笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

銀座で寿司

2011-11-24 14:46:07 | 日記
今日は、仕事?が早く終わったので銀座まで歩き、お昼は自分へのご褒美に寿司を食べました(いつもは、仕事場の食堂で350円の蕎麦を食べてます)。銀座で寿司と言うとミシュランに載るような超有名店から小ぎれいな小さなお店までいろいろ有りますが、リタイアしてからの私がいつも行くのはこの写真のお店です。
回転寿司ではなく、テーブル席かカウンター席ですが、ランチタイムは、12貫の寿司には生の甘エビ、いくらの軍艦巻きもあって、茶碗蒸し、サラダ、味噌汁付きで1050円です。お得です。お奨めです。
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日比谷公園の紅葉

2011-11-24 11:58:59 | 日記

今朝は、昔会社に勤務していた時刻に起きて、洗面をし、新聞を読み、朝食を食べて、駅まで歩き、当時と同じ満員電車に乗り、立ちっぱなしで東京駅まで来ました。
ほぼ月に一回の仕事?の為ですが、始まる迄に時間があったので近くの日比谷公園を覗いて見ました。
写真は霞が関側の門の近くにある鶴の噴水池の周りの紅葉です。素晴らしいです。
もう一枚は、帝国ホテル側の門の近くの銀杏の木ですが、他の銀杏を含め彩づくにはまだ間がありそうです。江戸時代、日比谷公園の場所には、長州藩の上屋敷があったそうです。ニューヨークのセントラルパークやロンドンのハイドパークに比べれば小さな規模ですが、都心にこれだけの緑地を残してくれた先輩達に感謝します。
とこれで、大名屋敷と言えば、そろそろ忠臣蔵の季節です。
刃傷事件のあった江戸城松の廊下は皇居東庭園に「松の廊下跡」の看板がひっそりとあります。
大名ではありませんが、高家筆頭として旗本扱いされていた吉良家の屋敷は、討ち入りの時は隅田川を越えた本所松坂町ですが、これは赤穂藩の旧家臣による吉良邸討ち入りの危険性を考えて幕府が移動させたといわれております。元々の屋敷は今の東京駅八重洲北口の大丸のところにありました。(因みに、ここはその後幕末迄、北町奉行所があったということで、大丸のはぃっているビルの改築前は「北町奉行所」と言う飲食店がありました)。
一方の浅野家の屋敷は、今、聖路加病院がある所にありました。刃傷事件の後、赤穂藩はとりつぶしになりましたから、その後は他の藩の屋敷としてつかわれましたが、今は「浅野家屋敷跡」の小さな看板があります。
浅野内匠頭は刀傷事件の後、田村家に預けられその屋敷で切腹させられますが、その場所は新橋4丁目の交差点の付近で、今は交差点の脇に「浅野内匠頭切腹跡」の石柱が立っています。近くに新正堂と言うお菓子屋さんがあり、切腹最中が売られています。お詫びに伺う時にはこれを持って行くと良いとか、なんとか。
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