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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の「8分間修験道入門」(福島県郡山市「祈りの回廊フォーラム」基調講演 2013.2.14)

2024年02月19日 | 田中利典師曰く
今、当ブログでは「田中利典師曰く」として、2015年の師の「蔵王供正行」を追いかけているが、今日は一旦お休みにして、師が3日前にFacebookにアップされた思い出「8分間修験道入門」(師のブログ 2017.2.16 付)を紹介したい。何しろ、わずか8分間で修験道1300年の歴史を話されたというのだから、すごい。以下、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)

「8分間修験道入門」ー田中利典著述集(2017.2.16)
4年前(2013年)の2月14日に、東日本大震災復興支援の企画(奈良県・観光庁共同)で、東大寺、薬師寺、法隆寺、興福寺、唐招提寺、西大寺をはじめ、春日大社、石上神宮など、奈良県を代表する寺社のみなさんとともに、当時金峯山寺の執行長だった私は、福島県郡山市での「祈りの回廊フォーラム」(会場:郡山市郡山公会堂)での講演に臨んだ。

そのとき私に与えられた命題は、修験道1300年の歴史をわずか8分でしゃべれと言うミッション。そのときに生まれたのが「8分間修験道入門」。その講話草稿を、今日はアップします。

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「8分間修験道入門」
○プロローグ
長いこと生きていると、ときどき、とんでもない無理難題に遭遇するものです。今日の講座では8分で修験道1300年の概要をわかりやすくお話ししなさいという命令を、奈良県さんと観光庁さんに命じられました(笑)。えらいことです。どう考えてもほぼ無理ですが・・・ともかく頑張ります。

○神と仏はほぼ同じ
神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。

日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは六世紀半ばと言われています。今から1470年くらい前のことです。このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神にたいし、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あだしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。

もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。

たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。

これに対して神信仰もまた、おおいに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、難しい教理的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。

神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像造立も、大きく仏教の影響を受けています。神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。

私の課題「修験道」というのは、その神の祈りと仏の祈りを併せ持った、そういう日本の宗教の土着的な特質の上に成立する信仰で、開祖の役行者以来、神と仏を分け隔てなく尊び、その結果、権現信仰のような神と仏を融合させたものさえ生んだ日本独特の民俗宗教なのです。

○修験道とは?
ではその修験道とは何かということになるのですが、私は三つの視点で説明をしています。
①まず第一は「山の宗教」―いわゆる「山伏の宗教」ということです。山に伏し野に伏して修行するから山伏というわけです。
その山伏はどこで修行するかと言いますと、これは山林であります。つまり大自然が道場なのです。

我々山伏修行では少々の雨、風があっても、決められた所をひたすら歩いて行きます。一日に約十~十三時間にもわたり歩くこともあります。それもただ歩くのではなくて、まさに木を拝み、岩を拝み、お日様を拝み、大自然そのものを拝みながら、祈りながら行ずるのです。自然というのは、山伏にとっては神、仏が在ます世界です。まさに神、仏がおられることを前提に修行を行います。

②二つ目は、宗派を超えた実践宗教であるということです。
実際に自分の身を使って行ずるのです。山林抖數の山修行だけでなく、滝に打たれることもありますし、托鉢や座禅をすることもあります。とにかく自分の体を使って行う実践的な宗教というわけです。しかも修験道というのは「道」ですから、あまり宗派宗義には拘らない。

実際、我々の山修行にはいろいろな宗派の方がお出でになります。禅宗の方もお出でになることもあるし、天台宗や真言宗の方が参加されることもある。神官さんも参加しています。このように宗派を超えて実践していく宗教が修験道と言うことができます。修験道とは実修実験、修行得験の道とも言われています。

③三つ目は、神と仏はほぼ同じで述べたように、神仏習合を基盤とする極めて日本的で、多神教的な宗教であるということです。八百万の神々と八万四千の法門から生ずる仏達を分け隔てなく祀ってきたのが修験道なのです。

この東北の地では羽黒山に羽黒権現様がおられますが、本地(元の姿は)は観音菩薩。仏が羽黒の神となって祀られたのが羽黒権現なのです。吉野は蔵王権現、熊野は熊野権現、白山では白山権現、石鎚山は石鎚権現という風に、日本人は全国のあらゆる土地、霊山に神と仏の融合した権現神(仏が権化して現れた神)を祈り、祀ってきました。

