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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

石光寺のボタン&シャクヤク

2020年05月10日 | 写真
當麻寺の3つの塔頭のボタンを紹介したが、今日は石光寺(葛城市染野387)のボタンとシャクヤク(芍薬)を紹介する。お寺のHPによると、今日(2020.5.10)現在でボタンは終了、アメリカ芍薬が見頃、と出ている。ボタンは木でシャクヤクは草、と教わったが、最近はハイブリッド(交雑種)もある、とはお寺さんの話。寺の歴史をHPの「お寺概要」から抜粋すると、
※写真はいずれも2020.5.1の撮影






藤がこんなにきれいに咲いていた!

この寺の草創は約1300年前、天智天皇(668~671在位)の勅願で建てられ、 役小角(えんのおづぬ)の開山と伝えられる。境内に奈良時代前期といわれる塔の大心礎があり、 平成3年には弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、日本最古の白鳳時代の石仏(当時の本尊)と他に瓦や仏せん(せんぶつ)が出土。





別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれ、中将姫(747~775)ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。 右大臣藤原豊成(704~765)の娘、中将姫は美貌で知られたが、 17歳で出家、当麻寺にこもるうち霊感を得て蓮の茎を集め、糸を採り出した。






これがアメリカ芍薬だろうか

そして石光寺の庭に井戸を掘り、糸を浸したところ五色に染まった。 それが染の井で、傍らの桜の枝にかけたのが糸掛け桜。中将姫はその蓮糸で一夜のうちに当麻曼茶羅を織りあげたという伝説がある。





境内には牡丹、芍薬、アジサイ、桜、さるすべりなど、四季おりおりの花があります。 もともと牡丹は薬用として中国から伝えられ、古くから石光寺に植えられていたようです。

石光寺は當麻寺のように葦簀(よしず)を張ったり、笠を差しかけたりしていないので、訪れたときも、やや花びらが乾き気味だった。お寺によって、いろんな育て方があるのだろう。

「花の寺」があるように、お寺にはきれいな花が植えられている。「昔は、よほど風流なお坊さんがいたのだな」と誤解していたが、そうではなく、ボタンもシャクヤクも、薬草として植えられていたのだそうだ。

新型コロナ騒動の今年は、特に花の美しさが心を打つ。来年のボタンの季節、日本はどうなっているのだろうか。
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當麻寺のボタン(3)中之坊

2020年05月08日 | 写真
當麻寺のボタン、これまで奥院(おくのいん)、西南院(さいなんいん)を紹介してきたが、最終回の今回は中之坊(なかのぼう)のボタンである。當麻寺といえば4月14日(もとは5月14日だったが昨年から変更された)に営まれる練供養会式(ねりくようえしき)が有名だが、他の寺にもあるようだ。『日本百科大全書』の「練供養」によると、





寺院の法会(ほうえ)で練行列をする仏教行事。二十五菩薩来迎会(ぼさつらいごうえ)、引接会(いんじょうえ)、迎接会(ごうしょうえ)、練道(れんどう)、迎講(むかえこう)などともいう。





西方浄土から観音(かんのん)・勢至(せいし)以下二十五菩薩が来迎して衆生(しゅじょう)を浄土に導くという浄土思想や弥陀(みだ)・聖衆(しょうじゅう)迎接の信仰に根ざしたもので、11世紀以降盛んに催された。





奈良県葛城(かつらぎ)市當麻寺(たいまでら)、京都市東山区泉涌寺即成(せんにゅうじそくじょう)院、岡山県久米(くめ)郡久米南(くめなん)町誕生寺など、現在各地に残っている。當麻寺の練供養は毎年5月14日(もと旧暦4月14日)、一山の僧侶(そうりょ)と菩薩講中によって行われる。





當麻寺は763年(天平宝字7)に藤原豊成(とよなり)の娘中将姫(ちゅうじょうひめ)が入寺し、當麻曼荼羅(まんだら)を織ったことで知られるが、練供養はこの中将姫の浄土往生に擬して行うもの。





境内の裟婆(しゃば)堂と曼荼羅堂(極楽堂)の間に長い橋を特設し、あらかじめ裟婆堂に安置された中将姫の像を二十五菩薩に扮(ふん)した講中がこの橋を渡って迎えに行き、やがて浄土(曼荼羅堂)に帰る。







大和(やまと)地方では「當麻のレンゾ」の名で親しまれているが、レンゾは練道の訛(なま)りと思われる。


當麻寺と石光寺では今年もぼたん祭り(4/13~5/6)が開催されていたが、新型コロナ禍のため、境内はずいぶんひっそりしていた。「當麻の里ぼたん祭り フォトコンテスト」への応募も少ないのではないかと心配している。うまくカメラに収められた方は、ぜひご応募を!
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當麻寺のボタン(2)西南院(さいなんいん)

2020年05月02日 | 写真
先日は當麻寺(たいまでら)「奥院(おくのいん)」のボタンを紹介した。今日は當麻寺「西南院(さいなんいん)」のボタンを紹介する。撮影したのは同じ日(2020.4.29)である。ところでこの當麻寺、『日本大百科全書』によると、


