故・谷井友三郎氏をご存じだろうか。三条通の奈良市角振町で「シネマデフプト友楽」を営む(株)友楽の前身、谷井興業(株)の創業者で、奈良の興行界をリードされた方だ。増尾正子さんの「奈良観光の振興に寄与し、市民の心に娯楽の灯火を点された谷井友三郎氏」(奈良の昔話)によると、
http://www.mynara.co.jp/1DPic/d2-140.html
《三条通りに面して友楽会館ビル(注:現在のシマデプト友楽)が建っている。谷井興業株式会社の創始者で、この会館ビルを建てられた谷井友三郎氏は、明治三十四年(一九○一)二十世紀始めの年に、奈良市京終町の藤井勇吉氏の七男として誕生された。若くして谷井家を継ぎ、奈良の名産品の行商をしたり、藤井家のお兄さん達と力をあわせて、各地で開かれる博覧会には、奈良館を設けて奈良の紹介につとめられた》。

谷井友三郎氏の生家(近鉄不動産のホームページより。以下同じ)
《戦後は進駐軍によって中止を命じられた「春日若宮おん祭」を、私費を投じて継続されたそうである。昭和二十三年九月六日、当時、民主党総裁であった芦田均首相が、奈良へ演説に来られた時、谷井邸が宿泊所となった。当時、谷井さんが住んでおられたのは、もと、六十八銀行頭取の島田家のお屋敷で、江戸時代は油屋をしておられたそうだ》《(今は、そのお屋敷もとりこわされて友楽会館ビルになっている。)昭和二十九年には下三条町に、お芝居と映画を上映できる友楽座を開館されて、長谷川一夫さんが柿落とし(こけらおとし)に、たしか連獅子を舞われたと思う》。六十八銀行は、南都銀行の前身銀行の1つである。島田家は、現・南都銀行本店(奈良市橋本町16)の真向かいにあったわけだ。

《昭和三十五年(一九六○)は、奈良遷都一二五○年の記念すべき年に当たるので、春日野グランドに神殿を設け 奈良七重 七堂伽藍 八重桜(注:江戸時代の俳句)と後世まで歌われるような、輝かしい文化の華を咲かされた。奈良時代の七代の天皇や、祖先達に感謝を捧げて、御冥福を祈り、将来の発展に加護賜るよう祈願して、市民と共に六日間にわたる盛大な祝賀行事が行われた》。
※平城遷都1250年(鹿鳴人さんのブログ)
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_436b.html
《また、市会議員・県会議員、奈良市観光協会会長(注:現会長はご子息の谷井勇夫氏)などを歴任され、奈良の文化財の保護、年中行事の復興などにつとめられた。一方、猿沢池畔にお祀りされている采女様の故郷の福島県郡山市、お水取りでご縁の深い福井県の小浜市、文化交流の深かった韓国の慶州と姉妹都市関係を結び、相互の親善と発展に貢献された。昭和四十五年(一九七○)には、当時、奈良では珍しかった五階建てで展望台を持つ友楽会館ビルが竣工した。柿落しには、やはり長谷川一夫さんが来られて、鏡獅子を舞われ、大好評であった》。

そんな谷井友三郎氏の生家が売りに出ているという。場所はならまち界隈(奈良市北京終町)である。泉鏡花賞作家でならまちにお住まいの寮美千子さんが、ご自分のホームページ(HARMONIA:時の破片)やmixiの日記に書いておられる。以下、mixiの「町家を救え!」から引用させていただく。
《奈良の映画界をリードした著名な興行師・谷井友三郎氏の生家である北京終町の町家が売りに出ている。わが家のすぐそば、前から気になっていたきれいな町家なので、見に行った。町家の定番で、通りに面した部分はそんなに広くない。しかし、奥にずっと続いている。百坪を越える長細い敷地。玄関を入ると、昔ながらの土間が奥に続き、そこは吹き抜けの空間。古いカマドがそのままあるのには驚いた。これなら、薪でご飯を炊くこともできる》。
※近鉄不動産の当物件紹介サイト
http://www.kintetsu-re.co.jp/chukai/search/Detail_Bukken.cgi?mode=&bknno=3090176
《土間を抜けると、小さな空間があり、井戸があった。この井戸も生きている。
石灯籠のある坪庭もあり、渡り廊下があり、その奥に隠居部屋のような小部屋があり、さらにその奥には60坪の庭!建物の延べ面積は130平米を越える。りっぱな梁のある、しっかりと作られた、すばらしい町家だ。3680万円。東京でマンションを買うことを考えたら、安い》。
※福屋工務店のサイトにも売却情報が出ている
http://www.fukuya-k.co.jp/bukken/20000297511?sessionid=a1a1bfc323b4000dd78baae695a2c5a37a4ba061

