1/2(月)、家内と娘を連れて、瀧谷不動(正式名は瀧谷不動明王寺・大阪府富田林市彼方)にお参りしてきた。日本三不動のひとつとされているが、Wikipediaの「三不動」(日本三大一覧)には《青蓮院の青不動(京都市)、金剛峯寺(高野山)の赤不動(和歌山県伊都郡)、三井寺の黄不動(滋賀県)、瀧泉寺の目黒不動、金乗院の目白不動、南谷寺の目赤不動(いずれも東京)》と6つもあるが、瀧谷不動は入っていない。諸説あるということだろう。
ここは近畿三十六不動尊霊場にも選ばれていて、奈良県下では、宝山寺(生駒市門前町)、如意輪寺(吉野郡吉野町吉野山)、龍泉寺(吉野郡天川村洞川)が入っていた。
Wikipedia「不動明王」には《密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い》。だからお不動さんの寺は、ほとんどが密教寺院である。
境内図(お寺のホームページより)
最寄り駅は近鉄長野線の滝谷不動駅であるが、行きは河内長野駅からタクシー(15分)を使った。奈良市の自宅を出て、近鉄奈良線で難波駅、そこから南海高野線で河内長野駅、というルートである。お正月とあって、車は結構混んでいた。お寺の公式HPによると《当寺は平安時代の弘仁12年(西暦821年)、弘法大師によって開かれました。ご本尊の不動明王と2体の脇侍(2童子立像)は弘法大師のお作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています》。
《もとは、今の境内から南約1㎞の嶽山の中腹にありましたが、室町時代の正平15年(1360年)足利義詮の嶽山城攻めで焼かれ、ご本尊と脇侍がお瀧の下に難をのがれました。その後、寛正四年(1463年)に再び兵火にかかって今の場所に移り、今日に至っています。古来「日本三不動の一」といわれ、俗に「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれ、様々な祈願に多くの方が不思議のご利益をいただかれています》《お不動様のご誓願は、人間の悩みの原因である無明を断ち切って、ほんとうの幸せをおさずけになることにあり、私たちの真心が通ずるならば、どのような願いでも必ず一願は成就するといわれています》。
ここでご祈祷(不動護摩供)をしていただいた。《お護摩(ごま)はインド伝来の密教の秘法で、火を焚いてその中に供物を投げ入れてご本尊を供養し、その加護を願う儀式です。わが国には弘法大師により伝えられました。これを修行して精神の向上につとめ、併せてさまざまな願いの成就を祈るのであります。当山でもご信徒各位の祈願成就のため、護摩供をお勤めしております》。
護摩供の様子(お寺のホームページより)。本堂の中で火が燃え上がるので、驚いた
お寺のHPには隔月で「こころの法話」が載る。「心にあかりを灯す、ためになる法話」とあるとおりのほのぼのとした法話なので、時々拝読している。最新の法話は「新しい年を迎えて」(2011年12月26日)。《明けましておめでとうございます。年が改まり、新たな年となりました。昨年一年間で使い古された魂を新しくする。「年があらたまる」の「あらたまる」は、「新しい魂」という意味でもあります。年が明けて新しい魂をいただく。そのために初詣に行くわけです》。
《地方によっては、お正月にいただくお雑煮のお餅が丸いのは、お餅を魂に見立てているそうです。また、誰もが幼い頃に楽しみにしたお年玉。この「玉」も元々は魂を意味しています。その年の魂をいただくからお年玉。いつの頃からか、お年玉は金銭になっていったようです。魂をいただき、魂を新しくしてこの一年を過ごす。古くなった魂を、新しい魂に入れ変える。何だか面白い話です。初日の出を拝み、お寺や神社にお参りしてこの一年が善かれと祈る。新しい魂が少しでもすり切れないよう、今年もお不動さまのご利益をいただいて、あなたの魂をいつも清らかにして下さい》。
滝谷不動駅(近鉄長野線)
帰り道、徒歩でお寺から坂道を下りると、20分ほどで滝谷不動駅に着いた。ここからはすべて近鉄を使い、古市、橿原神宮前、大和西大寺と帰ってきた。富田林の辺りで、大阪側から眺める二上山も珍しかった。
お不動さんはめらめらと燃える炎をバックに、忿怒(ふんぬ)の形相でにらみつけておられる。だからそのパワー(法力)も相当なものなのだろう、すっかり元気をいただいて帰ってきた。大阪府とはいっても、富田林市は金剛山地のすぐ西側である。皆さんもぜひいちどお参りされ、パワーをいただいてください。