庭の高台からは、東西両塔が見渡せる



奈良県葛城(かつらぎ)市當麻にある寺。真言、浄土の両宗に兼属する。二上山(にじょうさん)禅林寺(ぜんりんじ)と号する。612年(推古天皇20)用明(ようめい)天皇の皇子麻呂子(まろこ)王が建立した河内(かわち)(大阪府)の万法蔵院(まんぼうぞういん)を、王の孫当麻国見(たいまのくにみ)が役行者(えんのぎょうじゃ)を開山として681年(天武天皇10)現在地に移転、改称したといわれる。







しかし、東西両塔(国宝)並立の奈良時代伽藍(がらん)配置の遺構を存するところから、天平(てんぴょう)年間の初頭(730ころ)に当麻氏の氏寺として創建されたとの説もあり有力である。



763年(天平宝字7)横佩(よこはぎ)の大臣(おとど)とよばれる藤原豊成(とよなり)の女(むすめ)、中将姫が當麻寺に入って法如(ほうにょ)と号し、阿弥陀如来(あみだにょらい)の助力によって織り成したと伝える浄土変相(じょうどへんそう)図があり、蓮糸(はすいと)の「當麻曼荼羅(たいままんだら)」として有名だが、実際は絹糸の綴織(つづれおり)である。





破損が甚だしいため何度も複製され、現在、曼荼羅堂(本堂)厨子(ずし)に安置されているのは1685年(貞享2)作のもので、曼荼羅堂や厨子とともに国宝となっている。また前に複製された「文亀(ぶんき)曼荼羅」は国の重要文化財に指定。



1180年(治承4)平氏の南都焼討ちの際、東西両塔を除いて被災、以後は浄土教中心の道場として栄えた。当寺の近傍に出生したといわれる源信の影響からか、4月14日には「當麻寺のお練(ね)り」で知られる「聖衆来迎練供養会式(しょうじゅらいごうねりくようえしき)」が行われ、いわゆる迎講(むかえこう)の姿を伝える数少ない現存例の一つとして有名である。

奥院とはまた違った趣きで、たくさんのボタンが咲いていた。残るは中之坊、こちらもお楽しみに!
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當麻寺のボタン(1)奥院(おくのいん)

2020年04月30日 | 写真
先日、「長谷寺ではボタンの花を切り落としている」というショッキングな話を紹介した。「當麻寺のボタンは、大丈夫だろうか」と心配していたところ、昨日(2020.4.29)の毎日新聞と奈良新聞に「當麻寺のボタンが見頃」という記事が出ていた。今日からは、ちょうど七十二候の第十八候「牡丹華(ぼたんはなさく)」(4/30~5/4頃)だ。居ても立ってもいられなくなり、昨日(4/29)、當麻寺にお参りした。奥院、西南院、中之坊の3つの塔頭を訪ねたので、1ヵ所ずつ紹介する。


参道でも、ボタンや藤が花盛り!






本堂、金堂、講堂は4/27(月)から拝観を停止している

なお「ウエザーニュース」(4/30付)《七十二候「牡丹華」王者の風格漂う牡丹について知ろう》によると、

今日からは七十二候「牡丹華(ぼたんはなさく)」です。中国では「花の王」と呼ばれ、華やかさの象徴とされる牡丹。日本でも「高貴」や「王者の風格」といった花言葉をもっています。


向こうに東西両塔が見渡せる







牡丹はどんな花? どの花にも負けない存在感や美しさがある花ですが、もともとは観賞用ではなく、薬として使われていたそうです。また、猪の肉を使った鍋を牡丹鍋といいますが、昔は赤い花を咲かせる品種が多かったこともあり、牡丹といえば「赤」というイメージでした。そのため、名前に赤を表す「丹」が使われています。現在では白や黄色、ピンクなど様々な色のものがあり、私たちを一層楽しませてくれます。



似て非なるもの そんな牡丹とよく似た花に「芍薬(しゃくやく)」というものがあります。写真だけでは、どっちがどっちだか…牡丹も芍薬も同じボタン科ボタン属で、花の形もよく似ています。しかし、ある部分に注目すると案外簡単に見分けが付くようになるんです。







【葉の形】牡丹の葉というのは、ツヤがなく、切れ込みが入っています。先が3つに分かれているのが特徴です。一方、芍薬の葉は、ツヤツヤしており、切れ込みはありません。





庭では、清楚な石楠花(シャクナゲ)も咲き始めていた

【木?それとも草?】もう一つの大きな違いとして、牡丹は木本性なのに対し、芍薬は草本性ということ。草である芍薬は、細い茎の先端に一輪の花を咲かせ、落葉低木の牡丹は一枝に二輪ほど花をつけます。





花のように美しく 皆さんは「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉をご存知でしょうか。初めて聞いた人は、なんのこっちゃ??と思うかもしれませんが、これは美しい女性の立ち振舞を形容したもの。





茎がスラリと伸びた芍薬は、立ち姿が美しい女性。枝分かれした先に花をつける牡丹は、上品に座っている女性。さらに、風に揺れる百合の花は、まるで優雅に歩く女性のように見えることから、このように言われるそうです。男性としては、こんな女性に出会ってみたくなりませんか?







