美濃市須原に鎮座される「美濃二之宮:洲原(すはら)神社」。御祭神は中央本殿 に『伊邪那岐命』。東本殿に『伊邪那美命』、さらに『天照皇大神・豊受姫神・須佐之男命・少彦名命』を合祀。西本殿に『大穴牟遅命』、さらに『大山衹命・木花咲耶姫命・猿田彦命・迦具土命・道返之命(ちかへしのみこと)』を合祀。
「養老元年(717)、越前国の神職の二男『泰澄』が加賀国白山の絶頂で修行をされていた時に霊夢を感じ、元正天皇へ奏上。元正天皇より斎鎮の勅命を受け、養老5年5月社殿の造営を竣工。勅を奉じ御祭神をお祀りする。古来「正一位洲原白山」とも称した。長享元年(1487)、時の領主村山対馬守忠広により修繕。天正13年(1585)には鉈尾山城主佐藤才次郎方政によって修繕。その後、江戸初期に大修理されたと推される。」公式HPより
一の鳥居の先、程よく苔むした反り橋に舞い落ちる紅のモミジ・・それはまさに神が生み出す天然の美。
境内を横切り「楼門」から一旦長良川河畔に面して伸びる石段へ。改めて振り返り、石段参道から見上げる、入母屋桧皮葺・三間二面の「楼門(市指定文化財)」
楼門から真っ直ぐに、檜皮葺が美しい「拝殿(市指定文化財)」。
拝殿と本殿の間に位置するのは、洲原神社の社殿では最も古い建築とされる「舞殿(市指定文化財)」。
御本殿中門:拝所
拝所の左右より神域を守護されるのは、大正3年(1914)8月吉日建立の狛犬さん一対。阿形さん、中々に個性的な顔立ちで、早朝よりの参拝者を迎えてくれました。
拝所から振り返る「舞殿」と「拝殿」
楼門から参道を下った正面、長良川の入り江状になった場所に、水神が座すという「神石」があります。美濃市のHPには「2022年11月27日 白山信仰とのつながりが深い洲原神社で、斎主が身を清め白山大神(しらやまのおおかみ)をお迎えする祭礼「垢離取祭(こりとりまつり)」が行われました。」との記載がありました。
本殿廻廊の右端に小さな門があり、門の向こうにも細い道が続いています。
注連縄の向こうに見えるのは紅葉に埋め尽くされた道。その先が何処に続いているのか・・・それ以上は先に進めませんでした。美しすぎる事に恐さを感じるのは、それが日本人特有の神に対する畏敬の念ゆえかもしれません。
何処までも広がる錦の木立、今でもその光景をはっきりと思い出す事ができます。
降りしきり落ち葉に彩られる手水舎。
境内を染め尽くす鮮やかな彩。ここでは何もかもが秋の色に染まり、まさに「紅葉の錦 神のまにまに・・」
ひっそりとそこにおわす、ささやかな御堂
紅いに染まる神の岩
神代の昔、『いざなぎ・いざなみ』の夫婦神が生み出した日の本の国は、これほどまでに美しく鮮やかな色に満ち溢れ、その様は荘厳で美しい。
楼門西側境内に聳える「縁結び夫婦桧」。良縁に恵まれると伝えられる御神木に私たちが願うのは、共に白髪となり、現世を離れるその時まで添い遂げられますように・・
心も体も染められてしまいそうな紅葉に酔いしれ、名残惜しさを胸に私たちはこの鮮やかに美しい境内を後にしました。
参拝後にふと考えた御祭神の事・・西本殿に合祀される『木花咲耶姫命』は富士山を神体山とする神社の御祭神です。で、こちらの神社は「白山神社」の前宮として位置づけられる神社。なのに白山神社の御祭神『菊理媛大神』の御名がありません。考えた末の結論は、もしかしたら・・雪に閉ざされる間だけこちらの宮にお迎えする『稀人(まれびと)』だから?。
さらに『伊邪那岐命・伊邪那美命』が黄泉比良坂で諍いとなった時、伊邪那岐命は道返之石(千引の岩)で道を塞ぎ、伊邪那美命を閉じ込めてしまいます。同じ社に、ある意味「憎っくき仇」的存在の大石が共に祀られている事の不思議さ・・これを日本人の神に対する大らかさと捉えるべきなのか、それとも障らぬ神として祀っておこうという事なのか・・御祭神から見えてくる神代の諸々・・興味が尽きません。
参拝日:2010年11月28日
明日のブログは2018年に参拝した「洲原神社」、改めての紹介です。
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