てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

アボリジニに絵筆を ― ウングワレーの仕事 ― (1)

2008年04月21日 | 美術随想

エミリー・ウングワレー

 オーストラリアの先住民アボリジニは、砂絵といった呪術的な絵画や「ディジュリドゥ」という楽器など、独特の文化をもっているらしいことを何となく知ってはいた。

 かの地は海で周囲を取り囲まれているせいか、珍しい有袋類の動物の宝庫であるのと同じように、西洋文明に感化されない土着の風習が原初の状態をとどめているのではないかと思う。それはおそらく、日本で耳にタコができるぐらい聞かされる“歴史”や“伝統”といったレベルではない、もっと根源的なものである。

 だが、ぼくはこれまで彼らの文化に対してあまり関心をもってこなかったし、間近で見たこともなかった。だから、アボリジニの女性画家であるエミリー・ウングワレーの展覧会が開かれていると聞いても、特に食指が動くことはなかった。彼女の作品がかつてテレビで取り上げられたり、多くの展覧会に出品されたりしたというのも、全然知らないことだった。このたび美術館に足を運んでみる気になったのは、思い返せばただの気まぐれのようなものである。

 ピカソらが非西洋文化の影響を受けたことはよく知られていて、そういうモダンアートとの因果関係については興味があるが、アボリジニの絵だけで構成された展覧会がはたして鑑賞に堪えるのかどうか、多少の不安がないでもなかった。これが“文明人”のとんでもない思い上がりだったということに、ほどなく気づかされることになるのだが・・・。

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 昔人気を呼んだ映画に、『ブッシュマン』というのがあった。アフリカの原住民の眼の前に、飛行機から投げ捨てられたコーラの空き瓶が落ちてくる。未開の生活を送る彼らは、突然降って湧いた西洋文明の断片をどう扱っていいかわからず、おかしいほどに混乱する。ついには、選ばれたひとりの男がそれを世界の果てまで捨てにいくのである。

 それまで砂絵やボディ・ペインティングなどを描いていたウングワレーの前に、突然アクリル絵の具や絵筆がもたらされたとき、彼女はいったい何を考えたのだろうか。いずれにせよ、ウングワレーは晩年の8年ほどの間に3千点とも4千点ともいわれる絵画を残す。ピカソにも比すべき、驚異的な仕事ぶりである。

 しかし彼女には、プロの画家になったという意識はおそらくなかっただろうし、画商にそそのかされてたくさん描いたというわけでもないだろう。彼女は従来どおりアボリジニの集落に住みつづけながら、まるで生活の一部のようにして、次々と作品を生み出していった。

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 ウングワレーの存在は「アボリジニを代表する画家であると同時に、20世紀が生んだもっとも偉大な抽象画家のひとり」などという最大級の賛辞とともに紹介されている。だが、彼女を見出した文明国の人々がそう思っているだけで、本人はただ描きたい絵を好きなだけ描いていただけではないかという気がする。いわば、20世紀でもっとも純粋な画家のひとりだったのである。

 それではこの意識せざる大画家・ウングワレーは、キャンバスにいったい何を描きとめようとしたのだろうか。

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