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洲原(すはら)神社~Ⅱ~ in 岐阜県美濃市須原

2017年01月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

美濃市須原に鎮座される「洲原(すはら)神社」

全国に四十九社ある「洲原神社(須原神社)」の本山であり、白山登頂に至るまでの美濃馬場からの前宮に位置付けられ、「長瀧白山神社」「白山中居神社」と共に白山信仰の対象として崇敬されています。

中央本殿・東西本殿に祀られている神々は「お洲原さん」「洲原大神様」と総称され、お洲原まいりの名で親しまれてきました。

初めての参拝から八年の歳月を経ての二度目の参拝。目に映る景色は赤ではなく緑の中ですが、鎮まる神々の社はあの時と同じ姿でわたしたちを迎えてくれました。

『伊弉諾尊』が鎮まられる「中央本殿(県指定文化財)」「三間三面入母屋造り桧皮葺、前面に向拝がつく。三手先斗組であるが支輪はなく、斗組の間に蟇股を入れ、唐様を主として和様を混ぜたものである。」公式HPより

『伊弉冉尊』が鎮まられる「東本殿(県指定重要文化財)」「東西共に、 三間三面の流れ造り、身舎は円柱、向拝は角柱を用い、斗粗は出組で勾欄をめぐらしている。江戸時代の建築と考えられる。」公式HPより

『大穴牟遅神』が鎮まられる「西本殿(県指定重要文化財)」

「拝殿(市指定重要文化財)」「七間四面の入母屋、桧皮葺。角柱は小面をとり、舟肘木を用い、内陣は出組格天井となっている。正面中央間に虹梁を入れ撥形の束をのせている。長享元年(1487) に村山対馬守忠広が建てたという棟札があるが、現在の建物は江戸時代の物と考えられる」公式HPより

拝殿手前・左手見える「舞殿(市指定重要文化財)」「寛文10年(1670)に再建。三間二面で角柱を用いる。柱は小面をとる。斗組は三斗、内部は折上げ格天井となるが美しい構成を示している。妻飾りなどにも気のきいた装飾が施こされており、洲原神社社殿中、一番古く優れている。」公式HPより

境内より見る「楼門(市指定重要文化財)」「入母屋桧皮葺・三間二面の小面をとり角柱を用い上層二手先、下層出組の斗組を使用している。唐様を主とした建築で寛永17年(1640)に再建、さらに寛保元年(1741)に再建された。下層の左右側面は粗い連格子を入れている」公式HPより

長良川に面した参道と神岩。ほんの少し角度を変えれば、本殿・拝殿・楼門・神岩は一直線に結ばれます。

石段参道より見上げる「楼門」

楼門より見る拝殿

「神岩」の頂上にある「水神様」。かっては拝殿まで丸い小さな提灯を幾つも綱で渡し、村人達が大声で郡上節を歌い踊ったとか。残念ながら、頂上の水神様は2004年10月20日の台風による大洪水により流失。現在は見ることが出来ないそうです。

神社境内東端の一角にある「子育て安産の霊石」。霊石の上には足型の窪みがあり「お比丘尼さんの足跡」とも伝えられ、また子授かりの石との言い伝えも有ります。三回またぐのが慣わしとの事で、注連縄の結界に護られて鎮座しています。

霊石の近くに祀られる「石」。案内等が無く仔細は不明。

催事などの諸道具が収められた建物でしょうか?それとも祭事の寄り合いに使われるのでしょうか? 戸は固く閉ざされています。

まるで新緑の季節かと見紛いそうな濃い緑に包まれた境内・・・念願であった御本殿のお姿も残す事が出来、宮司様ともお話の機会を得る事が出来ました。いつもの常で名残は尽きませんが、一期一会の御縁に感謝します。

参拝日:2018年10月12日

 


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