NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2022.6.16)掲載されたのは〈県中部一の夏祭り/津島神社(田原本町)〉、執筆されたのは同町在住の浦谷大啓(うらたに・ともひろ)さんだった。
※トップ写真は、津島神社拝殿(奥)。境内は夏、「祇園さん」でにぎわう=田原本町で
ここはぎおん祭り(田原本町民夏祭)で知られる。今年のぎおん祭りは、3年ぶりに7月16日(土)と17日(日)に開催されるそうだ。お化け屋敷こそ中止だが、他のイベントはほぼ例年通りだ。チラシを末尾に貼っておく。では記事全文を紹介する。
※3年ぶりのぎおん祭り、7/16(土)は開催されましたが、7/17(日)は中止となりました、残念無念!
津島神社(田原本町)
毎年7月に田原本町で開催される県中部一の夏祭りとされる「祇園さん」。五穀豊穣(ほうじょう)と疫病退散を祈念して江戸時代から続いており、津島神社はその祭礼が盛大に開かれる神社として知られます。
平安時代、荘園管理を行なう寺の鎮守社として祇園社が創建されたと伝わります。社殿の棟札に平安時代後期の1125(天治2)年再建との記録があることから、創建はそれ以前とされます。
江戸時代初期、田原本2代領主、平野長勝は尾張国津島の出身で、津島社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう)を信仰していたとされます。田原本の祇園社の祭神も同じだったことから信仰を深め、毎年米を寄進したと伝わります。
祇園社はその後、石清水八幡宮から八幡神を、春日社(現春日大社)から武甕槌命(たけみかづちのみこと)ほか三神を勧請(かんじょう)して現在の社殿の形が整いました。
津島神社に改称したのは1869(明治2)年。2014(平成26)年までに本殿、拝殿、社務所、戎(えびす)神社、玉垣の修復事業を終え、装いを一新しました。
夏祭りでは、立山や子ども神輿(みこし)が町内を練り、神社隣のイベント広場の舞台では漫才・演劇や、中学校吹奏楽部員による演奏会などが華やかに行われます。(奈良まほろばソムリエの会会員 浦谷大啓)
【メモ欄】
(祭神)素戔嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭天王)、櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)
(住所)田原本町549
(交通)近鉄田原本駅から徒歩約5分
(拝観)境内自由
(駐車場)有(2台)
(電話)0744・32・3914
※トップ写真は、津島神社拝殿(奥)。境内は夏、「祇園さん」でにぎわう=田原本町で
ここはぎおん祭り(田原本町民夏祭)で知られる。今年のぎおん祭りは、3年ぶりに7月16日(土)と17日(日)に開催されるそうだ。お化け屋敷こそ中止だが、他のイベントはほぼ例年通りだ。チラシを末尾に貼っておく。では記事全文を紹介する。
※3年ぶりのぎおん祭り、7/16(土)は開催されましたが、7/17(日)は中止となりました、残念無念!
津島神社(田原本町)
毎年7月に田原本町で開催される県中部一の夏祭りとされる「祇園さん」。五穀豊穣(ほうじょう)と疫病退散を祈念して江戸時代から続いており、津島神社はその祭礼が盛大に開かれる神社として知られます。
平安時代、荘園管理を行なう寺の鎮守社として祇園社が創建されたと伝わります。社殿の棟札に平安時代後期の1125(天治2)年再建との記録があることから、創建はそれ以前とされます。
江戸時代初期、田原本2代領主、平野長勝は尾張国津島の出身で、津島社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう)を信仰していたとされます。田原本の祇園社の祭神も同じだったことから信仰を深め、毎年米を寄進したと伝わります。
祇園社はその後、石清水八幡宮から八幡神を、春日社(現春日大社)から武甕槌命(たけみかづちのみこと)ほか三神を勧請(かんじょう)して現在の社殿の形が整いました。
津島神社に改称したのは1869(明治2)年。2014(平成26)年までに本殿、拝殿、社務所、戎(えびす)神社、玉垣の修復事業を終え、装いを一新しました。
夏祭りでは、立山や子ども神輿(みこし)が町内を練り、神社隣のイベント広場の舞台では漫才・演劇や、中学校吹奏楽部員による演奏会などが華やかに行われます。(奈良まほろばソムリエの会会員 浦谷大啓)
【メモ欄】
(祭神)素戔嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭天王)、櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)
(住所)田原本町549
(交通)近鉄田原本駅から徒歩約5分
(拝観)境内自由
(駐車場)有(2台)
(電話)0744・32・3914