
〔『南蛮屏風』の展示風景〕
狩野内膳の『南蛮屏風』を知ったのは、2年ほど前のことになるが、テレビ番組「美の巨人たち」で紹介されたときであった。それまで、いやそれ以降も、ぼくは南蛮美術なるものにさほどの興味を抱いてこなかった。狩野派が描いた『洛中洛外図屏風』はいくつか観たけれども、この手の屏風の実物を観たのは、今回がはじめてだったかもしれない。

狩野内膳『南蛮屏風』(重要文化財、右隻・部分、桃山時代、神戸市立博物館蔵)
狩野内膳という絵師についても詳しくは知らないが、秀吉に重用され、実際に長崎に赴いたことがあるという。この屏風の右隻には長崎の港にポルトガル船が入港したときの情景が描かれており、おそらくは現地の印象が正確に描きとめられているのであろう。それだけではなく、イエズス会やフランシスコ会の聖職者の服装もかなり詳細に描かれている。見慣れた京都の町民の風俗とは、まったく異なる世界である。
『洛中洛外図屏風』でも金雲が多用されているが、それは街並の様子を適当に区切り、いわば都合よく画面におさめるための方策であった。けれども『南蛮屏風』では、むしろ街並の描写は最小限度に抑えられ、金雲が地面の表現とつながって、画面の大半が金色で埋め尽くされているといっていい。内膳は長崎の街を俯瞰的に眺めていたのではなく、細部にこだわって観察していた結果、こういうことになったのではなかろうか。
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狩野内膳『南蛮屏風』(重要文化財、左隻・部分、桃山時代、神戸市立博物館蔵)
左隻は、船が出港する場面である。ということは、内膳も見たことのない、外国の風景ということだ。当然ながらそこには空想を盛り込まざるを得ないのだが、ぼくの眼には中国の絵画に出てくる建物にアレンジを加えたように見える。けれども、そこにリアリティーを求めるのは酷というものだろう。テレビやインターネットはもちろん、写真もない時代のことだ。
ただ、帆に風を孕んで港を出て行く巨大な船が、未知なる世界からやって来る新しい文化への期待感というか、逆にいえば当時の日本人の渇望をストレートにあらわしているようにも思える。今みたいに、海を隔てての文物の行き来を当たり前のように、無感動にとらえている日常を振り返ってみると、たしかに世界は小さくなったという感慨を禁じ得ないが、それだけ毎日がつまらなくなったような気もする。
お盆休みを控えたリッチな人たちが、空港でのインタビューに応えて、どこそこへ何泊するという予定を自慢げに語っているのを見ると、ぼくは何だか侘しくなってしまうのである。自分の心を満たすためだけに大金を投じて海を渡るなど、何とも贅沢すぎる時代になったものだ。
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