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田中利典師曰く「今日が人生最後の日だと思って、真剣に生きる」

2023年05月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「真剣な生活」(2010.9.18)だ。これは珍しく書き下ろしではなく、ブログ「伊勢―白山 道」の「真剣な生活は凄い気付きに」(2010.9.17)からの抜粋である。
※トップ写真は、吉野山奥千本の桜(2023.3.31 撮影)

90歳近い老人は数年間、都会に暮らす息子の家で住んでいたが、息苦しくなり住み慣れた村に戻った。〈コケるだけで、そのまま死んでしまうかも知れません。注意しながら、今日が最後になるかも知れない一日一生な生活が始まりました〉。そんな真剣な生活を過ごすうちに「生きているだけでも有り難い」と思うようになる…。では全文を紹介する。

こんなのを見つけました。朝から目から鱗の文章でした。転記します。

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「真剣な生活は凄い気付きに」
ある廃村になりつつある集落に、1人で住む老人の話を知りました。90歳に近い老人は、数年前まで都会に暮らす息子の家に、数年間だけ住んでいました。本当は、息子の家が在る都会で自分の死を迎えるのが、家族にも迷惑が掛からずに自分にも最良だと思っていました。

しかし都会では、外をトボトボと歩けば自動車が危ないし、大好きな畑仕事も出来ませんでした。家にこもってテレビを見ても、もう視力と聴力が衰えていて意味が分からず、まったく面白くなかったのです。1日中、部屋にいるだけで、考え出すことは早く死ぬことばかりと成ってしまいました。もう、これでは嫌だとなり、死を覚悟して家族の反対を押し切って、1人で寒村へと戻られたそうです。

それから、老人の真剣な生活が始まりました。とにかく誰もいないのですから、コケるだけで、そのまま死んでしまうかも知れません。注意しながら、今日が最後になるかも知れない一日一生な生活が始まりました。

毎朝、日の出と共に起床し、今日は何を食べるかを考えることから始まります。朝食を食べ終わると部屋掃除をし、今度は昼飯の準備です。昼飯が終わると、今度は大切な食料を作る畑仕事です。そして、夕方に成ると木を燃やして風呂を準備し、夕食を食べると、もう疲れはててバタンキューです。

テレビを見ても聞こえないし、誰とも会えないのですから、自分の生活だけを真剣に見つめておられます。老人は、この生活が「最高に楽しくて仕方が無い」と明るく言います。

毎日、自分の死を覚悟して見つめて生きていますと、朝に目が覚めると「ああ今日も生きているのか。有り難いことだ」と心から思うそうです。そして、外の畑や山々の景色が、本当に光り輝いているのが薄い視力で分かるそうです。

老人の生活自体が「禅」であり、働きながら本当の瞑想をしている状態と成るのです。金を徴収して、「わざわざ座る形」の瞑想は、ただのヒマ人の道楽に過ぎません。座ろうと「する」時点で、本当の瞑想から外れています。魔境にしか行けません。

「生きているだけでも有り難い」と、真から思えるように成りますと、人間は精霊の気配を感じ始めます。そして、他人からの弱い思いの電波にも、思いやりからの理解をする事が出来るのです。これがカンナガラ(神と共に生きること)な生活をさせ、無難に生きて行くことを可能とさせます。

つまり、「生きられるのがアタリマエだ」なんて慢心した心では、正しく色々な気配にも気付くことが出来ないのです。そして、不満な状態へと自ら選択して進む事と成ります。

雑多な都会の中でも、「生かして頂いて ありがとう御座います」の視点で、生きることが出来れば最高です。綺麗な自然のおぜん立てが無くても、汚れた雑多な中でも「意識」出来ることが尊く、深い気付きへと導かせます。生かして頂いて、ありがとうございます。

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ホントにそう思いますね。ありがとうございます。
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