小野竹喬『冬日帖』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/62/f50ee3b045c2422f1dc3a019e44495d1.jpg)
小野竹喬といえば、ざっくりと単純化された形態と、鮮やかな色彩を思い浮かべる。特に、彼が好んで描いた夕日の茜色は、それこそ太陽の残像のように、ぼくの目に強く残っている。
だが、30代の終わりに描かれた『冬日帖(とうじつちょう)』はちがう。小さな画面に、緻密な線描がびっしり描き込まれている。その線の細かさたるや、少々目の悪いぼくには、展示室のガラス越しだとじゅうぶんにとらえきれないほどである。
数年前に一度、この絵をガラス越しではなく、間近で鑑賞する機会があった。『冬日帖』は実は6面からなる連作だが、そのすべてがこんな感じで、微細な線に埋められているのである。ぼくは文字どおり、なめるようにその絵を観た。無謀にも、ありとあらゆる線を味わい尽くそうとしたのだ。全部観終わったときには、すっかり疲れ果ててしまっていた。
***
だが、特筆すべきは線だけではない。後年の竹喬からは想像もできないような、ごく淡い色彩が、うら寂しい冬の景観に奥行きをもたらしている。冬枯れというよりも、春の間近いことを予感させるような、暖かな風景である。
緩やかな起伏が折り重なるように連なるこの眺めは、まるで日本の田舎の縮図のようであるが、この絵には『故里(ふるさと)の郊外』という副題がついているそうだ。ということは、小野竹喬が生まれ育った岡山県笠岡の景色でもあろうか。あの遠くの空の下には、瀬戸内海が広がっているのであろうか。
絵の真ん中あたりに、藁葺き屋根の小屋がぽつんと建っている。ここに描かれた、唯一の人工物である。左側の赤い着物を着た女性は、この小屋から出てきたのかもしれない。彼女は何をするでもなく、ただのんびりと散歩をしているように見える。冬の日差しの中に、ゆっくりとした動きが生まれる。穏やかな冬の、かすかな息吹き。
***
この絵を描いたとき、小野竹喬はすでに笠岡を離れ、京都で活動していた。29歳のとき、彼は若い画家仲間とともに「国画創作協会」を立ち上げている。しかし財政難などの理由から、この新しい絵画運動は、わずか10年で解散の憂き目に会う。『冬日帖』は、その最後の展覧会に出品された作品である。
日本画の一大中心地である京都で、いわば最初の挫折を目前にした竹喬が描いた、故郷ののどかな風景。彼の脳裏に去来していたものは、いったい何だったのだろうか。
(京都市美術館蔵)
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小野竹喬といえば、ざっくりと単純化された形態と、鮮やかな色彩を思い浮かべる。特に、彼が好んで描いた夕日の茜色は、それこそ太陽の残像のように、ぼくの目に強く残っている。
だが、30代の終わりに描かれた『冬日帖(とうじつちょう)』はちがう。小さな画面に、緻密な線描がびっしり描き込まれている。その線の細かさたるや、少々目の悪いぼくには、展示室のガラス越しだとじゅうぶんにとらえきれないほどである。
数年前に一度、この絵をガラス越しではなく、間近で鑑賞する機会があった。『冬日帖』は実は6面からなる連作だが、そのすべてがこんな感じで、微細な線に埋められているのである。ぼくは文字どおり、なめるようにその絵を観た。無謀にも、ありとあらゆる線を味わい尽くそうとしたのだ。全部観終わったときには、すっかり疲れ果ててしまっていた。
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だが、特筆すべきは線だけではない。後年の竹喬からは想像もできないような、ごく淡い色彩が、うら寂しい冬の景観に奥行きをもたらしている。冬枯れというよりも、春の間近いことを予感させるような、暖かな風景である。
緩やかな起伏が折り重なるように連なるこの眺めは、まるで日本の田舎の縮図のようであるが、この絵には『故里(ふるさと)の郊外』という副題がついているそうだ。ということは、小野竹喬が生まれ育った岡山県笠岡の景色でもあろうか。あの遠くの空の下には、瀬戸内海が広がっているのであろうか。
絵の真ん中あたりに、藁葺き屋根の小屋がぽつんと建っている。ここに描かれた、唯一の人工物である。左側の赤い着物を着た女性は、この小屋から出てきたのかもしれない。彼女は何をするでもなく、ただのんびりと散歩をしているように見える。冬の日差しの中に、ゆっくりとした動きが生まれる。穏やかな冬の、かすかな息吹き。
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この絵を描いたとき、小野竹喬はすでに笠岡を離れ、京都で活動していた。29歳のとき、彼は若い画家仲間とともに「国画創作協会」を立ち上げている。しかし財政難などの理由から、この新しい絵画運動は、わずか10年で解散の憂き目に会う。『冬日帖』は、その最後の展覧会に出品された作品である。
日本画の一大中心地である京都で、いわば最初の挫折を目前にした竹喬が描いた、故郷ののどかな風景。彼の脳裏に去来していたものは、いったい何だったのだろうか。
(京都市美術館蔵)
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