tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の『霊山へ行こう』(17)修行に「日常」を持ち込んではいけない

2023年03月18日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は以前、『霊山へ行こう』という対談本を準備されながら、上梓されなかった。利典師はその原稿(自らの発言)に大幅に加筆され、Facebookに17回にわたり連載された(2023.1.21~2.10)。心に響く良いお話ばかりなので、当ブログで紹介させていただいている。
※トップ写真は大和郡山市・椿寿庵のツバキ(2010.2.6 撮影)

いよいよ今回は最終回、タイトルは「結び:諸縁を捨てる」。しかしこの回は、今年書き足された「おまけ」なのだそうだ。だから、とても力が入っている。のちに「大行者」となったRさんは初回の奥駈修行では、宿で株取引を指示していた、という「トホホ」な話が紹介されている。では師のFacebook(2/10付)から、全文を紹介する。

シリーズ「山人vs楽女/結び:諸縁を捨てる」⑰
著作振り返りシリーズの第6弾の最終稿です。諸般の事情で上梓されなかった対談書籍の下書きの、私の発言部分を大幅に加筆して、掲載し続けてきました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。最後は、まあ、おまけを書き足しました。みなさまのご感想をお待ちしております。

**************

「結び:諸縁を捨てる」
とても生きにくい時代を今の私たちは生きています。人間性というか、心の平安を脅かされる毎日を生きている、といっても過言ではありません。

大自然の運行から隔絶され、自分たちの「我欲」だけを優先することをよしとする現代社会。人を蹴落とし、家畜や自然を食い散らかし、ものの豊かさのみをもとめて、心が病んでしまうような世界と言うべきか。SDGsとか環境保全とか、実のない虚言ばかりに魂が惑わされています。いやですよねえ。

ですから、せめてたまには「魂を清めに山に来て修行して下さい」という思いで本文を書き綴りました。この稿⑰のところはおまけで、2023年の今日、書いています。

なにせ元原稿が力不足な文章なので、伝えたいことをうまく書けていないかもしれません。加えて、楽女先生との対談なので、先生とのやりとりで話が深まっていくという内容なのですが、ここでは私の文言だけしか掲載していませんから、十分にはお伝えきれないことがたくさんありました。ちょっと残念です。20年前、出版されていたら、それなりに意味があった本になっていたと確信しています。

その分、私の言うべき世界のみを大幅に加筆しています。山の修行の醍醐味や有効性については熱く語れたと思いますし、読んで頂いた方には少し届いたのではないかと思います。ただし、私の悪い癖で、ついつい近代的自我とか、近代合理主義うんぬんなどと小難しいことも呟いてしまいました。自分では、そこ、好きなんですよね。

でも大事なことなのですが、現代社会は、まるで神からも仏からも見放されつつある現状ながら、山の修行を通じて、神仏は等しく迎えてくれはりますから、まずそこから神仏を取り戻しましょうよと、山伏の私は言いたかったのです。

最後にもうひとつ、言い忘れたことがあります。行にはいる時の基本の心得として、「山に入らせていただく、山を歩かせていただく」という話を冒頭の稿で綴っていますが、それとは別に、山での修行で、もうひとつ大事なことを書き忘れていました。

それは「修行では所縁を捨てる」ということです。どの修行でもそうなのですが、「日常」(自分の都合)を修行に持ち込んでは修行にはならない、ということです。都会の論理、自分の論理を捨てて、山の論理、行の論理で行ずる、ということなのです。

もう亡くなった奥駈仲間で親友R氏は初めて奥駈に来たとき、毎日毎日、宿に着く度に自分の会社に電話して、株の取引の指示をしていました。「ばかもーん」という話です(笑)。その彼も行を終えて、そこでようやく気づいたようで、翌年からはすっぱり、株のことは奥駈中はやめていました。

彼はそれから25年ほど、奥駈に来て、総奉行を担う大行者になりましたが、お行に入る心構えというのは最初はなかなかわからないものなのですよね。行を重ねる中で、行をするっていうことの本当の意味に彼は出会ったのだと思います。前稿で「奥駈病」という話を紹介しましたが、私が「奥駈病やな」と名付けた最初の行者が彼でした。

諸縁を捨てて、行ずる…とても肝心なことです。山伏達は、在家行者でいわゆる優婆塞。社会でのたくさんの繋がりを大切にしつつ、自分の修行にも邁進します。でも、修験のお行は在家も出家も別はなく、同等に行じますが、どちらにしろ、行のときは諸縁を捨てて行ずるのが基本なのです。

だからこそ、大会社の社長さまであろうが、幹部であろうが、ひら社員であろうが、大工さんもお百姓さんも公務員も鍼灸師もアーティストも大学の先生も、みんな一緒になって、同じ道を同じように歩くことが出来るのです。だから山の修行は素晴らしい…。これを最後のまとめとします。

***************

私は5歳で大峯に登り、山上ヶ岳には112度、25歳から入った奥駈修行は17度、金峯山寺の正式入峰「蓮華入峰修行」には28度と山修行を重ね、まさに大峯に育てて頂いた行者人生でした。へなちょこ山伏でしたが、なんとか、ここまで山伏を続けさせて頂き、たくさん学び、教えて頂き、鍛えて頂きました。

そんな私の立場からお話しする「霊山へ行こう」という内容の対談本が企画され、じつは吉野で二度にわたり、楽女先生と書籍のための対談をしたのでした。最終的に上梓されることなく、ながいこと、お蔵入りのままでした。

今回は意を決して、私の当時の心情を吐露する形で、著作振り返りシリーズの第6弾として、認(したた)めさせていただきました。拙い文章に長らくお付き合いいただいたみなさまに感謝申し上げます。けっこう書きごたえ、なおしごたえがある毎日でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 法隆寺の特設ステージで野外... | トップ | 蹴抜塔(気抜けの塔)が残る... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

田中利典師曰く」カテゴリの最新記事