うまくは言えないけど

日々思う事をとりとめもなく書いています

対照的

2007年12月03日 | 日記
先月末に亀田大毅選手の謝罪会見がありました。

あの時関西で生放送したのは読売テレビだけでした。このとき読売は情報番組を放送していて、亀田兄弟の到着から会見までそのまま放送していたようです。そして兄弟が着替えに去った後にあまりの会見の短さ、毛皮での登場、ジムの会長の態度などについて様々な意見が話されていました。

同じ時間に毎日放送(TBS系)も生放送の情報番組を放送していました。こちらはなぜか一切亀田家にはふれず朝青龍について話していました。そしてだいぶ経ってから謝罪のシーンだけを放送して弟をほめていました。逆にマスコミの質問にかなり悪意をもった攻撃をしていました。

同じ話でもこれだけ違う報道ができるのかと思うほどの差がありました。会見自体は公平に見ていいとは思いませんでしたが、悪すぎるというほどでもないように思います。むしろ本人より会長のやり方が問題だと思います。会見と言わず挨拶であればあんなものでしょうし、だいたい会見まで会長と弟が会っていないというのは会長の危機意識がかなり低いのではないでしょうか。

それよりも練習が始まってシャドーをしているとき、たくさんの報道陣がいる前で気の抜けたシャドーをして時々鏡を見ながら髪型を気にした仕草をしたり意気込みが全然感じられなかった事の方が気になりました。謹慎もまだかなりあるし、モチベーションも全く上がらないのでしょうが、あまりにも気の抜けた再出発だなと思いました。

確かに毎日放送の番組で指摘されていたようにひどい質問もありましたが、あれはあっという間に会見を終わらされ退席しようとした弟に報道陣があわてて何か質問しなくてはといった感じでの質問のように感じました。兄の謝罪会見を考えれば張本人の会見があんな短いと考える人は少ないでしょう。

正直なところ謝罪会見のニュースはどうでもいい事なのですが、こういう報道するテレビ局が大事なニュースを流していると思うと気持ちが重くなります。もともとTBSのニュースはかなり偏っているし見ていると気分が悪くなるので見ないのですが、実際に見ている人もたくさんいて物事を考えるうえで参考にしているのかと思うと情報操作の怖さを感じます。

もちろん流せるニュースにも時間にも限りがあるのですから、情報の取捨選択はマスコミが行うものなのは仕方がありません。だからこそマスコミには一般よりもはるかに高い倫理観が必要なはずですが、実際は全くそうなっていないように感じます。ああいう情報操作は誰がどういうふうに指示を出してやっているのか内部告発してほしいものです。

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指紋と顔写真

2007年11月21日 | 日記
改正入管難民法が施行されて、入国する外国人に対して指紋採取と顔写真撮影を義務づけられました。

これに関してニュースを見ているとおおむね批判的な報道ばかりのような気がします。初日に各地でトラブルが起こったとか不快感をあらわにした外国人が抗議してるとかほんとにテロ防止につながるのかなどいろいろな批判を報道していました。

個人的にはこれは大賛成です。確かにまだアメリカしか行っていないやり方かもしれませんが、本人確認と持ち物チェックは厳しく行われなくてはいけないと思います。今までが甘すぎたのだと思います。ほんとは荷物チェックなどは空港だけでなくせめて金属探知機だけでも新幹線にも導入すべきだと思っています。

今まで日本でテロが起こってないだけで今後起こらない保証はどこにもありません。どちらかといえば起こる可能性の方がはるかに高いのではないかと思います。システム的なトラブルは今後改善しなければいけないでしょうが、そこを大きく批判するのはマスコミがこの制度にネガティブな印象を与えようとしているように感じました。

テロに対する実効性に乏しいという専門家の意見も流されていましたが、他の案を提示しないで批判しているような人は信用できません。仮にテロ防止に対しての実効性が低くてもプラスであればやるべきだと思いますし、それ以外の外国人犯罪にも効果を発揮するのであればよけいに問題がないと思います。ほんとは例外なく全ての外国人に対して行えばいいと思っています。

これが決して外国人に対する差別だとは思わないです。他の国行ってその国のルールに従うのは当然の事で、やましいことがないのであれば堂々と応じて入国すればいいと思います。ほんとはこんな事しなくて済むならそれにこしたことはないと思いますが、実際にわずかでも日本国内の人に危害を加える可能性のある人物が入国する可能性があるのならばそれを防ごうとするのは当然だと思います。