《その界隈には立派な町家が軒を並べている。そのなかの1軒だ。不動産屋に聞くと、ご近所の資産家が、これを買って「更地」!にしようとしているという。更地だよ、更地!文化遺産とも呼べるほど立派な町家を更地にして、玩具のような小さな建て売りを3軒ほど建てようという計画だそうだ。なんてことだ!》
《だれか、買う人いないかな。昔ながらのしっかりした典型的町家。場所も奈良町エリア。これから発展が見込める京終地区だ。町家のまま改装して使いたい人、いないだろうか。家のなかには「もう捨てる」という荷物が散乱していた。東大寺の二月堂机もあった。印判の皿も、古い着物も、タンスも、いろいろあったけれど、
このままではおそらく、解体の時にいっしょに壊されてしまうのだろう。谷井友三郎氏の生家でさえ、こんな憂き目に遭う日本。なにかが間違っている。間違ってきたんだ。なんとかしたい》。

《この家は、行きつけのハギハラ酒店のはす向かいの家だ。ハギハラのおじさんは、町の名士。「ぜひ、あの町家を残してほしい」と語っていた。これだけの立派な町家、時間さえかければ、町家として再利用しようという人も現われるだろう。売り主の方が、そう思ってくれればいいのだけれど、そうもいかないらしい。ハギハラのおじさんに「あんたが来てくれたらええ」と言われたけれど、先立つものが……。うーむ》。
《いま、知合い系あちこちに情報を回しています。町家を探している人って、世の中には、いると思うんだけど、どうしたらその人々にアクセスできるんだろう?だれか、ご存じの方、お教えください。とりあえず、不動産屋さんには、町の人が、ぜひこの町家を残してほしいと思っていること、いま、必死で町家をほしい人を探していること、伝えました。売り主さんに、ぜひお伝えください、と。不動産屋さんは「もともと更地にして売ろうと思っていた土地でしたからねえ」とのこと。やれやれ。北京終地区は、奈良町の延長にある町。「町家ゲストハウスならまち」もオープンして、盛り上がってきたところです。レストランでもできてくれれば、うれしいんだけどなあ》。
※奈良の町家を救え!(HARMONIA:時の破片)
http://ryomichico.net/diary/2009/12/index.html#d000651
こんな立派な町家を更地にされては、奈良県民の文化度が問われてしまう。東洋文化研究家であるアレックス・カー氏の「日本人に愛情がなくなってしまった。自分たちの国土、山、川、水、木、葉っぱ、町並み、すべてに対して」という言葉が思い浮かんでくる。
この町家は、レストランや民宿にして残せば、ならまち、ひいては奈良の観光振興につながること請け合いである。何しろ売り物件は、奈良観光振興の恩人の生家なのである。これを壊して建売住宅を建てるとは、悪い冗談としか思えない。ブログ読者の中に、志ある方はいらっしゃらないだろうか。
http://www.mynara.co.jp/1DPic/d2-140.html
《三条通りに面して友楽会館ビル(注:現在のシマデプト友楽)が建っている。谷井興業株式会社の創始者で、この会館ビルを建てられた谷井友三郎氏は、明治三十四年(一九○一)二十世紀始めの年に、奈良市京終町の藤井勇吉氏の七男として誕生された。若くして谷井家を継ぎ、奈良の名産品の行商をしたり、藤井家のお兄さん達と力をあわせて、各地で開かれる博覧会には、奈良館を設けて奈良の紹介につとめられた》。

