笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

宮城の思い出

2011-12-24 21:24:56 | 日記
11月22日に続いて、今日は「斉太郎節」の故郷、宮城の思い出です。

私は20代の最後の頃に2年9か月間、仙台で仕事をし、生活しました。
広瀬川に架かる愛宕橋のたもとのアパートに2歳半ばの子供を含めた家族で移り住みました。
当時は路面電車が走っており、休日にゆったりと揺られながら三越デパート迄家族で買い物に行くのが楽しみでした。
同じアパートに住む子供の友達を連れて近所の広瀬川でボート遊びをしました。写真の白い物は、その時に河川敷で拾った「樹木の化石」で、今は我が家の庭の片隅に鎮座しています。
伊達政宗の「御霊屋」までも歩いて行けましたが、当時は戦災で焼かれたままで、お墓に木柱が立っているだけで今の様な壮麗な建物は想像出来ませんでした。
若かったので、良く飲みました。国分町の飲み屋やバーにお気に入りの店があり、入り浸りでした。お金が無いのに出かけて、つまみ以外はウオッカやテキーラと言う強すぎて誰も飲まない酒を只で飲ませてもらったこともあります。
会社の送別会等は、向山地区の鄙びた料亭でありました。カラオケはまだまだ先のことで、専ら民謡で、皆で手拍子を打ちました。山形出身のSさんの「最上川舟唄」は、訛り具合もちょうど良く、素晴らしかったです。
宴会の最後は何時も、皆で肩を組んで「ミス仙台」を声を限りに歌いました。
私が「ほや」を初めて食べたのも仙台です。三陸の海で取れるパイナップルのような形をしており、肉はツンと鼻をつく独特の匂いがして初めは馴染めませんが、慣れると大好物となります。夏でも熱燗が合います。
お土産と言えば、「笹蒲鉾」か「白松が最中」でした。「牛タン」や「萩の月」は有ったかどうかわかりません。
松島は何時行っても眺めが良く、芭蕉が絶句して「松島や ああ松島や 松島や」と読んだのも頷けるな、と思いました。
閖上浜は冬でも温かく、東北の湘南と言われていました。この春の津波でその浜をずんずんと海水が上ってくるのをテレビで見て、本当に信じられない思いでした。
ゴルフは始めたのも仙台です。一度だけ打ちっぱなしにいっただけでコースに出ました。なんと、練習場ではボールを借りたので、ゴルフ場でも借りるものと思い、持って行かず、慌てて買いましたが、打つ度に谷底に消えて無くなり、皆さんの使い古しのボールをもらってやりました。勿論スコアは全く「記憶に御座いません」。
仙台には、何人も知り合いが居ますが、幸い亡くなった方はいませんでした。コンピューター関係の会社を経営しているOさんの会社でパソコン等がガタガタになり事務所を移転したのが最も大きな影響です。
先日、ネットで「斉太郎節こそ復興の唄にしゃう」とありました。
思い出多い宮城の復興を祈念して、心を込めつつリズミカルに吹きたいと思います。
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冬至カボチャ

2011-12-23 09:42:34 | 日記
昨日は冬至でした。
我が家では、夜、冬至カボチャを食べました。カボチャとあずきを砂糖と薄口醤油で家内が煮てくれました。ほくほくして美味しかったです。
子供の頃、季節の行事は兄弟や友達と過ごす楽しい時間でした。
また、母は乏しい材料を工夫してその時期、時期に合ったご馳走を用意してくれました。
昨夜は、14年前に90歳で逝った母を懐かしく思い出したのでした。
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日比谷図書館

2011-12-22 19:36:16 | 日記
今日は昼に、会社時代の同期の昼食会がありました。
多い時でも10人位が月に1回、自分で弁当を持参して集まり、食べながら近況報告や雑談を交わして一時間ほどで解散すると言う他愛のないものです。
今日はその後、本好きのEさんが「日比谷図書館が改装工事が終わり、再開したから覗いて見ないか?」と言うので、立ち寄って見ました。
都から区に移管された機会に改装されたもので、外見は同じですが中は大きく変わっていました。
床は明るい色になり、本棚の配列が部屋の真ん中に集められ、机は窓際に置かれて居ます。
本は以前から日比谷図書館が持っていた本に加えて、整理・統合された他の図書館から移された分が並べられていますが、「少し少ないし古い本ばかりだな」、と感じました。
また、電子検索機もあり、千代田区内の他の図書館の分を含め見つけることができるのは、便利になったなと思います。
地下の食堂も小綺麗なレストランになり、1階にはこれまた眺めのよいカフェができました。
私は本を借りることはないと思いますが、日比谷付近に行った時に行き場が無くて困っていたので、大助かりです。
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岩手の思い出

