという身なりの良いおじいさんとかスーツを着ている私三之橋が椅子に座るとか立ち上がるのを見ただけで、「右足を庇っている」 とかすぐにわかったそうです。

 

世の中にはいろいろな人がいる。

 

もう大人なのにわざわざバイクに乗っていて交通事故で立つ事もできなくなった人や、お酒を飲んで脳梗塞になって歩けなくなったという人もいる。

 

「立つ事もできない事態に陥った時に何を考えれば元の生活に戻れるのですか?」 なんて訊かれる。

 

『たぶん1番最初に立てなくなったりしたその時に、立つのも歩くのもメチャ簡単な事』 と自覚するからではないかと思う。

 

人は生まれた赤ちゃんから1歳になったくらいで立って歩き出し、その1歳から4歳までの間に脳が急激に発達していくといわれている。

 

逆に1歳半とかになって歩けないとそれは親が病院に連れて行き脳の障害などが見つかったりする。

 

子供の頃に知的障害が見つかり親が同居を拒んだという事で施設に連れて行かれそこで成人を迎える人がいるじゃないですか。

 

私三之橋はそういうどこかに連れて行かれた事はないので、たぶん発達障害とか脳の障害はないから歩けていたと思うのです。

 

病院に行っても若いママさんがヨチヨチ歩きの子供に「〇〇ちゃん、上手ね~」 とか歩く練習をしているのとか見るので、『あんな小っちゃな子供でもできるくらい簡単なんだ』 自分に言い聞かせる。

 

後は、”あの人に会いたい” みたいな捜索番組があって、そこに、「私は誰でしょうか?」 という人が出て来る。 たぶん事故などに遭ってその衝撃で記憶喪失になり記憶がまったくない。 でも、何かをさせたりしたらその行動からどこかの上場企業とかで働いていたような人に見えるとかで、名前がわからないので誰か私をご存じの人がいれば教えてくださいと言う。

 

人の行動の記憶というのは通常の記憶の海馬とかではなくて側頭脳に記憶されるので、記憶喪失になっても行動を記憶しているのでできたりすると言っていた。

 

つまり、1歳くらいから歩き出して、歩けなくなる前日まで歩けていたわけで、その行動の記憶という歩き方というのは側頭脳にすでに保管されている事になるので、わざわざ1から練習する必要がない事になるじゃないですか。

 

根がグ~たらな人である私三之橋でも、根がグ~たらではない人でも、自分が立つ事も歩く事もできない事態になった時に、新しく立つとか歩くとかを学んでいくという風に考えたら誰でもやる気は出ないような気がする。

 

でも、記憶しているのを呼び起こす事ができれば、理論上は元のように立って、歩けて会社に電車に乗って行って帰るとかできる事になると思う。

 

「立つ事ができないのに会社に行くとかぶっ飛んでいませんか?」 と真顔で訊く人もいる。

 

でもね、会社に行く時にどうやって帰ろうかとか考える人はいないと思うし、会社にダンヒルの仕立てたスーツを着て行き、自分のデスクで仕事をして、誰か肩を貸してトイレに連れて行ってくれる人がいない場合、オシッコに行きたいなあ~ となった時に、3歩までしか歩けない人だとどうなると思いますか?

 

オシッコに行きたくなった、でもトイレまで歩いて行けそうにもない、そんな場合あなたならどうします?

 

私三之橋の場合は、会社の人が大勢いるのにトイレに行くのが間に合わなくてオシッコをもらしてしまい、仕立ての良いスーツを着ている人がオシッコを漏らしまくる失態をするというのは嫌なので、はるか遠くにあるトイレまで全身全霊の力で行くしかない。

 

でも、トイレを済ませたら、折り返し自分のデスクに戻らないといけない。

 

もしも自分の家で寝てテレビでも観ていたら、そこにメチャかわいい彼女とか奥さんがいても、『オシッコを漏らしてしまった』 と笑って言えると思う。

 

でも、会社でトイレに間に合わずそれを会社の会報みたいなものにでも書かれるとか全社員に通知されるとかは、嫌じゃないですか。

 

会社では自分のデスクで喫煙できなかったので喫煙できるところまで行って、タバコを吸ったらまた自分の足で帰らないといけない。

 

立つのが困難という状況に陥って会社に出社して仕事をしただけなのに、2日目の夜には支店長の頭がおかしくなった感じで辞めて欲しいと言っていたのです。

 

立つのができないような人が社内で1日に何度も何度もトイレに行ったり喫煙しに行ったりするとそれだけで周りの人が一斉に見るような感じになり、落ち着かないのだと思う。

 