咲くまでの過程に注目 実は牡丹には、春牡丹・寒牡丹・冬牡丹の3種類があります。春牡丹は、4月下旬~5月頃に見頃を迎える一般的なもの。寒牡丹は10月~1月、冬牡丹は1月~2月頃に花が咲きます。「寒牡丹も冬牡丹も寒い時期に咲いているけど、違いはあるの?」冬牡丹というのは、温室などを利用し、春牡丹を人工的に冬に咲かせたものです。







一方、寒牡丹は春と冬の二季咲きの品種となっています。大きく違う点として、冬牡丹は人の手が加わらないと、冬に開花することができません。しかし、寒牡丹は、時期が来れば自ずと冬頃に開花します。花だけを見ると、なかなかわかりにくいかもしれませんが、咲くまでの過程に注目すると全く異なるものなんです。







おさらい七十二候 1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間を「二十四節気」といいます。そしてこれをさらに初候、次候、末候の5日ずつにわけて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候です。二十四節気と七十二候は、その日だけではなく、二十四節気であれば15日間、七十二候であれば5日間の期間も指しています。

3つの塔頭の中でも、奥院が最も広い。石や石仏を配した庭で見るボタンは格別の味わいがある。では続きをお楽しみに!
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2020年 桜回顧(2)ご近所(近隣公園)の桜

2020年04月27日 | 写真
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
素性(そせい)法師『古今和歌集』

前回の「辯天宗 宗祖御廟の桜」に続き、今度はウチの周辺(奈良市西郊)の近隣公園の桜を紹介する。なお近隣公園とは「およそ500メートル以内の近隣の住民を対象として、休養・散策に供する公園」(大辞林)で、以前はよく児童公園と呼ばれていた。
※トップ写真は、近隣公園の中でたった1本だけ見つけたヤマザクラ(2020.4.6撮影)。


以下、撮影は日付順。こちらは「見頃」を迎えたソメイヨシノ、3月30日(月)の撮影





新型コロナ騒動で外出自粛がいわれるが、時々の散歩やジョギングはOKとされている。桜の時期、私は積極的に近所を散歩した。歩ける範囲内で3ヵ所ほどの公園があり、うち2つはとても広い。ここで私は朝の散歩と称して、3月30日(月)~4月9日(木)の間の4日間、桜ばかりを撮り続けた。







最初はただ歩くだけだったが、ある時ふと「足に錘(おもり)をつけてみようか」と思い立った。昨年秋に他界した母が、やはり晩年には脚力が弱って車椅子になったことを思い出したのだ。ずいぶん以前、ゴルフショップで見つけ、しばらく足に着けて歩いていたこともあった。「アンクルウエイト」と呼ばれるその錘は、いろんな重さが選べる。


こちらは4月5日(日)の撮影。葉の出ているのが、シロヤマザクラ



まずは片足1kgのものを通販で取り寄せたところ、これはとても具合がいい。短時間の散歩でも、ちょっとしたトレーニングをした気分になれるのだ。つまり「散歩+トレーニング+写真撮影」を同時にやったことになる。







桜にはどれほどの品種があるのだろう。『日本大百科全書』には《日本の山野にはヤマザクラなど約10種類を基本にして、変品種をあわせると100種類ほどのサクラが野生しており、また、これらから生まれた200~300の園芸品種が知られている》。


ここからは4月6日(月)の撮影



《江戸時代には品種が区別され、天和(てんな)元年(1681)に出た水野元勝(もとかつ)の『花壇綱目(かだんこうもく)』には「桜珍花異名の事」として40品種のサクラが載せてある。近年のものでは『最新園芸大辞典』巻5(1970、誠文堂新光社)が305品種を載せ、『サクラの品種に関する調査研究報告』(1982、日本花の会)には193品種が図説されている》。



さらに《花を観賞の対象とする習わしは万葉時代からみられる。『万葉集』にはサクラを詠んだ歌が42首載るが、そのうちの4首ははっきりと庭や宿のサクラを詠んでおり、当時すでに観賞用として栽培下にあったことが知れる。最古の品種はナラノヤエザクラで、聖武(しょうむ)天皇が奈良の三笠(みかさ)山で発見して移植したと伝えられる》。







近隣公園の桜は1本を除いてすべてソメイヨシノだった。ソメイヨシノはクローンなので、同時に咲いて同時に散るといわれるが、それでも個体差があることに気づいた。日当たりとか、近くに川が流れているとか以外では、若木は遅く咲き始めて遅く散る、ということが分かった。


おしまいは4月9日(木)。そろそろ「散り初め」になってきた





桜のシーズンが終わり、散歩する意欲は衰えてしまったが、外出自粛は続く。また何か口実を見つけて、出かけないと。
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