2011-12-22 09:34:38 | 日記
まだまだ先のことと思っていましたが、2月25日の笛の発表会まで余すところ2か月になりました。
学生時代に陸上競技の中・長距離をやっていた頃のことを思い出してみると、丁度長い距離の走り込みから短い距離のスピードアップへの切り替え期だった様に思います。それを笛の練習に合わせて見ると、同じ曲を繰り返して回数を多く吹きつつも、一回ずつ曲のイメージを深めて演奏することかなと思います。
そこで、これまでは毎日、3回の繰り返しを今週から5回に増やしました。来月からは10回に増やそうと思っています。
更に、曲のイメージを深めるために、演奏曲の地域の思い出を整理してみょうと思いました。
最初は「南部牛追い唄」の故郷、岩手県です。
岩手県には住んだことはありませんが、何度も行きました。
平泉は、平安時代に如何にこの地が繁栄していたかを今に伝えてくれます。
義経伝説は、遠野の民話と並び、ロマンを掻き立てます。
盛岡市にある春の石割桜は岩手人の粘り強さのシンボルの様に思います。
岩手城跡では「荒城の月」を歌いました。
小岩井農場は岩手の近代化の息吹きが残っていました。
繋温泉などは、鄙びた安らぎを与えてくれます。
宮古を初めとする三陸海岸線は切り立った岩の荒々しさと青青とした海に感動を覚えました。子供の頃にチリ地震で三陸海岸が大きな被害を受けたのを聞いていましたが、こんな近くで大地震が起き、大津波が来るとは思ってもいませんでした。
そして、何処へ行っても魚が旨かったです。
「南部牛追い唄」の地元については諸説があるようですが、私は秋田県の横手市から北上市にける和賀川の辺りの農場地帯又は今は秋田県になっていますが元々は南部藩だった鉱山・鹿角地域から積出港・八戸への道を思います。
どちらにしても岩手の豊かな自然の中で牛を追う、ゆったりとした情景を思いながら、私もゆったりと吹きたいと思います。
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金正日死す

2011-12-20 11:58:08 | 日記
11月25日のブログで書いた大学時代の恩師・M先生は、当時、新進気鋭の政治学者でした。そのM先生から「あらゆる権力は、その自己のイデオロギーにそった理想の実現をひたすら目指す(M先生は、これを「荘厳化」と呼んでいた)が、やがて現実との間にギャップが生まれるのは避けがたくなるが、権力はそのギャップを埋めることが出来ずに崩壊し、新たなイデオロギーを持った権力に取って代わられる。これは避けがたい原理である」と教わった。
金正日の死を機会にして、この原理を改めて考えて見たい。
今年はアラブ諸国で独裁政権の転覆が続いた。その動きを見て、私は、この原理を思い出していた。
来年は、アメリカ、中国、ロシアでトップ人事があると見られている。ロシアでプーチン批判が吹き出し始めた。やはり、ここでも同じことが言えよう。
世界的に政治の季節であるそんな年の瀬に北朝鮮が飛び入り参加してきた。
どのような政治体制をとるかは、その国の国民が選択すべきことで、一時期のアメリカのような「世話焼き」は「余計なお世話」そのものであり、決して上手くは行かないことは、ベトナム、イラク、アフガニスタンなどで示めされている。
だから、金正日の後継者に金正恩がなろうが、それは北朝鮮の自由である。
が、若干28歳で最高権力者になった彼にとっては、様々な関係者ー軍、党、親族ーからの「忠告」が寄せられ、暫くは素直に聴くしかないだろう。
しかし、やがて自分の意思で動かしたいと思うに違いない。その時が何時になるかは、彼が父親の配下にあった幹部ではなく、自分が育てた幹部を持てた時になるだろう。しかもそれは、独裁政権の常として、軍幹部をであろう。こうして彼もまた、「先軍政治」に
ならざるを得ないだろう。従って、彼ら(彼及び取り巻き)は、当面、軍の活動を今まで以上に強めるのではないか。
しかし、テレビカメラの前で泣き叫ぶ数よりも、陰で「これで少しは生活が楽になる政権に変わってくれれば良いが!」と囁きあった人の方がはるかに多いと思う。
如何に独裁国家でも、国民を飢えさせて存続は出来ない。世界から孤立しては存在しえない。中国のみに過剰に依存することも、いつまでも続くとは考えられない。アメリカの経済支援にも限界があろう。
武器を売って食糧を買うのでは、国内の民主用の生産技術は高まらないので、国民の生活水準は上がらない。同じ朝鮮民族の韓国が今や世界的に造船、自動車、家電の輸出国になっている。
もし、金正恩がスイスの学校に通ったことがあり、言われる様にフランス語、ドイツ語、英語に堪能であるとするなら、世界情勢は分かる筈だ。従って、多分今よりは、開国するだろうと思う。そして、それが蟻の一穴となることを期待したい。
日本との関係では拉致問題があるが、慰安婦問題は北と南に共通のテーマである。その解決には「未来志向」でのぞむしかないが、真の「未来志向とはどういうことか?」を政治家同士ばかりでなく、国民各層同士でもしっかりと議論すべき時になったと思う。
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