谷井友三郎氏の生家(近鉄不動産のホームページより。以下同じ)
《戦後は進駐軍によって中止を命じられた「春日若宮おん祭」を、私費を投じて継続されたそうである。昭和二十三年九月六日、当時、民主党総裁であった芦田均首相が、奈良へ演説に来られた時、谷井邸が宿泊所となった。当時、谷井さんが住んでおられたのは、もと、六十八銀行頭取の島田家のお屋敷で、江戸時代は油屋をしておられたそうだ》《(今は、そのお屋敷もとりこわされて友楽会館ビルになっている。)昭和二十九年には下三条町に、お芝居と映画を上映できる友楽座を開館されて、長谷川一夫さんが柿落とし(こけらおとし)に、たしか連獅子を舞われたと思う》。六十八銀行は、南都銀行の前身銀行の1つである。島田家は、現・南都銀行本店(奈良市橋本町16)の真向かいにあったわけだ。

《昭和三十五年(一九六○)は、奈良遷都一二五○年の記念すべき年に当たるので、春日野グランドに神殿を設け 奈良七重 七堂伽藍 八重桜(注:江戸時代の俳句)と後世まで歌われるような、輝かしい文化の華を咲かされた。奈良時代の七代の天皇や、祖先達に感謝を捧げて、御冥福を祈り、将来の発展に加護賜るよう祈願して、市民と共に六日間にわたる盛大な祝賀行事が行われた》。
※平城遷都1250年(鹿鳴人さんのブログ)
http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_436b.html
《また、市会議員・県会議員、奈良市観光協会会長(注:現会長はご子息の谷井勇夫氏)などを歴任され、奈良の文化財の保護、年中行事の復興などにつとめられた。一方、猿沢池畔にお祀りされている采女様の故郷の福島県郡山市、お水取りでご縁の深い福井県の小浜市、文化交流の深かった韓国の慶州と姉妹都市関係を結び、相互の親善と発展に貢献された。昭和四十五年(一九七○)には、当時、奈良では珍しかった五階建てで展望台を持つ友楽会館ビルが竣工した。柿落しには、やはり長谷川一夫さんが来られて、鏡獅子を舞われ、大好評であった》。

そんな谷井友三郎氏の生家が売りに出ているという。場所はならまち界隈(奈良市北京終町)である。泉鏡花賞作家でならまちにお住まいの寮美千子さんが、ご自分のホームページ(HARMONIA:時の破片)やmixiの日記に書いておられる。以下、mixiの「町家を救え!」から引用させていただく。
《奈良の映画界をリードした著名な興行師・谷井友三郎氏の生家である北京終町の町家が売りに出ている。わが家のすぐそば、前から気になっていたきれいな町家なので、見に行った。町家の定番で、通りに面した部分はそんなに広くない。しかし、奥にずっと続いている。百坪を越える長細い敷地。玄関を入ると、昔ながらの土間が奥に続き、そこは吹き抜けの空間。古いカマドがそのままあるのには驚いた。これなら、薪でご飯を炊くこともできる》。
※近鉄不動産の当物件紹介サイト
http://www.kintetsu-re.co.jp/chukai/search/Detail_Bukken.cgi?mode=&bknno=3090176
《土間を抜けると、小さな空間があり、井戸があった。この井戸も生きている。
石灯籠のある坪庭もあり、渡り廊下があり、その奥に隠居部屋のような小部屋があり、さらにその奥には60坪の庭!建物の延べ面積は130平米を越える。りっぱな梁のある、しっかりと作られた、すばらしい町家だ。3680万円。東京でマンションを買うことを考えたら、安い》。
※福屋工務店のサイトにも売却情報が出ている
http://www.fukuya-k.co.jp/bukken/20000297511?sessionid=a1a1bfc323b4000dd78baae695a2c5a37a4ba061

《その界隈には立派な町家が軒を並べている。そのなかの1軒だ。不動産屋に聞くと、ご近所の資産家が、これを買って「更地」!にしようとしているという。更地だよ、更地!文化遺産とも呼べるほど立派な町家を更地にして、玩具のような小さな建て売りを3軒ほど建てようという計画だそうだ。なんてことだ!》
《だれか、買う人いないかな。昔ながらのしっかりした典型的町家。場所も奈良町エリア。これから発展が見込める京終地区だ。町家のまま改装して使いたい人、いないだろうか。家のなかには「もう捨てる」という荷物が散乱していた。東大寺の二月堂机もあった。印判の皿も、古い着物も、タンスも、いろいろあったけれど、
このままではおそらく、解体の時にいっしょに壊されてしまうのだろう。谷井友三郎氏の生家でさえ、こんな憂き目に遭う日本。なにかが間違っている。間違ってきたんだ。なんとかしたい》。