ここは近畿三十六不動尊霊場にも選ばれていて、奈良県下では、宝山寺(生駒市門前町)、如意輪寺(吉野郡吉野町吉野山)、龍泉寺(吉野郡天川村洞川)が入っていた。
Wikipedia「不動明王」には《密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い》。だからお不動さんの寺は、ほとんどが密教寺院である。
境内図(お寺のホームページより)
最寄り駅は近鉄長野線の滝谷不動駅であるが、行きは河内長野駅からタクシー(15分)を使った。奈良市の自宅を出て、近鉄奈良線で難波駅、そこから南海高野線で河内長野駅、というルートである。お正月とあって、車は結構混んでいた。お寺の公式HPによると《当寺は平安時代の弘仁12年(西暦821年)、弘法大師によって開かれました。ご本尊の不動明王と2体の脇侍(2童子立像)は弘法大師のお作と伝えられ、国の重要文化財に指定されています》。
《もとは、今の境内から南約1㎞の嶽山の中腹にありましたが、室町時代の正平15年(1360年)足利義詮の嶽山城攻めで焼かれ、ご本尊と脇侍がお瀧の下に難をのがれました。その後、寛正四年(1463年)に再び兵火にかかって今の場所に移り、今日に至っています。古来「日本三不動の一」といわれ、俗に「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれ、様々な祈願に多くの方が不思議のご利益をいただかれています》《お不動様のご誓願は、人間の悩みの原因である無明を断ち切って、ほんとうの幸せをおさずけになることにあり、私たちの真心が通ずるならば、どのような願いでも必ず一願は成就するといわれています》。
ここでご祈祷(不動護摩供)をしていただいた。《お護摩(ごま)はインド伝来の密教の秘法で、火を焚いてその中に供物を投げ入れてご本尊を供養し、その加護を願う儀式です。わが国には弘法大師により伝えられました。これを修行して精神の向上につとめ、併せてさまざまな願いの成就を祈るのであります。当山でもご信徒各位の祈願成就のため、護摩供をお勤めしております》。
護摩供の様子(お寺のホームページより)。本堂の中で火が燃え上がるので、驚いた
お寺のHPには隔月で「こころの法話」が載る。「心にあかりを灯す、ためになる法話」とあるとおりのほのぼのとした法話なので、時々拝読している。最新の法話は「新しい年を迎えて」(2011年12月26日)。《明けましておめでとうございます。年が改まり、新たな年となりました。昨年一年間で使い古された魂を新しくする。「年があらたまる」の「あらたまる」は、「新しい魂」という意味でもあります。年が明けて新しい魂をいただく。そのために初詣に行くわけです》。
《地方によっては、お正月にいただくお雑煮のお餅が丸いのは、お餅を魂に見立てているそうです。また、誰もが幼い頃に楽しみにしたお年玉。この「玉」も元々は魂を意味しています。その年の魂をいただくからお年玉。いつの頃からか、お年玉は金銭になっていったようです。魂をいただき、魂を新しくしてこの一年を過ごす。古くなった魂を、新しい魂に入れ変える。何だか面白い話です。初日の出を拝み、お寺や神社にお参りしてこの一年が善かれと祈る。新しい魂が少しでもすり切れないよう、今年もお不動さまのご利益をいただいて、あなたの魂をいつも清らかにして下さい》。
滝谷不動駅(近鉄長野線)
帰り道、徒歩でお寺から坂道を下りると、20分ほどで滝谷不動駅に着いた。ここからはすべて近鉄を使い、古市、橿原神宮前、大和西大寺と帰ってきた。富田林の辺りで、大阪側から眺める二上山も珍しかった。
お不動さんはめらめらと燃える炎をバックに、忿怒(ふんぬ)の形相でにらみつけておられる。だからそのパワー(法力)も相当なものなのだろう、すっかり元気をいただいて帰ってきた。大阪府とはいっても、富田林市は金剛山地のすぐ西側である。皆さんもぜひいちどお参りされ、パワーをいただいてください。
> 不動明王の正式名称は 大日大聖不動明王です
Wikipediaによりますと「大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる」とありましたので、その旨、追記させていただきました。