神も仏も祀るという多神教的で、しかも仏教と神道が融合し、まるで仲むつまじい夫婦が生んだ子供のような存在が権現信仰であり、修験道であると言うことができるでしょう。

○まとめ
明治に行われた神仏分離、修験道廃止の施策以降、わずか140年ほどで、儀礼の上でも信仰の上でも、神と仏の関係は多くが失われてしまった感があります。しかし。吉野から勧請して山の名前が蔵王となった山形と宮城に渡る蔵王で行われる花笠音頭のように、まだまだ土着の信仰や多くの民俗行事の中に、権現信仰や、神と仏が融合した形がとどめられているです。

8分で全部をご理解いただくのは無理なのではありますが、私は時間通りに終わるという信条があり、ちょうど時間となりましたので、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。 (了)
ー2013年4月14日、福島県郡山市「祈りの回廊フォーラム」基調講演から

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このとき、8分間で、修験道1300年を語ったので、これ以後、少々の無理難題を強要されても、わずかな時間で修験道論がこなせるようになりました。(笑)
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私の昼食は、果物です!/奈良新聞「明風清音」第98回

2024年02月18日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。先月(2024.1.25)掲載されたのは〈昼食は「果物」です〉。政府の「食事バランスガイド」(厚生労働省・農林水産省)では、果物の摂取目標を「1日200グラム」(ミカンなら2個、カキなら1個)としているが、なかなかこんなに食べている人は少ないし、そもそも日本人の果物摂取量(140~105グラム)は、世界でも最低レベルだ。
※写真はアルギット農法ミカン、ゆら早生(以上、よってって)、味自慢みかん(ダイエー)

なぜこんなに少ないのか、なぜ果物を食べないといけないのか、このようなことを果物好きの私が書いた。私は1日2食にしているが、果物はたくさん食べる。主に朝食と夕食の間に食べるので、「昼食は果物」なのだ。果物はカロリーが低いので、太る心配もない。では、以下に全文を紹介する。



昼食は「果物」です
令和3(2021)年11月、68歳で会社を完全リタイヤしてから、食事は朝食と夕食の1日2食にしている。しかし食事の間隔が空くので、途中で果物をよく食べる。つまり私の昼食は、果物なのだ。

私は至って体が丈夫だが、それは子どもの頃からよく果物を食べてきたからだ、と勝手に思っていた。生まれ故郷の和歌山県北部はミカン、カキ、モモなどの栽培が盛んなので、よく食べていた。奈良に来てからも、奈良県産のイチゴ、ナシ、ブドウなどをよく食べるし、県産品がないときはキウイ、パイナップル、バナナなどを食べる。

最近は夏が暑いので、ついアイスクリームを食べてしまう。すると、あっという間に体重が増えるが、果物はたくさん食べても体重は増えない。

「不思議だな」と思っていたら、その謎を解明してくれる本が出た。田中敬一・間苧谷(まおたに)徹共著『果物をまいにち食べて健康になる』(キクロス出版刊)だ。お二人とも農学博士で、農林水産省勤務のご経験がある。以下、本書の要点をかいつまんで紹介する。


昨秋、ワイドショーで「ゼリーより甘い」と紹介されていた「紅まどんな」を取り寄せた

▼果物の摂取量は少ない
日本人は、どれくらい果物を食べているのだろう。国連食糧農業機関(FAO)の平成23(2011)年の統計によると、1人1日あたり140㌘で、これは世界でも最低レベルなのだそうだ。ベスト3はオランダ(444㌘)、オーストリア(400㌘)、イタリア(386㌘)。日本は中国(223㌘)、韓国(184㌘)よりも少ない。しかも平成30(2018)年にはもっと少なくなっていて、わずか105㌘なのだそうだ。



本当にゼリーより甘かった、さすがは伊予柑の本場、愛媛県のミカンだ!

