ゴルフタイムスの世界   Eagle Eye

ゴルフタイムス編集の古賀のイーグルアイは、焦点を外さないのが自慢です。面白くて、実践的で参考になる記事を提供したい。

US Tour Valsper Championship タイガー参戦

2018-03-09 | 危うい日本のゴルフの世界

Valspar Championship

Valspar Championship

March 8-11, 2018

マスターズの足音が聞こえる。今年、最初のメジャー、マスターズに向けて、各選手が凌ぎを削って余念がない。英樹は、用心を取ってValsper 選手権は、出場をやめたが、左の手首も、骨には、傷がなく調子はもどり気味なので、次のパーマー招待選手権には、参戦するという。タイガーは、稀有の選手だけに、徐々に試合勘をつかんでいるようだ。まだ、少々の不安は残っているのは、絶対に外したことがない3メートル以内を、確実にしていない点やフェアーウエイからのアイアンが、左へ直撃するときが、たまにはあるので、いま一歩といえる。 Innisbrook resort ,(Copperhead)は、Rattle snake が見守る状態は良好のフィールドである。

Tiger Woods’ latest comeback bid nearly ground to a halt thanks to an encounter with a tree during the opening round of the Valspar Championship.(Golf Channel)

実に、タイガーは、おとなしくなって、まるで修行僧のような雰囲気でプレーしているのが印象的だ。大きなガッツポーズは、果たして、また起きるのか、どうかこれまた、興味のある処である、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい歴史認識  南京事件を問う   14

2018-03-09 | 日本時事新聞社

『「南京事件」―日本人48人の証言(小学館文庫)

阿羅健一著

その8―第二章 軍人の見た南京 2、海軍

砲艦勢多艦長・寺崎隆治少佐

砲艦比良艦長・土井申二中佐

上海海軍武官府報道担当・重村実大尉

第2連合航空隊参謀・源田実少佐

 古賀 剛大 様

 

 今回は第2章「軍人の見た南京」のうちの

2、海軍 上記4人の証言です。

 

 中支は当時海軍の担当地域で、上海付近に第3艦隊があり、海軍武官府が上海に置かれ、海軍陸戦隊が上海租界の在留日本人の安全を守っていました。約3万の居留民を守る4千5百の陸戦隊に対して、1937年8月13日、国民党の正規兵3万が突如として一方的に総攻撃を仕掛けてきたのが上海事変の始まりです。その延長が南京戦ですので、海軍は上海から揚子江を遡上して南京に向かい、また航空部隊が南京攻撃に加わりました。

 砲艦勢多、比良ともに両岸からの銃砲撃に反撃し、閉鎖線を突破して南京に近づきます。南京に近づきますとジャンクやいかだに乗った中国兵が次々流れてきます。下関などから対岸の浦口に逃げようとしたのが、浦口も日本軍に占領されたので流れてきた部隊のようです。当然これに両艦は砲撃を浴びせます。これを後になって虐殺の一つに挙げる人もいるようですが、これは国際法上の純戦闘行為で、虐殺には当たらないことは言うまでもありません。

 比良は下関のやや下流の宝塔橋に入りましたが、そこに6,7千人ほど難民がいたため、司令官の許可を得て、街の整備、治安維持活動を紅卍会の陳漢森南京分会長と協力して行いました。陳氏からの土井中佐への礼状が残っております。コピーをご覧ください。

 

  日本語原文: http://hassin.org/01/wp-content/uploads/48-8.pdf

英訳文: http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-8-.pdf

 

 

海外には、下記の通り英文で発信しました。

 

平成30年3月9日「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道拝

http://hassin.org

 

The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts

-Testimony from 48 Japanese Who Were There-

By Ara Ken’ichi

No. 8: Chapter 2  Nanjing, as Observed by Japanese Soldiers

1. The Navy, 2932

   We present No. 6 in this series, which contains Chapter 2: Nanjing, as Observed by Japanese Soldiers, 1. The Navy, 29 – 32.

