車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

成田山新勝寺~其の三 in 千葉県成田市

2019年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

成田山新勝寺~其の二はこちら

仁王門に隣接する仁王池には、良い具合に苔むした亀の形の「亀岩」と呼ばれる岩があります。 仁王池は「放生池」として、生き物の生命をいとおしむ「不殺生」を教えています。

誰が最初に始めたのか亀の背中には、見知らぬ異国のものも含めて沢山の硬貨が・・硬貨を投げるのを見た誰かが同じように真似をする・・亀の背中の硬貨を見て誰かがまた投げる・・・ 池の中には鯉や亀の姿も見えますが、水の中のアルミや銅の硬貨・・問題は無いのでしょうか?

境内へと続く石段横の急斜面には、江戸町火消し六番組が奉納した、青銅製の狛犬が鎮座します。 甘えた仕草の仔狛を抱く阿形さんは、「江戸町火消し:う組・む組・な組」による奉納。

『鋳物師:粉川市正 藤原国信』の手になる優雅な狛犬は、嘉永3年(1850)庚戌9月28日の建立です。

仔狛はおそらくお乳を探しているのでしょう、軽く頭に置いた親の手は慈愛に満ちています。

反対側に鎮座する吽形さんは、同じく「江戸町火消し:も組・の組・れ組」による奉納。

隙あれば親の手を抜け出そうとする仔狛さんですが、しっかりと首根っこを掴まれています😊

石段左右の「獅子山狛犬」は、江戸消防記念会が奉納したもので、庭師『三代目:櫻井興作氏』の造作。

年代は不明ですが、獅子山の頂上から、真っ逆さまな姿勢で覗き込む親狛の姿は何度見ても胸を打たれます。

強くないと生きていけない世界・・とは言え、叶う事なら全部の子供たちよ、這い上がって来い!

そんな血を吐くような親の心に応えるかのように、歯を食いしばって上を目指す仔狛の姿。 たかが石の彫り物に・・と、笑われそうですが😊、ついつい感情移入してしまいます。

反対側に屹立する獅子山では、思いっきり能天気な親子狛犬の様子に、思わず脱力&苦笑😅

千尋の谷に突き落とすなんてとんでもない!!足元に作った洞穴は、まだ小さな仔狛が安心して寛ぐ場所。 誰がなんと言おうとこの仔狛は絶対に守って見せるからと言わんばかりの親狛の姿が頼もしい!

そうそう、遊んでられるのも今だけ😊、でもね、それでももう少し大きくなったらあの谷を這い上がるんだよ!

青銅製の狛犬さんや獅子山がある一画には、何世代にも渡って奉納された沢山の石碑があります。 立ち並ぶ利剣、刻まれた文字も判読できない石碑。奥に続く参道の先には小さなお堂が見えています。

明治32年(1899)に建立された不動堂は、別名「毀(こわ)れ不動堂」とも呼ばれています。 何度修理しても不思議と壊れてしまうから・・だそうですが、今見る限りどこも大丈夫😊 不動堂の御本尊は、不動明王の化身「倶梨伽羅不動明王」、剣にまきつく龍の姿で現されます。

1.2メートル四方の小さい御堂ですが、お堂の周囲の彫刻の緻密で美しいこと・・感動です。  彫工は『村田惣三郎』、さすがにこれだけの伽藍になると、名工の数も半端じゃない。

石段を先に進むと「開運地蔵尊」と呼ばれるお堂があり、傍らには四体のお地蔵さんが並びます。

石段の上にたつ「灯明台」は明治27年(1894)の建立。設計者は『佐立七次郎』氏。 灯明台には『市川團十郎』をはじめ、『左團次・小團次』など二十三名の名が刻まれています。

成田山新勝寺~其の四に続きます

参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日


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