和歌山で写真店を営むお年寄りが高校生に暴行を受け殺害されたというニュースを見ました。
少年は授業中に先生から注意を受け、むしゃくしゃしていたそうです。それで、誰でもいいから鬱憤をはらそうして、おじいさんが一人暮らしなのを思い出して殴ったそうです。そして、殴っているうちに死んでもいいと思ったということです。ポットなどにも血がついて手当たり次第やったような感じです。
この事件を聞いて思ったのはなぜ注意した先生ではなく、全く関係ないおじいさんだったのだろうという言う事です。注意されて腹が立ったのなら先生を殴ればいいのに、なぜおじいさんなのか。鬱憤をはらすのに誰でも良かったと供述しているようですが、ほんとは誰でもじゃなくて自分が絶対勝てる相手なら誰でも良かったのでしょう。
もしかすると顔見知りかもしれないと言う事なので、以前些細な事かもしれませんがなにかあって、初めから漠然とかもしれませんが、殴ってやろうくらいは考えていたのかもしれません。殺しても少年だからたいした罪にならないだろうと考えていたのかもしれないという話もあるようです。
本当のところはわかりませんが、間違いなく卑怯ではあると思います。本当に気味が悪いし、腹が立ちます。この事件に限らず、子供や女性やお年寄りなど弱者を狙う犯罪が最近特に多いように思います。それは少年犯罪に限った話ではありません。
よく「最近の子供は」というような話を聞きますが、ほんとの問題は大人だと思います。子供が卑怯な犯罪を犯すのもマナーを守らないのも大人がきちんとしないからだと思います。多くの大人がきちんと他人(もちろん子供も含めて)と向かい合っていないのでしょう。
この少年に限らず、困難に向き合う人は非情に少ないと思います。何か問題が起こっても自分でなければいいというような感じの事が非常に多いです。国のレベルだって結局は個人の積み重ねですから、いろんな事が先送りにされてるのも当然なのでしょう。でも、もういい加減そういうのではなく、いろんな事にみんな(もちろんボクもふくめて)向き合わなければいけないと思います。
最近、「人生は「君じゃなきゃだめなんだ」と出会うまでが半分」という言葉を聞きました。人生の幸せって結局はお金や物じゃなくて、「君じゃなきゃだめなんだ」と人から思ってもらえる事と、自分が誰かに思える事に尽きるのかもしれません。でもそのためには逃げていてはいけないんじゃないかなと思ったりします。まずは自分からですね。
少年は授業中に先生から注意を受け、むしゃくしゃしていたそうです。それで、誰でもいいから鬱憤をはらそうして、おじいさんが一人暮らしなのを思い出して殴ったそうです。そして、殴っているうちに死んでもいいと思ったということです。ポットなどにも血がついて手当たり次第やったような感じです。
この事件を聞いて思ったのはなぜ注意した先生ではなく、全く関係ないおじいさんだったのだろうという言う事です。注意されて腹が立ったのなら先生を殴ればいいのに、なぜおじいさんなのか。鬱憤をはらすのに誰でも良かったと供述しているようですが、ほんとは誰でもじゃなくて自分が絶対勝てる相手なら誰でも良かったのでしょう。
もしかすると顔見知りかもしれないと言う事なので、以前些細な事かもしれませんがなにかあって、初めから漠然とかもしれませんが、殴ってやろうくらいは考えていたのかもしれません。殺しても少年だからたいした罪にならないだろうと考えていたのかもしれないという話もあるようです。
本当のところはわかりませんが、間違いなく卑怯ではあると思います。本当に気味が悪いし、腹が立ちます。この事件に限らず、子供や女性やお年寄りなど弱者を狙う犯罪が最近特に多いように思います。それは少年犯罪に限った話ではありません。
よく「最近の子供は」というような話を聞きますが、ほんとの問題は大人だと思います。子供が卑怯な犯罪を犯すのもマナーを守らないのも大人がきちんとしないからだと思います。多くの大人がきちんと他人(もちろん子供も含めて)と向かい合っていないのでしょう。
この少年に限らず、困難に向き合う人は非情に少ないと思います。何か問題が起こっても自分でなければいいというような感じの事が非常に多いです。国のレベルだって結局は個人の積み重ねですから、いろんな事が先送りにされてるのも当然なのでしょう。でも、もういい加減そういうのではなく、いろんな事にみんな(もちろんボクもふくめて)向き合わなければいけないと思います。
最近、「人生は「君じゃなきゃだめなんだ」と出会うまでが半分」という言葉を聞きました。人生の幸せって結局はお金や物じゃなくて、「君じゃなきゃだめなんだ」と人から思ってもらえる事と、自分が誰かに思える事に尽きるのかもしれません。でもそのためには逃げていてはいけないんじゃないかなと思ったりします。まずは自分からですね。
このニュース、私は知らなかったのですがこの記事を読んで少し考え込んでしまいました。
それは、理解できない事をどこまで理解する必要があるのか、という一点についてです。亡くなった方やご遺族の痛みよりそちらを先に考えてしまった自分を下世話だとは思いますが、犯人の少年に対してどこまで自分は理解できるのだろうか、する必要があるのだろうか、と思うのです。
自分だったら絶対、憎む対象の他者にしか殺意は抱きません。ヒトを殺したいと思った事が無い訳でもありません。
でも、他人を殺すくらいなら自分がいなくなればいいのに、と少年を許せない気持ちのほうが断然勝ってしまいます。今後の更正や社会に与える影響を考えれば、彼の行動心理分析に長い時間を費やすのでしょうが、私は真剣に向き合えば更正するような人はそもそもこんな行動はとらないと確信します。
自分がどれだけ憎まれても仕方ないのか、心底思い知るべきだと強く思います。
どんな目にあっても一生懸命生きている人はそうしています、彼を必要とする人やこれから彼自身が出会うかも知れない大切な人が、どこまで彼を理解できるのか、それまで周りの大人が彼を見守る覚悟があるのか。そして何より彼自身はちゃんと生きたいと思っているのか。
彼を殺したいとは思わないけど、理解したいとも全く思えません。長文の上私見の一方的な意見だったかも、失礼しました。
確かに分かり合えない人はいると思います。そういう人たちと関わらずに済むのであれば、それにこした事はないと思います。ただ、こういう人が世の中にいるということ残念ながら事実だと思います。
ボクもこの犯人を理解したいとは思いませんが、こういう人を研究(心理だけでなく例えば脳なども)するのは必要だと思います。解決方法は教育なのか心理的なものか肉体的なものかは分かりませんが、そうすることでこんな不条理な事件に巻き込まれる人が減ればいいなと思っています。
kontitiさんのおっしゃる通り一生懸命生きている人はこんな事をするはずがありません。だからこそその違いを知る必要があるのではないかと思っています。
それによって究極はこんな事がなくなればいいなと思っています。真摯なご意見ありがとうございます。
また、よろしくお願いします。