   At the time, the Navy was responsible for the security of the central China area. The Third Fleet was deployed there--Naval Headquarters and the Naval Landing Force were based in Shanghai. On August 13, 1937, a force of 30,000 Chinese regular army soldiers, secretly and illegally infiltrated a designated neutral zone, suddenly attacked the Naval Landing Force, numbering 4,500, which was responsible for protecting the 30,000 Japanese civilians living in the Japanese concession in Shanghai. This was the start of the Shanghai Incident. The battle of Nanjing was an extension of the fighting in Shanghai. Consequently, the Navy, air force, gunboats and mine sweepers joined in the battle of Nanjing.

   China closed the Yangtze by sinking ships and laying underwater mines. The gunboats Seta and Hira advanced to Nanjing, fighting against small-arms fire and shelling from both side of the Yangtze River and clearing obstructions. As they neared Nanjing, they encountered numerous Chinese soldiers on junks and rafts, their numbers gradually increasing in time. The Chinese soldiers were probably headed towards Pukou but it was occupied by the Japanese army. So, they headed downriver to escape. Japanese gunboats attacked them as a matter of course. This would not be a violation of international law, so this cannot be considered, by any measure, a “massacre”.

   The Hira landed at Pagoda Bridge Town near Xiaguan. Six-thousand to 7,000 refugees were gathered there. Commander Doi, captain of Hira, saw that rebuilding the town was absolutely necessary and initiated reconstruction with the cooperation of Chen Hansen, the head of the Nanjing Branch of the International Red Swastika Society. A letter of thanks to Commander Doi from Mr. Chen Hansen remains as evidence of his and the peoples’ gratitude. The copy can be seen here: p12-13.

 

  URL: http://www.sdh-fact.com/book-article/1136/

PDF: http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-8-.pdf

 

Questions are welcome.

 

MOTEKI Hiromichi, Acting Chairman

for KASE Hideaki, Chairman

Society for the Dissemination of Historical Fact

Phone: +81-3-3519-4366

Fax: +81-3-3519-4367

Email moteki@sdh-fact.com

URL http://www.sdh-fact.com

Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Shubhankar Sharma 2018 マスターズ  招待される。 特報

2018-03-07 | 危うい日本のゴルフの世界

速報!!!!

21歳のインドの新星、S.シャルマが、マスターズから特別招待を受けた。

 

 

オーガスタナショナルのF.リドリー会長は、ゴルフは、世界的なものであり、今までにしてきたように、マスターズ招聘にふさわしい選手を迎れてきた。今年は、ヨーロッパオープン、Joburg open とMay bank 選手権に勝利し、かつWGC メキシコオープン選手権を三日までトップで走ったシャルマ選手を招待した。と。すばらしいニュースだ。アジアの新星が英樹に続く快挙となる。インドから、今までマスターズ登場は,Jeev  Milkha Singh,Arjun Atwal,Anirban Lahiri, 5人目が、シャルマだ。

今年は、タイガー参戦、ミケルソン、バッバワトソン、DJ,J. トーマス、J.スピース、などなどが,しのぎを削る下克上だ。

英樹をはじめ、シャルマの活躍を見れるのも、もうすぐだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WGC Mexico Open Championship なんと、ミケルソン 5年ぶりの優勝

2018-03-05 | 危うい日本のゴルフの世界

 5年ぶり、全英オープン以来の優勝

 

 

驚いた。2打差で追っていたミケルソンが、逆転優勝とは。全く驚いた。

思わず、胸にこみあげるものがあり、フィルは、記者を泣かせるには、十分なゴルフであった。


ミケルソン、プレーオフに持ち込み、今、最強のJ.トーマスを最初のホールで、トーマスを沈める。ミケルソンが、プレーオフに残ったときに、アリゾナ大学の後輩、ジョンラームが応援に来ていたのは、いい風景だった。

