NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先々週(2022.11.3)掲載されたのは〈天孫降臨の伝承地/高天彦神社(御所市)〉、執筆されたのは同会会員で大和郡山市在住の岡田充弘(あつひろ)さんだった。
※トップ写真は、古杉の大木が両側に並ぶ高天彦神社の参道=御所市北窪で
高天彦神社は標高約460mの高台(台地)に建つ。高天原の伝承地とされるだけあって、境内はまさに森厳たる雰囲気だ。ぜひお参りされることをお薦めしたい。では、全文を紹介する。
高天彦神社(御所市)
奈良県と大阪府にまたがって南北に連なる金剛山地。高天山とも称される主峰・金剛山の中腹に、ひときわ秀麗な山容を誇る白雲峰(しらくものみね)があります。円すい形のこの山が高天彦神社のご神体です。大神神社における三輪山や春日大社における御蓋(みかさ)山と同様、山そのものをご神体とした神祭りの古き形を伝えています。
後にこの白雲峰のふもとに社殿が建てられ、現存する三間社の神明造(しんめいづくり)の社殿は1877(明治10)年に建立されました。それ以前の社殿は多武峰から移されたものであったと伝わります。
記紀神話の中に登場する天孫降臨の地とされる高天原伝承地。神社名の高天彦は、出雲へ国譲りのための使者を命じた高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の別名とされています。
うっそうと茂った古杉の大木が両側に並んだ参道の奥に鎮座し、古色の漂う高天彦神社は、平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも、名神大社と記載される由緒ある古社でもあります。
参道の傍らには鶯宿梅(おうしゅくばい)と呼ばれる梅の木があります。昔、高天寺の小僧が若くして亡くなり、その師が嘆いていると、ウグイスが来て「初春のあした毎には来れども、あはでぞかへるもとのすみかに」と詠んだという伝説が残ります。(奈良まほろばソムリエの会会員 岡田充弘)
(住 所)御所市北窪158
(祭 神)高皇産霊神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真
(交 通)近鉄御所駅から御所市コミュニティバス(ひまわり号・西コース)
「高天口」下車、徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無料、約10台
※トップ写真は、古杉の大木が両側に並ぶ高天彦神社の参道=御所市北窪で
高天彦神社は標高約460mの高台(台地)に建つ。高天原の伝承地とされるだけあって、境内はまさに森厳たる雰囲気だ。ぜひお参りされることをお薦めしたい。では、全文を紹介する。
高天彦神社(御所市)
奈良県と大阪府にまたがって南北に連なる金剛山地。高天山とも称される主峰・金剛山の中腹に、ひときわ秀麗な山容を誇る白雲峰(しらくものみね)があります。円すい形のこの山が高天彦神社のご神体です。大神神社における三輪山や春日大社における御蓋(みかさ)山と同様、山そのものをご神体とした神祭りの古き形を伝えています。
後にこの白雲峰のふもとに社殿が建てられ、現存する三間社の神明造(しんめいづくり)の社殿は1877(明治10)年に建立されました。それ以前の社殿は多武峰から移されたものであったと伝わります。
記紀神話の中に登場する天孫降臨の地とされる高天原伝承地。神社名の高天彦は、出雲へ国譲りのための使者を命じた高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の別名とされています。
うっそうと茂った古杉の大木が両側に並んだ参道の奥に鎮座し、古色の漂う高天彦神社は、平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも、名神大社と記載される由緒ある古社でもあります。
参道の傍らには鶯宿梅(おうしゅくばい)と呼ばれる梅の木があります。昔、高天寺の小僧が若くして亡くなり、その師が嘆いていると、ウグイスが来て「初春のあした毎には来れども、あはでぞかへるもとのすみかに」と詠んだという伝説が残ります。(奈良まほろばソムリエの会会員 岡田充弘)
(住 所)御所市北窪158
(祭 神)高皇産霊神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真
(交 通)近鉄御所駅から御所市コミュニティバス(ひまわり号・西コース)
「高天口」下車、徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無料、約10台