笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

アメリカ在住の友人からのメール

2011-11-11 19:31:29 | 日記
Oさんは、私が会社に入ったばかりの研修期間中、1ヶ月間同じ部屋に住み、その後、仕事でも何度か一緒になりました。Oさんは、若い時にフランスに留学したほど語学が得意で、仕事ではシリコンバレーやニューヨークで現地法人の社長として活躍しました。
会社を退職した後、奥様とシリコンバレーに移り住んでいます。
私のブログを紹介したところ、近況のメールが来ました。
私の生活とはスケールが違うな、と感じました。以下はその一部です。「御無沙汰しています。”笛吹き朗人"楽しく読ませてもらいました。我々の子供の頃”笛吹き童子”がありましたね。懐かしくなって、インターネットで調べました。懐かし音楽も聞かせてくれるのですね。インターネットは本当にすごいですね。
こちらは相変わらずですが、ハロウィーンが終わり、11月に入ってさすがにこちらも寒くなってきました。と言っても朝晩は10℃を少し下回るくらいで日中は20℃まではいかないけど暖かな陽気が続いています。11月の最初の週末にオレゴンのAshlandと言うカリフォルニア州境の所のシェークスピア演劇フェスティバルの最後の演劇を女房の企画で見に行って来ました。
そちらも寒くなって来ている事でしょう。風邪などひかないようにして、篠笛他に頑張ってください。」
お互いに健康で過ごしたいと思います。
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尾崎豊

2011-11-11 12:38:36 | 日記
我が家には尾崎豊の熱烈なファンがいます。家内です。ご多分に漏れず、尾崎の生前には全く無関心で、護国寺での彼の葬儀に5万人もの列が出来たテレビを見、流される「卒業」や「I
love you」などの曲を聞き、すっかりはまってしまい、レコード屋に駆け込んだのです。
普段殆ど行くことのない本屋にも行き、様々な本を買い込んで来て読み耽たっていました。尾崎が青山高校に通っていた頃、良く夕陽を眺めていたと言われた渋谷のビルのことを知り、訪ねて行ったらしい。
更には尾崎の父親に手紙を書いたとも言っています。
こうなると、尾崎は彼女の中で理想化されますので、彼が覚醒剤びたりだったと私が言っても、「まさか、あの純粋な歌を作る人にそんな事は信じられない」と全く盲目です。
その後も、時々行われる尾崎展には、友達を誘いイソイソと出掛け、毎年NHKテレビで放送される回想番組を食い入る様に見ています。
この度、「文藝春秋」12月号で尾崎の「遺書」が紹介されました。
早速買って他の記事は全く目もくれず、その記事だけを読み、「今まで知らなかったことが分かった」と喜んでいます。多分、暫くは友達との話題は尾崎一色になるものと思います。
私も読んで見ましたが、曲作りに行き詰まり、取り巻きと様々なトラブルになる中で、酒と覚醒剤に身を滅ぼして行く若者の悲しい姿が読み取れました。
1992年春は、前年にソ連が崩壊し、湾岸戦争があり、この年にはバブル経済が弾け、ロス暴動がありという20世紀末の暗い、そして今日の混沌とした時代につながる曲がり角の時代だったと言えます。尾崎の死はその象徴とも見えました。
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越後獅子

2011-11-11 07:31:38 | 日記
今年の9月に私の中学、高校の同級生が都内の某有名私立大学の総長に就任しました。彼は歯学部長を長くやっており、総長選考委員会のメンバーでしたが、その人柄に皆さんの信頼が集まり、推挙されたと言うことです。昔から彼を知る私は、さもありなん、と納得しましたが、彼としては仕事の大変さを知り抜いているだけにかなり迷われた上での決断だったようです。激務ですので、健康に十分留意して活躍して欲しいと思っています。
首都圏に在住の高校の同級生で先頃ささやかなお祝い会をしましたが、12月の初めに中学の同級生が故郷で盛大にお祝い会をやることになり、私も参加することにしました。
その席でお祝いに篠笛で「越後獅子」を吹かせて頂こうと思い、稽古を始めました。リズミカルな節回しが賑やに席を盛り上げると思いますが、何よりもあの音楽ダメの私が篠笛を吹く意外さがいいかな?と思っています。
写真は越後獅子ならぬ沖縄のシーサーで我が家のベランダの守り神です。
コメント (1)
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