《この家は、行きつけのハギハラ酒店のはす向かいの家だ。ハギハラのおじさんは、町の名士。「ぜひ、あの町家を残してほしい」と語っていた。これだけの立派な町家、時間さえかければ、町家として再利用しようという人も現われるだろう。売り主の方が、そう思ってくれればいいのだけれど、そうもいかないらしい。ハギハラのおじさんに「あんたが来てくれたらええ」と言われたけれど、先立つものが……。うーむ》。
《いま、知合い系あちこちに情報を回しています。町家を探している人って、世の中には、いると思うんだけど、どうしたらその人々にアクセスできるんだろう?だれか、ご存じの方、お教えください。とりあえず、不動産屋さんには、町の人が、ぜひこの町家を残してほしいと思っていること、いま、必死で町家をほしい人を探していること、伝えました。売り主さんに、ぜひお伝えください、と。不動産屋さんは「もともと更地にして売ろうと思っていた土地でしたからねえ」とのこと。やれやれ。北京終地区は、奈良町の延長にある町。「町家ゲストハウスならまち」もオープンして、盛り上がってきたところです。レストランでもできてくれれば、うれしいんだけどなあ》。
※奈良の町家を救え!(HARMONIA:時の破片)
http://ryomichico.net/diary/2009/12/index.html#d000651
こんな立派な町家を更地にされては、奈良県民の文化度が問われてしまう。東洋文化研究家であるアレックス・カー氏の「日本人に愛情がなくなってしまった。自分たちの国土、山、川、水、木、葉っぱ、町並み、すべてに対して」という言葉が思い浮かんでくる。
この町家は、レストランや民宿にして残せば、ならまち、ひいては奈良の観光振興につながること請け合いである。何しろ売り物件は、奈良観光振興の恩人の生家なのである。これを壊して建売住宅を建てるとは、悪い冗談としか思えない。ブログ読者の中に、志ある方はいらっしゃらないだろうか。
もちろん発起人の信用も大事なのですが。
ちょっと気になるのは立地が循環道路の外側、かなあ。
ちなみに家屋はしっかりしているとのことです。
過去に取り壊された物件は、シロアリの被害が酷く、どうにもならなかったそうですが、今回はそういう心配はないようです。
このエントリを読んでいるブロガーの人は、自分のブログでも取り上げ、マスコミ関係の方なら記事にするとか、ニュースで取り上げるとか。
日吉館のように、複雑な状況でもなさそうなので、善良な購入者がいればなんとかなりそうですね。
志賀邸のように、どこかの学校が買ってセミナーハウスとして活用されるのもいいと思います。
寮先生のゲストハウス・レストラン案も大変いいと思います。
あと、入江泰吉邸も気になって仕方ありません。
高級ホテルを誘致する予算を組めるのなら、こういった近代遺産を活用した観光振興を先に考えていただきたいものです。
> 一人でやるより、20人でやれば、エコカー1台
> 分はキャッシュでなんとかなるんじゃないかな…
改装費用を入れると、1人200~250万円。何とかなる金額ではありますね。しっかりした旗振り役が必要ですが。
> ちょっと気になるのは立地が循環道路の外側、かなあ。
循環道路の南なので、ならまちからは少し外れることになりますね。
> 広く周知してゆく事ではないでしょうか このエントリを読んで
> いるブロガーの人は、自分のブログでも取り上げ、マスコミ関係
> の方なら記事にするとか、ニュースで取り上げるとか。
私も心当たりを当たってみます。ブロガーの方は、ぜひお取り上げ下さい。
> 日吉館のように、複雑な状況でもなさそうなので、
> 善良な購入者がいればなんとかなりそうですね。
日吉館は、すっかり更地になってしまいました。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/ee31413319958fad88915a8954ac8de5
かえすがえすも、口惜しいことです。
JR桜井線沿線の駅舎は奈良近代史の生き証人でもあります。
2.
あるいはグループホームとしての利活用。
認知症予防に民具を用いた回想法という手法があるそうですが、町屋はその集大成。
3.関東の大学のセミナーハウスとして学生たちが活用するという案も有意義。1、の近代史という視点も交えることができます。
4.編集オフイス兼工房。谷井氏の意気を継承して大和の心のよき発信基地に。
5、奈良町に群がる人々が気づくよう誘導看板など出して掲示するのも一案。
まず、ネットワークをつくることでしょう。Let’s try
奈良にはこうしたところが山のようにあるのでしょうね。
まずは思いつくまま。
しばらく居眠りしていたら、おんまつり明けににゃんとも大変なニュースですね。
非常に綺麗な町屋ですね。
更地にするって、、賃貸にするとかはダメなんですかね。
来年に奈良でゲストハウス開業を考えていますが、不動産購入はムリです、、、
> まずは思いつくまま。しばらく居眠りしていたら、
> おんまつり明けににゃんとも大変なニュースですね。
いろんなアイデア、深謝です。これらを実現するためにも、町家を残さなければいけませんね。
> 非常に綺麗な町屋ですね。更地にするっ
> て、賃貸にするとかはダメなんですかね。
売却用の物件ですから、その手はなさそうです。
> 来年に奈良でゲストハウス開業を考えています
おお、そうでしたか。最近はそういう方が増えてきて、とても頼もしく思っています。進捗しましたら、ぜひ情報をお願いいたします。
鐵田さんのこの記事で、なんか変だなあとは予測をしたが・・・・新聞記事では谷井家2代については書いているが、3代目については触れていない。地元やその筋では色々な話があるのだろうとは思うが・・・・関知しない。映画は文化であり、芸術なんでしょうが、そこはくせ者で、映画館が奈良市内中核になくなることで、あの界隈の「盛り場」性、猥雑さがなくなる。残念だ。県庁所在地の都市で映画館がないなんて都市が他にもあるのだろうか。勿論郊外にシネコンはあるが・・・・やっぱり奈良は廃墟だけがウリか!
本来、「谷井興業」が業態を変えて、事業を継続できるのなら、この京終の町屋も維持は不可能ではないだろう。都市を持続する、事業を持続する、一家を持続するのは簡単なことではないだろうが・・・・盛衰は世の常、「資本」をもたれる方は、持続を観点に置いて、慎重なドライブをして欲しい、「映画館」の盛衰が、町並み、都市の姿を変えるとは残念でならない。
> 映画館が奈良市内中核になくなることで、あの界隈
> の「盛り場」性、猥雑さがなくなる。残念だ。
このブログ記事を書いた頃、閉館はすでに巷の噂になっており、年末には奈良新聞でも報道されました。お正月を迎えるのに暗い話題はふさわしくないので、書かずにおきました。朝日新聞が、背景も含め、きちんと報道してくれましたので、とても良かったと思っています。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001001140001
> 「映画館」の盛衰が、町並み、都市の姿を変えるとは残念でならない。
映画館は、単に映画を見る「場所」ということではありませんからね。集客の「核」を失い、中心市街地の魅力が薄れてしまうことを懸念しています。
※シネマデプト友楽のHP
http://www.cinemadept-yuraku.jp/
生まれも育ちも町屋です。小さい頃からずっとですので、まぁこんなモン、と思っていたのが、大きくなって、よその家に御邪魔して、へぇ~っと思った事が、まず今の家は、隙間風が入りません。で、空調が凄く効きます。その為、温度も一定で、寒い・暑い、と云うのが、無い訳です。
それに対して、町屋は180度異なり、隙間風はバンバン入るわ、それで空調はガンガン効かせないと、冬は寒い寒い。夏でも、今の時代、温度が異常なので、昔ならそんなに必要で無かった冷房も必要です。
で、観光客の皆様が、表で「わぁ~こんな家、住みたいねぇ~」ナンで言って通られますが、「一回すんでみぃ~。マンション住まいから転居したら大変やぞ」って腹の中で言ったりしてます。
つまり、住環境が格段に変わった訳で、家の中でもキチンと服を着ていたのが、ジャージ姿やガウンなどて過ごす様になり、空調は無論の事、床暖房なども普及しだしています。こんな環境に慣れた方が、町屋に引っ越してくると、もの凄いギャップが生まれる訳です。その証拠に、町屋に転居されてきた方が、すぐにマンションに移られたり、と云う例も多く、つまり、覚悟が要る訳です。
谷井邸が消え去ると云うのは非常に残念ですが、むしろ「住む」と云う目的では無く、NPOの拠点にするとか、行政管轄のギャラリーやホールにするとか、色々な活用方法が有る、と感じます。
こんな時に、「奈良町振興財団」や「さんが俥座」ナンかが、知恵を出して貰えないモノなのでしょうか。謎だ・・・。