流石に、世界トップを走る選手に追われて、インドの新星、21歳、夢が通じず。最終日、崩れて3オーバーで、シンデレラボーイ誕生には、ならなかった。

流石、今、絶好調のJ.トーマス、追い上げて18番イーグルで16アンダーにつける。それを、ものともせず、47歳のミケルソンが16アンダーでホールアウト、記者は、トーマスも嫌いではないが、フィルに勝たせたい一心で、祈っていた。フィルは、人間的にも最高の精神を持っており、見る限り、体つきも一段とトーニングの結果がでているようで、アスリート、そのものである。

このミケルソンの勝利は、タイガーにやる気を起こさせた最大の処方箋だ。

この優勝は、82回マスターズに拍車をかけて、ミケルソンが3回優勝しているだけに、期待が膨らむ。この勝利は、タイガーに火をつけた。47歳のフィルが、若いものをあいてに一歩も引かず、むしろ牽引車になったのを見て、タイガーは、内心、燃え滾るものがこみ上げたに違いない。46歳のニクラスが、マスターズを制したように,ゴルフは簡単に、年齢だけで割り切れない王者のスポーツだ。トータル268ストローク、(69,68,65,66)16アンダー。獲得賞金、170万ドル、ビッグなゲームだ。

J.トーマスも、18番をイーグルで16アンダーにした実力は、恐ろしい。しかも、DAY4は、64のスコア、言をかまたない。

新婚のベロも15アンダーの活躍、ガルシア、ラームのスペイン勢が、フィールド狭しと踊るのは、バレストロス時代を彷彿とっさせる。DJやババも大活躍、まさにメジャーにむかって一直線。あとは、タイガーを待つだけである。させた最大の処方箋だ。

 

21歳、インドの新星、アジアの未来を予感させる。シャルマの活躍は、見事だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WGC Mexico Open Championship 無名の世界500位のインドの選手の台頭DAY 3

2018-03-04 | 危うい日本のゴルフの世界

WGC Mexico 選手権WGC-メキシコ選手権

誰が、勝利するか、最終日だ。シャーマートップ

逃げ切れるか、シンデレラボーイ英樹後のツアー星、誕生か、65,66,69

追う、ミケルソン、J.トーマス、ガルシア、ベロ、ぺレス、シャフレイなどなど。

photo;Golf Cnannel/CBS/WGC/Mexico/PGAtour (Associate )

日本の選手が3人とも、波を乗り越え得られない状態で、全然、ゴルフになっていない。実力といえば、そこまでだが、マイナーが メジャーでプレーするのは、無理があるのかもしれない。それだけに、英樹の故障が、気にかかるかる毎日であろう。彼は、次の試合、バルスパ―スパ選手権をを辞退して、その次のアーノルドパーマー招待にプレーする選択をした。マスターズの本戦まで、30日間だけの時間だ。完治するのか、どうか、英樹の試練が待っている。

さて、WBC メキシコオープンだが、無名のインドの選手が、アジアヨーロッパを通じて、参戦している。しかも、堂々としたトップでDAY3を終えた。世界500位の選手が、優勝でもしたら、マスターズの切符はもちろん、シンデレラボーイとなって、一躍世界ランカーになる。こんな選手がインド、アジアにいるなんて、信じられない。日本のゴルフは、遅れに拍車がかかっている。井の中の蛙と揶揄されても、文句は言えない。

ミケルソン、ガルシア、シャフレイ、ぺレスなどが虎視眈々、13アンダーのトップに2差で、最終日を迎える。

シャハンカ―ハルマという若者である。もともと、英領だっただけに、ゴルフ歴史は、古いインドである。だから、ゴルフでは、先進国である。英領のマレーシア、シンガーポール、ミャンマーなど、古参のゴルフ場を有しているのは、英国領であったからだ。

アジアの台頭は、現実の嵐となって、アキバ―ラント、おなしみアジアのジョンデイリーだ。上位につけて、活躍は勇ましい。もちろん、82年マスターズ、勇作の前に招待選手となった、

ガルシア、ミケルソンが、優勝争い、見ごたえのあるマスターズの覇者が、踊る。

photo:Golf Channel/CBS/WGC/Mexico/PGA tour/(associate)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする