奈良市中町の富雄川沿いにある霊山寺(りょうせんじ)は、行基ゆかりの寺である。山と渓谷社刊『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』によると、
※トップ写真は同寺のホームページから拝借
行基が養老二年(七一八)に創立した登美院が前身であるといい、寺域から奈良時代の瓦も出土する。慶長七年(一六〇二)に徳川家康から寺領百石が与えられ、秀忠から家定に至る各将軍の朱印状が伝わる。近世には一乗院門跡の末寺となり、坊舎は十四を数えた。
弘安六年(一二八三)に建てられた入母屋造の本堂が密教寺院本堂の代表的遺構として国宝に指定されている。鎌倉時代の三重塔と室町時代の鐘楼はいずれも重要文化財。

以下の写真は、同寺「バラ庭園」で08.5.25に撮影
厨子入りの秘仏である本尊の木造薬師如来および両脇侍像が重要文化財。本尊の胎内から治暦二年(一〇六六)紀年銘のある願文が発見されている。弘安八年(一二八五)朱書銘のある春日厨子も重要文化財に指定されている。
西国薬師第二番札所であり、内外総金箔押の弁財天金殿や内外総プラチナ押の王竜殿など、近年建立された華やかな仏殿も衆目を集めている。


霊山寺は「バラの寺」としても知られる。同テキストブックの「奈良の花の名所」「薔薇(ばら)」の項には、
バラといえば、ヨーロッパ的なものを思い浮かべるが、万葉集にも「うまら」として歌われている。うまらはイバラの古語で棘のあるノイバラを指していたらしい。現代のバラは中東や中国の原産種、日本原産のノイバラなどが加わって交配、改良されて作られた園芸種。


舎人親王が『日本書紀』の編纂と四十二歳の厄除けを祈願して建立したという日本最古の厄除け霊場松尾寺はバラの寺としても知られている。東大寺大仏の開眼供養の大導師を務めたインド僧婆羅門僧正菩提遷那ゆかりの霊山寺境内には京都大学農学部造園学研究室の設計によるバラ園がある。約二千株もの花によって輪廻転生が表されている。花の時期に行われる薔薇会式では、とりどりのバラの花びらが散華として本堂に舞う。

今日(6/1)現在で、霊山寺のバラ庭園の春バラは、見頃を迎えている。色とりどりのバラは、同寺のHPでも見ることができる。甘い香りが画面から漂って来そうである。
バラの時期の入山拝観料は、大人600円、小人300円。花の見頃は6月10日あたりまでのようだ。ぜひ、お早めにお訪ねいただきたい。
※トップ写真は同寺のホームページから拝借
行基が養老二年(七一八)に創立した登美院が前身であるといい、寺域から奈良時代の瓦も出土する。慶長七年(一六〇二)に徳川家康から寺領百石が与えられ、秀忠から家定に至る各将軍の朱印状が伝わる。近世には一乗院門跡の末寺となり、坊舎は十四を数えた。
弘安六年(一二八三)に建てられた入母屋造の本堂が密教寺院本堂の代表的遺構として国宝に指定されている。鎌倉時代の三重塔と室町時代の鐘楼はいずれも重要文化財。

以下の写真は、同寺「バラ庭園」で08.5.25に撮影
厨子入りの秘仏である本尊の木造薬師如来および両脇侍像が重要文化財。本尊の胎内から治暦二年(一〇六六)紀年銘のある願文が発見されている。弘安八年(一二八五)朱書銘のある春日厨子も重要文化財に指定されている。
西国薬師第二番札所であり、内外総金箔押の弁財天金殿や内外総プラチナ押の王竜殿など、近年建立された華やかな仏殿も衆目を集めている。


霊山寺は「バラの寺」としても知られる。同テキストブックの「奈良の花の名所」「薔薇(ばら)」の項には、
バラといえば、ヨーロッパ的なものを思い浮かべるが、万葉集にも「うまら」として歌われている。うまらはイバラの古語で棘のあるノイバラを指していたらしい。現代のバラは中東や中国の原産種、日本原産のノイバラなどが加わって交配、改良されて作られた園芸種。


舎人親王が『日本書紀』の編纂と四十二歳の厄除けを祈願して建立したという日本最古の厄除け霊場松尾寺はバラの寺としても知られている。東大寺大仏の開眼供養の大導師を務めたインド僧婆羅門僧正菩提遷那ゆかりの霊山寺境内には京都大学農学部造園学研究室の設計によるバラ園がある。約二千株もの花によって輪廻転生が表されている。花の時期に行われる薔薇会式では、とりどりのバラの花びらが散華として本堂に舞う。

今日(6/1)現在で、霊山寺のバラ庭園の春バラは、見頃を迎えている。色とりどりのバラは、同寺のHPでも見ることができる。甘い香りが画面から漂って来そうである。
バラの時期の入山拝観料は、大人600円、小人300円。花の見頃は6月10日あたりまでのようだ。ぜひ、お早めにお訪ねいただきたい。