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田中利典師の「修験道といま(3)山修行」(読売新聞)

2023年09月05日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「修験道といま(3)山修行」(師のブログ 2013.7.13 付)、2008年8~9月に読売新聞夕刊に連載されたエッセイの第3回である。ここに興味深い話が登場する。師がアーユルヴェーダ(インドの伝統的医学)を学んだとき、「毎日、陽が沈む頃に、必ずじっと夕陽を見つめなさい」と教わったそうだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28)

日没という自然現象を目にすることで、人間もまた自然の一部として生きていることが実感できるのだという。四天王寺の日想観(じっそうかん=彼岸の中日に落日を見て極楽浄土を観想する)に似ていて、興味深い。では、全文を以下に紹介する。

「修験道といま(3)山修行」

私の盟友・宗教学者の正木晃氏が提言している賞味期限が残った21世紀型の宗教の要件とは、次の5つに集約される。1つは自然と関わっている。2つは参加型。3つ目は実践型。4つ目は心と体に関わっていること。5つ目は統括的…逆の言葉で言うと排他的でないこと。

この5つだが、修験道はその全ての条件を満たしている数少ない日本の宗教だと氏は絶賛する。おもはゆい気持ちもあるが、私もその気になっている。とりわけ自然との関わりが深い宗教というなら、修験道は一番であろう。

修験道は日本古来の山岳宗教に神道や外来の仏教、道教などが習合して成立した日本独自の民俗宗教であると説明されるが、その基盤は山岳信仰にある。大自然の中に分け入り、神仏を隔てなく拝み、大自然と一体になる宗教。山に伏し野に伏して修行するから山伏と呼ばれ、大自然を道場にするという、自然との関わりこそがその生命なのである。

私は先年、インド医学のルーツともいうべきアーユルヴェーダを学んだ。そのときアーユルヴェーダの博士に「毎日必ず陽が沈む頃にじっと夕陽を見つめなさい」と教えられたことがある。最初意味がわからなかったが、ずっと見つめているとそのうち氷解した。落日の夕陽とは一日の終わりを告げている。夕闇に染まる太陽は自然の大いなる運行を教え、人間もまた自然の一部として生きていることを実感させてくれるのである。自然と切れてはいけないとアーユルヴェーダは教えているのだ。

逆に現代社会は自然ととうに切れている。自然の一部である存在を忘れ、人間中心に生きているのが都会の生活なのではないだろうか。もう何年も夕陽を見つめたことのない人ばかりが暮らす街…それが大都会だろう。

蓮華入峰に参加した統合失調症の青年が「最初来たときは歩く自信などぜんぜんなかったのに、途中で絶対帰ってはいけない、絶対帰ってはいけないと山に言われているような気がして、とうとう最後まで歩き通すことが出来ました」と自慢げに話していた。正に山修行の自然力に触れたから、修行をやり遂げたのだろう。

統合失調症も引きこもりも、都会の疎外された生活が生んだ現代病である。もちろんさまざまな原因はあろうが、自然との関係を取り戻すとき、その多くの患いは癒される。それも山岳信仰の持つ大きな力であると思っている。
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