▼果物摂取量が少ない理由
なぜ、そんなに果物摂取量が少ないのか。本書によると、
1.果物は必需品ではなく「ぜいたく品」という偏見があった
世界史でも教わったことだが、15世紀の大航海時代、ビタミンC不足で多くの船乗りが壊血病にかかり、目から血を流して命を落とした。血管はコラーゲンでできていて、人はビタミンCを摂らないとコラーゲンを合成できないのだそうだ。その後改善され、今はイギリス海軍の水兵はライミー(ライムを食べる人)と呼ばれるのだそうだ。このように、果物は立派な「必需品」なのである。

2.果物は「甘いから太る」という誤解があった
「果物は果糖を含むから太る」と誤解している人は多い。しかしアメリカ食品医薬品局(FDA)は昭和61(1986)年、果糖は高脂血症、心臓病や肥満の原因ではないことを明らかにした。世界保健機関はこの結論を検証したところ、FDAの報告は正しく、また果糖はエネルギー源として重要であると付け加えた。

▼摂取目標は200グラム
これらの科学的根拠を踏まえ、平成17(2005)年、厚生労働省と農林水産省は「食事バランスガイド」を公表した。そこで、わが国の栄養学史上初めて、「果物は野菜と同様、毎日の食生活に欠かせない食品」と位置づけ、果物の摂取目標を1日200㌘とした。これを受け、うるおいのある食生活推進協議会は「毎日くだもの200グラム」運動をスタートさせ、現在に至っている。200㌘だと、ミカンなら2個、カキ、リンゴ、モモなら1個だ。

なお100㌘あたりのカロリーは、ミカン49㌔㌍、カキ63㌔㌍、リンゴ53㌔㌍、モモ38㌔㌍と、野菜のタマネギ333㌔㌍、レンコン66㌔㌍などに比べ、ずいぶん低い。「果物は甘いから高カロリー」は、全くの誤解なのだ。おいしい果物を食べて健康になれるなら、こんな良いことはない。皆さん、もっと果物を食べましょう!(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の「蔵王供正行/第4日 時間がない」

2024年02月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行第4日・・・「時間がない」〉(師のブログ 2015.5.4 付)、「化他行・蔵王権現供養法百座修行」の修行記(第4日)である。「時間がない」とは、14時に行を終えたあとも、事務処理などに追われてバタバタされている、ということのようだ。

離職される直前まで、イベントや「こころの時代」(NHK Eテレ)への出演などで、行の準備ができなかったのだ。「里の行」も大変なのである。それでも「こころの時代」を視聴してお参りされる方もいて、林南院への注目度も上がっている。では、全文を紹介する。

蔵王供正行第4日・・・「時間がない」
蔵王供正行第4日ー5月4日。曇り一時雨。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は11時。
5時前に起床。
5時半、第7座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂 
9時、第8座目蔵王権現供養法修法  於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂

****************

「時間がない・・・」
日程だけを追うと、14時の法楽を終えると、就寝まで随分時間がある。いや、あるはずで予定を組んだ。だが、前行の段階からずっと時間に追われてきた。行者坊の設えや、蔵王供祈願申込者の事務処理が全く出来ないまま、行に突入したのが原因である。

というか、2,3月の段階で、本山での法務や宗務を退いて、引っ越しと行の準備に取りかかるつもりだったが、それが出来なかったわけで、そのツケが回って来ている。

本格的な離職準備の段階に入ってから、この夏に東京日本橋で開催する三井記念館修験道展覧会開催の大綱が決まり、急きょ、出演したあべのハルカスでの弘法大師トレランシンポのほか、田中利典著作パネル写真展開催はじめNHKのEテレ番組取材など新た企画や仕事もに入ったりして、まあ、離職直前までバタバタだったのだ。

そのバタバタで修行に突入したせいか、正行4日目にして、少々疲れが出てきた。体を整えずに入行したのだから、当然であろう。まあ、もう少し修行が進めば、体も心も、修行三昧のリズムに馴染んでいくし、事務処理などの雑務も一段落すると思う。

人の関わりのなかのことなので、なかなか修行にのみは専心できないものである。しかし、今回の修行は「山の行より里の行」なのだから、そこを大事にしたいと思う。

午後の護摩では東京や茅ヶ崎在住の方をはじめ、遠来の方など6名のお参りがあり、そういう関わりに、元気をいただく。終わってからもEテレを見ておいでになった近在の方もあった。ながらく休眠状態だった自坊だが、このお行がきっかけで、また少し前進するのかもしれない、かな・・・。写真は今日の護摩遠景。
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いよいよ明日(2/17)は「王寺町クイズ大会」です、観覧自由・入場無料!(2024 Topic)

