てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

雪なき冬を送る ― 日本の冬景色選 ― (1)

2007年02月24日 | 美術随想
小野竹喬『冬日帖』


 小野竹喬といえば、ざっくりと単純化された形態と、鮮やかな色彩を思い浮かべる。特に、彼が好んで描いた夕日の茜色は、それこそ太陽の残像のように、ぼくの目に強く残っている。

 だが、30代の終わりに描かれた『冬日帖(とうじつちょう)』はちがう。小さな画面に、緻密な線描がびっしり描き込まれている。その線の細かさたるや、少々目の悪いぼくには、展示室のガラス越しだとじゅうぶんにとらえきれないほどである。

 数年前に一度、この絵をガラス越しではなく、間近で鑑賞する機会があった。『冬日帖』は実は6面からなる連作だが、そのすべてがこんな感じで、微細な線に埋められているのである。ぼくは文字どおり、なめるようにその絵を観た。無謀にも、ありとあらゆる線を味わい尽くそうとしたのだ。全部観終わったときには、すっかり疲れ果ててしまっていた。

                    ***

 だが、特筆すべきは線だけではない。後年の竹喬からは想像もできないような、ごく淡い色彩が、うら寂しい冬の景観に奥行きをもたらしている。冬枯れというよりも、春の間近いことを予感させるような、暖かな風景である。

 緩やかな起伏が折り重なるように連なるこの眺めは、まるで日本の田舎の縮図のようであるが、この絵には『故里(ふるさと)の郊外』という副題がついているそうだ。ということは、小野竹喬が生まれ育った岡山県笠岡の景色でもあろうか。あの遠くの空の下には、瀬戸内海が広がっているのであろうか。

 絵の真ん中あたりに、藁葺き屋根の小屋がぽつんと建っている。ここに描かれた、唯一の人工物である。左側の赤い着物を着た女性は、この小屋から出てきたのかもしれない。彼女は何をするでもなく、ただのんびりと散歩をしているように見える。冬の日差しの中に、ゆっくりとした動きが生まれる。穏やかな冬の、かすかな息吹き。

                    ***

 この絵を描いたとき、小野竹喬はすでに笠岡を離れ、京都で活動していた。29歳のとき、彼は若い画家仲間とともに「国画創作協会」を立ち上げている。しかし財政難などの理由から、この新しい絵画運動は、わずか10年で解散の憂き目に会う。『冬日帖』は、その最後の展覧会に出品された作品である。

 日本画の一大中心地である京都で、いわば最初の挫折を目前にした竹喬が描いた、故郷ののどかな風景。彼の脳裏に去来していたものは、いったい何だったのだろうか。

(京都市美術館蔵)

つづきを読む


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。