
《復元展示されている東大寺の七重塔の相輪=奈良市》
産経新聞奈良版に好評連載中の「なら再発見」、今日(11/17)のテーマは、東大寺七重塔、執筆者は「奈良まほろばソムリエ友の会」の石田一雄さん(奈良市在住)である。写真は七重塔の相輪。大阪万博に登場した古河パビリオン(東大寺七重塔)の相輪で、大仏殿の前から二月堂に上る道にある。記事全文を紹介する。
奈良市の奈良公園を代表する高い建物といえば、高さ約50メートルの興福寺五重塔だろう。特に猿沢池から見上げる五重塔は、絶景といえる。
かつて東大寺にも、高さ100メートルの東西2つの七重の塔があったという。大仏殿の東西に塔がそびえる様子は、大仏殿内にある創建当初の境内を示す伽藍(がらん)模型でも知ることができる。
2つの塔の跡は現存しており、南大門をくぐって大仏殿に向かう参道に対して、左右対称の位置にある。
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参道は、白蛇川という小川沿いの東西の道と交差する。川沿いを東へ緩やかな坂道を上ると、芝生がこんもりと盛り上がった場所がみえる。これが東塔跡だ。登ると四角形の台地になっている。礎石はないが、この上に七重塔が建っていた。
一方、西塔跡は、白蛇川沿いを西へ下ると東大寺福祉療育病院が見えるが、その反対側の駐車場の奥にある。
大仏開眼は752年だが、両塔の完成は764年頃と伝えられる。
西塔は934年に落雷で焼失し、再建されなかった。東塔は1180年、平重衡(たいらのしげひら)の焼き打ちで焼失した後、一度再建されたが、落雷で再度焼失したとされる。
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ところが約40年前、高さ86メートルの七重塔が“復活”した。昭和45年の大阪万博のパビリオンで、東大寺の七重塔が復元されたのだった。
コンセプトは「古代の夢と現代の夢」。未来の世界をイメージしたパビリオンが立ち並ぶ中、この古代の復元建物は注目を集めた。
パビリオン内では「東大寺七重の塔とコンピュートピア」として、国産コンピューターを使った音楽ショーやテレビ電話コーナーなどが公開された。
再現された七重の塔の最上階にはエレベーターで上がり、展望回廊から万博会場を見渡すこともできた。
その七重塔最上部の相輪(そうりん)部は万博終了後、東大寺に寄贈された。東大寺境内の手向山八幡宮の鳥居近くに、金色に輝く相輪が見える。これが復元された相輪で、高さは23.3メートルある。
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平成22年4月、東大寺は東塔再建に向けて、塔跡の発掘調査を始めると発表した。
その後の地中レーダー探査で、塔を囲む回廊の四方にあった門のうち、3か所の遺構が確認されている。
東塔跡の周辺は、東大寺境内でも桜や紅葉のきれいなエリア。東塔跡で季節の木々をめでながら、七重塔がそびえたつ姿を想像してみてはいかがだろう。(奈良まほろばソムリエ友の会 石田一雄)
東大寺七重塔(東塔)再建のニュースは、私の記憶にも新しい。47NEWS(共同通信 10.4.2付)《「七重の東塔」再建に向け発掘へ 東大寺、過去2回焼失》によると《東大寺(奈良市)は2日、過去2回焼失した七重の東塔を再建するために、塔跡の発掘調査を近く始めると発表した。第220世の別当(住職)に来月1日就任する北河原公敬氏が記者会見で明らかにした。奈良時代の創建当初の東大寺では大仏殿をはさんで東西塔が並び立っており、高さはいずれも100メートル程度だったとされる》。
《東大寺によると東塔は1180年の南都焼き打ちで焼失。鎌倉時代の1227年に再建されたが、1362年に落雷で再び焼失。現在は基壇の跡だけが残っている。東塔跡の本格的な発掘調査は初めてで、依頼する研究機関は検討中。調査に基づいて建物の規模や構造を推定し、再建が可能であれば勧進で寄付を募りたいとしている。北河原氏は「先代たちが残してくれた寺宝を守るだけでなく、私たちの代で復興したものを後世に伝えていきたい」と話した》。
総工費がいくらになるのか見当もつかないが、東塔ができれば新しい奈良のシンボルになることは間違いない。石田さん、良い記事を有難うございました!


相輪の眩しさが「将来は必ず七重塔を復元する」、という意思を示している印象であの大仏殿脇は特別な雰囲気ですね。
今では幻の七重塔ですが残っている絵などからするとまさに奈良のスカイライン要となっていたシンボルタワーだった雰囲気です。
仏都であり歴史遺産都市であり観光都市でもある奈良にはやはり景観上、強烈なシンボル軸が必要です。
若草山、大仏殿、興福寺塔と共にセットとして、その究極の要として東大寺七重塔はなくてはならない存在かと思います。
東京にはスカイツリーがあり、パリにエッフェル塔があり、プラハにプラハ城塔があり、ディズニーランドにはシンデレラ城塔がありますが人を呼ぶ磁場としての塔の存在意義ははかり知れません。
県内の多くの寺社に塔が残っている中、最大の東大寺に塔ががないのは誠に残念なことです。
仏都奈良としての本来の姿に回帰するために、また、観光の観点ではサプライズな景観のためにも100M超の七重塔復元は奈良にとって最重要悲願ではないでしょうか。
構造上、逓減、バランスなど詰めないといけないポイントも多いかと思いますが現代の日本の英知を結集して究極の古代建築復元を達成したいものです。
> 奈良にはやはり景観上、強烈なシンボル軸が必要です。若草山、大仏殿、興福寺塔と
> 共にセットとして、その究極の要として東大寺七重塔はなくてはならない存在かと思います。
その通りです。大仏殿の横にそびえる七重塔は、想像するだけでワクワクします。ぜひ実現していただきたいです。