つまり環境が重要になると思うのです。

 

歩けない人でも、トイレに連れて行ってくれる人はいないし、車椅子とか持ってないとそれは自分の足で何とかするしかなくなる。

 

例えば、認知症のおばあさんが認知症の施設にいて不憫に思って何かをしてあげるとどんどんボケてしまうじゃないですか。

 

例えば、お金持ちのバカ息子がまた借金を作ってお父さん助けて今度で最後だから~ と言ってお金を出すとまた借金を作ってと繰り返して行くじゃないですか。

 

その真逆で誰も助けてくれないと、会社に出社したら四六時中自分が大変な目に遭うという感じだと、「足が治らないと残り数十年これが続くと考えただけでも恐ろしい」 みたいになって強く治りたいと心の底から願う感じになるじゃないですか。

 

歩けなくなった1日目に家族に会社の前まで車で送ってもらい、自分のデスクに何とかたどり着いて座った時に、『参ったな~、よく考えてみるとトイレに行くのも難しい気がするのでどこのタイミングで早退しようか』 と思ってしまった。

 

最初にトイレに行こうと考えた時に、『あそこまでどういう風に歩いて行こうか。 もしも途中でこけたりしたら大変じゃん』 みたいにそこまでどういう風に歩くのが効率的なのか? を考えないといけない。

 

自分なりに歩き方の研究をするのです。

 

たった1日社内を足を引きづって行ったり来たりするというのを見ただけでみんな、「三之橋はもう一生歩けないぞ」 と思ってしまったくらいなので、相当酷かったのだと思う。

 

想像してみてください。

 

あなたは、歩けなくなった時に大きな総合病院の綺麗な部屋で、そばにカワイイ看護師の女性のお姉さんがいて、その環境下にて、「俺の人生はこのくらい傾いてしまったなあ」 とか想像できますか?

 

人は精神状態をバロメーターと呼んだりしている。 普段それが60%だとすると40%にまで低下すれば、「精神的に落ち込んだ」 と言ったりする。

 

じゃあ、何%になれば人は自殺したりすると思いますか? と訊くと、多くの人は、「0%だと思う」 と言う。

 

現実的には、もっと上の20%みたいな位置で死んだりすると言う。俗に言う、”底知れぬ恐怖” ってやつですよ。

 

一夜にして破産した人って意外と死なずにホームレスになって生きていたりするじゃないですか。

 

会社に出社するとそれはもう電車で痴漢でもやらかして逮捕されたような人が出社したみたいな大騒ぎになる。

 

朝とりあえず会社に行こう~ と考え家族の運転する車の中で想像したりする世界と出社後では大きく違っていて下方修正しまくる事になる。

 

例えば、トイレとか出社する時にそこまで想定計算に入っていなくて、いざ出社してデスクの椅子に座った後でタバコを吸うのもトイレに行くのも難しいとか考えるので、現場でどんどん自分がどのような状況なのか? という現状把握では下方修正しまくる感じになるので、精神が1番不安定になるようなバロメーターの位置を一瞬で通り超してしまう感じになるので、精神が崩壊するとかそういう不安が消える。

 

俗に言う、「俺のケツに火が着いているんだぞ」 みたいな感じ。

 

病院のベッドの上で天井でも見つめて、『これから先どうなるのだろうか?』 みたいな先行きの見えない不安をあれこれ考えるという選択肢と、会社に行って仕事をしてそこで、『持っている仕事量から計算して後何日この状態をキープできると思う? 俺は1カ月とか2カ月で限界になると思う』 みたいな現実を考える選択肢では違っているのです。

 

自分が立つ事ができなかったというショックの日に、会社に出社すればトイレに行くのも大変で、「思った以上に悪い状況だな」 とその日に何度もそういう経験をする。

 

一夜にして破産したような人みたいになる。

 

何となく会社に出社していつものように仕事をしていれば、午後に少し回復する兆しでも出るのかなあ~ という甘い夢を見る。

 

でも、現実は飛行機が墜落するみたいなファンクションエラーのアラームが鳴り響いている感じで、自分を見失う前に使えそうな技術をどんどん投下しまくる感じ。

 

それまで歩けていたのができなくなると一気に身が重たくなるみたいな制限があるので、頭が正常なうちに行動ルールを決めるみたいなものかなあ~ と思います。

 

アスリート選手でも失敗するくらいなので、最短ルートを割り出して網の目を正確にすり抜けていくみたいな感じだと思います。

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