コルヴィッツとバルラハ その1
昨年はできるかぎり多くの展覧会に足を運んだつもりだが、どうしても時間の都合がつかず、泣く泣くあきらめたものも多かった。あるいは日々の労働に打ち負かされ、時間はあっても体がいうことをきかなかったこともある。ぼくにとって展覧会を観ることは(他の多くの人にとってもそうかもしれないが)、テレビを見るように受動的な行為ではない。あるいは読書のように、頭だけ働かせていればいいというものでもない。
自分の体をわざわざ会場に運んで作品と対面することは、作品を全身で受けとめるということである。そこには心の充実と、肉体の疲労とが、あざなえる縄のように分かちがたく結びついている。考えてみれば、それは驚くほどスポーツに似ているではないか? ましてや、相手が人体彫刻だとすればなおさらだ。ぼくたちは作品とのあいだに見えない火花を散らしながら、丁々発止とやり合っている。美術から受ける感動とはそういうものだと、ぼくは信じて疑わない。
*
昨年の暮れに姫路で開かれていたケーテ・コルヴィッツの展覧会は、ぼくの念願としていたものだったが、姫路まで出かける都合がつかず、どうしても行くことができなかった。ついに会期が終了してしまったときには、“不戦敗”を喫した選手のようにしょげこんでしまったものだ。残念ながらいまだに、彼女の芸術についてじゅうぶんに知ることができないでいる。伊丹かどこかの美術館で数点の版画を観たことがあるだけだ。
ぼくのコルヴィッツへの思いは、かつてNHKの衛星放送で、ベルリンにあるケーテ・コルヴィッツ美術館が紹介されていたのを見たことにはじまった。といってもずいぶん前の話なので、詳しい内容を覚えているわけではないが、あまり華々しく取り上げられることのないこの女性版画家を扱った番組というのは、非常に珍しいものだったにちがいない。ただ、ぼくの印象に強烈に刻まれたのはコルヴィッツの版画作品よりも、彼女が手がけた一体の彫刻だった。
一体の、といったが、それはひとりの人体をあらわしたものではない。何人かの人物が、まるでおしくらまんじゅうをするようにくっつき合って、ひとつのかたまりをなしているのである。その人物とは、頭巾をかぶり前掛けをした、どこにでもいそうな母親たちだ。そして彼女たちの体のすき間からは、幼い顔がいくつかのぞいている。我が子たちを守るために、母親たちは身を寄せ合い、生きた盾となって敵の前に立ちふさがっているのである。
*
ぼくは、この彫刻のどこに惹かれたのだろうか? いや、惹かれたわけでは決してなかった。武器ひとつ持たない市民たちが体をくっつけ合って、大きなかたまりを作っている、その量感に圧倒されてしまったのだ(テレビを通して受けた印象なので、どこまで正確かは自信がないが)。だが人間の体で構成されたバリアは、鉄砲の弾をすら防ぎ得ないだろう。母親たちの集団は、たくましさと脆さとの奇妙な複合体として、そこにある。コルヴィッツは、無力な市民たちの精一杯の抵抗を、彫刻に刻みつけた。それは人体彫刻というより、文字どおり“量塊”として表現されている。
ぼくはその彫刻の題名すらろくに覚えていなかったが、このたび調べてみると、『母たちの塔』というらしい。制作されたのは1937年から38年、ちょうどナチによる“退廃芸術”の排斥が猖獗を極めていた時期にあたる(コルヴィッツも標的にされ、すでに芸術院から追放されていた)。だとすれば、市民たちが身を挺して子供を守る姿は、みずからの表現を必死に守り抜こうとする芸術家の姿とも重なるのである。しかし彼らといえども、時代の奔流のただ中に踏みとどまることはできなかった。コルヴィッツの盟友ともいうべき彫刻家、エルンスト・バルラハが生涯を終えたのは、ちょうどこのころのことである。
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昨年はできるかぎり多くの展覧会に足を運んだつもりだが、どうしても時間の都合がつかず、泣く泣くあきらめたものも多かった。あるいは日々の労働に打ち負かされ、時間はあっても体がいうことをきかなかったこともある。ぼくにとって展覧会を観ることは(他の多くの人にとってもそうかもしれないが)、テレビを見るように受動的な行為ではない。あるいは読書のように、頭だけ働かせていればいいというものでもない。
