カミーユ・ピサロ『麦藁を積んだ荷馬車、モンフーコー』(1879年、DIC川村記念美術館蔵)
さて、若いころあれほど熱心に人々のスケッチを描いていたピサロは、長じてどんな人物画を描くようになったのか、気になるところだ。
人物画とはいえないかもしれないが、ある農家のありのままの姿を虚飾なしに表現した『麦藁を積んだ荷馬車、モンフーコー』を観て、思わずぼくは吹き出しそうになった。時代はかなり下るけれど、かのアンリ・ルソーの迷作(?)『ジュニエ爺さんの馬車』を連想してしまったからだ。
参考画像:アンリ・ルソー『ジュニエ爺さんの馬車』(1908年、オランジュリー美術館蔵)
当時の馬車というのは、今でいえば自家用車のようなもので、その家のステータスシンボルだったのかもしれない。ルソーの絵は、まさに高級車に乗ってリゾート地に出かけていくようなおもむきで、ジュニエ爺さんとその家族たちが意気揚々と出発するところを描いている。よくいわれるデッサンの狂いのひどさ、人や動物の寸法の比率の極端さよりも、片側の赤い車輪がほとんど歩道に乗り上げかけていて、爺さんが馬の尻に鞭をくれると同時に馬車ごとひっくり返ってしまうのではないか、という心配をぼくはしてしまうのだが・・・。
ピサロの場合は、一軒の農家の前に馬車がとめてあり、屋根の高さと同じぐらいに麦藁を積み上げている様子が描かれている。これも、やはり農家のステータスをあらわすものにちがいない。麦藁を高く積めば積むほど、その家は羽振りがいいということになるのだろう。それだけたくさん麦が収穫されたという証しだからである。
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参考画像:ジャン=フランソワ・ミレー『落ち穂拾い、夏』(1853年、山梨県立美術館蔵)
そこで思い出したのが、山梨にあるミレーの『落ち穂拾い、夏』という作品だ。ここにも、背後には刈り入れのすんだ麦穂がうずたかく積まれている。文字どおり、山のようである。
この山の高さは、すなわちこの土地の主の実入りとしてはね返ってくるはずだ。前景の3人の女は、いわば“おこぼれ”にあずかろうとしている、ひもじい身分の農婦たちなのだった。
ピサロの『麦藁を積んだ荷馬車、モンフーコー』でも、いちばん手前にひとりの農婦が真正面を向いて立っている。片手には麦の束を抱え、反対側の手には農具のようなものを下げているが、よく見るとその腰は老婆のように曲がっている。
彼女も、ミレーの絵に描かれているように、一日中腰をかがめて落ち穂を拾っていたのかもしれない。どちらかといえばこの農婦は、今まさに麦の山を築き上げようと働いている男たちよりも、馬車の準備が整うのを待つともなく待っている、あまり頑健そうでない馬たちに近い存在に感じられはしないだろうか。
ぼくはどうやら、絵を観て吹き出している場合ではなかったようである。
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