2024年02月16日 | お知らせ
いよいよ明日・2月17日(土)14時から、「王寺町地域交流センター リーベルホール」(王寺駅前・西友のあるリーベル王寺東館の5階)で、第4回クイズ大会「ゆきまるQ」が開催される(王寺町観光協会と奈良まほろばソムリエの会の共催)。観覧自由(予約無用)、入場無料だ。

今回は初めて、奈良検定の過去問など、地元に特化したクイズ問題が出題される。出場チームは過去最高の10チームだ。

〈大人チーム〉
①斑鳩の里 観光ボランティアの会 ②王寺観光ボランティアガイドの会③おうじ・まちの宣伝隊④交通三社JNK連合軍(JR西日本、奈良交通、近鉄)⑤チーム食(王寺町食品衛生協会)⑥チーム東横イン

〈中高生チーム〉
⑦大阪星光学院中・高等学校クイズ研究会(*前回優勝校)⑧四天王寺中・高等学校クイズ研究部 ⑨東大寺学園中・高等学校クイズ研究部 ⑩西大和学園中・高等学校クイズ研究部


これまでは大阪星光学院や東大寺学園など、中高生チームの圧勝だったが、模様替えした今回は、どんな試合展開になるか、これは楽しみだ。皆さん、ぜひ足をお運びください!



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蘇我氏の始祖を祭る「宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社」(橿原市曽我町)/毎日新聞「やまとの神さま」第73回

2024年02月15日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.2.8)掲載されたのは〈蘇我氏の始祖を祭る/宗我坐宗我都比古神社(橿原市)〉、執筆されたのは、同会会員で橿原市在住の田村基樹さんだった。
※トップ写真は、宗我坐宗我都比古神社の拝殿=橿原市曽我町で

同欄では前回、〈蘇我入鹿を祭る唯一の神社「入鹿神社」(橿原市)〉(近鉄橿原線の八木西口駅から徒歩約10分)を紹介したが、今回は蘇我氏の「先祖」を祭る神社で、近鉄大阪線の真菅駅からすぐのところにある。では、全文を紹介する。

宗我坐宗我都比古神社(橿原市)
飛鳥時代に活躍した豪族、蘇我氏の始祖を祭る宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社(橿原市)は、蘇我氏の本拠地として有力な曽我町に鎮座します。この地の古名は「蘇我」だったとも伝わります。

社伝によると、大和朝廷初期に活躍した武内宿禰(たけのうちのすくね)の第3子、石川宿禰(いしかわのすくね)が大阪河内から移り、姓を蘇我と名乗ったとされます。推古天皇(在位592~628年)の時代、大臣(おおおみ)の蘇我馬子(そがのうまこ)が社殿を造営し、石川宿禰夫妻を祭ったのが神社の起源とされ、祭神は石川宿禰夫妻の宗我都比古大神(そがつひこおおかみ)と宗我都比売大神(そがつひめおおかみ)です。

ここから南東約1.5㌔の橿原市小綱町(しょうこちょう)には、馬子の孫、入鹿(いるか)を祭る「入鹿神社」もあり、「蘇我氏ゆかりの2社」として知られています。645年の乙巳(いっし)の変で入鹿が殺害され、父蝦夷(えみし)も自殺し、蘇我氏の本宗家は滅亡しました。しかし、分家はその後も要職に就き、のちに宗我(そが 蘇我)姓を名乗り、現在、子孫が神官を務めます。

また、祭祀(さいし)組織として一族は「宗我座」を、地域住民は「神町(しんまち)座」「宮座」「宮元座」を作り、今も秋祭り(10月中旬)の祭事の一部を担います。祈年祭(御田祭)は2月中旬、御例祭は10月6日に行われ、本神社は地元から「曽我ンさん」と呼ばれ、親しまれています。(奈良まほろばソムリエの会会員 田村基樹)

(住 所)橿原市曽我町1196
(祭 神)宗我都比古大神、宗我都比売大神
(神 官)蘇我氏の子孫
(交 通)近鉄真菅(ますが)駅から南西すぐ 
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0744-22-6058


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