てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

絵画が動くとき(2)

2008年07月09日 | 美術随想

ビル・ヴィオラ『プールの反映』(作家蔵)

 「液晶絵画」展の会場に入ると、いきなり真っ暗なフロアに案内された。係員が懐中電灯を持っていたりして、何だかものものしい。部屋の真ん中にはスクリーンが下がっており、不思議な情景が繰り返し映し出されている。ビル・ヴィオラの『プールの反映』という映像作品である。

 雑木林に囲まれて、水を満々とたたえたプールがある。そこへ男がひとり、遠方から歩み寄ってくる。やがて男はエイヤッとばかり水に飛び込もうとするのだが、宙に浮かんだまま男の体は静止して、ビデオの一時停止ボタンを押したときのように、不意に時の流れが止まってしまう。

 ・・・と思ったら、男を除いたすべてのものには、相変わらず時間が流れつづけていた。水面はさざ波立ち、どこの誰かわからない人影が映ったり、懐中電灯で照らしたような光が映り込んだりする(まさか係員の持っているそれではあるまい)。まるでマグリットの世界のようだが、気がつくと宙に浮いていたはずの男の姿はそこになく、やがて彼はずぶ濡れのかっこうで水のなかからはい上がってきて、もと来たほうへ去っていく。だいたいそんな内容だったと思う。

 この作品が何をあらわそうとしているのか、あまりはっきりしなかった。ひとつだけ感じられたのは、絵画と映像の間には途方もない時間の落差があるということだ。アポリネールの詩ではないが、時間は流れ、絵画は残るのである。プールの上に静止し、あたかも絵に描かれた人物のようになった男のまわりでは、森羅万象が容赦なく移り変わっていく。

                    ***


サム・テイラー=ウッド『スティル・ライフ』(作家蔵)

 サム・テイラー=ウッドはより先鋭的なやり方で、絵画と映像の関係を問い直してみせる。絵画の領域に、カメラという文明の利器を引っさげてドカドカと土足で踏み込んでくる。そんな印象である。

 『スティル・ライフ』と『リトル・デス』の2作品は、並べて展示されていた。一見すると、どこにでもある平凡な静物画のように思われる。だが、実はこれも映像である。固定カメラに記録された長大な時間の経過が、たった数分に凝縮されてわれわれの眼の前を飛ぶように過ぎていく。

 『スティル・ライフ』では、皿にこんもりと盛られた果物が机に置いてある。絵画であればいつまでもみずみずしい鮮度を保ったままのはずだが、これは映像であるから、当然のように腐っていく。白っぽいカビが繁殖し、大きく膨張するように見えながら、確実にしなびていく。しまいにはすっかりひからびて、黒く小さく固まってしまう。

 ぼくはふと、セザンヌのことを思い出してしまった。リンゴの絵でパリを征服したいと豪語したセザンヌは、腐るまでリンゴを観察しつづけたという逸話がある。もしその話が本当なら、彼は腐ったリンゴを描いても不思議ではなかったはずだ。それを描かなかったのは、ひとえにセザンヌの美的感性のゆえであるが、映像は絵画芸術の隠された部分を容赦なく暴き出す。

                    ***


サム・テイラー=ウッド『リトル・デス』(作家蔵)

 もうひとつの『リトル・デス』。これは驚くべき作品だった。逆さまにぶら下げられた兎の死骸という残酷なモチーフは、かつてヨーロッパの静物画には頻繁に描かれたものだが、それを延々と撮影しているのである。もちろん、本物の兎の死骸をだ。

 徐々にかたちが崩れてきたかと思うと、何やら細かい砂塵のようなものが兎の体内からわき出てくる。はっきりとは見えないが、おそらく蛆虫の集団であろう。はらわたまで食いつくされた兎のなきがらは、なかば液体となって溶け出したように(早送りなのでそのように見えるのだ)、原形をとどめぬまでに変容してしまう。儀式によって美化されない、涙をこぼす余地もないむき出しの“小さな死”の姿。それは凄絶ではあるが、われわれの知らない自然界では日々繰り返されていることがらでもあろう。

 日本の絵画には九相図といって、放置された人間の遺体が朽ちていくさまを描いた絵巻もある。ロシアの作家ガルシンは『四日間』という短編のなかで、戦死した兵隊が腐敗していくさまを克明に書いている。いずれも衝撃的な作品だが、映像という究極の写実で表現された一匹の兎の死は、あまりのリアリティーゆえにかえって絵空事を見ているような、それこそ「動く絵画」を見ているかのような、奇妙な感じをぼくに抱かせた。

 会場では30人ほどの観客が、壁に掛けられたモニターのまわりを囲み、ひたすら黙りこくって、名もない兎の死にざまを見守っていた。考えてみれば、異様な空間だった。家に帰って調べてみると、このサム・テイラー=ウッドという作者は、若くて美しい女性であることがわかった。これもひとつの衝撃だった。

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