自分の体をわざわざ会場に運んで作品と対面することは、作品を全身で受けとめるということである。そこには心の充実と、肉体の疲労とが、あざなえる縄のように分かちがたく結びついている。考えてみれば、それは驚くほどスポーツに似ているではないか? ましてや、相手が人体彫刻だとすればなおさらだ。ぼくたちは作品とのあいだに見えない火花を散らしながら、丁々発止とやり合っている。美術から受ける感動とはそういうものだと、ぼくは信じて疑わない。
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昨年の暮れに姫路で開かれていたケーテ・コルヴィッツの展覧会は、ぼくの念願としていたものだったが、姫路まで出かける都合がつかず、どうしても行くことができなかった。ついに会期が終了してしまったときには、“不戦敗”を喫した選手のようにしょげこんでしまったものだ。残念ながらいまだに、彼女の芸術についてじゅうぶんに知ることができないでいる。伊丹かどこかの美術館で数点の版画を観たことがあるだけだ。
ぼくのコルヴィッツへの思いは、かつてNHKの衛星放送で、ベルリンにあるケーテ・コルヴィッツ美術館が紹介されていたのを見たことにはじまった。といってもずいぶん前の話なので、詳しい内容を覚えているわけではないが、あまり華々しく取り上げられることのないこの女性版画家を扱った番組というのは、非常に珍しいものだったにちがいない。ただ、ぼくの印象に強烈に刻まれたのはコルヴィッツの版画作品よりも、彼女が手がけた一体の彫刻だった。
一体の、といったが、それはひとりの人体をあらわしたものではない。何人かの人物が、まるでおしくらまんじゅうをするようにくっつき合って、ひとつのかたまりをなしているのである。その人物とは、頭巾をかぶり前掛けをした、どこにでもいそうな母親たちだ。そして彼女たちの体のすき間からは、幼い顔がいくつかのぞいている。我が子たちを守るために、母親たちは身を寄せ合い、生きた盾となって敵の前に立ちふさがっているのである。
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ぼくは、この彫刻のどこに惹かれたのだろうか? いや、惹かれたわけでは決してなかった。武器ひとつ持たない市民たちが体をくっつけ合って、大きなかたまりを作っている、その量感に圧倒されてしまったのだ(テレビを通して受けた印象なので、どこまで正確かは自信がないが)。だが人間の体で構成されたバリアは、鉄砲の弾をすら防ぎ得ないだろう。母親たちの集団は、たくましさと脆さとの奇妙な複合体として、そこにある。コルヴィッツは、無力な市民たちの精一杯の抵抗を、彫刻に刻みつけた。それは人体彫刻というより、文字どおり“量塊”として表現されている。
ぼくはその彫刻の題名すらろくに覚えていなかったが、このたび調べてみると、『母たちの塔』というらしい。制作されたのは1937年から38年、ちょうどナチによる“退廃芸術”の排斥が猖獗を極めていた時期にあたる(コルヴィッツも標的にされ、すでに芸術院から追放されていた)。だとすれば、市民たちが身を挺して子供を守る姿は、みずからの表現を必死に守り抜こうとする芸術家の姿とも重なるのである。しかし彼らといえども、時代の奔流のただ中に踏みとどまることはできなかった。コルヴィッツの盟友ともいうべき彫刻家、エルンスト・バルラハが生涯を終えたのは、ちょうどこのころのことである。
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ぼくはただでさえ遅筆なうえに、記事の構想がまとまるまで時間がかかり、おまけに最近は仕事が多忙なため書いている暇がなく、話題がどうしても古くなってしまいます。申し訳ありません。
またお越しいただけることを心待ちにしております。
彼女について記した評伝や、版画を掲載した画集などはあるみたいなので、遅ればせながらちょっと勉強してみようかなと思っています。
トラックバックありがとうございます。こちらからも返させていただきました。
それと、このブログをブックマークに加えてくださっていたのですね。うれしいです。