改正入管難民法にしても個人情報保護法にしても、もっと言えば全ての法律は悪いことをする人がいなければ必要ないものです。でもそうでないのならば大多数の悪いことをしていない人を守るために大きな手間やお金をかけてでもやらなければいけないことがあるのだと思います。

マスコミも制度の批判も必要だとは思いますが、それと同時になぜこんな時間もお金もかけて入国する人にも苦労を強いるような制度が必要になったのか、またどうすれば元となる原因を解決できるのかという提議も必要なのではないかと思います。

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駅のホーム

2007年11月08日 | 日記
<傷害>駅での喫煙注意され殴る

東京のJRの駅で喫煙したいた人に注意した男性が殴られて大けがをしたそうです。逮捕された男性は「注意され、頭に来て殴った」そうです。ほんと信じられない話ですが、これが今の現実なのでしょう。こういう心ない人のおかげでますます喫煙者にたいする風当たりは強くなると思います。

注意された男性は勇気のある人だと思います。ボクも以前駅ではありませんが、たばこをやめてくれるようにお願いしたことがあります。その時は相手の方も禁煙場所というわけではなかったのですが、すぐ止めてくれました。それでもやはり知らない人に注意やお願いをするのは非常に緊張するものだ思いました。

ましてや誰もが禁煙場所と知っているはずの場所で喫煙している人に、ボクは冷静に注意することができるのか自信がありません。しかもそんなところで喫煙している人が人の言うことを素直に聞くとは思えません。実際今回のような逆ギレは手を出すか出さないかは別にしてよくあるように思います。

ボクは純粋に駅で喫煙する人や電車の中(特に優先座席)で大声でしゃべったりする人の考えを聞いてみたいと思うことがよくあります。養老 孟司さんの著書「バカの壁」にも書かれていましたが、人間は興味のないもの、見たくないものは入ってこないみたいです。

駅で禁煙の放送や携帯電話のマナーポスターなどが実際どれだけの効果をあげているのかかなり疑問です。駅で喫煙する人は禁煙の看板の前でも平気で喫煙するし、車内で携帯電話を使う人は優先座席であろうが関係なく使っています。

ボクはマナーというのは集団で社会生活をする上でお互いが気持ちよく過ごすための暗黙のルールのようなもので、モラルというのは最低限他人に迷惑をかけないようにするきまりのようなものだと思っています。以前にも書きましたが、長期的には道徳教育の充実などでモラルの向上を図るべきだと思います。

短期的にはシステムとしてできないようにするしかないと思っています。たばこで言えばまず、駅の売店や駅周辺でたばこを売らないことです。喫煙すると言いながら禁煙場所でたばこを販売するというのは矛盾しています。そして条例で公共の場所(どこまでを公共とするかは議論が必要ですが)での喫煙を禁止します。その上で警察OBの方などに取り締まってもらうのがいいと思います。

そしてその費用は罰金とたばこの税金から捻出すればいいのではないでしょうか。大多数のマナーを守っている喫煙者の方は駅や路上で喫煙しないはずですから実際に影響を受けるのはマナー違反の人だけのはずです。金銭的な負担が増える可能性もありますが、喫煙者が肩身の狭い思いをしなくてすむ代金と思ってもらうしかないのかもしれません。

今他人への気遣いができる人がほんとに減っていると思います。駅や車内はたくさんの知らない人同士が一定時間一緒にいなくてはいけない場所です。だからこそそういう事が顕著に感じられる場所なのでしょう。駅での喫煙やポイ捨て、列への割り込みなど、車内での携帯電話での通話や大声での会話、女性なら化粧したり男性なら足を大きく広げて座ったりとキリがありません。

でもそういう事に心を痛めている人がたくさんいるのも事実で、だからこそこういうニュースが報じられるのだと思います。個性も大切かもしれませんが、自由と好き勝手は違いますし、自由は義務を果たした人間にだけ与えられるものだと思います。ボクも他人への気遣いを忘れないようにしたいと思います。

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めがね

2007年10月30日 | 日記
映画「めがね」を見てきました。

誘われたので行く事にしたのですが、なんとも不思議な映画でした。いろいろと気になる事が多くボクはなかなか映画の世界に入り込めませんでした。つかみどころのないふわふわとした映画で「なぜ」とか「何」とか理由や背景をもとめようとすると全く楽しめない映画だと思います。

主人公を含め中心となる5人はほとんど何者か分かりません。一応宿屋の主人だとか高校の先生という設定はありますが、なぜこの島にやってきたかとかは分かりません。そういう事にはほとんど触れず(触れても解決せず)物語は進みます。

でも面白くなかったかと言うとそんな事はありませんでした。主題?以外に楽しめるところが多かったからです。主人公が訪れる宿屋で飼われている犬が可愛いのです。最近めっきり見る事が少なくなった雑種でとぼけた感じがいい味を出していました。また、ロケ地は与論島だったようですが、やはり景色は良かったです。白い砂浜や青い海はやはり美しいと思いました。

そして一番は所々で出てくる食事のシーンです。朝食のシーンなどは突飛なものは、一つ一つは普通のものだけどそれを丁寧に作って盛りつけるとものすごいごちそうになって、ほんと食べてみたいものばかりでした。なかには大きなエビを食べたり、バーベキューしたりと豪華な食事もあるのですが、大半はお金がものすごくかかっているわけではないけど、こういう食事が毎日できたらなというような贅沢な食事が続きます。

そして物語の重要なキーワードの一つもたいまさこさんの作るかき氷も美味しそうでした。たっぷりの小豆としろみつだけでできた氷は映画を見ていると無性に食べたくなりました。映画に出ているようなふわふわの氷が作れる手動のかき氷機がほしいです。ホームページにはレシピも載っているので作ってみようかとも思います。

どうやって楽しむかは観る人次第といった感じで、なかなか面白い映画でした。今度はかもめ食堂もみたくなりました。

映画「めがね」オリジナル・サウンドトラック
大貫妙子,サントラ
バップ

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優先座席

2007年10月18日 | 日記
阪急が「優先座席」を復活 “譲り合いの精神”挫折

阪急電車で優先座席が復活したそうです。「全席が優先座席」という考え方で電車内から優先座席を撤廃していたそうですが、実際には譲り合いがなく高齢者などから復活の要望があったそうです。

ボクもこの全席が優先座席という考えは賛成でわざわざそんなものを作る方がおかしいと思っています。実際優先座席だからといって席を譲っている人をあまり見た事がありません。ボクは基本的に優先座席にはなるべく座らないようにしていますが、譲る人は別にどこに座っていても譲るのではないでしょうか。

でも最近見た例では3人がけの席で大人の男性が一人座っていました。そこに小学生くらいの兄弟をつれたおばあさんが乗ってきました。すると小学生の兄弟は当たり前のように席にすわりパンかお菓子を食べ始めました。その前に荷物を持ったままおばあさんが立っていました。見かねた男性が席を譲って3人で座ったのですが、どうも釈然としませんでした。

ここで立つのは孫らしき小学生でしょう。この子たちを当たり前のように座らせてお菓子を食べさせているおばあさんに問題があると思います。ボクは席を譲ったときにお母さんやおばあさんでなく子どもを座らせたらものすごく嫌な気持ちになります。それにお年寄りも電車で並ばなかったり混んでても荷物をどけない、携帯電話で通話するなど問題のある人も結構多いと思います。

もちろん体が不自由な方やお年寄りに席を譲るのは当然だと思います。しかし、譲り合いであるならば譲られる側もお互いが気持ちよくなるようにしなくてはいけないと思います。だいたい優先座席を復活させたのもどれだけの苦情がきたのかもわかりませんからこれでモラルの低下を断じるのもどうかと思います。

阪急電車は携帯電話の電源OFF車両も実施していますが、あんまり効果はないように見えます。電源OFF車両を減らすようですし、こちらの方は駅員さんが注意しても過ぎたらまた話す人もいましたし、モラルのあまりの低さにあきらめたのかもしれません。確かに年々車内で携帯で会話する人は増えたと実感として感じます。

優先座席に関してはあまりにも問題があるなら優先ではなく専用座席もしくは専用車両を作るなりして別料金にする(もちろん優先座席にすわるべき人は免除)なんかもいいかもしれません。携帯電話は個人的には技術的に可能であれば、携帯電話し放題の車両と禁止の車両を作ればいいと思っています。そして携帯禁止の車両には電波が通じないように例えば妨害電波であるとかしたくてもできないシステムにすればいいと思っています。

電車は不特定多数の大人数が使用する交通機関です。もちろん長期的にみれば道徳教育の充実などが必要でしょうが、現時点で一人一人のモラルにたよるだけでは無理があると思います。なので残念ですが、システムとしてできるようにするしかないような気がします。